84話「開幕」
鋭い突きを躱しながら剣を鞘に納め、構える。
空千代直伝の居合斬りは、初見ならばマレーナですら引っ掛かる。
ともすれば、技量でマレーナに劣るであろう彼に通らない道理は無かった。
__腕を削いでやる。
彼が再び剣を振るよりも早く、鞘から剣を弾き出し、武器を持つ彼の腕を狙う。
通すべきは肘、鎧の隙間だ。
弾丸のように弾き出された切先は、ベルナールよりも素早く目標を捉えた。
刀身が肘へと接触した瞬間、鎧の隙間から火花が生じ、刃がそのまま滑って空振ってしまった。
つまり関節部が硬く、斬れなかった。
「嘘だろ!?」
思わず間抜けな声を上げてしまう。
彼の攻撃が止まる事はなく、二の腕にその剣が直撃した。
強烈な衝撃が右腕に訪れ、そのまま分断されてしまう姿が思い浮かんだのも束の間、彼の剣が腕を滑って行った。
思わず、目を白黒させてしまった。
そして一瞬で理解した。
今斬られた場所は、ミラナが拵えてくれたダマスカスの鎖帷子があった場所だと。
「ありがとう!愛してるぞミラナ!!」
彼女に感謝の言葉を告げながら、切先で彼の胸部を突いた。
「ぬぅっ……!!」
彼の身体が大きく浮き、飛び退く形で距離が空いた。
しかし、彼の鎧に凹みはなかった。
互いに睨み合いながら、理解する。
鎧の無い顔を潰すしかないと。
だが、ベルナールは違った。
彼は刀身に黒色の魔力を纏わせ、剣を構え直した。
恐らく、あの魔力に触れれば灰にされる。
あの剣には姉の力が込められている筈だ。
万が一身体に直撃しても、姉の魂が入っている以上、魔力で死ぬ事はないだろう。
だがそれでは、ダマスカスは崩壊し、刃が露出した肉を裂いてしまう。
どの道、避けるしかなかった。
「来いよ、男前にしてやる」
武器の構えを変える。
剣を両手で握り、正面に構えるそれは、義父の構えだ。
「正面に立つ蛮勇は認めるがなぁ!」
先に動いたのはベルナールだ。
彼は一切の防御を捨て、真正面から剣を振り下ろした。
鉄壁の甲冑と、防ぐ事の出来ない剣。
間違いなく、彼の持つ必殺の一撃であり、それで多くの敵を屠って来たのだろう。
__しかし。
オムニアントを躊躇いなく振り上げ、彼の剣を払った。
ベルナールは、その光景に目を見開き、驚きを隠せないようだった。
ソルクスの「白」を直接潰したこの剣が、姉の力に耐えられない筈がなかった。
「蛮勇なんかじゃないさ」
甲高い金属音が響く中、がら空きになった彼の顔面に剣を突き立てた。
切先が左目を裂き、鮮血が吹き出す。
重い刀身が眼底骨を砕こうとしたその瞬間、ベルナールは空き手で剣を掴み、強引に突きを止めて見せた。
どれだけ力を込めても剣は動かず、完全に距離が詰まってしまった。
密着した状態でベルナールの剣が、脇腹へと振り払われた。
オムニアントを手放す判断を下すも、間に合わなかった。
鎧に黒い魔力が接触するその瞬間、ベルナールの脇腹にマレーナの大剣が激突した。
「サービスだ。遠慮するなよ」
バランスを崩したベルナールに向けて、彼女は不敵に笑った。
両手から大剣に魔力を流し込み、切先が紅く輝いた。
〈__火吼〉
大剣を中心に、炎の華が咲いた。
静寂をかき消す形で、響いた爆音が劇場内を揺らす。
指向性をもって放たれた爆炎は、ベルナールを包み込み、彼の後ろに並ぶ席を薙ぎ倒しながら吹き飛ばした。
遅れてやって来た熱風が俺の肌を焦がし、飛び散った破片が鎧に当たり、爆竹のように弾けた。
爆煙が晴れると、観客席のあった場所は瓦礫へと変わり果て、燻っていた。
ベルナールは、ステージ台に背中から突き刺さり、もたれかかるようにして伸びていた。剣を手放してはいないものの、項垂れ、意識を手放していた。
「ははっ、よく耐えたなクリフ!」
マレーナはナイフを回すかのように、軽々と大剣を片手で振り回し、地面に突き刺した。
口角を吊り上げたその顔からは、狂楽の感情が滲み出していた。
「……助かった」
平坦な口調で感謝を述べる。
俺やニールにあった、万能感から来る高揚ではない。クレイグが浮かべていたような、戦いの悦びから来るものですらない。
それ以下の、クソのような笑顔だ。
あれは、殺しを楽しんでいる奴の顔だ。
「……なんだよ、不満なのか?」
彼女は俺の反応が気に障ったようで、大剣を引き抜き、食い気味にこちらに歩いて来た。
「ああ不満だな。どうしてお前は殺しを楽しんでる?」
一瞬、マレーナの目が泳いだ。
◆
エレネアが窓から飛び降りた直後、鎧騎士の姿をしたネクロドールが勢い良く部屋へと侵入した。
間取りの広い貴賓室の中央に用意された席で、アンセルムは気を失っていた。
彼の護衛達も膝から崩れ落ち、床に倒れていた。
ネクロドールの後に続く形で、エミールら憲兵達が室内に突入する。
慌しく銃口を振り回しながら敵を確認する様は、ジレーザの特務部隊のような洗練されたものではないものの、確認動作は病的なまでに念入りで、ゲリラを想定していたものだった。
「やれ」
エミールが短く呟くと、彼の部下達がアンセルムの護衛に銃口を向けた。
「……エレネアが居ないな」
彼がそう呟いた瞬間、部下達が引き金を引き、ボルトガンが駆動する。
弦が稼動し、滑車が回ったその時、貴賓室から何かが飛来した。
白色の光が憲兵達の間を通過した。
エミールが残光を目で追った時、ボルトガンが砕け散り、憲兵達の頭がちぎれ飛んだ。
複数の激突音が重なるように響く中、残光を目で追い切った時、彼は騎士型のネクロドールがシルヴィアに胸を貫かれているのを目にした。
「……後は、お前」
彼女は冷淡に言い放ち、ネクロドールに突き刺した腕を引き抜き、残骸を蹴り飛ばした。
「……こんな日もあるか」
エミールは諦めたような口調で呟いた。
シルヴィアが踏み出し、拳を彼に向かって振り抜く。
圧倒的な膂力差によって生み出されるその一撃を、彼には防ぐ事は出来なかった。
少なくとも、彼には。
シルヴィアの背後の壁が弾け飛び、そこから竜の頭を持ったネクロドールが現れた。
ネクロドールはシルヴィアの側面へと回ると、彼女を思い切り殴り飛ばした。
錐揉み状に吹き飛びながら床に激突し、転倒した。
「ああ……地獄に行くのは確約されそうだ」
エミールは転がるシルヴィアにボルトガンを向け、躊躇いなく発砲した。
彼女は床に手を付き、そのまま側転しながら弾を回避し、手足の鱗と胸当てで矢を受け止めた。
「なら、連れてってあげるよ……!」
シルヴィアは白色の魔力を発した。
「困ったな、帰って庭の手入れがしたいんだ」
彼はそう呟いて、陶器で出来たボールを地面に落とした。
次の瞬間、軽い炸裂音と共に貴賓席が煙で包まれ、木が砕ける音が遅れて響いた。
〈__白加〉
シルヴィアが加速し、ひと息に突進して煙を突き破った。
エミールが居た筈の場所の床には、穴が空いていた。
「そっちか!」
彼女が躊躇いなく穴へと飛び込んだ瞬間、頭上が赤く輝いた。
部屋に滞留していた煙が散り、天井に張り付いていたネクロドールとエミールの姿が現れる。
「落下中は加速できないようだな」
ネクロドールの喉奥が強く瞬き、降下中のシルヴィアに向け、熱線が放たれた。
「クソッ!!」
彼女は右手を突き出し、黒色の魔力を発した。
〈__黒減〉
漆黒の波動が掌から弾け、熱線を弾き飛ばす。
停滞の力によって崩壊、霧散するそのさまは、太い一本の荒縄を解き、細い糸にして行く工程とよく似ていた。
両脚から銀色の魔力を発し、木板のように固める。
硬質化したそれを踏み砕いて足場にし、貴賓席の階へと戻った。
エミールは既に天井から降りており、一本の長剣とボルトガンを握り締め、ネクロドールを侍らせていた。
「……っ」
シルヴィアは、自身の勝負弱さを痛感させられていた。
「制限は四発かな。出なくなるのは、身体がブレーキを掛けてるからだと思うな」
彼女は、数ヶ月前にナトに教わった事を思い出していた。
「どうして?」
「神の力を模倣した黒減と白加は、超域魔法よりも燃費が悪いんだ。勿論、お祖父様の魂を受け継いだシルヴィアはその問題をカバー出来てる……けど」
ナトは右手に魔力を纏わせ始めた。
しかし、その量が尋常ではなく、彼女の腕が魔石のように輝き始めた。
「何を……」
輝きがピークを迎えた瞬間、彼女の腕が飴のようにどろりと溶け、地面に滴った。
「わっ、えっ、わぁぁっ!!?」
思わず飛び退き、悲鳴を上げた。
しかし、ナトは大して驚いていない様子で右腕があった場所に魔力を纏わせると、腕が元通りに復元した。
「そう、身体が耐えられない。魔力には現実を作り変える力を持つから、浴び過ぎるとこうなっちゃうんだ」
ナトは溶解した腕だったものを見下ろし、そう言った。
「だから四発。多分、五発目はシルヴィアが溶けると思う」
その返答に、思わず苦笑してしまう。
「……体の問題ってこと?竜人なのにね」
「あっ」
ナトの口が半開きになり、何かを思い出した様子を見せた。
「ヴィリングと私の持ってる図鑑に、竜人が載ってないって知ってた?」
「えっ?」
思わず固まり、上手く言葉を返せなかった。
「竜神の中で誰も、竜人なんて産み出して無いんだよ」
「えっっ??」
頭が混乱する。もし竜人が居ないのなら、自分はこれまで何と間違われて崇拝されて来たのだろうか。
「ティロソレア様と会った事ある?」
「うん……あっ」
竜人の姿をした彼女を思い出す。
そこで合点が入った。竜人と崇拝される彼らの正体は、人の姿に化けた竜神だったのだと。
「うん、そう言う事。だからこそ、ケテウスの嫌がらせで創られたあなたの身体は、せいぜいハイヒューマンが良い所なんだけど……」
ナトに胸の中心をつつかれる。
「魂を改造されたお陰で、あなたは間違いなく強くなってる。鱗だって硬くなったよね?けど……」
首を傾げる。
「けど?」
「まだ成長の真っ最中だから、あんまり無茶はしたら駄目だよ?」
ナトは私の両肩を掴み、深緑の瞳を向けた。
眼差しの奥からは、愛情にも似た感情が感じられた。
「四発目……だっけ」
思考が今に戻り、目の前に居るエミールに意識を向ける。確かに、手足の感覚が鈍くなっているような気がした。
もう一度、あの魔法を使えば手足が溶けてしまうのだろう。
「……アレを試そっか」
拳を固く握り締め、エミールに向かって走り出した。




