81話「許す訳ないでしょ」
ニールはセジェスの街を離れ、郊外にある書店に訪れていた。
隣に並ぶイネスは、外套を深く被っており、その表情は窺い知れなかった。
「無理にヨリを戻そうと思うな。あんたは、ケジメを付けに来たんだ。過去が全てじゃない」
「……私には、全てなの」
彼女は深く深呼吸をしてドアノブに手を掛けた。
__俺が居るだろ。
そう言えないのが情けなかった。
彼女の後に続き、埃被った本棚の間を進む。
「ここかな」
イネスは立ち止まり、懐から一冊の本を取り出し、差し込んだ。
次の瞬間、景色がすり変わり、広大な図書館へと置き換わる。
その中央には、全身に刺青を入れた女性が、ラウンドテーブルの上に座っていた。
イネスは外套を脱ぎ、彼女の元へと歩く。
「久しぶり……ナト」
少し怯えた声音で喋る。そんな彼女の態度に、漠然とした不安を感じた。
「喋らなくなったね。昔の元気は何処に行ったの?落としちゃった?」
ナトは淡々とした口調で話す。
そのさまは、イネスへの関心が無いように思えた。
「えっ……その、ナトは元気になってて、良かった」
ナトの顔が険しくなる。
それは失言だ。
思わず口出ししたい衝動に駆られるも、ただ見守る事しか出来なかった。
「あなたには、元気に見えるんだ」
彼女は語気を強め、脚を組んだ。
「……ごめんなさい」
イネスは俯いてしまった。
そのまま、沈黙が続く。
その時に確信した。彼女はもう喋れない。
止めるべきだ。そう判断してイネスに近寄ろうとした時、ナトが口を開いた。
「他に尋ねる事は無いの?どうして、貴方を殺さなかったとか、フォールティアを没収しなかったとかさ……ここに来た理由は分かるから良いよ。あの爺さんめ……」
彼女は恨めしげに天井を見上げた。
「謝りに……来たんだ。あの時、すぐに身体が動かせなくて。ごめんなさ__」
イネスの謝罪をナトの舌打ちが遮った。
「謝りに来た?違うでしょ。そこの男を勘違いして襲って、アウレアに居られなくなったから、私の所に来たんでしょ?」
イネスの肩が小刻みに震え、呼吸が浅くなり始めていた。
「この100年間。あなたは何をしてたの?私に会いに来る訳でも、戦争を終わらせる訳でもない……」
ナトはテーブルから降り、彼女を嘲笑った。
「昔っから、言葉だけは雄弁だね。アウレアの英雄だからかな?」
ナトはイネスの肩を押して通り過ぎる。
「結局、あなたには意思が無い。父さんを倒したのだって、周りがそうしたからでしょ?」
イネスは膝から崩れ落ち、過呼吸になっていた。
そんな彼女に駆け寄ると、ナトは軽蔑の眼差しをこちらに向けた。
「ニール君。だっけ?その子を支えても報われないと思うよ。さっさと捨てた方が幸せに生きられるよ」
彼女の態度に、腹の底が煮え始めた。
この場で今すぐに剣を抜き、叩きのめしてやりたい程に。
「黙っていろ」
ナトを睨みつけながら、イネスを片手で抱きしめて立ち上がる。
彼女の腰に刺したフォールティアを握り締め、転移門を起動させた。
「イネス、なんで泣いてるの?悲しいのは私だよ」
クイドテーレを呼び出し、彼女と俺の間にあった大気を叩き割る。
ガラスの割れる音と共に、風が吹き荒れた。
「言葉が通じないのか?黙っていろと行ったんだ」
ナトは鼻で笑うと、その場から背を向けた。
「そう……まあ、彼氏君に傷でも舐めて貰いなよ」
ナトの言葉を無視して転移門を潜ると、本屋の入り口に飛び出した。
外の風が吹いた瞬間、イネスは声を出して泣き始めた。
クイドテーレを消滅させ、彼女を強く抱き締めた。
戦場で、恐慌状態になった仲間にもやった。
パニックになった人間の行動を抑制し、同時に安心感も与えられる。
これ以上ない手段であると思っている。
「私っ……何もっ、何も分からなくてっ……」
震える彼女の背中を撫でる。
イネスの力が強まり、少し痛かった。
「……ここまで来たんだ。無駄なんかじゃない」
彼女の嗚咽を聞く度に、幼少の頃思い浮かべていた勇者の姿が崩れ始める。
俺は、英雄として生きるのが嫌だった。
たった一人の親友や家族を除いて、ニールとして見てくれる者は居なかった。
だが、俺もまたイネスをを勇者としか見ていなかったのだと思わされた。
「……ニール君は……私を、捨てないよね」
声にならない言葉を発し、涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔をこちらに向けた。
その姿に、胸が締め付けられた。
「ああ……信じてくれ」
彼女を抱き抱えながら、外套を被せた。
一先ずは、隠れ住むところを探さなくてはならなかった。
だが__
「あれっ?ニール……さん?」
書店の側に、シルヴィアが立っていた。
一瞬だけ、心拍数が跳ね上がった。
この国で、自分が生きている事を知られるのは何としても避けたかった。
「見つかったか……実は生きていてね。セジェスに逃げ込んだ所なんだ。君は?」
少し砕けつつ、丁寧な口調を組む。
「えっと……魔法を練習してるんです」
シルヴィアは目を逸らした。
恐らく、ナトからだろう。だが、口にすればイネスの様子が酷くなるのは目に見えていた。
「そうか、クリフは元気かい?」
「うーん……最近は魔力が使えなくなって、ちょっと微妙です。あっ、でもね。マレーナって人とすっごく仲が良いんですよ」
思わず、笑みがこぼれる。
アウレアで戦って以来、彼の近況を知れなかった。
会う事は無いかもしれないが、かつての戦友が幸せに生きていると知り、安心できた。
「ニールさん、良かったらナパルク邸に顔を出してみて下さい。あなたが死んだと聞いて、クリフは落ち込んでて。きっと喜んでくれる筈です」
思わず、その言葉に苦笑する。
「戦争で大勢のエルフを殺した。とてもじゃないが、ナパルク殿の元には行けないさ。この都市に根を下ろすつもりだ。きっと、また会えるさ」
そう言って手を振り、すれ違った。
「待ってますからね!」
シルヴィアは後ろから元気に呼び掛けた。
半神としての生理機能を使って、自身の耳の形を鋭く伸ばした。
「……ひっそりと生きよう。俺たちはもう、充分頑張ったさ」
耳元で短く呟くと、イネスは小さく頷いた。
◆
セジェス首都のバロン北部には、四人の国祖の内が一人、カーリという男が建てたフランドラ邸と呼ばれる屋敷が存在していた。
淑やかな美しさを放つナパルク邸とは違い、煌びやかな美術品が並び、昼夜問わず酒の香りと笑い声が屋敷に響いていた。
さながら歓楽街の様相を呈しているこの場所は、腐敗した評議員たちの遊び場と化していた。
太陽の都と称されるこの場所は、セジェスという国家を食い潰しながら、訪れる者に無上の快楽を提供し続けていた。
そして、フランドラ家の当主にして、軍拡派の代表者であるセザールの部屋に、アルバが訪れていた。
執務机に座る彼の前に、神父服の彼が突然現れていた。
「初めまして、セザール・フランドラ殿。僕は魔神バルツァーブの息子、アルバ・クアリルだ」
セザールは彼の姿を見ると、ため息を吐き、執務机の端を指先で叩いた。
「ああ……あえて光栄だよ。アルバ殿」
「知ってたのかな?」
アルバは人の良い笑みを浮かべ、一歩前に踏み出す。
しかし、机に座る小太りの男は、気怠げな表情を崩す事なく、濁った眼差しを彼に向けていた。
「アンセルムを押し退け、この国の代表をしている身だからね。君の足跡は何度かなぞった事がある」
「ああ、なら話は早いね。僕達は、この世界を滅ぼそうと考えている。君達も一枚噛まないかな?」
「そうか……まあ構わないよ」
セザールは関心が無さそうに答えた。
信じていないのか。そう捉えたアルバが右手に魔力を纏わせると、セザールは両手を軽く上げた。
「アルバ殿の実力を疑っている訳ではないよ。けれど、あなたは私達を生かすつもりなど無いのだろう?」
アルバは目を見開き、感心している様子だった。
「交渉決裂かな?」
「いいや、全面的に協力させてもらうよ」
セザールは指を組み、再びため息を吐いた。
「君達の行いを咎める手立てを、私たちは持ってはいないのだよ。だから一つ、お願いをさせて欲しい」
「構わないよ。君達は憎いけれど、対価も無しに協力を求めるのは心が痛む」
どの口が。と、セザールは思っていた。だが彼には、悔しさを抱ける程の活力さえ無かった。
「私たちを、処刑台の最後尾に並べてくれると助かるよ」
「……承ったよ。修飾は不要だね、ベルナールがクリフ君を襲う気で居る。彼に協力を取り付け、アンセルムを殺害して欲しい」
セザールは眉を顰めた。
「ああ、任せて欲しい。いつか手を打つべきとは思っていたんだ」
アルバは微笑を浮かべると、転移門を召喚した。
「後日部下を送るよ」
「ああ、待っているよ」
アルバが消えた後、セザールは三度目の溜息を吐いた。
「師よ……あなたは、まだ戦い続けるのですか」
一枚の紙を取り出し、ペンを取って慣れた手つきで言葉を綴る。
宛先は、アンセルムだった。
「責任逃れのデマゴーグを吐く政治家。それに踊らされ、無茶な戦争の継続を望む市民……山のように積み上がる死体。止まらない財政破綻……何故、なぜ貴方は戦い続けられるのですか」
言葉に抑揚は無かった。しかし、流れるように吐き出されたその言葉達は、彼の悲鳴であり、涙だった。
「この国は、とうに救えないのです。だからどうか……」
彼は最後の言葉を言おうと、綴ろうとした時にペンの動きを止め、短く息を吸って沈黙した。
引き出しに書きかけの手紙を納め、ペンを置いて立ちあがった。
「……私は、自身の為なら恩師すら売れるようになってしまったようだ」
セザールは、声を振るわせながら部屋を歩き、ドアノブに手を掛けた。




