79話「仲直り」
「ナトさんっ!」
ナトの書庫に転移し、木の香りと仄かに輝く魔力が漂う部屋に脚を踏み入れた。
彼女は中央に植えられた古木の下で、空飛ぶ本達を呼び寄せ、指示を飛ばしていた。
淡い光を受けながら本を指差すその様は、彼女の見目の良さも相まって、名画の一枚を眺めているかのようだった。
「どうしたの?」
急いでやって来た私を前に、彼女は目を丸くし、首を傾げた。
「ウェールさんと何があったの!?」
「あー……あれね」
彼女は眉を落としながら歯切れの悪い返事をし、目を逸らした。
「ネクロドールはね、私とウェールで完成させたんだ」
「そうだったの?」
意外であると同時に、納得のいく事だった。
半神が作ったのであれば、あの完成度になるのも不思議では無いと。
「ああ、でも誤解しないで。ウェールが主導して作ったものだし、私も専門外の事で手探りだったから、私だけの成果じゃないよ」
彼女は訂正しながら、重々しくため息を吐いた。
「私がネクロドールの増産をせき止めたの」
「えっ?どうして」
「ネクロドールの生産目的は、農耕の補助や魔物の狩猟だった。つまり、貧困にあえぐ都市周辺の村を助けたかったんだ」
彼女はため息を吐き、天井を見上げた。
「でも、ネクロドールの性能が良すぎてね。真っ先に発注が入ったのは、軍隊と憲兵隊……もう分かるよね?」
掠れた笑いを漏らし、彼女は私を見つめた。
「うん……」
相槌を打った。
ネクロドールの性能は、ウェールから嫌と言うほど聞いた。
ボルトガンを通さない装甲。動物を紙屑のように引き裂く力。
国への憎悪を募らせ、銃器で武装している村民達が、何故反乱を起こさないのかが分かった。
「ウェールは努力を無駄にしたく無かったんだろうね。皆に行き渡るようにすれば良いって聞かなかったから……」
彼女は瞑目し、眉間に皺を寄せた。
「アンセルムからの伝手で村にネクロドールを下ろしたんだ」
「うん」
「反政府組織が村人から徴収して行ったよ」
「……そっか」
この国の露悪さが滲み出た、嫌な話だった。
「だから、ネクロドールの心臓部を、できるだけ複雑にして、真似できなくしたんだけど……」
ナトは三度目のため息を吐いた。
「あの子が簡略化して広めたよ」
絶句し、言葉を失った。
それではウェールが悪人としか思えなかった。
「ナトさんはどうしたの?」
「片っ端から圧力を掛けて止めさせたよ。それで、あの子に絶交されたの」
ナトの声音は重く、僅かに痛みが混じっていた。
私はそんな彼女の手を握り、引っ張った。
「シルヴィア?」
彼女は目を丸くし、私の名を呼ぶ。
「ウェールさんのとこに行こう!ちゃんとお話ししないと、二人とも後悔するよ!!」
快活にそう言って彼女を連れ出した。
その最中、心に棘が刺さり自虐的な気持ちが湧き出た。
話さないと後悔する?よく言えたものだ。
私は納得いくまでクリフと話せていないのに。
◆
「……今度は何処だ」
木に頭をぶつけた後、渓谷の中に居た。
小さな滝が慎ましげに水音を立て、なだらかな清流が日の光を反射し、水面を輝かせていた。
腰を上げて立ち上がる。
身体が羽根のように軽い。どうやら身体能力が元に戻っているようだった。
周囲を見渡すと、見慣れない木々が立ち並び、雑草もそこまで繁茂していないようだった。
滝の側には桃色の葉を実らせた木が生えており、思わず目を奪われた。
「おお、来てくれたか!拙者は空千代と申す。城主に担ぎ上げられそうな所をエルウェクト殿に拾われた……浪人だな!」
桃色の樹の下には、青い肌をした女性の鬼が居た。
彼女は快活に右手を振り、左手を腰に当てて駆け寄って来た。
「ああ……エルの__」
彼女との距離が縮んだその時、空気が変わった。炎のような殺気に包まれ、圧迫感によって息が詰まるような感覚に襲われた。
身体の筋肉が震えたその時には既に、彼女は腰に差したカタナを引き抜き、俺の首を捉えていた。
「クソ」
そして、首を切り飛ばされた。
視界が転がり、飛んだ首が弧を描いた。
軌道が頂点に達したその時に、視界が巻き戻り、首がくっ付いた。
「挨拶が過ぎると思わないか?」
眉間に皺を寄せ、空千代を見つめる。
「いやぁ……値踏みした事は詫びさせて欲しい。すまなかった!」
彼女は合掌し、頭を下げた。
「……しかし無警戒が過ぎるな。拙者が仕向けたのは事実だが」
顔を上げた彼女の目つきは鋭かった。
「荒削りなもんでな。道すがらに達人に襲われたのは今日が初めてだよ、先生」
「先生か……懐かしい響きだな」
空千代は感慨深そうに微笑むと、刀を引き抜いた。
それに呼応して、腰に差したオムニアントが反応し、空千代と同じ刀へと姿形を変えた。
「早速実戦か?上等だ」
そんな質問に、彼女は目を丸くしていた。
「何を言っておる。型を教えずに斬り合う者が何処に居るのだ」
至極真っ当な事を言われた。
それと同時に、頭の中で義父とクレイグが笑顔で親指を立てていた。
憎たらしい。
「……じゃあ、ひとつ指南を頼めるか?」
「おうとも」
空千代が刀を正面に構える。
その所作は、奇しくもクレイグのものと似ていた。
◆
渓流の下で、基礎を教わって一日が経っただろうか。
義父の時もそうだが、時間の流れがない為、飽くまで所感だ。
また数十年修行漬けだろうか。
シルヴィアの為とはいえ、正直辛い。
「うむ、明日は実戦と行こう!」
「……明日?」
困惑し、目を瞬かせる。
「気を詰めても仕方がない。幸い、ルナ殿が一年程猶予があると言っていたのでな。クリフ殿が眠った時に、拙者や皆が相手をしてくれる筈だ」
「皆?」
彼女の言葉が引っ掛かった。
そんな折、突然後ろから肩を叩かれた。
「ソルクスを倒す為とはいえ、付け焼き刃だったからな……お前にはまだ教えたい事が山ほどある」
義父の声だ。
振り返ると、彼が嬉しげに口角を少し上げていた。
「親父……!」
思わず語気が明るくなった。
続けて、ガウェスが空から落ちて来た。
彼は砂粒ひとつすら巻き上げる事なく、直立したまま着地してみせた。
「エルウェクト様の集めた魂の中では、我々三人が上澄みです。飽くまで戦闘は、ですが」
「そういう事だ。俺たち三人が日替わりでお前を鍛える。まあ、暇な老人達の相手をしてくれ」
「その前に良いか?」
「体の事か?」
義父には見透かされていた。
「そうだ。なんであんなに弱くなってる」
彼は腕を組み、少し俯いて言葉を選んでいた。
「点検中……と、あの女は言っていたが、どうもあてにならん。打つ手は無いが、用心はしておけ」
彼がそう言うと、空間全体に高音が響いた。
「あの女?姉さんの事か……?」
「ああそうだ、お前はともかく、俺はあの女を信用していない__」
瞬きした瞬間に景色が切り替わり、木製の天井が視界に入った。
クレイグ、ソルクスと戦った後に散々見た景色だ。
俺は倒れた後、またしてもベッドに連れて行かれたようだ。
当然ながら、身体と頭が再び重くなっていた。
全く以って鬱陶しい。
しかし以前と違って、トマトを煮込んだような、香ばしい香りが部屋を漂っていた。
重い体を起こし、ベッドから出る。
「おっ、起きたか」
マレーナがかまどの上に乗った鉄鍋をレードルを使って混ぜていた。
所々に漆喰が使用され、日用品が転がったそこは、かつて燃やした俺の家とよく似ていた。
「情けないとこ見せたな」
「指示したのは私だ。気にすんなよ」
彼女は朗らかにそう言って、木皿にスープを少しだけよそって味見をしていた。
「うん。私にしては及第点だ」
彼女は微笑をこぼし、別の木皿にスープを注いだ。並々に注がれたスープを、俺の前に差し出した。
「ほら、食ってけよ」
彼女は白い歯を見せて、笑っていた。
「……ああ、いただくよ」
彼女の姿が、幼い頃見た姉の姿と重なった。
誰かの料理を食べるのは、オネスタが家にいた時以来だろうか。
スプーンの入った木皿を受け取り、湯気の上がる赤いスープを口に運ぶ。
旨みではなく、渋みが口に広がった。
スパイスの香りが強烈に広がり、少し辛かった。灰汁を取っていないのか、肉のえぐみもきつかった。
だがそれでも、美味かった。




