77話「基礎練」
咄嗟に剣を引き抜き、鎧の男の一撃を受け流した。
「何しやがる!!」
空振りの隙に蹴りを入れたものの、身体能力の差で俺がのけ反ってしまった。
「脆弱なり」
男は失笑しながら剣を振り払おうとしたその時、ポチが彼の横腹に突進し、吹き飛ばした。
彼は軽い身のこなしで地面を滑りながら着地し、マレーナを睨んだ。
「何の真似だ……!狂犬!!」
「狂ってるのはテメーだろ。このクソ爺め」
マレーナは凄まじい剣幕で彼を睨んでいた。
少しでも目を逸らせば、互いに飛び掛かりそうな状態だった。
「神罰の代行者たる私を愚弄するとは赦し難いな……!」
彼は早口でまくし立てながら剣を構え、マレーナに切先を向けた。
「コイツはな、ヴィリングから来て、尚且つケルスの側近だぞ。お前、信仰する神と戦争する気か?」
「ケルス様の……?我が神の何を知っている……!」
静かな怒りを漂わせながら、俺を見つめて来た。
多分この男は姉の信徒だ。アウレアで言う、法の守り手のような人物に思えた。
「さあな、羊のパイを焼くのは得意だったが」
それ故に腹が立った。
「貴様……!我が神を小間使いと言ったなっ!!」
男は殺意を露わにして再び走り出し、剣を振り出す。
二度目は流石に見切れた。
だが、それよりも先にマレーナが割り込み、彼女の払った大剣が、男の剣を弾いた。
「話聞いてなかったのか?帰れよ、罪人になって全部敵に回したいのか」
男は歯軋りをし、怒りの形相を浮かべた。
全ての顔の皺が中心によったその様は、魔物のようにさえ見えた。
「狂犬め……貴様も神の怨敵となると知れぇっ……!」
臓腑から絞り出したような語気で呟き、その場から跳躍し、背後の建物の屋根に乗った。
そして、剣を収めてその場から立ち去った。
「失礼なジジイだよな?私は親切で止めてやったのに」
「……アレはなんだったんだ?」
「ん?アイツはベルナール。ルナブラム様を信仰する宗派のトップだよ。何でもルナブラム様から剣を貰ったとかで、偉そうにしてるんだ」
マレーナはため息を吐き、ポチの背中に剣を格納した。
「ルナブラム様の教義とは真反対の事をしてる奴らさ。アイツらの偶像に比べたら、お前の皮肉の方がマシかもな」
マレーナは苦笑していた。
どうやら、彼女も姉を信仰していたようだ。
「信仰してたなら謝るよ。悪かった」
実際、姉は羊のパイを焼くのが得意だったのだが、信徒にとっては酷い侮辱だろう。
今になって、軽率な発言だったと思わされた。
「気にするなよ。あんなのに会ったら気持ちは……待ってくれ、ケルス様の側近って事は、本当にパイが得意だったのか?」
一転して彼女は目を輝かせながら尋ねて来た。
「……ああ、とっても美味かったよ」
そう言って空を見上げ、遠い記憶の姉を思い出していた。
◆
シルヴィアとナトは向かい合って資料と睨み合っていた。
「魔力が気持ちによって力が上下するのは分かったんだけど……そもそも魔力って何なの?色だって変わるし」
そう言って、白色の魔力と黒の魔力を左右の手で放出した。
「それ、シルヴィアだけだよ。本来は一種類だけだから」
「えっ?」
初耳だった。
なにより、あまりに自然にできたので、そういうものだと思っていた。
「魂の種類は産まれた身体に依存するんだ。だから、だから、複数の機能を混ぜて改造できるのは神だけの特権かな」
気味の悪い話だった。
つまり、暗に私は魂を改造されたとの事だった。
「うん?……ああ、そんなに嫌がらなくて良いよ」
ナトはこちらの意図に気付いたようで、微笑を浮かべていた。
「魂はお母様から貸し出された記憶の容器だから。最悪取り替えても問題ないよ」
彼女は今、信心深い人が聞けば倒れるような事を言ってのけた。
「えっ、えっ?」
「神と人間の魂って、質の違いだけで、仕組みは一緒なんだ。魂そのものに特別さは無いかな」
「じゃ、じゃああたしは何なの?」
ナトは目を丸くした後、目を細めて考え始めた。
そして回答がまとまったのか、こちらを見つめ直した。
「あなたをあなたにしているものは、記憶だよ。記憶があるから考えを持てるし、記憶があるから、何が楽しくて、何が辛いのかを認識出来る。だから、魂っていう頑丈な殻にしまってあるんじゃないかな」
納得出来る事ではあったが、内容が内容なだけに、少しまだ混乱していた。
「で、シルヴィアの体質の話なんだけど……両親の魔法をイメージしてないのに使えるんじゃないかな?」
「あっ、うん」
改めて考えればそうだ。
しかし神の魔法である為、そういうものかと思っていた。
「そこで問題なんだけど……ケルスのくれた準備期間は一年。でも、実際の習得に掛かるのは要領が良くて十年なんだ」
「すごい頑張らなきゃ駄目って事だよね?」
「ううん。どれだけ頑張っても、フルオートで動いてくれる二人の魔法に勝てないと思うんだ」
ナトは人差し指を立てる。
「でも、シルヴィアの魂は、ソルクスお祖父様が使ってた特別製だから……地力の高さで、ズルが出来るんだ」
彼女は不敵に微笑んだ。
「シンプルに行こう」
◆
ウェールの工房から少し離れた酒場に、マレーナを連れて訪れていた。
彼女は大量の肉とパンを注文し、既にテーブルの隅には、空になった皿が山のように積まれていた。
側から見ても気持ちの良い食べぶりだったが、会計を考えると笑えなかった。
「そう言えば疑問に思ったんだが」
彼女はパンを千切りながら尋ねて来た。
「どうした?」
「お前って何なんだ?ケルス様の側近で、ルナブラム様とも親しくて……でも何故かアウレア軍に居たんだろ?」
「あー……」
説明出来るような内容ではなかった。
恐らく、これまでの道程を話せば確実に、狂人と見做されるだろう。
「……丁度一年前にシルヴィアをアウレアで保護してな。ケルスに共々保護されて、気付けばこんなに立場が跳ね上がった」
エルウェクトや姉の事は、口が裂けても言えなかった。特に前者は、亜人ばかりのこの国で信じられても困る内容だった。
「へぇ……人生何があるか分からないもんだな」
彼女は口に肉を詰めたまま喋り、呂律が回っていなかった。
「まあな……俺でも驚いてるよ」
そう言って陶器製のコップを取り、水を口に含んだ。
「というかお前ハイヒューマンじゃなかったか?」
含んだ水を戻しそうになり、むせた。
「憶えてたのかよ!」
「ああ、思い出したんだ。あの時は悪かったな。戦争だし、恨みっこ無しにしてくれよ?」
「俺もそんなスタンスだから気にしないさ……アイツらには悪いけどな」
マレーナは肉から骨を綺麗に剥がし、皿の上に置いた。
目の前に居る人物が、嬉々として戦友を殺していた人物だと思うと、どこか不思議な気持ちにさせられた。
「で、どうしてなんだ?」
痛い質問に眉を顰める。
これもまた、説明し難い事だった。
まさか、ソルクスと一騎討ちをしたなどと言える訳も無い。
「超域魔法って分かるか?」
「ああ、姉さんから聞いた事はあるぞ」
「アレを使ったら魔力が練れなくなってな。今じゃ普通の人間だ……正直、歯痒いよ」
掠れた笑いをこぼしながら、コップをテーブルに置いた。
「取り敢えず身体でも鍛えたらどうだ?」
「……は?」
盲点だった。というよりは、しても無駄だと諦めていた節があった。
シルヴィアに武力を行使させたくないと言うなら、真っ先にすべき筈なのに。
咄嗟にマレーナの手を取る。
「それだ……!ありがとう!」
彼女の手を振り回す勢いで握手した。
そして手を離し、一緒に注文していた肉を口に詰め込み、水を飲んで胃に流し込んだ。
光明が見え、天啓を得たかのような気分だった。
行動欲求が爆発し、身体が早く動かせと急かしているようだった。
「あ……ああっ、役に立ったみたいで良かったよ。その……良かったら私も手伝うぞ?」
彼女はやや引いた様子で、ひきつった笑みを浮かべていた。
「本当か!?」
テーブルから身を乗り出し、食い気味に尋ねると、彼女は少し困った様子で頷いた。




