76話「大嫌い」
クリフは今、やや強い日照りに顔を顰めながら先行するエレネアの後を着いていた。
「俺を使い走りにしやがって……」
誰にも聞こえない声量で呟く。
今頃彼女はきっと、楽しく勉強会をしている事だろう。
保護者として、そして戦力外の男として、こんな考えは良くないと考え直すも、少しだけモヤモヤした。
「そう悲観なさらないで下さい。きっと良い出会いがありますよ」
エレネアが振り向き、微笑む。
どうやら聞こえていたようだ。
「悪い、そういう意味じゃないんだ」
彼女は微笑み、首を振った。
「親しい仲であっても、不満は出るものですわ。どうか、お気になさらず」
彼女は正確にこちらの意図を汲んでいた。
それは、上流階級としての教養というよりは、彼女自身が持つ技能のように思えた。
「ありがとう」
事実、外に出てすぐに言葉を崩して良いと彼女は言ってくれた。
「それで……ネクロドールを発注しに向かうんだったか?」
「ええ。かの兵器についてはご存じですか?」
「一度分解したのを見た事がある。動く死体……という認識で合ってるか?」
恐らく、マレーナに乗せてもらった巨大な狼もネクロドールなのだろう。
機械仕掛けにも関わらず、妙に生き物らしい仕草をしていたのは不思議だったが。
「はい。魔物と鉄に木材、そして魔石を組み合わせ、持ち主の意思によって動く最新鋭の兵器です」
「……アーティファクトも組み込んであるだろう。俺たちが個人所有出来るものなのか?」
「1500万かと」
思わず咳き込む。
1500万。それは、フルゴルビスの一等地に豪邸を建てる額とほぼ同じ値段だった。
恐らく、これまでの人生の総収入を足したとしても、一割にも満たない事だろう。
「……そんな予算は無いぞ」
一瞬、ダマスカス製の鎧を売れば交換できると思ったものの、すぐに選択肢から消えた。
ミラナの厚意を無碍にしたくはなかった。
「ケルス様が国庫より捻出して下さるそうです」
安心した反面、複雑な気持ちに眉を落とす。
「血税でか……全く情けないよ」
その言葉を聞いたエレネアは目を見開き、僅かに固まっていた。
彼女が初めて、素の表情を出しているように思えた。
「フランドラの議員達に、貴方様のような精神性があればどれだけ良かった事か」
諦めの混じったその口調は、怒っているようにも見えた。
「この国を想ってるんだな」
「……はいっ」
彼女は僅かに溜めた後、屈託のない笑みを向けてくれた。
そんな折、エレネアが視線を変えると、道沿いにある建物に目線が向いた。
「ここが彼女の工房です。どうかお気を付けて、彼女はネクロドールの開発者にして、この国で最も優れた頭脳を持つお方ですから」
「……よく依頼出来たな」
「無名だった頃に、お祖父様が資金援助をしていたのです」
感嘆し、思わず唸る。
無名の開発者、それも試作兵器に投資する事はまずあり得ない事だった。
「商才まであるなんてな」
「ええ、自慢の祖父です」
彼女は短くそう言うと、工房のドアノッカーを鳴らした。
そこは、ネクロドールの開発者が暮らしているとは思えない程質素な外観をしており、金を浪費をしているようには見えなかった。
ドアがゆっくりと開くと、大男が現れた。
全身が赤褐色の甲殻に覆われており、山羊のような巻き角が大鷹の頭から生えていた。
そして、背部には折り畳まれた鴉の翼が生えていた。
それは、文献で見た悪魔の姿だった。
「アア、エレネアの嬢ちゃんダナ」
臨戦体制を取るよりも早く、悪魔は気さくに話しかけて来た。
彼女。と言っていたので、彼では無いように見えた。
「ええグレゴワール様、お元気でしたか?」
「シュジン共々元気ダゼ。キョウはどうしたんダ?」
グレゴワールと呼ばれた悪魔は、言葉の言い始めといい終わりが妙に高く、ガウェスとの勉強で使った機械音声を放つロボットによく似ていた。
__まさかこいつ、ネクロドールか?
疑念が湧くも、違った際には失礼極まりない為、一先ずは会話を見送っていた。
「竜人専用のネクロドールの依頼をしたいのです。ウェール様は奥に?」
そんな折、グレゴワールが俺を見た。
「アンタは?」
「クリフ・クレゾイル。ヴィリング国長、ケルスの側近だ。エレネアが言ったように、俺の姪が扱うネクロドールを探していてな」
グレゴワールは凄まじい速度でエレネアに首を向けると、彼女は頷いた。
同じ速度で俺に向き直り、息を吐いた。
「アー……クリフ様?シュジンがお気に召すものが作れるとイイんですが……コッチです」
彼はぎこちない言葉遣いで扉を大きく開け、俺達に中へ入るよう促した。
「グレゴワール様?クリフ様は固い言葉がお好きではないので、そう気負わないで下さい」
彼女はすれ違い様にそう言った。
良いフォローだ。
「元は狩人でな。未だに慣れないんだよ、悪いな」
「シュジンも固い場が苦手でナ。ソウ言ってくれると助かるゼ」
質素な木張りの廊下を進む。
めぼしい調度品も無く、小綺麗に清掃されただけの場所だった。
「ウェール、オキャクさんダ」
後ろから抜いて前に立った彼は無遠慮に扉を開き、工房と思しき場所の扉を開いた。
「ドウゾ」
エレネアはグレゴワールに軽い会釈をして入る。俺もまた、それを真似して入った。
とても整った工房だった。
時計職人の作業机、魔石を削るであろう工具台、そして金床に炉まで揃っており、果てには魔物の甲殻や革を加工する為の、なめし台や金属まで切れそうな物々しいノコギリ台まであった
「……へぇ」
工具たちは病的なまでに整え、並べられており、入念に手入れされたそれらは、光に照らされ、鈍い光を発していた。
焼けた魔石と、機械油の匂いが充満していたものの、定期的な換気と清掃が行き届いている事もあって、嫌な匂いではなかった。
暁国の庭の如く整った内装に、堅気な職人の姿を思い浮かべる。
しかし、目の前に現れたのは小柄なエルフだった。
「……あ、エレネアさんだ……」
「お久しぶりです、ウェール様」
エレネアが軽く会釈をする。
しかし彼女はそれに反応せず、青い髪を揺らして、少し萎縮した様子で作業台から離れてこちらに来た。
意図した無礼というよりは、そう言った事を知らない様子だった。
「イライだゼ、ケルス様の側近がネクロドールを作って欲しいってヨ」
ウェールは俺に向き直り、緊張した様子で見つめていた。
「あ……えっと……どんなのが、欲しいんだ?……はは」
ひきつった愛想笑いをこぼしながら、彼女は訪ねて来た。
セールス能力が壊滅的なのは、想像に難くなかった。
「あー……ネクロドールが何処まで出来るかがイマイチ分かってなくてな……頼めるか?」
ウェールは少し固まっていた。
「頼める……?ああっ、うん。えっと、グレゴは喋れるネクロドールで、ポチは沢山運べるネクロドールで……」
目を逸らすと、グレゴワールが頭を抱えていた。
「……悪かった。こっちから用件だけ伝えさせてくれ」
「あ……分かった」
彼女は眉を落とし、萎縮しきっていた。
が、逐一気にしていたら話が進まない気がした。
「竜人が扱える奴が欲しい。筋力、剛性を最高水準にしてくれ。馬鹿げた話かもしれないが、あいつは一撃でコカトリスの頭蓋なら砕けるし、最高速で馬の三倍は出る。半端な性能なら、アイツの足手纏いになるんだ」
「……あ、う。でもっ、魔力が足りないかも」
「魔力なら……そうだな。超域魔法の瞬間出力を要求されなければ動かせる筈だ」
彼女は目を何度も逸らし、瞬きの頻度が上がり始めた。
「竜人の人は……?」
「シルヴィアは……今ナトって人に魔法を教わってる。必要なら明日からでも……」
彼女は、明確に顔を顰めていた。
「ナト……?」
「どうした?」
不可解さを感じたと同時に、嫌な予感がした。
「ナトは嫌」
彼女は少し後ろに下がった。
要領の得ない会話。意味不明な拒絶。
少しだけ、頭が煮えた。
「あ……?何が嫌なんだ。シルヴィアは関係ねえだろ」
次の瞬間、ウェールの目が見開き、動かなくなった。
「クリフ様」
彼女との間にエレネアが入った。
彼女の少し焦ったその面持ちを見て、頭が冷えた。
多分、やらかした。
ウェールの目尻から涙が溢れ、震え始めた。
そんな彼女にグレゴワールは駆け寄り、硬質な身体で彼女を抱き締めた。
「ダイジョウブだ、ウェール。オレが居るゼ」
子供に言い聞かせるような口調で、彼女を慰めていた。
彼女の様子は、戦地帰りの傷を負った人間とよく似ていた。
そんな折、工房の扉が勢い良く開いた。
そこに目線を向けると、マレーナが立っていた。
「お前何やってる!?」
彼女は声を荒げ、俺に向かって歩いて来た。
しかし、彼女は怒っているというよりは、焦っているように見えた。
「ちょっと来い!」
彼女に手首を掴まれ、出口に引きずられる。
一瞬、言動とは裏腹に冷めた瞳で俺を見つめた。
それに何かの意図があるのだと察し、彼女に手を引かれ、工房の外へ出た。
「姉さんが迷惑かけたな」
彼女は大きく息を吐きながら、家の前にあったベンチに座った。
戦場で会ったイメージとは違うその様子に、呆気を取られていると、彼女は不満そうにベンチの端を叩き、座るよう促した。
「いや……刺激したのは俺だ。それより、お前妹だったのか」
彼女の隣に座り、通りを行く人々を眺める。
寂しそうだった。そんなシルヴィアの感想を思い出し、一先ずは彼女と話す事にした。
「ああ……姉さんと私はその、親に虐待されててな。外の村に行った事あるんだろ?」
あの劣悪な環境での虐待。
死別こそ早かったが、両親に恵まれた俺にとって、彼女の痛みは想像出来ないものだった。
だが、ウェールの精神状態がその過酷さを物語っていた。
「……気絶してたから話してはないが、晩飯にされかけたよ」
「はは、私の村はまだそこまでは行って無かったけどな。とにかく、ウェールは両親に怯えて暮らしたせいで、引き篭もりで怖がりなんだ」
「……腕は確かなのか?」
シルヴィアに持たせる以上、半端なものは渡したくなかった。
「おーい、ポチ」
マレーナが呼ぶと、工房の中から狼型のネクロドールが現れた。
熊と同じ体躯を持つその生き物は、改めて見ても大きく、大型の魔物と殴り合えそうな異様をしていた。
そして、以前乗せてもらった時と違い、臀部付近に大型の箱が取り付けられていた。
俺の元に近付いてこちらに顔を向けるも、呼吸している様子はなく、声も出せないようだった。
「ボルトガンなら弾ける。加えてコカトリスの筋肉を移植しているから積載量と走力も申し分ない」
狼が欠伸をするように口を開くと、金属製の牙がびっしりと生えていた。
そして、喉の奥には赤い魔石が収められていた。
「オマケで火も吐ける。強敵の牽制から、雑魚の掃討にも使える」
顎に手をあて、真面目に解説を聞いていた。
マレーナはポチの背中に座り、腰部から臀部に掛けて取り付けられた箱に手を触れた。
箱が勢い良く開き、彼女の体躯を超える大剣が飛び出した。
「こんな事も出来る。ゴツい武器を運ぶ予定が無くて、前衛を張らせる訳じゃないなら、グレゴみたいに魔法が得意な奴もあるからな」
「魔法か。その手もあるか」
盲点ではあった。しかし、剛性が低いと長旅に困るような気がした。
暫し思案していると、マレーナが突然目の色を変え、ポチの背中から大剣を取り出した。
視線は、俺の背後に向いていた。
咄嗟に背後を振り向くと、黒色の鎧に身を包んだ褐色肌のエルフが、俺を見下ろしていた。
既に剣を引き抜いており、鋭い殺気を向けられていた事に、ようやく気が付いた。
「人間が、何故ここに居る?」
エルフの男は剣を振り上げ、勢い良く振り下ろした。




