8話「必要」
同刻、クリフは雑貨店の屋根の上に登り、フルゴルビス城にある、離れの塔を眺めていた。
各所から盗んで来た城の見取り図や警備配置などの書類を確かめ終え、ただそこを見つめた。
__あいつは、あそこに居る。
情報、それと勘でそう決め付け、彼女の姿が見えないものかと考えていた。
そしてすぐに、窓際に白い人影が見えた。
常人より少し強いだけの視力では、彼女の姿をハッキリと確かめられない。
だが窓に居る人物が持つ白い髪は、アウレア人には無い特徴だ。
間違いなく、シルヴィアだ。
ランタンを持って立ち上がり、彼女の様子を伺う。
__気付かないふりをしろ。そうすれば、お前に迷惑を掛けずに死ねる。
気持ちに嘘をつきながら、遠い場所に居る彼女を見つめた。
シルヴィアは窓を勢い良く開け、身を乗り出した。
「待ってるからっ!!!」
ニール達を止めた時のように、彼女は大声で叫んだ。その声量は、吹いていた風すらものともせず、街中に響き渡った。
そのせいでシルヴィアは、付き人に引っ張られ、窓を閉められていた。
そんな彼女の行動に、暗く沈んでいた気持ちが吹き飛び、思わず声を出して笑った。
「……ありがとう」
短く呟き、改めてフルゴルビス城を見上げる。かの城は、昼間とは打って変わり、月明かりに照らされて、幻想的な美しさを放っていた。
「さて、やるか」
両手で顔を叩き、気合を入れ、資料を手に取って情報を検める。
城の壁に見える金と群青の装飾に、さまざまな模様の飾りガラス。それらの装飾全てが魔法のアーティファクトである。
「城壁に近付けば吹き飛ばされ、外の飾りガラスは勝手に、それも一瞬で治ると……」
様々な施設から盗んできた無数の資料を眺め、眉を落とす。
普通の手段でこの城を作ろうものなら、世界各国の国庫をひっくり返しても足りないだろう。
__つくづくデタラメだなこの城は。
鞘の位置を調節し、思案する。
「正門、壁、裏口は全部駄目。隠し通路は竣工から1500年経った今でも見つかってないと……探すだけ無駄だな」
クリフは城壁の堀を見下ろす。
中にはたっぷりと水が蓄えられており、侵入者達への対策は万全に思えた。
しかし、資料には排水口が存在すると記されていた。
「やっぱり排水口か……分が悪いがやる価値はあるな」
最悪、溺死する。しかし道が見えた以上、そこに飛び込む他ない。
盗んで来た資料を煙の上がる煙突に投げ捨て、焼却する。
家から住民の騒ぐ声が煙突越しに聞こえた。
「待ってるよ……か」
こちらに気が付き、騒ぎになる前に屋根を飛び越え、渡る。
「当たり前だ、待ってろよ」
そして、城の堀に勢いよく飛び込んだ。
水は濁っており、かなり視界は悪かった。
事前に調べた、さまざまな城塞にある堀の構造を基に、巨大な排水口を難なく見つけ出した。
__ここか?
錆びついた鉄柵を、持ち前の膂力で折り曲げ、侵入スペースを作る。
一度水面に浮上し、思い切り息を吸い込む。
そして再び潜水し、下水管の中を大型魚類に匹敵する速度で泳ぎ始めた。
肺を損傷した事もあって、その肺活量は保って3分前後__それまでに目的地に着く必要があった。
明かりの消えた暗闇を泳ぎ続ける。
一切の光を通さない排水管の中は、平衡感覚と正気を蝕んで来る。
ほんの数秒しか泳いでいない筈なのに、体感として、数分が過ぎたかのように感じる。
ふと、指先が何かに激突した。
触覚を頼りに、目の前にあるものが何かを確かめる。
__鉄柵か。
柵を握り締め、力の限り押し広げる。
一分が経過した。
暗闇と猶予に追われながらも、ただ泳ぎ続ける。
しかし突然、すぐ側を何かが通過した。
__魚!?いや……なんだ?もっと大きい。
そして、違和感はすぐに確信へと変わった。
__こんな濁った水で魚が生きられる訳がない……魔物か!!
判断は一瞬だった。水中で鳴き声のような音の波長を捉えた瞬間、躊躇いなく自分の手首をナイフで切り、高速で回転し水中に血を撒き散らした。
水棲の魔物たちの殆どは目が良い訳ではない。ともすれば、聴力か嗅覚で判別していると思われた。
__効いてくれよ。
その為の血だ。嗅覚が強いなら、多少なりとも魔物への目眩しになる筈だ。
幸い、側に居た魔物たちは、匂いで探知していたようで、側に居た仲間たちを誤認して襲い、排水管内でくぐもった鳴き声を発していた。
__嗅覚で探知してたか、運が良い。
力の限り泳ぐ。
しかし、この時点で二分が経過していた。
暗闇を抜け、光が差し込む。
長らく平衡感覚を奪われていたこの状況にとって、それは光明だった。
光に向かって手を伸ばした瞬間、右足に鈍い痛みが伝わり、強烈な力で水底に引き込まれた。
__噛まれた!!コイツ、耳も良いのか!?
魔物は水中を縦横無尽に泳ぎ、それに引っ張られる形で、高速で引き摺り回された。
その結果、無くなりかけていた平衡感覚と移動していた方向の記憶を、完全に壊された。
鼻の奥に水が入り、壁に頭を打つ。
息苦しさと痛みがミックスされ、これ以上ない程の恐怖とストレスを与えた。
酸素が足りず、頭がボヤける。
__不味い、抜けださ……ないと。
二分三十秒が経過した。
もう既に意識は途切れ掛かっており、辛うじて残った自我で、足に噛み付いているであろう魔物に剣を突き立てる。
魔物の悲鳴が聞こえ、その場から逃げ出したようだ。
しかし、剣を握る力が弱くなっていた為、魔物に剣を持っていかれた。
先ほどの光を探す為、途切れそうな意識を必死に繋ぎ、泳ぐ。
しかし無情にも、いくら泳げど光は見えない。
それが、逆走していたと気付いた時、三分が経過した。
__クソ……こんな
そして、大きな泡の塊をごぼっと吐き出して失神した。
振り撒いた血が流れ、無数の魔物が寄り集まるさまが、最期の光景だった。
◆
「あいつら……どうしたんだ」
城の地下水路で、一人の衛兵が水面を凝視する。
彼はここで飼っている魔物達に餌をやりに来たのだが、突然何かに気が付いた様子で水中に潜ったまま帰ってこなくなってしまった。
彼らの不細工ながらも、愛嬌のある顔を見たかった衛兵は、そこでじっと待っていた。
すると、水面から魚影が映る。
「おっ、帰って……おっ!?」
衛兵は間の抜けた声をあげる。それは、映った魚影があまりにも大き過ぎたからだ。
そしてそれは水面から勢いよく飛び出した。
その魔物は、シーラカンスのような姿をしていた。しかし、大きさは2mを優に超えており、長さに至っては数十メートルを超える勢いであった。
そんな巨大魚が、衛兵に飛び掛かった。
衛兵は悲鳴をあげる間も無く、膝から下を残してかじり取られた。
地下水路の歩道に着地した巨大魚は、水がない為、数回のたうち回った後、気絶したクリフを勢いよく吐き出した。
しかしクリフは死んだように動かず、仰向けに倒れたままだった。
巨大魚が突然縮み始め、人の形に姿を歪ませる。
そして、死人のように白い素肌に青白い髪が目を引く、蠱惑的な魅力を放つ女性に姿を変えた。
「ふぅ……危なかった。シルフがやられてまさかとは思ったが、捕まって逆走していたとは」
彼女は海のように鮮やかな色合いのドレスをなびかせ、クリフの元へと近づく。
「イネスに話を聞いて正解だった」
彼女はそう呟き、クリフの胸にそっと手を添える。
すると彼の口が開き、そこから勢い良く多量の汚水が吐き出された。
水は魔法によって操られ、螺旋状の軌道を描きながら、隣の水路へと流れて行った。
直後、クリフは咳き込み悶える。
「私が出るのも野暮だ、先にシルフの装備を回収して来るよ」
愛おしいものを触れるかのように、クリフの頬に触れた後、立ち上がる。
彼女は先ほど食いちぎった衛兵の両足を蹴飛ばし、水路に流した。
先ほどクリフを襲っていた魔物が、それを水面で奪い合っていた。
「頑張れクリフ。私はずっとお前の側に居るからな」
彼女は優しく励ますと、水路の中へ飛び込み、何処かへと消えた。
程なくして、クリフは目を覚ました。
身体を素早く起こし、冷静に周囲の状況を確認する。魔物に持って行かれた筈の剣が目の前に落ちていた。
「……母さん?いや、そんな訳無いか」
クリフは今の状況に困惑しつつも、立ち止まるという選択肢は持っていなかった。
「クソ……上手く行ったなら良い……シルヴィアを探さないと」
地下水路の出口に向け、ややおぼつかない足取りで進んだ。
魔物図鑑.2
「ヒッポカムポス」
種目:魔獣属
平均体長:90cm
生殖方法:有性生殖
性別:オスメス有り
食性:雑食
創造者:魔神第六席ベルトゥール・フォルミ
・ハイエナのような頭部に、体の前半分には水掻きのついた二本の前足、後ろ半分は魚の尾を持つ怪物。
主に嗅覚と聴覚を頼りに水中で活動しているが、目が悪い訳ではない。
基本的に知性が高く、適切なしつけが出来れば飼い慣らす事が可能。
元は大陸の南部にある湿地帯に生息していた所を、当時のハイヒューマンの冒険者に連れ去られてしまった。
元いた世界では海岸に住んでいた為、実は住むべき場所に一度も住めていない。