74話「臆病者」
魔神第六席、バルツァーブの復活は、アウレアに致命的な損害を齎した。
大陸の下部により出現した彼は、南方に住むアウレア人のほぼ総てを殺戮し、死者は億を超えた。
グロリア山脈に連なるレッドライン要塞の南部にて、アウレア中のハイヒューマンをかき集めた部隊によって構成された討伐軍を結成されるも、一時間と保つ事なく壊滅し、アウレア最大の要衝は脆くも陥落した。
その後、商業都市にまで攻め込んだバルツァーブを、大神エルウェクトの神剣「フォールティア」を携えた、イネス・プルーヴィアがバルツァーブへと単騎で挑んだ。
神話の如く熾烈な戦いによって、大規模な地殻変動を起こし、その地には巨大な港湾や峡谷が造られるまでとなった。
そして死闘の末、彼女はかの魔神を撃ち倒してみせた。
◆
フォールティアから光が失せ、ナトもまた、その場から崩れ落ちた。
「……ナトっ!!」
炎が燃え盛る平原の中、倒れたナトに駆け寄った。
彼女の全身に、棘のような入れ墨が刻まれ始め、その痛みに呻いていた。
「大丈夫!?しっかりして!!」
彼女を介抱し、背中に手を回して上体を起こした。
「上手く……行ったよ」
彼女は右腕を上げ、そこに刻まれた刺青を見て、掠れた笑いをこぼした。
「父さんを……封印出来た……!」
その笑みはどこか悲痛で、実の父を封印した悔いがあるように見えた。
「……ごめんね」
「ううん……手伝ってくれてありがとう」
彼女は手を差し出し、私はその手を握った。
「ねぇイネス、私達……ともだ__」
彼女がそう言い切るよりも先に、ナトの右腕に剣が突き刺さった。
「……え?」
振り向くと、セシリアが私に向かって蹴りを繰り出していた。
腹部に鋭い蹴りが突き刺さった。
私の体が浮き上がり、離れた位置に吹き飛ばされた。咄嗟に起き上がると、手を繋いだナトの右腕が付いてきていた。
慌ててそれを手放し、フォールティアを杖にしながら立ち上がる。
バルツァーブとの戦いで、私もナトも限界だった。
「この瞬間を待ってた」
セシリアがナトに刺さった剣を引き抜き、彼女の心臓に突き刺した。
彼女は仰向けに倒れ、苦悶の表情を浮かべていた。
「セシリアっ……!やめて、何やってるの!?」
必死に声を絞り出すと、彼女がゆっくりと首を振り、私を凝視した。
「アウレアを敵に回すの?」
彼女の言葉に、身体が固まってしまった。
それを見透かした彼女は、ナトから剣を引き抜き、次は腹部に刺した。
言葉にならない悲鳴が私の鼓膜を叩き、心を抉り取る。
再び引き抜かれた時にナトはうつ伏せになり……こちらに向かって這いずった。
「……たすけて」
彼女の言葉を遮るように、セシリアがナトの背に剣を繰り返し突き刺し始めた。
「何がっ!何が助けてだ!!殺された皆はっ……私の戦友は助からなかったのにっ!お前だけ!!」
激昂したセシリアは剣を振り上げ、その狙いを彼女の首に定めていた。
ナトとセシリア。
どちらを選べば良いのか分からなかった。
もしナトを助ければ、私は故郷を、帰るべき場所を失う。
ただ、悲痛なナトの悲鳴が、私の心を徐々に壊していた。
「セシリアっ!もうやめ__」
フォールティアを握り締め、セシリアの一撃を防ごうとした時、遠方から飛来した銀の鎖が彼女を絡め取った。
「え……?」
鎖は転移門から伸びており、セシリアは凄まじい速度でそこへ引き摺り込まれた。
咄嗟に彼女は剣を地面に突き立てるも、呆気なく引き抜け、そのまま転移門に吸い込まれた。
次の瞬間、絹を裂いたような絶叫が転移門越しに聞こえ、多量の血が転移門から溢れ出した。
「昔、俺は人に恋をし、子を成した」
転移門から緋色の瞳を持つ銀髪の男が姿を現した。
夥しい量の返り血を浴びており、彼の右手には、セシリアの首が握られていた。
「彼女が持つ人間性はどの玉石よりも美しく、気高かった」
そう言って彼はセシリアの首を投げ捨て、踏み潰した。
頭蓋を踏み潰したとは思えない程軽快な音が鳴り、骨片が爆弾のように飛び散った。
「だが、今のお前達にそれは無い。全く以って醜悪だ。嫌気が差して来る」
男は俯き、溜息を吐いた。
「だが悲観するな。心がある以上、俺の子孫も例外ではない。魔神の長子ではなく、ナトの家族として……俺は来た」
「えっ……セシ、リア?」
呆然としていた私の右手に鎖が巻き付き、彼の目の前に引き寄せられた。
そして彼に首を掴まれ、軽々と持ち上げられた。
「ナトの心配は良いのか?アウレア人」
私の首を絞める力が強まり、男は獣のような獰猛さを持つ瞳で、私を凝視して来た。
「……ぁ、ごめんな……さい」
「ああ、回りくどかったな。言いたいことはこうだ__」
男はため息を吐き、拳を振り抜いた。
「不愉快だから死んでくれ」
セシリアと同じ末路を辿る事を理解し、思わず目を瞑ると、甲高い激突音が鼓膜を叩いた。
「二度目は無いぞ、皇子よ」
目を開くと、そこには師が居た。
黄金に輝く宝剣を携え、私ですら萎縮する程の闘気を漂わせていた。
老いた老人の姿であるにも関わらず、巌のような肉体を持つ、全盛の大英雄の姿を幻視してしまった。
「思い上がるなよ人間……お前如きが__」
「魔神の腰巾着のお前に何が出来る?拳を抜くと良い……俺は、貴様の父親に助けを求めるよりも疾く、貴様とあの女の首を落とせるぞ?」
師は彼の言葉を鋭く遮り、あまつさえ挑発するような口ぶりで話していた。
「……良いだろう」
皇子と呼ばれた男は私を手放し、師を凝視する。
互いに放たれた闘気と殺気が、その場の空気を震わせ、大地が微かに揺れていた。
拳と剣が激突し、大地が捲れ上がった。
遅れて、太鼓が破裂したような爆音が響き渡った。
衝撃波によって石片が砕け、雪嵐のように吹き荒ぶ。直後、師はその場から離脱し、私を抱えて逃げ始めた。
彼もまた、師の意図を理解したようで、ナトを連れてその場から離れていた。
黄金の炎が四人の間を遮り、狼男は私を恨めしそうに睨みつけながら、ナトを連れて転移門に消えた。
残ったのは、喪失感と自責の念だった。
「……ごめんなさい」
遠く離れたナトに向けた言葉を放った。
「ナトの正体を話し、セシリアという女に動機を与えたのは俺だ。軽率な発言だった。すまなかった」
その言葉を、師が拾った。
彼には似合わない、謝罪と励ましの混じった言葉だった。
しかし、言葉を返せる程の余裕が、今の私には無かった。
◆
バルツァーブの封印に成功した後、私は皇城に抱え込まれ、そこで務める事となった。
勇気の名を冠する剣を扱う者。
勇者の称号を与えられ、皇帝の近衛兵の地位を得て、団長としての地位は確約されたようなものらしい。
経験した事のない程、贅を尽くした料理を口にした。
冒険者として暮らしていた頃の仮屋には戻れない程豪奢な部屋を手にした。
逃げも隠れも出来ない程の栄誉を得ても。
心には大きな穴が空いていた。
自室で大きなため息をこぼす。
皇都の中でも最上級の客室のベッドにうつ伏せで転がり、後悔に胸を刺されていた。
「……勇者を辞退して、ナトを探そう」
ベッドの上で転がり、天井を見つめた。
そんな折、部屋の外の廊下を誰かが駆け足でやって来ていた。
やや急ぎのノックと共に、近衛兵が宿の扉を開いた。
「失礼ながら、急なご報告を申し上げます。亜人達の一斉蜂起により、南部が壊滅したとの事。皇帝陛下より、ただちにご召集が掛かっております」
「……え?」
思いもよらない知らせに、私は唖然としていた。




