66話「遭難」
両手に付いた血を眺める。
ジレーザで初めて人を殺した時を思い出し、心に僅かな痼りが生まれるも、それ以上の感情は湧き上がらなかった。
周囲を見渡すも、殺した六人以外の盗賊は居なかったようで、クリフが身元を改めていた。
「コイツ……」
「どうしたの?」
絶句するクリフの顔を覗き込む。
「自分の耳を削いでやがる……無いんだよ、特徴が」
クリフが彼らの耳元に巻かれた布を取ると、そこには耳が無くなっていた。
「多分エルフなんだろうが……どうしてだろうな」
彼は腰を上げ、崖の上を見上げた。
「キャラバンは壊滅したか、俺達を置いて逃げたみたいだ。多分、上にもコイツらの仲間が居たんだろ」
クリフは崩れた馬車に向かい、中身を改め始めた。
しかし彼は突然左手を見て、顔を青くしていた。
焦った様子で彼は左手を咥え、近くに血を吐き出した。
「クリフっ!??」
そんな彼の奇行に戸惑い近寄るも、彼の顔色が死人のように青くなっていた。
「毒矢……食らってた、ごめん」
力なくそう言って彼は瞼を閉じ、糸が切れたように倒れた。
左手には矢傷があり、血が滴っていた。
恐らく、先程の盗賊から貰っていたのだろう。
「えっ……」
彼を抱き抱えると、ひどい熱を発していた。
青くなった顔色とは裏腹に、彼の体温は高く、多量の汗をかいていた。
「……っ、大丈夫。大丈夫だからぁっ」
焦り始める心を落ち着かせる為、言葉を吐き出し、クリフを担ぎ上げた。
以前、テレシアに見せて貰った地図を頭の中で思い出す。
既にジレーザの国境を抜けており、最寄りの都市には、丸一日ほど距離が空いていた。
従って、最寄りの村を目指すしか無かった。
「死なないで、お願い……!」
その場から全力で走り、森の中へと突き進む。
障害となる木々を、岩を蹴り壊しながら、突き進む。
何度も顔に薮が当たるも、竜人の身体強度と膂力の前には無意味だった。
そんな折、一頭のコカトリスと鉢合わせた。
こちらを見るや否や、狂乱したかのような金切り声を上げ、突進して来る。
涎を垂らし、血走った目を向けるさまに、かつてアウレアで会った時を思い出す。
しかしあの時とは違い、怒りの感情だけが湧いて来た。
「邪魔だぁっ!!」
〈__白加〉
一瞬、クリフをその場から手放し、宙に放る。
そして、かつてソルクスがしたように自身の時間そのものを加速させる。
それによって生じる時間差によって、周囲全ての動きが緩慢になり、コカトリスから飛び散った唾液が空中に浮かんでいた。
「死ね」
唾液を避けてコカトリスの真横に移動し、彼の頬に拳を叩き込んだ。
銀の鱗に覆われた拳が頭骨を破砕し、肉が粘土のようにたわんだ。
拳を振り切ると、頭蓋が三日月状に変形し、首が真横に屈折した。
その場から数歩飛び退き、未だに落下しているクリフを優しく受け止めた。
それと同時に魔法の効果が切れ、加速が終了した。
コカトリスの巨大が真横へと吹き飛び、木々を薙ぎ倒しながらその場から消えた。
耳を澄まし、倒れたクリフの鼓動を確かめる。不規則ではあるものの、彼はまだ生きていた。
焦る感情のまま、脚を振り出し、森林を駆け抜ける。
父親にも等しい彼がここで死ぬ事が、自分が死ぬよりも恐ろしかった。
木々の密度が減り、寂れた漁村が目に映る。
入り口に入る間もなく、大きく息を吸い、言葉とも言えないような酷い声音で叫んだ。
「助けてっっ!!」
◆
村に辿り着くと、ボロ屋とベッドを貸してくれた。
部屋の殆どの木が朽ちており、地面が露出していた。
腐った木と、粗悪な蝋燭が放つ悪臭に顔が歪むも、クリフをこの場所に放ってはおけなかった。
「良かった……」
彼の胸に手を当てると、鼓動は正常になっており、じき起き上がれそうだった。
そんな折、部屋の扉がゆっくりと開く。
「シルヴィア様、薬を持って来ました」
若いエルフの女性が、トレーに一杯のコップを載せ、やって来た。
コップの中には緑色の薬液が入っており、青臭い香りが鼻を刺した。
「ありがとう、起きたら飲ませます」
にこやかに微笑み、トレーを受け取る。
エルフの女性は、病的なまでに痩せ細った肩を震わせ、ぎこちない笑顔を浮かべていた。
「村長が呼んでいますよ。シルヴィア様から来てもらうのは悪いですけど、お願いします」
不器用な敬語を使う彼女を前に、思わず顔を顰める。
「クリフが起き次第、向かわせていただきます。もし、火急の用でしたら、村長からお越し頂くよう、伝えて貰えますか?」
村に入った時点で、演技を始めていた。
テレシアの話が事実なら、村人たちを過度に信頼すべきではないからだ。
権威ある者を演じ、彼らとはある程度の距離を取っていた。
しかし、彼らは事あるごとに自分とクリフを引き離したがっていた。
恐らく、彼らはクリフを殺そうとしている。
「……ですけど、村長は」
「お願いしますね」
言い淀む女性に対し、念を押した。
クリフが起きれば、この村からさっさと出てしまいたかった。
「……っ、お願いします!来て下さいっ!!」
女性は困ったようで、自分の袖を無理やり引っ張って連れて行こうとした。
しかし、痩せ細った彼女の力では、自分をよろけさせる事すら出来なかった。
「……来て、どうするの?」
演技をやめ、普段の口調に戻す。
「村長と話を……」
女性はたじろいだ様子で答えた。
外界と遮断されている村なのだろう、少なくとも、人を騙す事に不得手なようだった。
トレーの上に乗ったコップを取り、半分ほど飲み干した。
「あっ……」
女性は青ざめ、こちらに手を伸ばしていた。
彼女は瞑目し、顔を覆った。
やはり、碌なものでは無かったようだ。
口の中に薬草の渋い風味が突き抜けたのも束の間、舌にひりつくような感覚がやって来た後、胃液が煮え上がった。
そう感じる程の熱が胃からせり上がり、口から込み上げて来た。
「うえっ……」
その場で嘔吐し、胃の中のものを吐き出す。
そして、赤い吐瀉物が床に飛び散った。
「毒だったんだ」
口元に付いた血を拭い、女性を冷淡に見下ろす。
毒による痛みや不快感よりも、怒りが勝った。恐らく、今のクリフが飲めば一口で即死するものだった。
「……嘘、そんな」
彼女は腰を抜かし、その場で尻もちを付いた。
両手を使って後ずさりながら、家の扉を開け、這い回るようにしてその場から逃げ出した。
「……クリフを連れて逃げた方が良いかな。ううん、そんな猶予ないか」
喉に残る血に咳き込みながら、立て掛けてあった弓を手に取る。
弓の持ち手を外し、一対の曲剣へと形を変えた。
「クリフが起きる前に片付けなきゃ」
扉を勢い良く蹴破ると、無数の村人が家の前を取り囲んでいた。
彼らは、農具で武装していたが、それよりも目を引いたのは、剣や弓で武装した耳の無いエルフ達が前に立っていた事だ。
やはり、あの盗賊達の出所はこの村だったようだ。
「あなた達は……何がしたいの?」
分かり切った事を尋ねる。
その時、村人と盗賊をかき分けて、年老いたエルフが前に出て膝を付いた。
恐らく、村長なのだろう。
「シルヴィア様、どうかお一人で立ち去って下さい」
彼の言葉の第一声に、怒りが頂点に達する。
「行商を襲って、殺して、それで……あたしの家族を殺して食べるんだ……へぇ」
「人の血肉を喰らわなければ、生きられないのです。男一人の肉があれば、子供達が七日生きられる」
彼の言葉は事実なのだろう。
だからこそ、絶対に譲歩は出来なかった。
〈__白加〉
予備動作を見せる事なく魔法を起こし、振り向く。
既に村人の内、四人がクリフの眠る建物と侵入しようとしていた。
加速した時の中を走り、曲剣で彼らの首元を撫でて切り落とした。
湾曲した刃がすり抜け、血の雫が空気に散って浮かぶ。
そして、魔法の効果が切れると同時に、彼らの首が身体から滑り落ちた。
突然の出来事に周囲がざわめき、集まっていた人々の一人が、金切り声にも似た悲鳴を上げた。
「良いよ。あたしも、あなた達と同じように……好き勝手させて貰うから」
武器を連結させ、右手を空ける。
空き手に黒色の魔力を生じさせ、束ねる。
母と父から貰ったこの魔法達は、イメージすら用いずに扱う事が出来た。
まるで、手足を動かすように。
〈__黒減〉
右手を中心に黒い閃光が弾け、手のひらから押し出された漆黒の波動が、人々の意識を朦朧とさせた。
そして次の瞬間には、銀色の刃が彼らの首と胴を切り分けていた。




