プロローグ
軽い足取りで木板で舗装された街路を歩く。
右手に持った手提げ鞄には、姉の好きな焼き菓子が入っていた。
金色の尻尾を揺らし、尾の先に生えた羽毛が靡いた。鱗に覆われた脚で土を踏み締めながら、青空を見上げた。
「お、アルテス。今から帰るのか?」
聞き慣れた父の声に呼ばれ、振り向く。
その先には、ヴィリング様式の衣装に身を包んだ、素朴なアウレア人の夫婦が肩を並べていた。
「クリフで良いって言ってるだろ。姉さんから貰った神名も大事だけど、二人から貰った名前も大事だよ」
浅く微笑み、意思をはっきり伝える。
時を重ねる程に、両親とは疎遠になっていく感覚が、どうも嫌だった。
「悪かったよクリフ。何というか……俺達はアウレア人だからな、どうしてもそこら辺の信心が抜けねぇんだ」
「何言ってるのよあなた。クリフもシェリーも、あたしがお腹を痛めて産んだ子なんだから、後からぐずくずしないの」
母は父の背中を叩き、気の良い笑みを浮かべた。
「ありがと母さん。先に姉さんと夕飯の支度するけど、今日は?」
母は眉を落として苦笑した。
「ごめん、結構夜遅くなりそうだから、先に二人で食べておいて、頼める?」
子供に諭すような物言いをする母を、不快に思う事は無かった。
寧ろ、神として疎遠感を感じた時、ふと垣間見せる母の態度は、心にとって良い薬だった。
「ああ、二人で紅茶でも楽しんでるよ。それじゃ、また後で」
「ええ、また後で」
「後でな、クリフ」
軽く手を振ってその場を離れ、帰路に着いた。
ヴァストゥリルの領域内の街並みはどれも美しく、ヴィリングをそのまま進化させたような景観をしていた。
風雨に晒されても、色褪せない木柱。
大理石のように滑らかで鮮やかな色を放つ漆喰。
そして、照りのある煉瓦が、柔らかな日差しを弾き、鮮やかな色合いを見せていた。
そんな街並みを抜け、やや街から離れた森にある自宅へと辿り着いた。
「姉さんは……帰ってるな」
煙突から昇る煙を見て確かめた。
神としての力を使えば、確かめるまでもない事だったが、人間的な情緒が死にやすいので、あまり使いたくは無かった。
一階建ての屋敷のような形をしたその場所は、四人の家族が不自由なく暮せる為に、程よい大きさに留めていた。
目立った装飾もない、シンプルな家。
神の住処としてはあまりに質素過ぎるその家が、好きだった。
「ただいま」
ドアマットで土を落として玄関を抜け、リビングへ向かう。
リビングの方では、肉の焼ける心地よい音と、食欲を誘う良い香りが立ち込めていた。
「おかえり、アルテス」
リビングに出ると、部屋の端にあるキッチン越しに、竜人の姿をした姉が、屈託のない笑みを浮かべて、笑いかけてくれていた。
「……は?」
列車の振動に揺られ、目が覚める。
日はまだ沈んだばかりで、月明かりが車窓から差し込んでいた。
「……何だよ今の」
死んだ筈の両親、ヴァストゥリルの領域、儚げな印象のあった姉が見せた、屈託の無い笑顔。
そして、アルテスと呼ばれる竜神となった自分の姿。
夢と呼ぶにはあまりに鮮明で、義父やエルの過去を覗いている時によく似ていた。
しかし、それとの相違点は自分の記憶だという事。
確かに自分はあの場所で、家族四人と暮らしていたのだと。
そんな、不思議な実感だけが残っていた。
「あり得ないな」
そう言って苦笑し、隣のベッドで眠るシルヴィアに目配せした。
義両親との記憶も、ニール達戦友の記憶、そしてシルヴィアとアキムとの記憶を捨ててまで、あの景色は見たく無かった。
「俺はクリフだ。アルテスじゃない」




