62話「あなたの為なら」
「おい、そうへこむなよ」
クレイグは、研究室で机に突っ伏したバベルに声を掛ける。
「誰のせいだと思ってるんだい」
バベルは、覇気のない声音で答える。
「てめぇのせいだろ。俺がソルクスを殺してても一緒だったな」
彼は暫く黙り込み、ため息を吐いた。
「どうしてニールを逃したんだい。わざわざ森の隅に避難させただろう」
「おう、放置したらまた面白くなりそうだったんでな。逃してやった」
「君、本当に戦士かい?」
「この数年、沸き立つような戦いがなくてな。大体圧勝だ」
クレイグは近くにあったソファーに座り込んだ。
「手加減もしてるんだが、余計つまらねぇ」
彼は転移門を召喚し、そこから二本ほど酒瓶を取り出し、封を切った。
「そもそも、真剣勝負になってねぇんだよ。だからか俺の価値観がブッ壊れちまってな。楽しいから殺さない、つまらねぇからブッ殺す……てめぇらの言葉で例えるなら、俺はもうスポーツマンみたいなもんだ」
二本の酒瓶を持ち上げ、逆さにして二本ごと一気に飲み干した。
「人生に張り合いが無えよ。神に喧嘩売っても良いが、どうせ負けて殺されちまうし、そいつは人生最後にしてぇんだよ」
「難儀だね、君も」
そんな折研究室にミスティリウムが入室し、コーヒーを四杯、トレーに乗せて持ってきた。
「マスター、コーヒーをお持ちしましたよ。私はロボですが、手挽きのフィルターで作ってみました」
彼女は気さくに微笑むと、クレイグに目線を向ける。
「クレイグ様?お暇でしたら、シュミレーターなら付き合いますよ?」
クレイグはソファを立ち、コーヒーを受け取り、苦笑した。
「弱ぇから殺さないんだ。お前くらいの実力だったら、どっちかが死ぬまでやるぜ」
バベルはクレイグを睨んだ。
「やるなんて言ってねぇだろうが。キレんなよ」
そう言ってクレイグはコーヒーを一気に飲み、再びソファーにもたれて天井を見上げた。
「マスター、どうぞ」
ミスティリウムはバベルの机にコーヒーを置く。
「ありがとう、都市の復興状況は?」
「つつがなく進んでいます。オートマタや軍隊が秘蔵していた重機の導入、それとシルヴィア様の尽力もあって、都市は最低限の機能を取り戻しました。しかし、ソルクスの魔法によって消失した建物の数と死傷者数は無視できません。それに孤児や家屋を持てない者の収容に追われているのが現状です」
ミスティリウムは、僅かな間を置く事なくすらすらと答える。
「耕作や畜産業は?」
「壊滅的と言って差し支えありません。クリフ様の超域魔法とアーシェルト様の顕現によって平均気温が上昇し、作物の半数が駄目になりました。それに加えて、竜に追い立てられた魔物が家畜の殆どを殺してしまいました」
それを聞いてバベルは頭を悩ませる。
「……ミラナ君を襲撃した人物は誰だったんだい?」
今回の事件の発端は、ミラナを襲撃したドワーフ達である。
その原因は、バベルが今知りたい情報の一つでもあった。
「この国の運送を手掛けるヴィタリー商会の会長が、クレイグ様が殲滅したエレオノーラファミリーの残党を雇ったようです」
「ああ、あの列車強盗の奴らか」
と、クレイグが呟く。
「今すぐ彼を始末するんだ」
バベルは唸るように呟く。
「ヴィタリーは死んでたよ。多分、例の半神が手引きした後、用済みになって殺されたんだろうさ」
クレイグが会話に割り込む。
「そうか……汽車の修理はまだかい?」
「はい、これによりコストロマから送られる筈の食料が停滞してしまっています。備蓄と収穫されるジャガイモ、駆除した竜の肉を併用すれば持ち堪える事は可能です」
バベルは顔を顰める。
「ふむ……それって相当節制させる気じゃないかい?」
「はい」
ミスティリウムは抑揚の無い口調で返事をする。バベルは、少しだけ考える仕草をした。
「コストロマに備蓄してある食料を君が転移させてくれ。各設備の帳面の処理も出来るかい?最初から倉庫にそれだけの備蓄があったと、双方を書き換えてくれ」
「分かりました」
「すまないね、無理を頼んで」
「いえ、マスターの為ですから」
ミスティリウムは柔和に笑う。
それを見たバベルもまた表情を崩し、コーヒーを一口飲む。
しかし、ミスティリウムが持つトレーに残ったコーヒーを見て、彼は首を傾げた。
「うん……?どうしてコーヒーが四つあるんだい?」
「ああ、それは__」
ミスティリウムがそう言う前に、研究室のドアが勢いよく開いた。
「おっはー!一週間ぶりだぞバベル君!!」
ヴィールデイの姿を確認したバベルは、コーヒーを自分のズボンにこぼし、唖然とする。
「……は?」
ついこの前、自身の腕を蒸発させ、ミスティリウムを戦闘不能に追いやった人物が部屋に来た事に、バベルは言葉を失った。
「フラーテルを除けば、ヴィーが私の最後の妹だから、会いたくて……ごめんなさい、マスター」
ミスティリウムは両手を胸にあて、上目遣いでバベルを見つめる。
「……分かった。好きにしてくれ」
バベルはため息をつき、顔を手で覆う。
「それじゃ、外に行くよお姉ちゃん。ホントに飾りっ気が無いんだから、お洒落しに行こ」
ヴィールデイはミスティリウムの手を引き、部屋の外に向かう。
「待って、衣装ならデータベースからナノマシンを使って……それに私、仕事が!」
「ダメダメ!そんな事してたらあなたのマスターみたいにカビ臭くなるよ!!外に出て、太陽の下で色々見て回ろう!!」
そう言ってヴィールデイは、嫌がるミスティリウムを無理矢理引っ張り、目の前に転移門を出現させ、そこをくぐって二人は消えた。
バベルはため息をつき、通信端末でミスティリウムにメールを送った。
『楽しんでおいで』と。
「カビ臭い……か。あんまりじゃないか?」
バベルは苦笑しながらクレイグに尋ねる。
「はぁ?確かにお前はカビ臭ぇな……飽きもせずにずっと……機械ばっかり弄ってよ」
クレイグは既に酒瓶を五本も開けており、顔を赤くして酔っていた。
「暁国の地酒かい?」
「そうだ、お前も飲むか!?ははは!!」
バベルは席を立ち、クレイグの隣に座る。
「是非とも」
逆にクレイグを揶揄うような態度でそう言った。そして、彼が酒を飲む姿を見た事が無かったクレイグは、目を丸くした。
そして少しだけ目を瞑ると、顔から赤みが引き、急激に酔いを冷ましていた。
「おう、だが安酒を出す訳には行かないな」
クレイグは小さな転移門を出現させ、そこに手を入れる。
しかし、彼はびくんと震える。
「腕を斬りやがった」
そう短く言って、クレイグは転移門に上半身を突っ込む。
そして、少ししてクレイグは転移門から身体を出し、瓢箪に入った酒を手にしていた。
「純米大吟醸酒『抜海』だ。名前の通り、俺ん家の当主しか呑めない、暁国で一番美味ぇ酒だ」
クレイグの額には、二対の角が生えていた。
「当主でもない君が取って良かったのかい?」
「良いんだよ、どうせ親父殿は下戸だ。お猪口一杯で限界なんだ。だから、少し喧嘩して貰ってやった」
クレイグは、陶器製で純白の色をしたお猪口を二つ並べ、その二つに並々と注ぐ。
「乾杯」
クレイグはお猪口を掲げ、一気に飲んだ。
「ああ、乾杯」
バベルもまた、クレイグの所作を習って、酒を飲んだ。
「……この国を発とうと思う」
クレイグは改まって、真剣な眼差しでそう言った。
「へぇ……元々そういう契約だ、僕からしたら、よく残ってくれたと思うよ」
「いや……お前の手元を離れるつもりは無い」
クレイグは薄く笑う。それを見た彼もまた、期待から頰を緩めた。
「暇潰しに使えそうなヤツを探して来る。どうせお前の研究も行き詰まってるんだろ?」
クレイグはお猪口を置き、指先から血を放出する。
そしてそれを凝固させ、巨大な赤い盃を作った。そしてそれに多量の酒を注ぎ、ぐいと飲む。
「君は特例だ。こう言うのは癪だが、僕の居た時代でも、君に敵う存在は殆ど居ないと言って良い。だから引き入れた……だが技術は__」
「別じゃねぇよ」
クレイグは鋭く遮る。
「魔法も、科学も、芸術……殺し合いだって、ひらめき一つで全部ひっくり返るんだ。なに、お前のお眼鏡に叶うヤツを見繕って来てやるよ」
そして彼は飲み干した盃を霧散させ、酒瓶を床に置く。
「この俺、渡津海 狩狗の名に誓ってな」
◆
「……」
ふと目が覚める。
見渡すと、アンドレイの家の寝室だった。
長距離移動の訓練後日のように身体が重く、疲労していたが、ゆっくりと身体を起こした。
そして頭の中を整理し、ベッドの横に手を伸ばす。
そこに、シルヴィアは居なかった。
「っ、シルヴィア!!」
魔力が扱えない不自由な身体でベッドから飛び跳ね、寝室から飛び出す。
吹き抜けから見下ろすと、ロビーでアンドレイが、新しいショーケースを搬入していた。
「お、起きたか!!」
アンドレイが嬉しげに振り向き、小ぶりのショーケースをテーブルに下ろした。
「すまない……俺は、ミラナを……!」
彼女を目の前で喪った事を思い出す。
助けられなかった。にも関わらず、彼は自分を案じてくれていた。
胸が張り裂けそうな思いだった。
「ああ、凄かったな、機械の身体ってのは」
「は?」
罪悪感が消し飛び、困惑がやって来た。
「あっ、クリフ!おはよう!!シルヴィアなら復興の手伝いしてるよ!!」
工房の扉が勢い良く開き、そこからミラナが顔を出した。
その姿はソフィヤと酷似しており、彼女もそうなったようだった。
次の瞬間、肩の力が抜け、その場にへたり込んだ。
「……良かった」
シルヴィアも、ミラナもまるで悪夢だったかのように、二本の足で歩き、自分の名前を呼んでくれた。
それが何よりも嬉しかった。
「クリフっ!大丈夫!!?」
ミラナが階段から駆け上がり、こちらに駆け寄る。彼女に軽々と持ち上げられ、顔色を確かめられた。
機械の体になったからか、その顔立ちが以前よりも端正になっているようにも思えた。
「生きてたんだな……安心して力が抜けたよ」
思わず笑みが溢れた。
一歩下がり、窓から外を見渡す。
「あいつが、復興の手伝いを?」
目を丸くして、先程彼女が言った台詞を返す。
「うん。毎朝早くに起きて、すぐに街に向かって行くの。瓦礫を退けたり、森から逃げて来た魔物を倒したりして、日が暮れる頃には泥だらけになって……それでずっと、聖女さまみたいに笑ってるの」
ミラナが手を取り、力一杯握り締められた。
「あの子、きっと無理してる。お願いクリフ……支えてあげて」
彼女は手を離し、「病み上がりで悪いけど」と、呟いて道を譲った。
「ああ、分かってる。あいつは俺の家族だ」
そう言い残して階段を降り、店を出た。




