56話「目覚め」
瀕死だったイネスは、フォールティアから興奮剤を精製、注入して貰っていた。
その結果、一時的にではあるが、彼女はかつての魔法を再び扱う事に成功する。
名を「夢想戦兵」
自身に身体強化を施すだけのシンプルな魔法。
発動条件は極めて単純で、自分自身を最強だと信じ、思い込む事だけ。
それさえ出来てしまえば、鋼よりも強固な肉体を会得し、全身の傷を一瞬で治してみせる事さえ出来る。
そして何より、フォールティアが本来持つ、所有者への殺人的な魔力供給に耐えうる事が出来る。
ただし、一度でも自分を疑ってはならない。
意思が濁れば、夢が解ける。
眩い程の青い魔力が、都市の一角から溢れ出し、そこからアルバが飛び出す。
「ははっ、顔を出すべきじゃ無かったな、アドリやウァサゴをせめて連れて来るべきだった!」
彼は背中から伸びた樹木の翼で空気を掴み、空高く羽ばたく。
「本気を出すべきだ、ムカつくけどね」
彼が両腕を広げると突如、その身体がガラスのように砕け散り、空に飛散した。
砕けた身体は色や形を変え、再び結合する。
そうして彼は魔物としての身体、もっと言うならば魔神に寄った身体を作り上げた。
漆黒の鎧を纏い、樹木の翼を生やした騎士が彼女の前に降り立つ。
嘴のように尖った兜のスリットから、無数の眼球が覗き、彼女を凝視する。一見して鎧に見えるそれは脈打っており、金属ではなく外骨格であると伺えた。
「待たせたね」
アルバはその場で滞空し、手にした大剣を大きく構える。そして次の瞬間、青い魔力の奔流からイネスが弾丸のように飛び出し、彼と激突した。
大気が震え、円盤状に拡散した魔力が空を震わせた。
「ほとほと呆れたよ。あれだけの事をしておいてまだ自分を信じられるなんて!」
高空で互いの剣を擦り、火花を散らしながら鍔競り合う。
「マトモだったら、勇者なんて名乗らないよぉっ!!」
彼女の意思に呼応するように、フォールティアの放つ光が強まり、押し合いに負けたアルバは空中でバランスを崩す。
イネスの圧倒的な力に負けた彼は、真下に向かって叩き落とされた。
アルバは市街地に勢いよく着地し、巨大な土煙の柱を巻き起こした。
そして彼は兜の隙間から無数の眼球を蠢かせ、首を動かさずに翼を目視する。
木の翼は、上からやって来た負荷に負け、根本からへし折れていた。
__剣や腕ではなく翼が折れた?
アルバの思考が纏まるよりも早く、イネスが上空から鋭く降下し、その余波で土煙を吹き飛ばす。
彼は咄嗟に剣を振り上げ、彼女を迎え撃った。それと同時にイネスも剣を振り下ろす。
甲高い金属音が響いたのも束の間、アルバはかつてないほどの力を受けて剣を弾かれ、頭から真っ二つに切り裂かれる。
イネスは着地と同時に、剣に魔力を乗せて、思い切り振り払った。
乗せられた魔力が解き放たれ、津波のように巨大な奔流となってアルバを飲み込んだ。
その威力は圧倒的で、大地と建物を粉砕、融解させながら一直線の穴を開け、都市のひと区画を貫いた。
「……そうか、重力を弄れるのか。それに魔力を加熱して放出……どうせまだ引き出しが出るんだろう?煙たいなぁ」
奔流の終着点、溶けた瓦礫が積もった場所の先でアルバが呟く。
彼はバラバラに破断され、溶解していた身体を一瞬で再生させた。
彼は掌を開き、その中心へ微かな魔力を纏わせる。
すると、遥か遠方から弾き飛ばされたアドルの魔剣が飛来し、勢い良く手元に戻った。
「超域魔法を使っちゃ駄目なのがもどかしいな」
彼はそう呟き、異形の身体を起こしてゆっくりと立ち上がる。
〈__森象〉
彼の指先から、黄金色の雫が滴る。
次の瞬間、無数の植物が彼の足元から一斉に芽生え、急成長を遂げる。
「起きろ、眷属達よ」
植物は、巨大な花や樹木へと形を変え、瞬く間に都市を飲み込み始める。
そして彼は剣を振り上げ、彼女を待ち構えた。
巨大な花は毒素を振り撒き、周囲の樹木は意思を持ったかのように蠢き、鋭い枝先をくねらせていた。
しかし、建物を砕きながら現れたイネスは、躊躇いなく突き進んで来た。
「警戒にも値しないのかな、僕は」
彼は呆れた様子で両腕を向け、軽く首を振った。
群生した草木からツタが鞭のように飛び出し、イネスを取り囲んで縛り付ける。
しかし、彼女の周囲から突然、球状の青い光壁が出現し、全方位から飛来したツタを受け止める。
ツタは光壁ごとイネスを掴み、彼女を少しづつ減速させた。
そして、続けざまに枝の槍や鋭利な牙を揃えた食虫植物が飛び出し、彼女に迫った。
だが、直後に彼女が光壁の内側から振るった剣によって、その全てを切り払われた。
「それくらい分かっているとも!」
既にアルバは距離を詰め、振り上げた剣を渾身の力を込めて振り下ろした。
イネスもまた剣を振り上げ、彼の攻撃を迎え撃った。
しかし、今度は彼が振り下ろしている為、イネスは重力の魔法で斬り合いを有利に進める事は不可能だった。
「私にぃっ、効くわけないでしょぉっ!!」
剣が衝突するその刹那、フォールティアの刀身から爆炎が噴き出した。
だが、それと同時にアルバの握りしめていた魔剣から、凄まじい量の電撃が発せられた。
爆炎と電撃が交差し、それら二つの攻撃が、互いの持ち主の体を焼き焦がした。
アルバの甲殻が爆炎に包まれ、漆黒の鎧が砕け、内側から白い筋肉が剥き出しになる。
しかし、その程度では彼は止まらなかった。
爆炎の衝撃を脚力だけで受け切り、すかさず剣を振り払う。
一方でイネスは、ダメージこそ殆ど受けていないが、その電撃で筋肉が硬直した素振りを見せた。
「貰った!」
隙を捉え、アルバは剣を振り切る。
しかし、イネスは突然彼よりも素早く動き、アルバの両腕を切り飛ばした。
イネスは、電撃の影響を一切受けていなかった。
「その魔法は予想済みだよっ!君のパパをっ、ぶちのめした時にさぁっ!!」
イネスは上擦った声で笑い、僅かに力を溜めた後に剣を突き出し、彼の胸を貫いた。
フォールティアは、無数の機能を持つ兵器では無い。彼女は、″状況に応じて武装を創り出し、進化する兵器″である。
信じられない事にこの剣は、イネスの皮膚を一瞬にして未知の絶縁物質に造り変え、電撃への完全耐性を持たせていた。
「終わらせるよ」
イネスは大きな笑みを作り、背中から魔力を放出する。そして彼を剣で貫いたまま、急加速を開始した。
彼を地面に引き摺りながら、軸線上にあるもの全てを打ち砕きながら加速した。
アルバは手にした剣をイネスに突き立てるも、瞬時に展開された光壁に防がれる。
「燃やせぇっ!あの日のように!!」
フォールティアの切先が真っ二つに割れ、音叉のような形へと変形した。
断面から光が煌めき、青い炎が割れた頭身の間から溢れ出した。
直後に炎は熱線へと形を変え、ゼロ距離で放たれた光が彼の全身を包み込んだ。彼を通過した熱線が減衰する事はなく、巨大な剣の如く、ジレーザの街をパイのように切り分けた。
イネスは熱線と剣を、彼ごと地面に突き立て、熱の逃げ場を奪う。
熱線が地面に激突し続け、爆裂した。
青い炎となった光は二人を包み込んだ後に、さらに激しさを増し、巨大な火柱となって立ち昇った。
そして、周囲に炎が漏れださないよう、巨大な光壁が火柱を突如として包み込んだ。
光壁は徐々に縮み、内側で荒れ狂う炎をゆっくりと圧縮する。
結果として、高炉のように圧縮された炎が、二人を焼き尽くす。
青い光が周囲を眩く照らし、次第に青ではなく白色の光を発した。
そして光壁は砕け、炎もまたその場で消失した。
深く抉れ、青い残り火が燻るクレーターの上で、無傷のイネスと、骨の残り滓から身体を再構築するアルバがその場に居た。
例え、無尽蔵にも近い再生能力と不死性を持つ半神であっても、長時間の間、全身を完全消滅寸前に追いやる攻撃を受けた結果、身体が限界を迎えていた。
「ごめん!!」
イネスは剣を逆手に持って振り上げ、身体の上半身を再生させつつあるアルバに剣を向ける。
しかし、再生したアルバの体に皮膚と髪が付いた時、イネスの瞳が揺らぐ。
「……助けて、イネス」
彼の髪は黒く染まり、全身に刺青を入れた、何処か儚げな女性の姿を取り、弱々しい表情で涙を浮かべていた。
『イネス!早く殺してっ!!』
フォールティアが焦った様子で語り掛けるが、手遅れだった。
アルバが取った姿は、イネスのトラウマそのものだった。この出来事のせいで、彼女は魔法を使えなくなってしまった。
例え目の前の人物が偽物であると理解しても、外見、状況、声まで再現されてしまった以上、否応無しに過去のトラウマが脳裏に再生され始めた。
「あっ……ああ……うわぁぁぁぁあっ!!」
表情を歪め、大粒の涙を流しながら、剣を振り下ろす。
しかし、魔法の発動条件である″最強の自分″をイメージ出来なくなったイネスは、魔法が解ける。
その瞬間、フォールティアから供給される莫大な魔力に身体が耐えられず、両手が赤い液体となってドロドロに溶け落ちる。
続いて、纏った鎧が光となって霧散した。
両腕を失い、極度の脱力感に襲われたイネスは、剣と共に地面に転がり落ちる。
「屈辱だよ……姉さんの姿に変身しなきゃならないなんて……」
アルバはその姿のまま、再生を終えて立ち上がり、普段着ている神父服を纏ってイネスに近づく。
「まぁ……君を始末出来て良かったよ」
アルバはうんざりした様子で右手を広げ、再び魔剣を呼び戻す。
そして、イネスの溶けた手足を見つめた。
樹液ではなく、赤々とした血へと変わっていた。
「自分の身体を作り変えたんだ……まあ、人間ではなさそうだけれど」
アルバは剣を振り上げる。
「これで、終わ……」
しかし、振り上げた瞬間、彼の横に現れた、白い毛皮の大型犬を見て、攻撃を取りやめた。
「ペルギニル……何をしに来たのかな?」
アルバは剣を下ろし、ペルギニルに近付く。
「ケルスがね、今回だけは見逃してくれるってー!」
すると、崩落した建物から、数十を超える無数のペルギニルが一斉に顔を出した。
それを見た彼は、目を見開き、額に青筋を浮かべていた。
「……分かったよ」
アルバは不機嫌そうに足元に転移門を生じさせ、その場から消え去った。
そして、残された無数のペルギニルが、イネスを囲んだ。
「ねー、ペルちゃんー。この子どうするんだっけー、食べるのー?」
「駄目でしょー、ケルスに、持って帰ってーって、教えられたでしょー!!」
ペルギニルの内一人が、前脚を振り回しながら叱る。
「そうだっけー??」
ペルギニル達は首を傾げる。
「そうだよー!」
ペルギニルの内一人が、突然巨大化し、倒れたイネスを丸呑みにする。
「嫌っ……」
イネスは怯え、無くなった両手を伸ばしてわずかに抵抗するも、そのまま飲み込まれてしまった。
「もぐもぐしちゃ駄目だよー!」
「わかったー」
巨大化したペルギニルは、その場から跳躍し、屋根を踏み越えながら居なくなってしまった。
「じゃあ、おしごとするよー」
「「「はーい!!」」」
「人間と四人以外は殺して良いってー!」
「「「分かったー!!!」」」
無数のペルギニルが一斉に転移門を起動し、その場から消え去った。
◆
ソルクスは光柱の側に浮遊し、ジレーザの市街を見下ろしていた。
「あれっ?」
彼は間の抜けた声を漏らす。
アルバ、イネス、クレイグ、ニールの魔力が消えたからだ。
そんな彼の側に、一羽の飛竜がやって来ては、甲高い声で鳴いた。
「相打ち……?彼らが?そっか……それなら随分と楽が出来る」
ソルクスは全身から魔力を放出し、光柱の規模を更に広げ始める。
「古代人達が持つ戦術爆弾の熱量は……困った、どの時代のものまで復元しているのか検討が付かないな……」
光の柱の表面に、無数の膜が張り始め、周囲を照らす光量が減り始めた。
「取り敢えず何でも耐えられるようにしよう。ペースは落ちるけど、リスクヘッジは欠かさないようにしないと……」
ソルクスがそう呟いた瞬間、光柱の一部が砕け、そこから金色の光が飛び出した。
「やっぱり……来るよなぁ」
彼はうんざりとした声音で呟くと、金色の光が屈折し、彼と同じ高度に辿り着いた。
「想いは変わらないんだろ?クリフ」
金色の光が弾けると、内側からクリフが現れた。
以前は無作為に溢れていた魔力が、今では川の流れのように整い、彼の周囲を巡っていた。
そして、破損が酷かったヴィリング様式の防具は、オムニアントによってその形を変え、白銀と黒鉄によって彩られた甲冑へとその形を変えていた。
「……楽園を作るのなら好きにすれば良い」
クリフは瞑目し、腰に差した剣に手を掛ける。
「お前は神だ、人間を潰さなくたって出来るだろ」
ある種、核心を突いた言葉を前に、ソルクスは目線を逸らし、ため息を吐く。
「あの子達を待たせたくない。それに、あの子達は血を望んでいる」
その言葉を前に、クリフは表情を怒りに歪めた。
「娘を盾にして理由付けてんじゃねえよ、結局は、てめぇが復讐したいだけだろうが!!」
「お前の物差しで俺とあの子達を測るなッ!!」
ソルクスは激怒し、それに呼応するように飛竜達が集まり、檻のように二人を包み込む。
「うるせぇっ!親ならっ、娘を真っ当に導いてやるのが筋だろうが!!」
「人殺しが他人の娘を一年養って親気取りか!!」
ソルクスの右腕が発光し、再び魔力の塊をクリフへと放つ。
しかし、彼は凄まじい速度で剣を引き抜くと、それを切り払ってみせた。
「気取って何が悪い!!」
クリフは素早い所作で、自身の心臓に剣を突き立てる。
「……超域魔法、開廷」
心臓から金色の魔力が溢れ出し、眩い奔流が飛竜達の作った暗闇を切り裂いた。
そして溢れ出した魔力が、クレイグが染めていた赤い夜空に干渉し始める。
地平線の向こうからは、金色の太陽がその顔を見せ、宵闇を照らし始めていた。
〈__煌金白々明〉
クリフの身体から黄金の炎が吹き出し、それらが刀身に巻き付く。
炎が彼の周囲を待っていた飛竜に引火し、陽に焼かれた羽虫のように、その身を焼かれながら地へと堕ちて行く。
「どうして君がその魔法を……ああ、そういう事かよ!!ルナァッ!!随分と悪趣味な相手を選んでくれるじゃないか!!」
彼もまた、全身から魔力を溢れさせながら、竜のように恐ろしい咆哮を上げた。
「来いよ、神サマ。人殺しの父親気取りが、てめぇをぶっ飛ばしてやる」
金色の太陽が空へと昇り、暗闇を吹き飛ばす。
黄金の名を冠する国アウレア。
それを象徴するかのようなこの魔法は、一人の大英雄によって編み出され、幾度となく祖国の窮地を救った、史上最強の超域魔法である。
ひとくち魔物図鑑
「半神」
種目:神
平均体長:自在
生殖方法:自在
性別:自在
食性:雑食
創造者:様々な神
ケルス、アルバ、ニールなどが該当する種族で、魂を核とした実体を持たない、霊的な生物である。
彼らにとって、肉体は飽くまで器や人形に近いもので、彼らの姿形は個々人の趣味によって大きくその姿を変える。
しかし、産まれた直後は母親の姿を受け継ぐ事が多く、その姿を気に入り、維持する個体が多数を占めている。
基本的には不老不死といって差し支えない存在であり、神々の力によって魂を破壊するか、魔力を枯渇させて肉体を維持出来ない状態に追い込み、魂が自然に昇天するようにしなければ死ぬことは無い。
また、大幅に劣化こそしているものの、神の魂を持つ為、規格外の魔力量を誇っており、通常の魔法であっても、超域魔法に等しい規模で行使する事が出来る。




