52話「戦う理由」
「一人でも逃がす!」
イネスが叫びながら剣を振り、飛竜の首を落とす。
しかし、飛竜達との圧倒的な人数差を覆せる訳もなく、魔力で作った足場を飛び跳ねながら、一体ずつ仕留める事しかできなかった。
「フォールティア、最高効率を組み直して」
『今やってる……オッケー、出来た』
イネスの視界に、矢印の付いた光の筋が出現した。
彼女はその標に向かって空を駆け、道中に現れる飛竜達の首を的確に落とし続ける。
そんな折、遠く離れた位置では、放射状に放たれた無数の光線が夜闇を切り裂いていた。
それら全ての光線が意思を持ったように屈折し、大量の飛竜達を切り裂いていた。
『ガウェスの魔法……?どうして』
フォールティアが呟くも、それに反応する余裕はなかった。
魔力の足場を踏み、燃える街の上を駆ける。
不毛にも思えるマラソンじみた事を続ける中、イネスはあるものに気が付いて足を止める。
「……ナト?」
建物の上で、一人の男が彼女を見上げていた。
イネスは、かつての親友に酷似した雰囲気を放つ人物に目を奪われ、飛竜の迎撃を中断し、彼の居る建物に降り立った。
「あなたは、誰?」
男は、僅かに眉を顰めた。
「僕はアルバ、魔神バルツァーブの息子だ。君が裏切った姉さんの弟になるかな」
イネスはその言葉を聞いて、息を呑んだ。
「っ……ナトはっ!?ナトは今どこに居るの!!?」
彼女はアルバに詰め寄り、焦った様子で問い詰めた。
しかし彼は、心底不快な表情を浮かべていた。
「武器を捨てて、うつ伏せになれ」
瞬間、イネスの瞳孔が大きく開き、体が痙攣して武器を落とす。
そして、膝から崩れ落ちて地面に倒れ込んだ。
「イネス、どうして姉さんが君を殺した後、蘇生したか分かるかな?」
イネスは、目を動かして彼を見上げることしか出来なかった。
「怖かったんだよ、君が!その気になれば星を焼き、神すらも封じてみせた君が、別の者の手で蘇り、僕たちを焼き尽くす事がさ!」
アルバは、イネスの頭を勢い良く踏み付ける。
石製の屋上が砕け、彼女の頭が僅かに沈む。
「だから君を魔物として作り直した。自らの眷属として、二度と逆らえないように」
アルバは靴底を彼女の頭に擦り付ける。
「第二の生を友情だと勘違いしたのかな!?目の前で見殺しにしておいて、自分がまだ赦されるとでも!??」
彼はイネスの頭を勢い良く蹴り飛ばす。
彼女の身体が軽く浮き、仰向けになった。
「イネス!!お前が赦される事なんて無い、姉さんの心を、想いを穢したお前は……絶対に!!」
イネスは涙を流し、過呼吸気味に嗚咽していた。
「何より、僕達が赦さない」
アルバは、イネスの喉を踏み付ける。
半神の膂力によって、床に亀裂が入り、イネスの首が徐々に潰れる。
掠れるような声を漏らし、彼女は体を震わせて抵抗を試みる。
骨にヒビが入り始めた時、アルバは空を見た。
「がらくため……」
彼は鬱陶しそうに呟くと、右手に黒い大剣を召喚した。
「何っ……やってるんだぁ!!」
空から全身を機械で改造した女性が降り立ち、腰に差した斑鉄の剣をアルバに向けて振り抜いた。
「知らないな!君は!!」
「私はっ、鍛冶屋のミラナだ!!!」
二人の剣が激突し、アルバはイネスの首から足を離す。
「だから誰なんだ!!」
彼は再び地面を踏み締め、金属音の余韻が響く中、二人は再び剣を振った。
◆
「……何だよ、ここ」
クリフは、ソルクスに連れられた光柱の景色を見て、戦意を削がれてしまった。
そこは、息を呑む程に美しい草原だった。
草木は緑に満ち、小鳥や鹿が伸び伸びと暮らしていた。
心地の良い風が草原を吹き抜け、頬を撫でる。
広々とした草原の中で、100を越える人数の少女が戯れていた。
かけっこをしたり、花冠を作ったり、或いは近くに居た動物と戯れていた。
だがしかし。
彼女達の顔は全て同じだった。
シルヴィアと同じ顔をしていた。
「オレ達の……ううん。オレの娘たちの安息地だ」
ソルクスは寂しげに答える。
すると、無数に居るシルヴィアの内一人がこちらに気が付いたようで、尻尾をなだらかに揺らしながら、こちらに駆け寄って来た。
「あっ、クリフだ!!」
その声を皮切りに、シルヴィア達が立ち上がり、こちらを見つめ、駆け寄り始めた。
「えっ、クリフ?」
「ほんとだ、クリフが居る!」
そして、先頭に居たシルヴィアが手を伸ばし、勢い良く抱き付いて来た。
「シルヴィアを守ってくれて、ありがとう」
彼女は柔らかな笑みを浮かべると、後ろから来た他のシルヴィアに背中を押され、つられる形で彼女に押し倒された。
「ほら落ち着いて、クリフとはちょっと話したい事があるから、またあとでね」
「「「はーい」」」
ソルクスは微笑み、のしかかったシルヴィアをつまみ上げ、寄って来ていたシルヴィア達を解散させた。
「あの子達は、シルヴィアの姉だ」
「どういう意味だ」
ソルクスは左手で顔を押さえ、歯軋りをする。
「シルヴィアは、4102人目だ。それより前の子は、全員この世界のどこかに産まれては、殺された」
ソルクスはゆっくりと歩き始める。
「ケテウスはオレの身体を奪った後、オレの娘を創り出して、あの子達を人間に襲わせたんだ。あの子たちの身体に封印されたオレは、それを見ることしか出来なかった」
しかし、ソルクスの言葉に引っかかった。
ケテウス。それは、大神達の主神にして、死んだ筈の神の名だった。
「あんたらが戦争に勝ったんじゃないのか」
ソルクスは悔しげな表情を浮かべ、歯軋りをした。
「負けたよ」
彼は短く呟いて手を伸ばすと、空間そのものに指が掛かった。
そして、天幕を上げるかのように、空間そのものをめくり上げて行く。
めくり上げた空間の先は、暗闇だった。
強烈な血、腐臭、汗の混じった匂いに、思わずえずいた。
「外に居るのは、立ち直れた子だけなんだ」
そう言ってソルクスは空間へと踏み出す。
続けて踏み出した瞬間、暗闇が和らぎ、空間の内部を認識出来た。
「……クソ」
思わず、中の光景を見て呟く。
そこには、無数の惨死体が転がっていた。
ペースト状になった肉塊。吊られては、腐乱し、原型を留めていないヒト型の死体。
細かく切り分けられた体の部品。
そして、ひどい拷問の後を残した、様々な種族の姿をしたシルヴィア達が、彷徨っていた。
他にも、酷い状態のものはあったが、言葉にしたくなかった。
「俺は、あの日デニス達を殺した事を考えた事があった」
「ああ、君があの日、シルヴィアを護ってくれなかったら、あの子も同じ目に遭っていた」
ソルクスが呟く。
「やっぱり……アイツらは魔法を掛けられてたのか?俺は……人間がここまでやれると信じたく無い」
良識が壊れた狂人は何処にでも居る。しかし、犠牲となった彼女達の容態は、あまりに露悪的で、残酷で、そして多すぎた。
「初対面の時、シルヴィアに触れたら魔力が弾けただろう?」
デニス達を殺した後のことだ。
彼女の手を取った時に、黒減とよく似た波動が生じた時があった。
「ああ」
「あの時、ルナがケテウスに掛けられた魔法を解いてくれたんだ。お陰で、アウレア軍に捕まっても、シルヴィアが殺されずに済んだ」
「そうか……」
ソルクスは先行して歩き始める。
「来なよ、シルヴィアに会いたいだろ?」
「……生きてるならな」
無意識に身構える。そうしてしまう程に、この部屋から漂う死の香りがきつく、耐え難いものだった。
幾つもの死体を躱して、奥へと進む。
「どうしてドワーフ達を殺す?」
「1842人。それが、ジレーザでまだ生きていたオレの娘を拷問した人間の数だ。そいつらの肉を再構築して皆を復元した」
「それ以上殺してるだろ。返事になってないぞ」
「もう、二度とあの子達が傷付かないように。あの子達を害する者全てが消えたと安心出来るまで、オレは全てを滅ぼすよ」
「……そうか」
彼の言葉に空返事をして進むと、首に大きな裂創を負ったシルヴィアが、ヒューマンの姿をしたシルヴィアに抱きしめられていた。
「大丈夫だよ、大丈夫だから」
ヒューマンの少女は、震えるシルヴィアを宥めていた。
既に何度も同じ事をしていたようで、彼女の纏っていた純白のチュニックは、返り血で赤く染まっていた。
「テレシア、もう大丈夫だ。クリフが来てくれた」
ソルクスが彼女を呼び掛けると、テレシアはシルヴィアを抱きしめたまま立ち上がり、こちらに歩き始めた。
「テレシア?」
その名は、シルヴィアに提示したもう一つの名前だった。
「うん、私はテレシア。みんなの世話をしてる、一番上のお姉さんだよ。クリフの付けた名前、余ったから貰っちゃったんだけど……駄目だったかな?」
彼女は不安げに尋ねる。その仕草は大人びており、外見こそシルヴィアと似ているものの、内面は違うように思えた。
「好きに使ってくれ……シルヴィア、大丈夫か?」
テレシアが抱き締めていたシルヴィアを引き剥がし、両肩を掴んで彼女の顔を確かめる。
「……クリフ?」
彼女の目の焦点が合っていなかった。
「……っ、しっかりしろ。もう大丈夫だからな……俺が居る」
彼女を強く抱き締め、背中を優しく叩く。
「ああっ、私っ……車の中で、殺されそうになって……怖くてっ……その人の……首を……っ!!」
彼女は突然思い出したかのように声を上げて泣き崩れた。
「悪かったな……怖い思いをさせた」
彼女を慰めていた最中、ソルクスと目が合った。
「聞きたいんだろ、俺がどっちに着くのか」
ソルクスは眉を落とす。
「……ああ」
「お前の作る世界じゃ、俺もシルヴィアも笑えない」
シルヴィアは、人の死に泣いていた。まだ、あの子の心は沈んでいない。
だから家族として、あの子を育てる親として。絶対にソルクスの目的に沿う事は出来なかった。
「戦う事になってもか?」
「ああ、かかって来いよ」
ソルクスの目が見開き、右手を振り上げる。
それに反応する為、剣を引き抜いた瞬間、頭に強い衝撃が奔り、意識が飛んだ。




