51話「戦う理由」
クレイグの居なくなった荒れ地で、彼が居なくなった事で超域魔法の球体が蒸発し、そこからシャーベット状の赤黒い液体が溢れ出した。
液体は光に包まれると、一瞬でソルクスの姿に戻った。
「クレイグ……権能が回復したら一番に殺してやる……」
彼は苛立った様子で、折れた光柱に向かって歩き、翼を羽ばたかせた。
「おい待てよ」
突然呼び掛けられたソルクスは立ち止まって振り向く。
「ああ、クリフか」
怒りの形相を向けていたが、声の主がクリフだと気付くと、態度を和らげた。
しかしクリフの顔は変わらず険しかった。
「ごめん、混乱してただろうに悪かったよ。大丈夫、シルヴィアは生きてるよ」
そう言ってソルクスは光柱を指差す。
へし折れた柱は既に修復を終え、再び光が天を貫いていた。
「何だって?」
クリフは数歩踏み出し、食い気味に尋ねた。
「ついて来て、シルヴィア達に会いに行こう」
ソルクスは手を差し出すと、クリフは懐疑的な感情を抱きつつも、彼の手を取った。
◆
それは、子供の頃の事だ。
「臭えヒューマンが、堂々と街を歩くんじゃねぇ!!」
それは、聞き慣れた言葉だった。
そのついでに拳が飛んで来る事も、よくある事だった。
「……どうしよう」
大人と子供から殴られ、蹴られて、全身にあざが出来ていた。そして、真っ赤に腫れた頬に触れ、最初に出た言葉がそれだった。
痛みや恐怖などどうでも良く。ただ、自分を学校に送り出してくれた父や友人に申し訳なかった。
家の近くの路地裏のガラスを覗き、そこに映る自分の顔を見る。
金色の髪、青い瞳。
許されるなら、髪を毟りたかった。
できるなら、目を抉りたかった。
「どうして……普通じゃないんだろ」
「どうしてだろうな」
俯いていると、一人の青年が隣に座って来た。
「レナート兄っ、あのね……」
彼に怪我をした言い訳を思案する。
しかし、隠し通せるようなものではないと、幼いながらに分かっていた。
「そうだな……なぁミラナ、どうしてそんな目に遭ったと思う?」
「ぇ……髪と目が違うから?」
言葉に詰まりながらも、答えを尋ねる。
「もっと根本的なとこだ。正解は、お前と同じ髪をした奴らが、昔の俺達にひどい事をしたからだ」
その回答の理不尽さに、思わず涙が出た。
堰き止めていた感情が溢れ出し、嗚咽した。
「私は……何もしてないよ……!」
レナートは私を優しく抱き締め、背中を叩いてくれた。
「ああ、その通りだ。お前は何も悪くない」
彼は私の背中の服を強く握り締めた。
恐らく彼もまた、悔しがっていたのだと思う。
「だからさ……変えてやれよ」
「変える……?」
彼は手を離して一歩下がり、大げさに手を広げた。
「ドカンと大きな事をやれば良い。いつかお前が、そいつらを見返してやれるくらいさ」
レナートは手を差し伸べる。
「逃げっぱは嫌だろ?」
彼は得意げに笑った。
「うんっ……!」
そんな彼の手を取り、立ち上がる。
「どうするかな……取り敢えずお前を虐めた奴を親父達とシメたら、二人で山でも登ろうか」
彼の手を取って、路地裏から歩いて出た。
そして光に包まれると、目が醒めた。
「……ん」
どうやら、岩の上に座って眠りこけていたようだった。
そして眼前には、息を飲むほど美しい雲海と、山脈が下に続いていた。
「懐かしい夢に、懐かしい景色か」
手のひらを眺めて、苦笑する。
人が怖かった自分の為に、手を引いて連れてくれた思い出の場所。
確か、黙って登山したのがバレて、父にこっ酷く叱られたのだったか。
「おはようミラナ」
声を掛けられ、レナートが隣に座っていた事に気が付く。
声を出して喜びたくなるも、この景色から見て、今もまだ夢の中である事は間違い無く、喜ぶのは違う気がした。
「えっと……これって夢?」
我ながら無意味な質問だと思ってしまったが、つい尋ねてしまった。
「おいおい、死に別れた兄貴分との再開だぞ?もっとこう….ないのか?」
困惑するレナートに思わず苦笑する。
「なに?ぎゅっとして欲しいの?」
そう言って揶揄うと、彼は妙に観念した様子で、淡い笑みを浮かべた。
「ああ、助かるよ」
そう言って彼は両手を広げ、私を抱き締めた。彼からは体温と感触を感じられなかった。
「兄ぃ……?」
所詮は夢だと切り捨てるには、彼の情緒とその所作が、あまりにもリアルだった。
「ごめんな……俺が復讐なんて考えなければ今頃……」
そう考える内にも、レナートは言葉を続けていた。
「……気にしないで。レナート兄は、やりたい事やったんでしょ?後悔しないで。私だって、やりたい事に向かって、走るからさ」
レナートの背中を撫でて、慰める。
もう、夢とは割り切れそうになかった。
「……ああ、応援してるよ」
彼は体重をこちらに預けると、その身体が崩れた。
そして次の瞬間、彼の記憶が脳裏に流れ込んだ。これは、修練の記憶、戦いの記憶だ。
「……っ」
不快感は感じず、軽い立ち眩みがやって来ただけに留まった。
「俺の記憶だ。あとはもう召されるだけだからな。お前の方がきっと、役に立ててくれる」
レナートの身体は崩れ始め、首から下は光の粒子となって霧散しつつあった。
「そういうのって、私との思い出とかくれるんじゃないの?」
軽く茶化して強がる。
彼の顔を見ると、涙を流していた。
「誰がやるかよ。そいつだけは持ち帰るって決めてるんだ」
彼は満面の笑みを浮かべ、崩れかけの手で私の頬に手を触れた。
「じゃあね、レナート兄ぃ」
気付けば、頬から涙が流れ落ちていた。
自分は今、笑顔を作れているだろうか?
それだけが気がかりだった。
「ああ、やれるだけやって来い。先に待ってるよ」
その言葉に返事をする間もなく、景色は突如として途切れ、眩しい光が目を眩ませた。
「っ……!?」
凄まじい速度で目が慣れ、自身が今居る場所を理解する。
真っ白な壁、真っ白な床に覆われた何かの施設だ。仕組みどころか用途すら分からない装置がそこら中に配置されており、光を放つ無数の板が、解読不可能な言語を羅列していた。
「兄ぃ……」
再び目を瞑り、先程の夢を思い出す。
彼とのやりとりを忘れる事はなく、託された記憶も確かに思い出せた。
気がつくと、目元からは涙が溢れていた。
それを指先で拭い、顔を叩いて気を強く保つ。
ジレーザ市街から気付けば、ここに居たのだ。警戒して然るべきだった。
ベッドから出て立ち上がり、人影を探す。そこで、違和感を感じた。
身体が軽過ぎたのだ。生き物として生きる以上、倦怠感や疲労、痛みなどは往々にして感じるものだが、今はそれが一切なかった。
「軽っ」
腕を眺める。一切の違和感なく動いていたが、どこか奇妙な感覚を覚えた。
__何か異常があるのかな。
そう思いながら、腕の中にある骨を触ったその時、右腕の皮膚が一部消失し、複雑な形状をした銀色の骨が剥き出しになった。
「ひえあぁぁっ!!?」
上擦った悲鳴を上げ、目を見開く。
元に戻って欲しいと考えたその時、骨から砂状の物体が溢れ、皮膚を形作った。
「……本物みたい」
砂状の物体で作られたであろう自分の皮膚を触るも、柔らかな素肌の感触が返ってきた。
むしろ、以前よりも手触りが良かった。
「問題なく動いてそうだ。違和感はあるかな?」
部屋のドアがひとりでにスライドし、知的な青年が部屋に立ち入って来る。
「はい、何も……っと、私はミラナ。あなたは?」
青年は咳払いをする。
「すまない、僕はバベル。君やレナート達を改造した者だ。古代の人間……とでも言えば分かるかな?」
彼の言葉に絶句し、同時に納得する。
「実在したんですね」
「まあね、運が良かったんだよ。さて、この国の行政と技術分野は全て僕が管理してる。つまり、この国の実権上のトップはこの僕だ」
少し眉を落とす。鉄が打てればその他には関心のない性分ではあったが、国家の根幹に関わる機密を教えられた身としては、肝が冷えるような思いだった。
「……改めてよろしくお願いします」
彼がこの国の支配者であると分かった途端、自分の言葉に不躾なところが無いかと不安になった。
「ああ、よろしく。さてと、君の手術が終わった所で、質問をひとつさせて貰うよ」
「はいっ」
礼儀作法など分からないので、元気よく返事をする。
「君が手術前、最後に覚えていたことは?」
「クリフとアキムが戦って……私はシルヴィアちゃんと逃げて……ごめんなさい、思い出せません」
バベルが壁に目配せすると、部屋の壁に一枚の絵が浮かび上がった。
それは、腹部を両断され、半分に割れた自分自身の姿だった。
「……え」
「君の搬送時の姿だ。元来、戦闘員でもない君を治療する理由は無いのだけれど、君を連れて来たある人物が僕に直接依頼をしてね。君の身体は、この国にある最高級のパーツで組み上げさせてもらったよ」
腹部に触れた途端、切り分けられた記憶が、鮮明に焼きついた。
すぐ側に転がる下半身、腹から飛び出た臓腑の重み、這いずった時の地面の感触。
そして、ゆっくりと死ぬ感覚。
「……っ!?おえっ……」
凄まじい嫌悪感と吐き気が襲い、口元を抑えるも、それらの感覚が一瞬で引いた。
「生理機能も強化済みだ。君達からすると、それも嫌かもしれないけどね」
バベルは困り顔で笑うと、壁に表示された絵に目配せし、動く絵へと切り替えた。
「さてと、この国は滅亡まで数時間もない。君はどうしたい?ここに隠れるかな?そうだ、別に逃げたって構わないよ?」
バベルはわざとらしく両手を広げる。
答えは、決まっていた。
「戦うよ。その力があるなら」
彼は得意げに笑うと、手を二回叩く。
次の瞬間、部屋全体の壁が上昇し、部屋の外の全容が明らかになる。
無数の武器、見たこともない機械。
そして、忙しなく動き、何かの情報を伝える絵。
ここは武器庫だった。
「なら僕は君の手助けをしよう。幸い、その身体には知識を植え込める。付け焼き刃にはなるが、戦えるようにはなる筈さ」
そう言って、バベルは背後の機械に手を伸ばし、それに取り付けられた、金属製の紐を引っ張った。




