50話「ソルクス」
クリフは、ヴィリングの自宅のソファに座り、大きく開いた窓から外の景色を眺めていた。
外を一望できる巨大な窓ガラスが一体どうやって作られたものか見当が付かなかったが、そこから見渡せる街の景色は、とても美しかった。
同じくソファの上で横になり、頭をこちらの膝の上に乗せたシルヴィアを見て、思わず笑みがこぼれた。
「……今日は暫く、このままで良いかもな」
手摺に置いた本を手に取る。文字に目を通すも、インクが滲んでおり、解読出来なかった。
しかし、それに違和感を抱く事はなく、ページをめくった。
「……ん?」
気が付くと、空が朱に染まっていた。
それを少し不思議に感じていると、突然背中を押された。
振り向くと、シルフがそこに居た。
どうやら、彼女が鼻先で押して来たようだった。
「放ったらかしにして悪かったよ。ちょっと待っててくれ。シルヴィアはまだ……ゆっくりしてるからさ」
言葉に詰まった瞬間、誰かの悲鳴と金切り声が聞こえ始めた。
それに対し、本を投げて咄嗟に耳を塞いだ。
しかし、それが止む事はなく、より一層鮮明に聞こえ始めた。
それがどうにも恐ろしく感じ、身体が震え始めていた。
「母さん……」
思わず、今生きている人物に助けを求めた。
何故かシルヴィアの名前が出て来なかった。
しかし突然、目の前にオネスタが現れ、彼女が優しく抱き締めてくれた。
次の瞬間、周囲の景色が一変し、ジレーザの暗い路地裏へと変わる。
それと同時に、シルヴィアが死んだ直後の光景が頭の中で甦り、思わず彼女を押し退ける。
「あっ……ぁ、シルヴィア……っ!」
地面に転がった彼女の頭を拾い上げ、抱き締める。
「クリフ……」
オネスタは力なく呟くと、悲痛な表情でこちらを見ていた。
「なぁ母さん……一緒に逃げよう……誰も来ないようなとこで、二人でさ……」
オネスタは目を瞑り、大粒の涙を流した。
「ごめんクリフ……それだけは出来ないんだ」
彼女は背後に転移門を出現させ、後退りしてそこへと沈み始めた。
咄嗟にシルヴィアの頭を手放し、オネスタの元へと手を伸ばす。
「母さんっ、嫌だ置いていかないで!!!」
子供のように涙を流して走る。
「負けないで」
オネスタは涙声でそう呟くと、転移門が閉じた。
「あぁ……」
脱力感に襲われ、力の抜けた声が溢れる。
背後を振り向くと、シルフも居なくなっていた。
「シルヴィアぁ……っ」
地面に転がしたシルヴィアを拾おうとした瞬間、彼女の頭が突然融解し、赤い血溜まりへと変化した。
その瞬間、本当に全てを無くしたのだと理解させられた。
到底、今の自分に耐えられるものではなかった。
「あぁ……うぅっ……」
頭を抱えてその場に踞り、幼子のように呻く。暫くしていると、金切り声と風を叩く音が近くで聞こえた。
ゆっくりと顔を上げると、民衆を襲っていた飛竜が目の前にやって来ていた。
飛竜は目の前で着地すると、大きく口を開け、肉食の魚類にも似た口腔をこちらに見せつけて来た。
「……」
最早抵抗する気力などなく、運命に身を任せるつもりで居た。
そして次の瞬間、頭を振り出した竜の側頭部を、一筋の光線が貫いた。
脳に位置する部位を溶かされた飛竜は、僅かによろめいて、倒れた。
「クリフっ!!」
路地の入り口に目を向けると、ソフィヤが走って来ていた。
「ソフィヤ……」
「ほら立って!どうしたのそんなにしおらしくして……あんたらしくないじゃない!」
ソフィヤに手を引かれるも、身体が動かなかった。
「シルヴィアが……殺されたんだ」
彼女は息を呑み、絶句していた。
「アキムはおかしくなって……母さんは……俺を……見捨てたっ……!」
涙声で、押し殺した悲鳴を上げた。
「なぁソフィヤ……殺したかったんだろ?」
剣を引き抜き、持ち手をソフィヤに差し出す。
「何言ってるのクリフ……その事はもう……!!」
彼女の返答を聞き、躊躇いなく胸に剣を突き立てた。
「っっ!!?」
ソフィヤが蹴りを繰り出し、右手と剣を弾き飛ばした。
結果、刃先が胸を刺した程度で、心臓に刃が届かなかった。
「あ……」
地面に転がる剣を眺めたのも束の間、ソフィヤに胸ぐらを掴まれた。
そして、頭突きを当てられた。
「落ち着いて……良い?取り敢えず生きる目標を探して、アタシや、シルヴィアを殺した奴を憎んだって良い」
ソフィヤは涙を流していた。
「それでも、生きてさえいればきっと……良くなる筈だから……」
彼女の言葉は眩しく、それでいて残酷だった。
「嫌だよ……」
力なく答えた。
家族が居なくなるのは、三度目だった。
一度目は耐えた。我慢した。
二度目だって、生きる事だけは諦めなかった。
けれど三度目はもう、耐えられなかった。
「クリフ……」
彼女に背中を掴まれ、持ち上げられる。
「アタシは、あなたを死なせたくない。燃える火の中、生きるのを諦めたアタシを連れ出してくれたから」
その様は、奇しくも二年前の出来事と重なっていた。
「駄目だ、ソフィヤ……置いてってくれよ……俺なんかより、もっと救う奴が居るだろ……?」
彼女に担がれながら路地を出ると、凄惨な光景が広がっていた。
通りには死体が幾つも転がっており、隠れ、生き残った人々が今も飛竜に連れ去られていた。
「ミハイルっ!早くっ!!」
その中には、あの日の自分達と同じ年の姉弟が、竜から逃げていた。
「待って、お姉ちゃん!うわっ!」
しかし弟が街道で躓き、思い切り転ぶ。
「痛いよ……」
弟は擦りむいた膝を押さえ、涙を浮かべてその場に止まる。
「ミハイル!早くしなきゃ……っ!!」
空から弟を見つけた竜が、急降下して連れ去ろうとしていた。それに気づいた姉は、少年に覆い被さるようにして抱きいて庇う。
しかし、二人の体重ならば、竜は軽々と連れ去れるだろう。
「くそっ!!」
ソフィヤが銃を引き抜く。しかし、確実ではなかった。
「やめろぉぉっ!!」
身体の奥から力を叩き起こし、足元に魔力の足場を作り、ソフィヤの肩から勢い良く跳躍した。
圧倒的な速度で二人と竜の間に入った。
「嫌なもん……見せてんじゃねぇ!!」
勢い良く拳を引き抜き、竜の頭を粉砕した。その威力は絶大で、竜の巨躯を吹き飛ばし、近くにあった家屋に激突、粉砕した。
「お兄ちゃん、誰?」
少年が尋ねる。
「良いから逃げろ!お前が姉ちゃんを守るんだ。行けるな?」
「……っ、うん!」
少年は立ち上がり、姉の手を引く。
「あのっ、ありがとうございました!」
姉は礼を言って弟と共に避難した。
「……ソフィヤ、あの二人を頼む」
「クリフはどうする気!?」
思考が明瞭になり、空に昇る光柱を見上げた。
「トカゲ共を潰して回る。それで、親玉をブン殴って来る」
ソフィヤは僅かに思案した後、二人の元へと走り始めた。
「二回目だけど、死なないでよ!!」
「ソフィヤ、ありがとう。もうちょっと生きるよ、確かに……ムカついてる奴が居る」
ソフィヤは安堵した表情を浮かべると、両脚から光を噴射しながら空を飛び、二人を連れ去って行った。
「オムニアント」
右手を路地に向け、彼の名を呼ぶと、そこから勢い良く飛来し、手元に戻った。
「ショットガンになれ。数を落とすからレーザーが良い」
指示を飛ばすと、剣は粘土のように形を変え、無骨な銃に形を変えた。
「良くやった」
銃口を空に向け、片手でそれを連射する。
独特の発砲音と共に、無数の光線の束が上空へと昇った。
〈__塑性弾核〉
無数の光弾がその軌道を変え、上空を舞い始めた。
そして、イメージ通りにそれらが飛び散り、飛竜達を次々と貫いた。
脳が焼ける感覚と共に、鼻血が出る。
「待ってろよ」
それを左手で拭い、その場から跳躍した。
◆
アウレアの防衛線は極めて特異な形状をしている。ミシュテル山脈と呼ばれる、国土を囲う巨大な山脈が連なっており、その圧倒的な高度と広さは、亜人たちの進軍を阻んでいた。
その険しさから登坂による進軍は不可能とされており、亜人達は必然的に二か所だけ存在する山の切れ目から進軍するしか無い訳だ。
しかし、その二箇所には難攻不落の要塞が建設されており、ありとあらゆる者の侵入を阻んでいた。
従ってアウレアを抜ける方法は四つ。
一つは南方のブラックライン要塞から抜け出す事。ここは目的地であるセジェスに最も近いとされるが、軍拡主義の国家が二つも面している為、軍隊の行き来が最も多い。
しかし、ハイヒューマンが多く、戦友と刃を交えたくはない為、真っ先に候補から外れた。
そして二つ目は西方にある、ジレーザと面したレッドライン要塞。ブラックライン程で無いにせよ、護りが強固である為候補から外れた。
三つ目は、ヴィリングを抜ける事。
これもまた論外だと言える。
アウレアの最盛期に存在した、超域魔法を会得していたハイヒューマンの探索部隊が壊滅したと言われる魔の森だ。半神となった今でも、そんな場所に足を踏み入れて、生き残る自信は無かった。
四つ目は、登山だ。
そのまま断崖絶壁切り立つ山脈を二人だけで抜ける。これが一番無難だった。
しかし、アウレアを取り囲むミシュテル山脈の頂上付近は異常気象が起きており、近寄れば漏れなく酸欠とマイナス数百℃の気温が待っている。
そこで、一旦イヴィズアールン大森林に入り、ジレーザのフォンロギー山脈を経由して、ジレーザの首都に立ち寄り、装備を補充する予定を立てた。
こうしてニールはジレーザの首都、イーディンの近くにある山道を、猛スピードで滑走していた。
幸い、自分の魔法は段差や急傾斜などものともせず、ハイヒューマンの全力疾走を凌駕する速度で走行していた。
「ニール君!少し変な魔力を感じる!」
向かい風が吹く中、イネスは声を張って警告する。
「何!?俺はそんな……っ!?」
魔法を調整して高度を上げ、ジレーザの都市が見下ろせる位置に浮遊する。
ジレーザの首都が、燃えていた。
首都の中心には都市区画を覆う程の巨大な光柱が発生していた。
そして餌に群がる蟻のように、ありとあらゆる方向から、大小様々な竜の大群が首都に向かって飛翔していた。
「何の冗談だよ……」
その光景に思わず絶句した。
竜が放ったブレスにより建物が弾ける。
それを、二年前に戦った覚えのある新兵器が応戦している姿が見えたが、多勢に無勢。
機械で武装した兵士達は、圧倒的な物量差にすり潰され、徐々に数を減らしていた。
遠い山からでも聞こえる程の爆発音に、眩い閃光が幾つも弾け、人と竜。双方の命が弾けては消える。
「ニール君……ごめん行ってくる!!」
イネスは目の色を変えて叫ぶ。それは、明らかに正気を失ったかのようで、目尻に涙さえ浮かべていた。
「何言ってる!あそこに飛び込んで何になる!?もし鎮圧したとしても……」
「嫌だっ!あんな事、あんな事がもう二度と起きて良いはずが無いんだ!!」
憔悴し切った様子で彼女は叫び、浮遊から抜け出そうと暴れる。
「待て、待ってくれ!下ろすから一旦説明してくれ!」
彼女が何故こうまでして暴れるのか。その理由など分かりきっていた。
百年前、魔神バルツァーブが引き起こした厄災。およそ地上の半数近くの生命を死に至らしめたその時代に彼女は生き、そして終止符を打ったのだ。
そして今、目の前で起きる出来事は、伝記に記された厄災に、あまりにも酷似していた。
「人が死んでるんだ!呑気に話なんて、出来ない!!」
イネスは全身から魔力を放出し、魔法を弾く。そのまま自由落下して雪の上に着地する。
そして走り出そうとした彼女を地面から這い出した水の触手が絡め取った。
「イネス!!」
勢いよく降下し、道中でくすねて来た剣を浮遊させ、触手に向けて射出した。
しかし、地表から放出された紺色の波動が、剣を吹き飛ばした。
「ニール、イネス。用がある」
波動の発生源には、一人の女性が立っていた。
「オネスタさん……!?」
「久しぶりだな。お前は始めましてか」
青いドレスを来た女性は、こちらを見つめながらそう呟く。
イネスの側に着地すると、彼女を拘束していた触手が解けた。
「シルヴィアが殺され、封印されていたソルクスが目覚めた。街は見ての通りだ」
その情報に、思わず動揺してしまう。
それは、イネスも同じようだった。
「おい、ならクリフは何をしてる」
そう尋ねると、オネスタは目を伏せた。
「ショックで塞ぎ込んでる。仕掛けはしたから、すぐに再起してくれるだろうけど……」
そんな彼女に、イネスが詰め寄った。
「私にやれる事を教えて下さい」
「……信用できるのか?」
あまりに不審なオネスタという女性を信じれる程、お人好しではなかった。
しかし、イネスは少し怒った様子でこちらを見つめた。
「この人は100年前のアウレアの元大司教で、私の命の恩人で、クリフのお母さんだよ。これで伝わった?」
「お母……って。冗談……じゃないな、すまなかった」
あまりに過剰な情報に虚偽を疑うが、イネスの顔を見て考えを改めた。
確かにクリフには謎が多かった。しかし、高位の種族に育てられていたのは想定外だった。
「ニールはクレイグを抑えろ。二年前、お前を輪切りにした侍だ。奴は強い、もし戦い始めれば確実にソルクスを殺してしまう。そうなればシルヴィアを救出し、蘇生する可能性が潰れてしまう」
彼女の言葉で、ニヤケ顔の白鬼が頭の中で思い浮かんだ。
「アイツか……!!」
思わず笑みが溢れる。
二年前、最強の称号に傷を入れた男にリベンジを果たしたかった。
「私は……?」
イネスが恐る恐る尋ねる。
「街で難民を助ければ良い。だがな、善意に呑まれるなよ」
オネスタは少し思案する。
「そうだ、あの国を離反したから伝えるが……クリフはエル様の転生者だ」
突飛な情報を話す彼女に眉を顰め、イネスと目を合わせて、オネスタを見た。
「はぁ?」




