5話「目的」
捕まり、本国まで連れ回されたクリフは、審問官から取り調べを受けていた。
「初めまして、私はアーロン・イグノ・ヴーノと申します。」
目の前に座る審問官は、人の良さげな笑みを浮かべ、テーブルの上で指を組んでいた。
「ご丁寧に、審問官様。俺はクリフ・セメリ・シェパード。元は羊飼いの息子で、今は狩人をしています」
作り笑いを浮かべ、可能な限り協力的に振る舞った。
アウレアの神明裁判は、審問官が取り調べた内容によって、裁判の有利不利が大きく傾くと言っていい。審問官は、基本的に容疑者の味方であるのだが、亜人絡みの容疑者に対しても協力的であるかどうかは疑わしかった。
その為、腹の奥底で煮えたぎる怒りを抑え、敬虔な市民の真似をした。
「ええ、あなたには従軍経験があったので、概ねはこちらで確認しています。それで、竜人に操られていたと?」
「そう……なのでしょうか?彼女を捕らえてからの記憶が無いのです。何があったのですか?」
真っ赤な嘘をつく。不服だが、あまり過激な手段を行使したくなかった。
「貴方は、あの悍ましい亜人に操られ、5人の農民と28人もの殉職者を出しました……」
「……そう、ですか」
ショックを受けた素振りを見せる。
「凄まじい殺傷数ですね?あなたはハイヒューマンのなり損ない……と記述されていますが……?」
審問官は書類を見て眉を顰める。
「ああ、それですか。ハイヒューマンについてはご存知で?」
少し厄介な内容である為、言葉を選ぶ時間を稼ぐ為に審問官に答えさせる。
「勿論です。人間同士の間でごく稀に産まれる、ヒトの上位種ですね。普通の人間と違い、高い膂力、魔法を扱う力を持ち、二倍の寿命を持っているとか。そのような事もあって、彼らは120歳を越えるまで兵役を務める義務がある筈ですが……?」
審問官は怪訝そうな視線をこちらに向ける。
「その通りです。ただ、私は魔法を行使出来ませんし、老化も通常通り進んでいるようです。なので、高い筋力だけはある人間だとして、通常通りの期間を過ごして退役出来たのです」
「なるほど、ありがとうございます」
審問官は淡白に答える。
これ以上知る必要が無いと判断したのだろう。
「もし、よろしければ、俺が飼っていた芦毛の雌馬のことを知りませんか?祖父から受け継いだもので……家族ともいえる存在なのです。無事に家に居ると良いのですが」
「……ふむ」
審問官は手に取った調書を漁る。
「ありました、ここまで綺麗に記録してあるのも珍しいでしょう……あなたの愛馬は死亡したようです。ああ、ニール様からの捺印があるので、確実かと」
胃が引き締まる感覚を覚え、椅子の背もたれにもたれ掛かった。
「……」
気が付けば天井を見上げ、涙を浮かべていた。
数秒間だけ罪悪感に耽ると、重い手錠を持ち上げて涙を拭った。
「……申し訳ありません、取り乱しました」
「いえ、構いません。死別の悲しみは重いものです、例え動物であったとしても、貴賤など無いのですから」
審問官は神父を思わせるような優しい笑みを見せる。
「……感謝します」
情緒が収まらぬ様子で言葉を返すが、内心では嫌悪感を抱いていた。
__何人もの亜人を火炙りにしてきた人間にしては、随分と立派な台詞を吐くじゃないか。
この物腰穏やかな審問官を微塵も信用できなかった。
同じくこの部屋で待機する憲兵の表情は穏やかではなく、審問官の会話を見て、微かに軽蔑の表情を浮かべていたからだ。
__こいつからは血の匂いがする。弱者をいたぶって、幸福を得るタイプの。
審問官は首に掛けたブローチ型の時計を見る。
「さて、そろそろ頃合いでしょうか」
彼はそう言ってテーブルの上に鉄皿を置き、側にあった暖炉に備え付けてある火箸を手に取る。
そして、燃え立つ薪の中から、高温に熱せられた鉄球を取り出した。
__やっぱりか、このクソ坊主め。
そんな罵声を飛ばしたくなる気持ちを抑え、唾を飲む。
審問官は、変わらない笑顔を浮かべ、テーブルの上にあった鉄皿に鉄球を落とした。
「お持ちなさい。貴方がもし清廉潔白ならば、痛みを感じる事はないでしょう」
手錠を持ち上げ、鉄球に手を伸ばす。
「全能の神、ケテウスに誓って」
わざとらしく呟き、審問官へ目配せをする。
「ええ、かの神に誓って」
意図を理解した彼は、こちらと同じく誓った。彼の宣誓を聞き届け、包帯の巻かれた左手ではなく、右手で鉄球を持ち上げ、握り締めた。
じゅっと肉が焼け、形容しがたい激痛が奔り、のたうち回る。
溶けた手のひらが外気に触れ、更なる痛みを招く……そう、審問官は想像した事だろう。
額から汗を流しつつも、眉一つ動かす事なく鉄球を持ち上げ、握り締めてみせた。
「馬鹿な……」
審問官は絶句していた。
「よろしいか?」
抑揚のない声で問う。怒りと憎悪は際限なく増して行き、心に痛みという感情が入る隙間などなかった。
「何をした!魔法かっ!!」
平静を失い、怒鳴りつける審問官に対して鉄球を手放し、焼け爛れた手のひらを見せつける。
「何を疑われるのです?神に宣誓した通り、私は彼のお方より祝福を賜ったのです。もしや、虚言を弄し神を冒涜なされたのですか?」
審問官は震え、頭に血が昇っていた。
「貴様っ!!この私に虚偽を弄したな!どのような策を弄したとしても亜人に与する人間を私はっ……!?」
「はい、失礼するね」
審問官の言葉を、小柄な女性が遮った。
完全に締め切られた部屋の筈だった。
まるで暗闇から這い出たかのように、三人の大男と、彼女が現れた。
彼らは黒装束のフードを被っており、神を象徴するクレストが頭頂部に刺繍されていた。
一部には金属鎧を着込んでおり、僧兵とでも呼ぶべき身なりだ。
「アーロン君、あなたの負けだ」
彼らの隊長格と思わしき女性がそう告げると、大男達が審問官を取り押さえる。
「あ、あなた様はっ!!?」
「ドートス教典の、第13節をお読みなさい」
彼女は透き通る声で、懐から焼きごてを取り出した。
「あ……ああっ、それは!!どうか!どうかお許しをっっ!!」
彼女が握り締めた焼きごてを見て、ようやく彼らの正体を把握した。
彼らは、《法の守り手》だ。
神々が広めた法律である信仰を騙り、貶める者が現れた時、闇夜と共に現れては、背教者達を処断するという。
故に、アウレアの市民は彼らを畏れ、敬う。
ニールの部隊が最強の戦闘部隊であるならば、彼らはアウレアが擁する最強の保安部隊とも言える存在だった。
「審問官は公平で、厳正にあるべきだよ?」
焼きごての先端部が赤みを帯び、熱を持っていた。あれは魔法の道具だ。
__異端者の徴か。
かつてあの焼印を押された人間を、町の片隅で見かけた。
神々が統治していたこの国において、信仰は絶対的なものであり、あの焼印を押された者は、神を冒涜したとして、二度と日の下を歩けなくなる。
家族ですら誰も口を聞かず、通りがかる人々に罵声や石を投げられ、店に訪れようものなら痛めつけられてつまみ出される。
そして時には、信心深い者が殺しにやって来る。
つまり、事実上の国外追放である。
「あなたも祈りを捧げて、真に潔白なら、これがあなたの肌を焼く事は無いはずだ」
彼女は淡々と答えた。
「あっ、ああ。嫌だあああああっっ!!」
焼印が審問官の頬に押し当てられる。
つんざくような悲鳴が取り調べ室に響き渡り、痛みのあまり彼は粗相をし、気絶した。
__痛みを感じないんじゃ無かったのか、全く。
心の中で、審問官を軽蔑した。
「牢に連れてあげて」
「はっ」
大男達は審問官を連れて部屋を出た。
「貴方は詰所に帰還しなさい」
「は、はっ!失礼します!!」
その場で待機していた憲兵は青ざめ、急ぎ足で部屋を出た。
これによって、隊長格と思わしき人物と二人きりとなった。
「ごめん、こうなる前に到着したかったけど……でも、あなたは運が良かった」
先ほどと打って変わって元気のない口調で隊長格の女性は話す。
「よく言う、あの裁判官の本性が見たかったんだろ?」
心の内で彼女を恨めしく思う、焼けた鉄球は普通に痛かったのだ。怒りとプライドが無ければ、机を蹴って転げ回っている程に。
「弁明する言葉もないよ、ごめんなさい」
彼女は飽くまで素直に、誠実に謝罪してみせた。
「あー……俺の審問はどうなる?……鎮痛剤の類いがあるとありがたいんだが」
焼けた右手をいたわり、やや口ごもる。
「え……本当に我慢してたの。後で取ってくるね」
そう言いつつ、彼女は懐から水晶を取り出し、机に置いた。
恐らくこれも魔法の道具だと思われた。
「審問は私が代わりに務める。それでこれは神々が遺した宝具……嘘を見破る力を持ってる」
それを聞いて、嫌な汗が溢れ始めた。
「……例えばだけど、会話の要点だけをそらそうとしたり、曖昧なことを言っても反応する。正直に吐くのが身の為だよ」
打つ手がない。
隙を見せてはいけないと平静を装うよう努めるが、既に焦りが顔に出たかもしれない。
そんな心境が殊更に冷静さを奪った。
「ああ、分かった」
水晶が薄暗く光った。
それを見た彼女は、剣を引き抜き立ち上がる。台に手をつき、こちらの瞳をじっと見つめた。
「次、嘘ついたら殺すよ」
その言葉を聞いて凍りつく。
彼女の言葉に水晶が反応しなかったからだ。
「っ……俺は拾った竜人に情が湧いて、一緒にセジェスまで逃げる算段を立てた」
誤魔化す手段は無かった。
「その子の何が気になったのかな」
彼女の発言に眉を顰め、訝しむ。
__審問官の質問内容と違うな。
「その場の安っぽい良心に従った。誰も殺せない子供と、それを殺そうとするおっさん共だ。俺は、後悔しない方を殺した」
しかし疑問を抱こうと、ぎらつく刃が視界に入る以上、答えるしか無い。
「でも、相手は亜人だよ?」
自身の両腕をテーブルの上に勢い良く乗せる。手錠が重い音を鳴らし、テーブルを軋ませた。
「あんたは戦争に出た事はあるか?」
「大昔に」
「なら話は早い。あの戦争でクソ程亜人を殺すとな、一つ分かることがある」
「教えて」
彼女は目を細めた。
「死ぬ時は同じだ。哲学的な話じゃない。どいつもこいつも、神の名や大切な奴の名前を呼ぶ。上官が部下を庇ったり、その逆も……ああ、命乞いもされたな」
イネスは水晶に目をやる。
反応はしていなかった、当然だ。
「だから俺は、亜人を違う生き物だと思ったことは無い。違うのは文化だけだ」
「……そっか、これで仕事は終わり」
気落ちし、思わず溜息が出る。
少なくとも、合法的に牢が出られなくなった。
「もしあなたがここを出たらどうするの?」
彼女は水晶に手を乗せて聞く。
「シルヴィアを助けに行く」
彼女の瞳を見つめ、そう言い切った。
それに対し、彼女は視線を逸らした。その後乾いた笑い声を上げると、彼女は剣を振り上げた。
その結果に思わず毒づき、程なくして刃が振り下ろされた。
甲高い金属音が響く。
彼女は、手錠を破壊した。
「おい、何の真似だ」
「あの子を助けたいなら、徒労だよ」
「何?」
「あなたが手引きしなくても、あの子はヴィリングに引き渡される」
耳を疑った。この国は建国以来、亜人との国交は断絶しており、中でもビーストマンの国であるヴィリングに至っては、歴史上一度も交流を持った事が無かった。
「突拍子が無さ過ぎる、判断材料は無いのか?」
「これ以上は言えないよ。今のだってバレたら殺されるし」
彼女の言葉を確かめるべく、水晶に目を向けるが、反応している様子は無かった。
「クリフ・クレゾイル。私は、あなたの義父に二度、命を救われたから」
彼女は剣を納め、机から一歩下がる。
「何だって?オヤジと何があった?」
クレゾイル。それは義父の苗字であり、彼からはトラブルの種になると言われ、旧姓を名乗るよう言われていた。
「あの人は元気?いつも神出鬼没だから」
こちらの質問に答える気は無いようだ。
「いや、4年前に死んだ。俺が徴兵される前か」
「そう……」
彼女は、ひどく沈んだ声色で呟く。
「なぁ、オヤジについて知ってるなら教えてくれよ。なんであんたと知り合いなんだ」
「駄目、言いたくない」
「……そうか」
彼女は部屋のドアを開く。
「来て、あなたの装備はしっかり押収してある。それと鎮痛剤も」
「あんた、名前は?」
「……私はイネス。法の守り手の長」
その名を何処かで聞いたような気がした。しかし、それが誰であったかまでは思い出せなかった。
「クリフ君、あの子は助かる。だから今は、あなたがどうしたいかを考えて」
そう呟く彼女の瞳には、憂いが宿っていた。




