42話「喧嘩」
熱線に焼かれた直後、クリフは痛みと熱から解放され、不可解な空間に放り出された。
暗い褐色と白の壁紙に、大きなガラス窓の貼った部屋、現在の文化とは明らかに違うテーブルやソファ、そして未知の家具が設えられたその部屋は、モダンで洒落た雰囲気を醸し出していた。
「おや?私に呼び出しが掛かるとは」
窓際のダイニングテーブルに、青い髪をした一人の男が腰掛けていた。
「たしか、ガウェス。だったか?」
服装は、ソフィヤやレナートが来ていたコートに似たものを着ており、装いこそ違うものの、エルの記憶に登場し、彼女の前で自害した男と同じ顔をしていた。
「覚えていて下さったのですね」
彼は微笑むと、椅子から立ち上がり、向かい側の椅子を引いて、こちらの着席を促した。
「どうも」
軽く礼を言い、席に座る。
ガウェスは、テーブルの上に置いてあったガラス製のピッチャーを手に取り、陶器製のカップを二つ並べた。
ピッチャーの中で揺れる液体は、泥水のように黒く、濁っていた。
「コーヒーと言います。生前は良く愛飲していたので、クリフ様もぜひ」
彼はそれを二つのカップに注いだ。
ガウェスは遅れて席に座り、彼は香ばしい香りと湯気を放つそれを、一口飲んだ。
「じゃあ、頂くよ」
一言伝え、意を決してそれを飲む。
しかし、目が醒める程の強烈な苦味が下を襲った。
「う……苦っ……!?」
舌がひりつき、甘味好きな自分にとって、かなり苦手な味だった。
それを見て、ガウェスは笑みを深めた。
「あなたではないと分かっていても、どうにも懐かしく思えます」
「懐かしい?」
不可解なワードに、眉を上げて尋ねる。
「ええ、エル様も初めてお飲みになられた際に、そのような反応をして頂いたので」
ガウェスの返答を聞き、天井を見上げた。
恐らく、最も聞きたくない結論が出たからだ。
「ガウェス」
「はい」
「俺は何だ?」
単刀直入な質問を投げ、ガウェスは少し思案する。
「あなたはエルウェクト様の生まれ変わりです」
彼は簡潔にそう言い切った。
瞳を凝視するも、その眼差しはどこまでも真っ直ぐで、裏表のないものだった。
「……予想はしてたけどな……そうか」
コーヒーの入ったマグカップを手に取り、一口飲む。
そういうものだと思って飲めば、飲めない事は無かった。
「エルがお前の魂を取り込んだのは見た。けど、まさかそのまま出て来るなんてな」
カップを置き、窓の景色を眺める。
透き通った青空に、地平線まで続く水面が、空に浮かぶ綿雲を反射していた。
「ガウェス。あんたと姉さん達は、俺に何を望んでる?」
「ルナブラム殿がどのようにお考えかは測りかねますが……私個人としては、クリフ様はクリフ様です。私のような死人が望むような事は、何もありません」
ガウェスは微笑んだ。
どこまでも真っ直ぐで、気の良い回答を前に、少しバツが悪くなる。
「……助かるよ」
コーヒーを飲み切り、改めてガウェスを見つめた。
「話を逸らして悪かったな、俺がここに居るって事は、用があったんだろ?」
「それなのですが……うぅん……」
ガウェスは口ごもる。
「問題があったのか?」
「私の魔法を伝えたいのですが、些か扱いが難しく、武器や戦術の癖が強いのです」
「構わない。やろう」
テーブルに両手をついて立ち上がり、食い気味に答える。
「それでこそです」
ガウェスは満足げに笑い、勢い良く席を立った。それと同時に、周囲の景色が一変した。
長閑な部屋は消え去り、不思議な形をした石で作られた壁へとたどり着いた。
部屋の一部には、白いボードが付いた作業台が並んでおり、ボードには無数の数式が、テーブル上には何か難しい理論の殴り書きが綴られていた。
「さて、クリフ様にはこれから半年。この精神世界で私の魔法と、多種多様な銃火器の扱いをマスターして頂きます」
ガウェスが指を鳴らすと、部屋に無数の的が出現し、それと同時に、こちらの周囲にもテーブルが出現した。
テーブル上には見た事もない銃器が並べられており、ソフィヤやレナートが使用していた武器の姿もあった。
「座学からも良いですが、一先ずは撃ってみましょう。楽しいですよ?」
武器の講師として、あまりにも不適切な発言に、思わず眉を顰める。
「扱いを間違えたらどうする」
質問をすると、ガウェスは銃を引き抜き、それを使って自身の頭を吹き飛ばした。
「問題ありません。ここでは死にませんので」
砕け散った頭が時間を巻き戻したかのように再生し、ガウェスは拳銃をコートの裏に戻した。
「なるほど、楽しくなりそうだ」
テーブルに並べられた拳銃を手に取り、近くの的に向けて発砲した。
◆
上空に浮かぶレナートに、クリフは地上から拳銃を連射する。
リボルバー式の拳銃でありながら、銃口からはレーザーが飛び出し、シリンダーの数を無視した量の弾を連射出来た。
「やっぱ良い銃だな……ガウェス!!」
レナートは上空を舞い、それらを回避する。
そして、再び八つの機動兵器を発射し、こちらを取り囲むようにして展開した。
__アレは、オービット……だったか。
自律兵器を凝視していると、形状こそ違うものの、半年間で練習に使った兵器と酷似していた。
「オムニアント」
武器の名を呼ぶ。
次の瞬間、拳銃が粘土のように崩れ、一瞬で二つの拳銃へと増殖した。
「それで良い」
二丁の拳銃を構え、レナートの放ったオービットへ銃口を向け、複数回発砲した。
しかし、レナートの制御は絶妙であり、すべての弾が外れた。
だが、概ね想定内と言えた。
〈__塑性弾核〉
1秒にも満たない一瞬、頭を真っ白にし、思考にキャンパスを作り上げる。
頭の中で発射した光線を思い描く。
描いた光のゆらめき、残像に至るまで全て描写し、周囲の景色に当てはめる。
そして、描いた光線を折り曲げた。
直後、現実でも同じ事が起こる。
拳銃から発射した全ての光線が直角に屈折し、レナートが展開したオービットを全て破壊してみせた。
「はは……大成功……」
乾いた笑いをこぼしながら、左手を眺める。
現実では一瞬だったが、半年ぶりに戻ったのだ。
奇妙な体験。といったひと言では済まないような感覚だった。
「おいレナート!武器が切れたんだろ?どうするんだ、逃げるか!?」
そう言って彼を煽る。
実際、ここで逃がせば、シルヴィアにも被害が出る気がした。
レナートはその場から急降下し、目の前に着地した。
「そうだ品切れだ、悪足掻きくらいはさせてくれよ」
彼は持っている武器を投げ捨て、拳を構えた。それを見て、こちらもオムニアントを剣の形に戻し、鞘に納めた。
「何の真似だ」
不快感を露わにするレナートを無視し、体の強化もやめた。
全身から溢れていた魔力が収まり、僅かに青みがかった魔力だけになる。
そして右拳を挙げた。
「ミラナとの誼みだ。殴り合いでカタを付けよう」
「……あ?」
恐らく、それがレナートの逆鱗に触れた。
だがそれで良かった。
確かに腹は立った。気に入らない弁論を盾に殺しに来た彼を、昔の自分なら殺していただろう。
しかし今は違う。上手く言語に出来なかったが、殺さない選択肢を模索したかった。
「今更責任感でも感じたのかよ!!」
レナートは激昂し、拳を繰り出す。
「そんな大層なもんじゃねぇさ!!」
こちらも拳を振り抜いた瞬間、視界が揺れる。
鋼鉄製の拳が頬に直撃し、皮膚を微かに割き、頭が揺れる。
しかし、こちらの拳にも、確かな手応えを感じた。
互いに大きくよろけ、持ち直して睨み合う。
「クリフッッ!!」
レナートは僅かな予備動作を以て、槍のように鋭い蹴りを繰り出した。
それを、両腕を使って真正面から受け止め、彼の足を掴む。
「喚くなよ!頭に響くだろうが!!」
掴んだ彼の脚を持ち上げ、そのまま振り回す形で地面に叩きつけた。
すかさず、馬乗りになって顔に拳を叩き込む。
だが、レナートは拳を受けながらも殴り返し、腹部に重い衝撃が伝わった。
肺の中の空気が押し出され、鈍い痛みを感じる。
レナートは叫びながら上体を起こし、馬乗りから脱そうとした。
そんな彼の頭を掴み、思い切り頭突きをした。
肉が潰れるような音が響き、血によって額が湿りけを帯びた。
しかし、レナートは怯む事なく拳を振り上げた。
下顎に強烈な一撃を受け、間髪入れずに襟を掴んで投げられた。
視界が回転し、背中から地面に激突した。
「お前が来なかったら!俺は普通で居られたんだ!!」
素早く立ち上がると、レナートが拳を振り上げていた。
「ああそうかよ!!」
拳を振り抜くも、先にレナートの拳が顔にめり込む。
そのまま大きく吹き飛び、背後にあった木に叩きつけられる。
__クソ、折れたな。
鼻と肋骨から伝わる嫌な痛みに顔を顰めながら立ち上がり、走って来るレナートに拳を叩き込む。
レナートも拳を引き抜き、互いの拳が激突する。
右手に嫌な感覚が伝わる。
恐らく、拳が砕けた。
「そいつは、こっちだって同じだったさ!!」
痛みに構う事なく、左腕を振り上げ、レナートの顎を下から殴る。
それと同時に、彼の拳が鳩尾に直撃した。
熱が胃の中で弾け、それが痛みだと気付いた瞬間。血と吐瀉物が混じったものが口から吐き出た。
しかしそれに構う事なく、右拳をレナートの頬に叩き込んだ。
衝撃で指の感覚が無くなる。
恐らく、取れた。
だからこそ、躊躇なく殴れる。
レナートの頭が弾み、よろけた。
霞む視界の中、身体の奥底で起きようとしている″力″を、理性で封じ込める。
「ほら、まだ消化不良だろ……!」
手招きし、挑発する。
レナートはふらつきながら、大振りの拳を繰り出す。
それを頭で受け止め、彼の拳を砕く。
しかし脳が揺れ、意識が更に遠のきそうになる。
「当たり……前だろうが!!」
レナートは叫びながら、拳を振り上げる。
「ああ、ケリ付けようか!!」
こちらもまた、拳を振り抜く。
互いの拳が掠って交差し、互いの頬に直撃した。頭が揺れ、平衡感覚が壊れた。
その場でバランスを崩し、背中から雪に倒れた。
そしてレナートもまた、雪の上に倒れていた。
暫しの沈黙が続いた。
「……気が済んだか?」
と、彼を呼ぶ。
しかし返事はなく、ため息が聞こえた。
「……少しくらいはな」
レナートは乾いた笑いをこぼし、上体を起こした。
彼に合わせ、こちらも身体を起こす。
「なら良かったよ」
「ミラナに感謝しないとな……あいつとお前が出会ってなかったらきっと……」
レナートの独白を鼻で笑う。
「笑うことないだろ……」
「もしもの話なんてするもんじゃないさ」
そう言って口の中に残った血を吐き捨てた。
「それもそうだな、今生きてる事が大事だ」
彼はゆっくりと立ち上がり、微笑んだ。
「お人好しのお前が、早死にしない事を願ってるよ」
「ああ、俺はしぶと……」
会話の最中、突如遠方から飛来した赤い杭がレナートの頭部に直撃し、彼の頭が弾けた。
ヒトの頭にある、飛び散ってはいけないものが視界に映り、思わず顔を歪める。
「レナート!!」
彼の名を呼び、叫んだ。
しかしその直後、レナートを殺したものと同じ杭が前方から飛来し、胸に直撃した。
「クソ……!!」
力を解放し、身体から金色の魔力を放出して、全身の傷を一瞬で治した。
そして、身体に刺さった杭を勢い良く引き抜く。
その見た目は、クレイグと同じ魔法に思えた。
「クレイグ!!てめぇ何処に居やがる!!」
怒声を吐きながら、オムニアントを拳銃に変型させ、周囲を見渡した。
「悪いが人違いだ」
背後から声が聞こえ、咄嗟に振り向く。
〈__凝血〉
既にコートを着た男が血で出来た剣を振り払っていた。
咄嗟にそれを銃で防御するも、凄まじい力によってその場から吹き飛ばされる。
雪面に着地し、現れた男を睨んだ。
「誰だてめぇ」
「俺はベルナルド、ただの吸血鬼だ」
男は剣を投げ捨て、自身の首を締め上げた。
あまりに不可解な行動を前に困惑するも、ガウェスから聞いた座学を思い出した。
「超域魔法発動」
男は、最悪の単語を発した。
そして彼は首に爪を突き立て、喉を乱暴に引き裂いた。
首元から噴水のように血が溢れ出し、周囲を赤く染める。
そして、喉元から眩い真紅の光が溢れ出した。
〈__血界廻廊〉




