37話「信じて」
赤黒く、腐った血のような色をした空間を抜け、アルバが暮らす洋館の一室に飛び出した。
剥き出しの床に、剥がれかけの壁紙だけのこの部屋は、仲間達が転移門を出す場所と決めている場所だ。
「……全員揃ってるのか」
部屋の先に続く、複数の魔力と気配を感じ、思わず眉を顰める。
自分は、仲間達の中で一番弱い存在だと自覚していた。
もし彼らがその気になれば、撤退の猶予すら与えず葬り去れる事だろう。
__アキム、バックアップはとる?
頭の中でチペワが話し掛けて来た。
「いや、危険な場所に居る他のみんなに回してくれ」
__アキムがいちばん、きけん
「良いんだ、俺は居候。チペワとひとつになった皆の中から浮き出た余白だからさ」
そう呟いて、扉を開く。
不自然な程に真っ赤な絨毯が続く廊下へと出る。
それは、明らかに館内の体積を無視した距離まで続いており、ドアは今出た場所以外に存在しておらず、火の灯った燭台が天井から吊るされ、淡い光を放っていた。
「お帰りなさい、アキム」
やや上質な旅装に身を包んだ濃い青髪の女性が、柔和な笑みを浮かべ、階段で出迎えてくれていた。
「ウァサゴさん……」
アキムは、少しだけ肩の力を抜く。
彼女の頭には山羊にも似た巻き角が生えており、鰐に酷似した尾を揺らしていた。
__彼女は悪魔だ。魔神達の最高傑作にして、単独で軍隊すらも平らげる怪物の中の怪物。
「ジレーザの件は災難だったね」
しかし彼女は、これまで悪魔らしからぬ態度で接してきてくれた。
「アルバから話は聞きましたか?」
彼女はため息をつく。
「事後報告でね。彼はあなたの友達で、ヴィリングを敵に回すリスクを避けたいから、抹殺は取り止める。そう聞いたんだけどね」
二人はその場から移動し、果てしなく続く絨毯を歩き続ける。
「今回はあまりに横暴です。クリフやセルゲイが間に合っていなかったら、俺は焼き殺されてました」
「そうね、もし。彼の説明に納得が行かなかったら……私はあなたの側に付くわ」
「ありがとうございます」
「良いのよ、元よりここには惰性で所属しただけだもの。そもそも、アルバ君の目標は後ろ向き過ぎるから」
彼女が手を正面に伸ばすと、黒い霧が現れ、その内側から古びたドアが出現した。
「それじゃあ、彼を問い詰めてやりましょう」
「ええ、納得の行く答えを貰うつもりです」
アキムは扉に手を掛け、勢い良く開いた。
洋館の最上階、アルバの私室に辿り着く。
深緑を基調とした装飾品に家具。
樹木をテーマとしているのか、椅子やベッドの足、柱には木々が巻き付いたような意匠が凝らされていた。
「よく来たね、二人とも」
部屋の突き当たりにある書斎で、アルバは安楽椅子を揺らしながら、見知らぬ文字で記された本を読んでいた。
彼は本を閉じ、サイドテーブルに本を置いた。
「アルバ、話がある」
言葉に怒気を込め、彼に詰め寄る。
それと同時に、部屋に来ていた先客たちの視線が一斉に集まった。
「僕もさ、今回の件でみんなに伝えておきたい事が沢山あってね……アドリ?」
アルバが部屋の隅のソファに座る人物に声を掛ける。
浅黒い肌をした白髪の青年が勢いよく立ち上がり、手を挙げる。
「はいっす、じゃあ……俺はさっきまでアキム君とクリフ君を結界で閉じ込めてたんすけど……」
__結界を張ったのはウシュムガルじゃ無かったのか。
アキムは合点が行くと同時に、怒りが湧く。
「俺を故意に閉じ込めたのか」
アドリの言葉を遮り、抗議する。
すると彼は両手を前に出し、わざとらしく手を振って否定した。
「いえいえ、アキムさんを見殺しにするつもりなんて無いっすよ!一回危ない時もありましたけど、あの時だって救助の手立ては立ててましたって」
アドリは咳払いをし、一枚の写真フィルムを取り出す。
「機械……ってヤツに中々慣れなかったんで、精度はイマイチっすけど、クリフ君がアレを持ってました」
それは、クリフの持っていた剣を収めた写真だった。
「それに何の意味が__」
「オムニアント……!」
隣に立っていたウァサゴが、やや動揺した様子で写真を凝視する。
それに合わせ、部屋に居た殆どの人物がどよめき、一部の人物は身を乗り出していた。
アルバが手を叩く。
「列車の乗客名簿には、彼の苗字は『クレゾイル』と登録されていた。ケルスが僕らにミスリードを誘発させる為に仕込んだかと疑ったのだけれど……この剣を持っていたなら確実だ」
部屋の壁面にもたれていた男が立ち上がった。
「アードラクト・クレゾイル……そのクリフってガキはそいつの息子か!!」
彼は背中に生えた、焼けて欠けた蝶の翅を震わせながら、怒りを露わにしてアルバに近寄る。
「間違いなく、ね。彼の近辺に、アードラクトの妻だったオネスタも出没している」
「決まりだな……俺がブッ殺してやる」
翅の男はその場から背を向け、出口を目指す。しかし、ウァサゴが彼の右手を掴んだ。
「待ちなさい」
「あぁ?」
男はドスの聞いた声で返す。
「独断専行は許さないわ」
「なんだと、テメェ……」
一触即発の空気の中、アルバは二人の間に割って入る。
「ウァサゴの言う通りだよ。彼の側には、魔神第六席の妃が居るんだ。それに、ジレーザの戦力も侮れない。そう、戦力の逐次投入は愚策だろう?」
アルバは二人を引き剥がすと、数歩下がり、安楽椅子へ腰を下ろす。
「改めて伝えるよ。僕らはクリフ・クレゾイルと竜人シルヴィアを、総力を持って殺害する」
アルバは、確たる意志を持ってそう告げた。
「待ってくれ!クリフは、アードラクトって人とは無縁だろ!?その人は、もうとっくの昔に死んだって言ってた!何でそんなリスクを背負ってまでやるんだよ!?」
そう答えた瞬間、アキムはその場に居た全員から、刺すような視線を向けられている事に気が付いた。
「アードラクト・クレゾイル。英雄ひしめくアウレアの黄金期に、最強と謳われた男の名だ。神より与えられた剣を手に、数多の怪物を打ち倒したとね」
アルバは、先程まで読んでいた本を開き、たった今語っていた内容に合致する頁を開き、アキムへと向けた。
「僕らの同胞の中には、彼の被害に遭った者も少なくは無い。彼が死んだと言うならば、その息子の首を落とさなければ納得出来ない者が居る。もし、僕が彼を見逃すと言うならば、僕らは内側から真っ二つになってしまうだろう」
アキムは、嫌な汗を流しながら、隣に立つウァサゴに見つめる。
彼女は、それに思わず目を逸らした。
「ごめんなさい。私も、その男に夫を殺されているの」
アキムは、言葉に詰まった。
「納得出来ないなら彼と話して来ると良い。君が将来成そうとしている事を、君の家族が今何処に居るのかを」
「どう言う事だよ」
「君の意思を否定したまま計画を実行するのも好ましくない。君の親友と言葉を交わし、その上で決めると良い。君がどちらに付くのかを」
アキムは、アルバを睨む。
「後悔するんじゃないぞ。俺はクリフの味方だ」
その場から背を向け、ドアノブに手を掛ける。
「だと良いね」
アルバの言葉を無視し、その場から去った。




