3話「追跡」
とある農村。その外れの丘で、二人の姉弟が村を見下ろし、談笑を交わしていた。
「ねぇ、クリフはやりたい事ってあるの?」
姉は腕を後ろに組み、草原に転がった。
「うんとね、俺は姉ちゃんとみんなを守りたい!遠い要塞で働く兵隊さんになるんだ」
幼い少年は、土埃で汚れた頬を吊り上げて、にっと笑った。
「兵隊か、怖い亜人と戦いたいの?」
姉のシェリーはどこか寂しそうに嫌味を言った。
「亜人なんて怖くない!あいつらをたくさんやっつけて!やっつけて!!姉ちゃんを護るんだ!!」
「……クリフが居なくなっちゃうのは寂しいな。きっと戦って死んじゃうから」
シェリーは上体を起こし、いやに真剣な面持ちで言い寄る。
「うー……じゃあどうしたらいいの?」
姉の言葉に頭を抱え、草原に倒れ込む。
「どうしたらいいんだろうね。あたしも分かんない」
彼女は苦笑し、横になる。
「えー?」
困惑し、言葉に詰まる。姉が分からないことなど、自分に分かるはずがない。
「だからって、考えるのを止めちゃダメよ?私だってだって喧嘩を何度も調停したけどさ、ほんっと上手く行かなくて。喧嘩は一向に止まないし、頭のおかしい奴が出てきたり……ほんと、上手く行かないことばっかりだよ」
シェリーは自分の頭を撫でながら、少し疲れた口調で諭した。
「え……?」
愚痴にも、後悔にも聞こえるその言葉の意味が分からなかった。
「ふふ、近所の喧嘩の話だよ。上手く行かなくても、分かんなくても、足を止めちゃダメ。そうだな……旅でもしてみたら?」
「旅……?うーん……いいかも!!」
勢いよく起き上がり、再び元気に言い張った。そんな姿を見てか、姉も笑顔を浮かべていた。
「よしっ!じゃあお姉ちゃんと競争ね!負けたら羊の毛刈り当番だ!!」
シェリーは勢いよく立ち上がり、両親の待つ牧場へ、長い黒髪をなびかせながら駆け出した。
「えっ!姉ちゃんっ!ずるいよ!!」
負けじと駆け出すも、既に大きく距離を取られていた。
勝ちを確信したシェリーは後ろを向いて笑った。
「あははっ!弱いままじゃ夢なんて叶えられないよー!!」
しかしその瞬間、シェリーは勢いよく躓いた。
間抜けな悲鳴を上げる姉をよそに、彼女を追い抜いて行った。
「俺の勝ち~!!」
振り向き、姉ににやけ面を向けた。
しかし、それが原因で躓いた。
「痛ぁ……」
目を潤ませ、痛みを我慢していた。
「二人でやろっか」
見上げると姉が優しく微笑み、手を差し出していた。
「うん……っ!」
姉弟は手を繋ぎ、仲良く両親の元を目指す。
そんな日々がずっと続くと信じていた。
◆
「みんなっ!誰か、助けてっ!!」
クリフの悲鳴が崩れた家屋に響く。
だが、他の人間の叫び声や亜人の雄叫びにかき消される。
たった今、倒壊した家屋の下敷きになっていた。
それは突然だった。城よりも巨大な亜人が窓から見えた瞬間、飛来した石塊が全てを押し潰した。
その直後に、幾つもの足音が近づき、誰かが獣じみた叫びを上げた。
家に火を放たれ、風に煽られた炎が瞬く間に広がり、あるもの全てを焼き尽くした。
混乱の最中、倒壊した建物の隙間から姉を見た。
しかし彼女は、茶色い肌の大男……オーガと向かい合っていた。
姉は一瞬だけこちらを見つめたあと、目を逸らす。
姉とオーガは何かを話しているようだった。
きっと助けを求めている筈だ。
姉を助ける為に必死に身体をよじる。
だが、小柄な身体のおかげで潰されて死なずに済んだものの、胸や足の骨が折れており、到底動ける状態ではなかった。
「姉ちゃんに、触れるなぁ……俺と戦えっ!」
小柄な身体から絞り出される声は弱々しく、数メートル先のオーガには届かなかった。
オーガは湾曲した剣を引き抜き、姉を斬りつけた。シェリーの腕がばさっと落ち、腹は大きく裂け、中身が溢れていた。
しかし、シェリーはよろめいたものの、悲鳴一つ上げなかった。姉は口から血を吐きながらも、凄まじい剣幕でオーガを睨んでいた。
姉は、腹から出たものを引きずりながら、オーガへと歩み寄る。
この程度か。とでも言わんばかりの気迫がそこにはあった。
__俺の負けだ。
オーガは確かにそう言った後、鮮やかな剣筋で姉の首を落とした。
彼はこちらに向き直り、崩れた家屋の隙間からこちらを覗く。
彼はこちらの安否に気付くと、懐から布で包まれた円盤状の物体を取り出した。
「食糧だ。お前ら人間には合わないだろうがな」
瞬間、溢れ出んばかりの怒りが湧き上がった。涙と共に、最早言葉にすらなっていない罵倒を浴びせる。しかし彼は、興味が無さそうにその場から立ち去った。
その後、捕虜となった村人達は、村の中心に集められ、一人づつ燃える家屋へ、手足を縛られたまま放り込まれた。
悲鳴が煙と共に空へと昇る。痛みと恐怖によって醸成されたそれは、もはや人のものとは思えなかった。
それが耳に焼き付き、親しい隣人や友人の悲鳴が聞こえる度に瓦礫の下で嗚咽した。目を閉じたくとも、耳を塞ぎたくても、見知った声が聞こえる度に、指が離れた。
そして全てが終わった頃、倒壊した建物からなんとか這い出し、転がり落ちた姉の首の元へと這いずる。
「姉ちゃん……みんな……」
あのオーガなりの気遣いなのか、泥が付かないように布切れが敷かれていた。
そっと姉の首を抱き締める。
「……みんな、居ないの。どこか、俺みたいに、ねぇ……誰か、居てよ……ひとりに……しないで……」
虚ろな瞳で村を彷徨い、生存者を探す。
「姉ちゃん」
姉の首を大切そうに持ち上げ、抱きしめる。
「姉ちゃん……!」
「姉ちゃんっ!!」
周囲を見渡すと、焼け落ちた村の姿はなく、森の中で獣道を歩くシルフの上に乗っていた。
そこで有事に備え、シルヴィアと1時間おきに交代して仮眠していたことを思い出した。
「姉ちゃん?」
手綱を握ったシルヴィアは、不思議そうに首を傾げた。
「……あ、いや」
身体を預けていた彼女から手を離し、手綱を取り返す。
気まずい。昔の記憶とはいえ、人前で″姉ちゃん″と呼ぶのは少し気恥ずかしかった。
「ガキの頃の夢を見てた。あんまり楽しくない奴をな」
シルヴィアは合点が行ったようで、目を逸らした。
「えっと、オーガに殺されたんだよね?」
__デニスとの会話を聞いてたのか。
「その通り、よく聞いてたな」
「うん……耳が良いから」
彼女は耳に手を当てる。
「客観的な意見だな、比較でもしたのか?」
「……ううん。でも、誰かにこういうものだって教わったみたいに、知ってる」
「心当たりは?」
「ない」
彼女は気まずそうだった。
「……だよな、悪かった」
陽が登り始めた空を眺め、仮眠を挟んでいる内に方向を間違えていないか確かめる。
追手の気配は無い。だが、状況は変わらず悪く、客観視すべき状況では無いと分かり切っていた。
十中八九、何か悪い事が起きるだろう。
シルヴィアはフード付きの外套を羽織り、数時間前に仮眠を済ませていた。農夫に殴られ、鬱血していた頬は跡を残さず完治し、貫かれた足も塞がり、僅かに瘡蓋が残るだけとなっていた。
そしてシルフは昼間から寝ていた事もあって、夜通しの移動を問題なく行ってくれた。
「……無理をかけるな、相棒」
そう言って彼女の首元を撫でると、嬉しそうに鼻を鳴らした。
彼女は賢い。主人が眠りこけていても方角を変える事なく、移動可能な道を選んで進んでくれていた。
森の中は危険だ。狼、熊は勿論のこと、多種多様な魔物に襲われる危険がある。
それ故に気は抜けない。のだが、夢を見れるくらいには眠ってしまったようだ。
眠りながら行動するなど、あまり褒められた行為では無いが、有事の時に睡眠不足で満足に戦えなければ元も子もない。
「これからどうなるの?」
彼女は振り向かずに尋ねる。
「まず山に篭るのは論外だ、追手が来たら逃げきれない」
今抱えているのは竜人だ。ただの亜人ならまだしも、人間が信仰する神を殺した竜神の遣いを、帝国が見逃してくれるとは思えなかった。
「じゃあどうするの?」
「お前の味方になってくれそうな国が四つある。オーガ、エルフ、ドワーフ、ビーストマンがそれぞれ暮らしてるが……エルフの国が良いかもな」
「どうして?」
彼女はシルフを撫でる。
「まずオーガの国、〈ハース〉は論外だ。あのノッポ共は戦闘狂のカスだからな。で、ドワーフの国、〈ジレーザ〉は結構アリだ」
自身の髪の毛に触れる。
しっとりと濡れたような黒い髪は、この国の人間には無い特徴だった。
「奴らの外見は俺たち人間と差異は無いし、俺と姉さんは両親と違って何故か髪が黒い。魔力が扱える事を黙ってれば、溶け込める筈だ」
「じゃあなんでエルフなの」
もっともな意見だ。
「理由は知らないが国境が徹底して閉鎖されてるからだ。通るのが現実的じゃない。で、ビーストマンの国、〈ヴィリング〉も同じ理由だ。巨大な森林の奥地にあって、ジレーザよりも全容が掴めないと言って良い」
「森なのに?」
「バカ言え、あそこの森は世界屈指の危険地帯だ。昔この国に居た数々の英雄たちが踏破を諦めてる。それに、もしそこにたどり着いたとして、住民とマトモに会話出来るかも怪しい」
そう、全て現実的では無いのだ。これこそが、シルヴィアとの逃避行を最後まで渋ってきた理由である。
「中でもマシなのがエルフの国、〈セジェス〉だ。人間を奴隷としていたり、ごく稀に捕虜交換に応じることがあるからな……それ以上は分からないが、そこしか無い訳だ」
「大丈夫かな……」
シルヴィアは俯き、不安そうに鞍を握り締めた。
そんな彼女の頭に手を乗せた。
「大丈夫だ、目的地にさえ付ければお前は助かる。後は俺が吊られるのは大した問題じゃない」
そう言って微笑む。
彼女は振り向き、何故か目を見開いて唖然としていた。
「死んだら皆に会える。最期にお前を救えたって自慢するさ」
木々が風に煽られ揺れる。
葉が砂のように乾いた音を立てて鳴っている。
だが、その中に混じる異音を見逃さなかった。大型の魔物が大地を踏み鳴らす音だ。
「シルフ!走れっ!!」
シルフに強く合図を送ると、彼女は迷わず全力で走り始めた。
「えっ、何っ!!?」
突然の出来事に慌てふためき、辺りを見回すシルヴィアをよそに、蔵袋と一緒に吊るしてある奇妙な見た目のクロスボウを取り出す。そこに、尖った先端を持つ円柱状の矢を先端から押し込み、装填する。
弦の手応えは、矢を放つにはあまりに弱々しかった。
「魔物が来てる!キモくて早い奴だ!!」
怒鳴るようにして簡潔な情報をシルヴィアに伝える。耳を澄まし、辺りを見渡す。
そしてそれはやって来た。
ニワトリに酷似した、気味の悪い金切り声が森に響き渡った。
「クソ、よりによってコカトリスか!」
コカトリスは、人間を丸呑み出来る巨躯を持ったニワトリである。
グロテスクに爛れたトサカと、飛び出した目玉に長い脚を持つ、気持ち悪い見た目をした魔物で、その最たる特徴として、馬の全速力を遥かに上回る速度で走れるのだ。
シルヴィアが振り向くと、顔を青くし叫んだ。恐怖を煽る見た目をした、全長4mの巨獣が木々を倒しながら追って来るのだ。
無理もない事だった。
「叫ぶな!シルフが怖がる!!」
シルヴィアに怒鳴ると、彼女はより一層顔を青くし、鞍に抱きつき目を瞑った。
しかし、そんな彼女の背中を引っ張り、手綱を持たせた。
「持ってろ」
「えっ……待って!!?」
喚くシルヴィアをよそに、後ろ向きに座り直し、先ほど矢を装填したクロスボウを構える。
それは、クロスボウと呼ぶにはあまりにも奇妙な見た目をしていた。
矢を乗せる筈の部分に、緑色の宝石が刻まれた筒状の銃身が付いており、下部には矢を格納する付け替え式の弾倉すらも付いていた。
武器の名を、ボルトガン。
火薬式の銃を過去のものへと追いやった魔力で動く銃器である。
「まだだ」
コカトリスと三人の距離は徐々に縮まる。
先端に取り付けた矢に付属した、長い導火線を、銃の側面に付いた火打石で火を付ける。
その醜い顔とけたたましい足音が近付き、魔物の唾が当たるような距離に達した時、引き金を引いた。
「くたばれ」
微弱な力で押し出された矢が銃身を通った瞬間、取り付けられた宝石が緑色に輝き、銃身内で突風を巻き起こした。
風によって爆発的な加速を得た矢は、瞬く間に音の壁を超えた。
空気が弾ける音と共に、銃身から飛び出した矢はコカトリスの眼球に突き刺さり、頭が勢いよく弾んだ。
コカトリスは絶叫し、血を撒き散らしながら転げ回る。
しかし、この程度で魔物が死ぬならばとうに自分は文無しになっている。
目を貫き、頭蓋骨の一部を砕いた程度ではコカトリスは死なない。それどころか、怒りで更に凶暴になる筈だ。
しかしその直後、火を付けていた導火線が末端へと到達し、耳をつんざくような甲高い音と共に矢じりが爆発し、コカトリスの頭が弾け飛ぶ。
肉片を撒き散らしながら、頭を失ったコカトリスはその場に倒れた。
「生きても死んでもグロテスクだな、お前らは」
座り直し、シルヴィアの方を向く。
「もう大丈夫だ……って」
シルヴィアは手綱を握ったまま、顔がぐしゃぐしゃになる程泣いていた。
「うん……」
彼女はすすり泣きながら手綱をこちらに返す。シルフの走りを落ち着かせ、ゆっくり歩かせる。
そして、森林の出口に差し掛かった時だった。
「そこのお前!ここで何をしている!!」
三人の編隊を組み、サーコートを着込んだ兵士と鉢合わせた。
彼らの装備を確認し、ひと目で彼らの正体が分かった。
__正規軍……内地への移動中か!?そんな時期じゃないだろ!どうなってる!!?
本来、彼らは最前線に居るべき人物であった。
「クソッ!!」
シルフを勢いよく走らせ、その場を離れる。
軍人を手に掛ければ地の果てまで追われる、普通の人間なら撒く自信があったが、かつて自身が所属していた特務部隊をけしかけられた時、逃げ切る自信が無かった。
「クソ!クソっ!クソ!!なんでこんな所に軍人が居る!!?」
叫びながらシルフを一層早く走らせる。
だがしかし、走った先にはまた兵士が居た。
「お前っ!馬から降り__」
別方向にシルフを再び走らせ、距離を取る。
「クソ、こっちもかよ!!」
直後、ラッパの音が森林に響き渡り、シルフの臀部に矢が直撃した。
「シルフ!!」
シルフは荷物を落としながら地面に滑るようにして崩れ落ちる。
その最中、シルヴィアを抱き上げ、素早くシルフから飛び降りた。
致命傷では無いが、転倒した際にシルフは足を折ったように見えた。
__あれじゃもう二度と歩けないな。
動けなくなった相棒を悼みながらも、二人で木の裏に隠れる。
「時間を稼ぐ、頃合いを見て逃げろ。最後まで付き合えなくて悪いな」
シルヴィアに穏やかな笑みを浮かべ、木陰から飛び出そうとするも、手を引かれる。
「クリフ、駄目だよ。置いて行かないで、死ぬなら私も……」
震えるシルヴィアを優しく抱き締める。
「お願いだ、生きてくれ」
「……」
彼女は俯いたまま、何も答えてくれない。
「行ってくる」
木の裏から勢い良く飛び出す。
「……生きて」
踏み出した瞬間、彼女はか細い声で言った。
「善処するよ」
去り際に、飽くまで軽い口調でそう返す。
彼女の心に傷を残さないように。
「全く、無茶言いやがって」
苦笑しながら呟く。
先ほどの兵士を含め、眼前には十人の兵士がボルトガンを構えながら接近していた。
ラッパを鳴らされた以上、次々と増援が来るだろう。状況は絶望的で、勝算は絶無と言って良い。
しかし恐怖は無かった。
遠いあの日。自分を庇ってオーガに殺された姉の姿と自身が重なる。
心は、これ以上無いほどすっきりしていた。奇妙かもしれないが、陰鬱な日々を送るだけだった今までの人生で、最も生きていると感じられた。
__あの日の姉も、こんな気持ちだったのかもしれない
「来いよ!潰し合おう、最期まで!!」
充足感から来る笑みを浮かべ、抜剣する。
兵士たちの怒声と共に放たれた矢に向かって、駆け出した。
魔物図鑑.1
「コカトリス」
種目:魔獣属
平均体長:3m
生殖方法:有性生殖
性別:オスメス有り
食性:雑食
創造者:魔神第九席ビリスリリス・アィーア
・世界全土に出没する巨大な鶏。
悪食で、作物を始めとして家畜や人間を襲う事が多く、世界各地で被害を出し続けている害獣の筆頭とも呼べる存在。
緑色の羽毛を持っており、強酸性の胃液を吐き出す事が特徴。
銃火器やボルトガンなどを受けても恐れる事なく突進してくる為、餌やおとりを使って砦に誘引し、バリスタや大砲で粉々にする事が一般的な討伐方法になっている。
薄暗いほら穴に巣を作る。
鶏と違い、肉は凄まじく硬く、食用には適さず、年を重ねた個体は肉に毒が蓄積している為、食べられない。
また、骨や皮も資源としては不適切であり、正しく害獣である。
語る予定のない設定その1
文体の都合上省略しましたが、オーガの将軍がクリフに渡した食料は、餅と呼ばれる、中国式のパンです。




