26話「逃げたい仕事」
「旅の目的が無い?」
数週間前のことだった。
ヴィリングの南部に位置する、首長の館でクリフとケルスはソファに座って向かい合っていた。
「無いな、国家間を渡る表向きの理由は停戦交渉だが、そんなものは一年前にやった。つまり無駄骨だ」
そんなケルスの返答に思わず眉を顰める。
「お婆様からの依頼だよ」
脳裏でケルスの家系図を思い出す。
ケルスの父は魔神ヴァストゥリル、そしてその実母は魔神ミルリュス。そして育ての母は竜神ルナブラムだ。
だが、そのどちらも既に死んでいると言い伝えられている人物だった。
「すまない、どっちだ?」
「親父を育てた方だよ、竜神ルナブラムだ」
「図書館で借りた本には死んだと書いてたぞ」
それを聞いて、ケルスは鼻で笑った。
「ここの文献を調べたならもう分かるだろう。お婆様は停滞を司る神だ。そして、お婆様は魂の状態でお前に住み着いてる。それこそが、お前の魔法とオンオフの激しい体質の正体だ」
しばらく絶句し、言葉を失う。
だがしかし、納得も出来た。
「……何だって?」
「数十年前に死んだお前の姉は、更に数十年も前に肉体を失って転生した神だって事だ」
その言葉に、頭を抱える。
「アウレアで、死んだ姉さんに夢で会った」
「ああ」
「アレがルナブラムだって?」
ケルスは僅かに考え、真っ直ぐこちらを見つめた。
「その通り、お前がこの国に連れられた理由は、シルヴィアを保護したついでじゃない、お前が俺の大叔父だからだ」
ケルスの大叔父。その強烈な単語を前に、返す言葉が思いつかない。
ただ、彼の向ける眼差しは真剣で、これが冗談なのかと返せる空気では無かった。
「……それで、ルナブラム……姉さんはどうして俺に旅をさせたがってる?」
「俺にも伝えられていない。ただハッキリしてるのは、この指示は強制な事だ」
その言葉に、胃が締め付けられた。
「……シルヴィアはどうなる?」
「学校に送る頃だろう。年単位で預かってくれる家を斡旋しておこう」
「分かったよ神さま、引き受けさせて貰う」
理不尽で意図の分からない指示に、心の内から湧き立つ怒りを堪え、席を立つ。
「とはいえだ」
彼の言葉を聞き、再びソファに腰を下ろす。
「そう気負うな。都市観光くらいに思ってくれれば良い。金銭的な支援は幾らでも請け負わせて貰うし、向こうの宿で何年暮らしても構わないさ」
「随分と大らかだな」
「見聞や経験を積んで欲しいそうだ。細かな指定は無い、俺の名も好きなだけ使え、面倒ごとの回避でも、利益を得る為でも、脅しにも使ってくれて構わない」
「おい……それはいくら何でも……」
「冗談では言わない。今日からお前の肩書きは俺の側近にして、竜神ルナブラムの弟だ」
ケルスは薄く微笑み、指先に淡い緑色の光子を纏わせる。
そしてそれをテーブルに落とすと、赤黒い液体が入ったショットグラスが現れた。
鼻腔を刺すアルコールの香気が、それが酒であると教えてくれた。
「イェーガー。この国伝統の酒だ、お袋が趣味で振る舞った養命酒がルーツなんだが……どうでも良いな、乾杯だ」
ケルスはグラスを揺らし、持ち上げる。
「新しい家族に」
グラスを手に取り、言葉を考える。
それと単に、オウム返しはしたくなかった。
「……家族の無事を願って」
「悪くないな」
それを聞き、ケルスの表情が緩んだ。
互いに寄せたグラスを鳴らし、一気に飲み干した。
アルコールが舌を焼きながら食道を通り抜け、胃に沈む。そして、スパイスと薬草の香りが口の中を突き抜けた。
「相変わらず美味いな……薬用とは思えない」
「治す気があるなら薬を飲むさ。元より嗜好品だな」
ケルスは先程と同じ方法で酒瓶を召喚し、グラスに酒を注ぐ。
「もっともだ」
苦笑し、グラスをテーブルに置く。
「もう一杯いるか?」
「ああ、頼む」
テーブルの上でグラスを滑らせ、それをケルスが受け取り、酒を注いだ。
◆
そして現在。ジレーザの官邸、ブラックハウスの廊下をクリフは歩いていた。
__予定もクソも無いならただの観光で良いだろ。
内心不満を感じながらも、黒と金で彩られた、豪奢な造りの廊下を進み続ける。
国の主の住処というのは、その国の文化形態がそのまま現れる。
バランスの取れた密度の装飾に、等間隔に刻まれた装飾品と飾り柱が目を引き、それらに鮮やかな青色を加える事で、まるで建物全体に絵画のような雰囲気を持たせたアウレアの皇城。
そして、金属の装飾を一切用いず、緑の絨毯を基軸に、壁面や天井一つ一つの木材に、職人が手作業で装飾を掘り込んでおり、アウレアとは対照的な淑やかさを持ったヴィリングの首長舎。
ならば、ここジレーザのブラックハウスをひと言で表現するなら、調和だろう。
黒色の外装に反して、内部は温かみのある色合いで、白い壁に、薄橙の天井。そして飾り柱の一部には薄い黒が散りばめられていた。
そして、絨毯や柱の一部に、添えるように金が施されている。
そのどれか一つの色合いが崩れれば、とても目に悪い内装に変わり果てることだろう。
それ程に、洗練されていた。
__暑過ぎず、心地良い。極寒の地でよくここまで気温を弄れるな。
絨毯を踏み締め、展示ケースの近くを通ると、錆びついたピッケルが展示されていた。
「あのピッケルは?」
先行するメイシュガルに尋ねる。
「ああ、350年程前にこの地にあったギルドの統領が使われた道具です。小さな鉱山ギルドから広がったこの国では、起源であるこの場所と、そのギルド長を表す統領の名がこの国の最高責任者へと引き継がれることとなったのです」
「なるほど、それで大統領と」
話の途中で、重厚な木製の扉の前に立つ。
「ここが?」
「ええ、大統領の執務室になります」
メイシュガルはドアノッカーを鳴らし、ひと言声を掛けてから扉を開いた。
部屋の中には本棚と執務机、そして大きく開けた窓を背に、赤い髪をした中年の大男がそこに居た。
彼は椅子から立ち上がり、柔和な笑顔を浮かべてこちらを見つめた。
彼の体躯は大きく、労働者特有の鍛え抜かれた肉体が、スーツ越しからも感じられる程だった。
「ようこそジレーザにお越し下さいました。私はニコライ・グラーザ、この国を統治している者です」
働く男を思わせるその雰囲気は、アウレアやヴィリングの統治者とはまた違ったオーラを纏っていた。
「私はクリフ=ディヴィス・クレゾイル、ケルス陛下の側近を務めさせております」
通りの挨拶を終えた瞬間だった。
目の前に居る男は突然、深く頭を下げた。
その行動を前に、呆気に取られた。
「この度は、我々ジレーザがクリフ殿を害し、誠に申し訳ございませんでした」
当然と言えば当然ではある。しかし、その謝罪は道中に二度も受けた。
しかし、一国の主がここまで低い姿勢を取るのは、あまりに想定外だった。
返答に困る。しかし、何も言わない訳には行かなかった。
「どうか頭をお上げ下さい。彼女とは数年前に個人的な禍根があったのです、その件についてこちらから追及や何かしらの要求をする事はありません。私は、陛下の書簡を届けに来ただけです。どうかご容赦を、あなたの頭はそこまで軽くない筈です」
焦りを隠せず、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
__ジレーザのトップの頭は軽いのか?
そんな疑念が脳裏を過ぎるも、ニコライが一瞬浮かべた表情には、ただならぬ覚悟が宿っていた。
その顔は、死を覚悟した兵士に似ていた。
「ええ、ではお言葉に甘えて」
ニコライは顔を上げ、柔和な作り笑いを浮かべる。
ケルスから預かった書簡の一つを、持ち込んでいた中で最もマシな見た目をした鞄から取り出し、メイシュガルに渡す。
彼は書簡を一瞥すると、ニコライに手渡した。
__危険物を確認しないのか?
この疑問を抱いた事で、確信に変わった。
先進的なこの国家が、国のトップの安全を蔑ろにする筈がない。
だとするなら答えは一つ、この場で最も立場が強いのは自分であると。
王から注がれた酒を臣下が断れないように、ヴィリングのナンバーツーを名乗るクリフが渡したものを前に、彼は不用意な行為を取れない。
つまりそういう事だろう。
黒色の木筒から一枚の書状が取り出され、机に置かれた木筒は、不思議と金属質の甲高い音を立てた。
「ふむ」
ニコライは書状を広げ、それらに目を通す。
そして、その内容に驚く素振りを見せ、暫し思案した後、机に置かれたペンを取り、流れるような所作で書状にサインをする。机の引き出しから大きな判子を取り出し、捺印した。
そして彼は、書類を再び丸めて書簡に戻した。
「承知しました。あなた方の要求を全面的に飲みましょう」
彼はにこやかに微笑んだ。その面持ちからは、僅かに緊張の色が緩んでいるように見えた。
「感謝します、吉報を陛下にお届け出来そうで何よりです」
その発言をした直後、疑念が芽生える。
__待てよ?ケルスが裏でコイツらを脅したのは確実で。
__神々は人間に干渉しない取り決めだよな?
__たった今、内政にガッツリ干渉したんじゃないか?
それを理解した瞬間、一気に冷や汗が滲み出た。その返事と反応に、ニコライは目を丸くした。
「なるほど、そういう意味でしたか」
ニコライは書簡を手に取り、メイシュガルに手渡す。
「クリフ殿に」
「畏まりました」
手渡されたそれを手に取り、書状を取り出して開く。
「……は?」
内容を要約すると、こうだった。
__クリフ・クレゾイル、並び同伴者の都市観光の金銭的援助と、国家によるあらゆる干渉を断つ事。
しかし、同氏からの干渉は例外とする。
つまりこの書類は、この国で何でも出来るようになる特例状になった。
しかし、意味が分からなかった。
最初からそういったものを渡すのならば、そう伝えれば済む話で、全く違う内容を伝えられた意味が分からなかった。
「……ご厚意に感謝します」
しかし、上部との意思疎通が出来ませんでしたと伝える訳にも行かなかった。
無駄とはいえ、その場に合わせ、何事もないように装う。
「では、用件も済みましたので、私はこれで」
もう、一刻でも早くここから出たかった。
「ええ、お見送りさせていただきます」
そう、ニコライは言った。
__国王が送迎!???
言葉に出来ない気まずさを感じながら、二人から案内を受け、ジレーザ館内を歩く事になった。




