23話「失態、それと後悔」
三年前、アウレアとジレーザの最前線のひとつである、レッドライン要塞で戦いがあった。
アウレアが歴史上最後に攻勢に出た戦であり、三国の中で最も規模が小さく、種族的にも劣っていたドワーフの領土を攻めるこの作戦は、開戦時こそ優位に進み、複数の要塞を落とす事に成功した。
しかし数日後にドワーフ達が未知の新兵器を投入し、それらが各要塞とハイヒューマンを含めた多数の兵士を殲滅した事で、大打撃を受けたアウレアは、撤退する事となる。
こうして、多数の戦力を失ったアウレアは再び、城と地形を利用した籠城戦によって戦線の維持を強いられることとなった。
これは、アウレアが敗れる少し前の日。
陥落させたジレーザの要塞、その内の一つであるアルバトロス要塞で、クリフが巡回していた時の事だった。
「……酷いな」
周囲に遮蔽物のない、草木の枯れた雪原で、クリフは雪の下に埋まった死体を掘り起こし、再び雪を蹴って埋める。
「生存者はナシか……」
雪の塊を落とした時、死体の山が少し蠢いた。
「っ、おい!」
心臓が跳ね、降り積もった雪をかき上げ、雪の下に積もった死体を片手で持ち上げ、外に投げ捨てる。
「助けて……」
死体の山の下から、凍えたドワーフの女性が虚ろな瞳で手を伸ばした。
「……っ、待ってろ!」
死体をかき分け、彼女の脇下を掴んで引っ張る。
__仲間の死体で暖を取って生き残ったのか。
手から伝わる感触は冷たく、彼女はこちらがよく見えていないようだった。
「助かった……?」
「どうだろうな……少なくとも、お前の望んだ救助じゃない」
自身の緑色の瞳を指差し、引きつった笑みを浮かべる。
それに彼女は恐怖し、身を震わせる。
「だれか……助け……やだ……がんばったのに……」
その場で暴れようとするも、手足が凍り付いているのか、身動きが取れていなかった。
ただ、呼吸を荒げ、ゆっくりと身体を曲げる程度だった。
「怪我が悪化する。動くな、俺が可能な限り……」
「士官殿、生存者ですか?」
背筋が凍る。
振り返ると、下士官であるヘンリーという中年の男がこちらに来ていた。
「ああ。亜人だがな」
「この場で処刑しますか?一兵卒が見れば酷い目に遭うでしょう」
ヘンリーは、兵士勤めが長い事もあり、義憤に燃える若い兵士と違い、どこか達観していた。
「生きたまま焼け、とでも言うかと思ったぞ」
ヘンリーは眉を上げる。
「いえ、内地に残した娘と同じくらいの年頃に見えたので。恥ずかしながら、苦しむことは無い。そう思った次第です」
「俺もそう思うよ」
「では……」
ヘンリーは胸に掛けたボルトガンを引き抜く。ソフィヤを担ぎ、右手を前に出して静止した。
「いや、温めれば今晩くらいは使えるだろ。こいつは俺が持って帰る」
それを聞いたヘンリーは苦笑する。
おそらく、彼は本当の意図を察していた。
「そうでしたか。士官殿がそう仰るなら仕方ありません。彼女も長くない、応急処置の為に城砦に向かう事を進言します」
そんな芝居がかった彼の言葉を聞き、思わず苦笑した。
「一兵卒達の撤退指示を任せる」
「了解しました」
彼は軍隊様式に則った敬礼をし、その場から背を向けた。
「大丈夫だ、今治してやる」
肩の上で震えるドワーフの女性に、優しく囁き、その場から全力で走り出した。
◆
「……で、これはなんだ」
占領した城砦。石造りの無人の地下牢で、マイルズは腕を組んでこちらを見下ろした。
「頼むよ先輩」
「俺は魔法のポットじゃない」
「そこを何とか、良いだろ?」
彼に屈託のない笑みを向けた。
マイルズは大きなため息をつき、右手に魔力を集中させた。
〈__火照薪〉
彼の右手が炎に覆われる。
そしてすぐ側には、雪が山盛りに積まれた桶があった。
マイルズはそれに右手を入れた。
一瞬にして雪が融解し、適度な湯になる。
「ピッタリ40度だ。準備は良いんだろうな、ドワーフの女」
隣の椅子に座る彼女にマイルズは鋭い眼差しで見つめる。
「ソフィヤだ」
「何だって?」
彼は顔を顰める。
「コイツの名前だよ」
「そうか……」
彼は関心が無さそうな返事をした。
「ほらよ、コレ噛んでろ。なんでも、凍傷治すのはクソ痛いらしいからな」
布の切れ端を丸めたものをソフィヤの目の前に出す。
「……ありが、とう」
彼女は差し出された切れ端を手を使わずに咥える。手足は満足に動かせない状態だった。
彼女の臀部と背中に手を当てて抱き抱え、ゆっくりと桶に降ろし、湯に全身を浸した。
「__!!」
ソフィヤは力の限り歯を食いしばり、大粒の涙を流して呻く。
体内にある氷の結晶が凄まじい速度で融解し、急速に凍結が解除された。
しかしその代償として、耐え難い激痛が彼女を襲う。
炊事場からくすねたレードルを彼女の頭や肩に掛け、湯が浸かっていない部分にも湯を掛ける。
その度に彼女は呻き、痛みに悶えた。
「大丈夫だ、治る。諦めるなよ」
苦しむ彼女にそう言って聞かせ、心を鬼にして湯を掛け続けた。
その光景をマイルズが複雑そうに眺めていた。
「後悔することになるぞ、クリフ」
「上等だ。馬鹿なら何度もやった、それが一回多くなるだけだ」
ソフィヤを風呂から出し、着替えを着せて、手足に包帯を巻き始める。
「じゃあな、隊長に睨まれる前に俺は帰る」
そう言ってマイルズは踵を返し、重厚な木の扉を開く。
「ありがとう……」
彼女はマイルズを見つめる。
「礼ならそこの馬鹿に良いな」
彼は扉を勢いよく閉め、階段を上がって行った。
「……悪いな、無愛想な先輩で。あれでも面倒見が良いんだ」
「そうだね……私を治すだけでも重罪なのに、優しいんだ、あなたも、あの人も」
近くの椅子に腰を下ろし、天井を見上げる。
「ああ……あんたがそう言うならそうなのかもな」
「これからどうなるの?」
「俺のプランは、深夜にここを抜け出して、最寄りにあるドワーフの砦に向かうつもりだ。で、夜営に俺が引っかかって、近くでお前を下ろす。それで、俺は夜が明ける前に元いた場所に戻る……完璧だろ?」
ソフィヤは、呆気に取られる。
「なんでそんなにしてくれるの?てっきり私は亡命を狙ってるのかと……」
「馬鹿言え、人間である以上亡命なんて出来るかよ、お前が特権階級の一人娘ならあり得るかもだけどな」
持ち歩いたポーチから皮袋を取り出し、飴を取る。
そして、口に投げ入れた。
「ごめん、私はそんなのじゃない」
「じゃあ動機は憐れみだな。いるか?」
飴をもう一つ取り出し、彼女に差し出した。
「うん、ありがとう……で、どう言うこと?」
手が動かない彼女の口元に飴を運び、食べさせる。
「俺はただ、死に物狂いで頑張って生き残ったのに、俺たちに殺されるのは可哀想だと思ったからだ」
倉庫からくすねてきた多量の毛布を取り出す。
幸い、鹵獲したこの砦には、燃料にするほどそれが余っていた。
「滑稽か?動機なんてどうでも良いだろ、やって後悔しない方を選べば良いと俺は思ってる。そしたら後は、悪い結末にならないよう、死に物狂いで対処するだけだ」
用意した毛布を可能な限り彼女に包み、無骨な地下牢に放り込む。
「じゃ、今夜にな……傷が痛むかも知れないが、どうにか耐えてくれ」
「分かった」
そして、戦場跡で拾った鉄棒を、牢の扉に引っ掛ける。
「ふんっ」
分厚い鉄棒を、渾身の力で捻じ曲げ、扉部分に巻き付けて開かなくした。
「ねぇ」
背を向け、ドアに手を掛けた時、彼女に呼び止められた。
「なんだ?」
「名前、教えて」
「クリフだ、クリフ・シェパード」
「そう……ありがとう、クリフ」
「ああ、後でな」
そう言って扉を閉め、鍵を掛けて階段を上がった。
◆
日が暮れ、全員が眠りに落ちた時間帯、クリフは持ち前の身体能力を駆使し、壁面を登って窓から地下牢へ侵入した。
明かりが殆ど無いため、記憶と山勘を頼りに入り口の前に立つ。
その時、つま先で金属製の何かを蹴り、甲高い音が地下に響く。
「……あ?」
蹴ったものに違和感を感じ、ドアノブに手を掛ける。
__鍵が壊れてるのか?
辛うじて効いた夜目によって、鍵が鈍器で壊されているのが分かった。
その瞬間、総毛立った。
嫌な予感に駆られて扉を開く。
それと同時に漂って来た血と、生臭い臭いが鼻を刺した。
「……嘘だろ?」
心の内から絞り出したように、掠れた声を漏らした。
鉄格子は無理矢理こじ開けられ、ソフィヤは毛布から引き摺り出され、すぐ側に転がっていた。
外では雪が降り、水など容易に凍り付く温度だ。彼女は今酷い状態であると容易に予想出来た。
「ソフィヤ!」
彼女の元に駆け寄り、その姿を見て絶句する。衣服を脱がされ、右腕がおかしな方向に折れ曲がっていた。顔を始めとした全身は鬱血しており、酷い殴打を受けたと感じさせられた。
「クリフ……?」
彼女は掠れた声で名を呼び、指先が潰れた左手を震えながら上げる。
「……っ!大丈夫か!?今どうにかする、絶対に__」
彼女の傷跡を観察し、下半身にこびりつき、凍ったそれを見て、絶句する。
ソフィヤには、使われた跡が残っていた。
「……うそつき」
不規則で、今にも留まりそうな呼吸で、彼女は呟く。
「……痛いの、我慢したのに……したのに、助けてくれるって……」
「ごめん、ごめんな……恨んでくれ。それでも俺はお前を助けたいんだ」
「来ないで、助けないで……」
彼女の言葉を無視し、散らばった毛布を急いで彼女に巻き付ける。
「やめて、おねがい……さわらないで」
彼女は嗚咽し、咳き込む。
「手はある、俺が今から__」
「触るなっ!!」
彼女の、心の底から絞り出しような澱んだ怒声が吐き出され、気圧される。
「お前も……あいつらも……みんな殺してやる……絶対に、生まれ変わっても、絶対に……」
想像もつかなかった。
一体、どれほどの事をすれば、彼女にこれほどの憎しみを抱かせられるのだろうか。一体、どんな仕打ちを受ければ、周りにある全てを嫌いになれるのだろうか。
彼女の心情を悼むことは出来ても、推し量ることなど到底出来なかった。
「……ああ、待ってるよ」
声を震わせ、答える。
それが唯一、自分に出来ることに思えたからだ。
袋から飴を取り出し、口に放り込む。
そして噛み砕いた。
それと同時に、突如やってきた爆炎と音が地下牢を粉砕し、炎で包んだ。
「……は?」
それからの記憶は、曖昧だった。
降り注ぐ瓦礫、ゆらめく炎。
悲鳴と怒号が飛び交う中、ソフィヤを担いで必死に逃げ回った。
空から降り注ぐ未知の爆弾。
炎に包まれた物やヒトの破片が爆風で飛び散り、仲間たちの命を次々に奪って行った。
そして、それらの攻撃に抗する為の魔法が空で瞬いては消えた。
どこかで彼女を落とし、味方の撤退ルートから外れていた。
そして気が付くと、無人の森に一人取り残されていた。
「……失敗した」
雪が降り積もる中、タイガの木に背中を預ける。言葉に出来ない後悔に襲われ、項垂れる。
そんな時だった。
空から人が降って来た。
彼は鮮血を撒き散らしながら、目の前に転がる。
落ちて来たのはニールだった。
「隊長!?どうして!!?」
動揺し、思わず弱い言葉が出る。
「……下手を打った」
ニールの腹部は大きく裂けていた。
「真っ二つに……切られてな……心臓より下が……繋がってない……」
彼は咳き込み、大きな血の塊を吐く。
「なんとか魔法で繋げてる……運んで、くれるか?」
心臓が跳ね、焦燥感に駆られた。
ソフィヤを救えなかった以上、もう誰かを救わないと正気を保てそうになかった。
「あ……ああっ!任せてくれ!!」
ニールの臀部に手を掛け、腹話術人形のように持ち上げる。
普通の運搬方法では、身体が真っ二つに割れる恐れがあったからだ。
そして、残った理性を総動員させ、本来の撤退ルートに向けて全力で走った。
そんな時、目の前に二人の男が降り立った。
二人とも赤い髪を持っており、一人は中年、もう一人は青年といった風貌だった。
「情報通りだ、やるぞレナート」
二人は、軽い意思疎通を交わすと、こちらに銃を向けた。
彼らの装いは明らかに異質で、明らかにオーバーサイズなコートを羽織り、不思議な形状をした金属鎧を全身に装着していた。
「ああ」
青年が拳銃を構え、銃口がこちらに向く。
回避行動を取ろうとするも、飛び道具に敵うはずもなく、銃口から飛び出した弾丸が左膝を貫く。
「うっ……」
またも、情けない声が出た。
抱えていたニールをその場に落とし、転倒する。そして、足を引き摺りながら、倒れたニールの元に向かう。
「にげろ……」
次の瞬間、彼の体から電流が生じ、木々の隙間から複数の剣が射出され、二人の男へと飛来する。
彼らはその場から飛び退き、光を発する剣を引き抜いてニールの剣を迎え撃っていた。
それと同時に、ニールの身体から一気に血が溢れ出した。
「隊長っ、ダメだ、ダメだそんな事っ!!」
その場で這いずりながら、彼を静止する。
既に情緒は滅茶苦茶で、ただただ無力感だけを感じさせられた。
ニールに鎧を磁力で操られ、身体が浮き始める。
遠くなって行く彼の姿を見つめる度に、自分は過去から何も買われていないと痛感させられてしまった。
ニールに向けて手を伸ばすと、彼は儚く微笑んだ。
__俺が護らないと。
そんな思いが、頭の中を埋め尽くした。
突然、全身から金色の魔力が溢れ出し、ニールの魔法が無効化した。
身体が自由になり、地表に向かって落下する。
「……駄目なんだよ隊長、ここで逃げたら、俺は……俺はどう生きれば良いんだ?」
地面に勢い良く着地し、ニールと二人の間に割って入る。
舞い上がった土煙を片手で振り払うと、突風が巻き上がり、跡形もなくそれを吹き飛ばした。
そして、敵を凝視する。
二人の男は既に、ニールの剣を全て破壊していた。
「……殺す」
真っ黒な殺意を腹に詰め、言葉にした。
「レナート、退避しろ……コイツはヤバい」
中年の男が青年に指示を飛ばす。
そのさまを見て、彼が指揮官、隊長に類する存在だと判断した。
両脚に力を込める。
__指揮官を潰す。
その場から跳躍し、中年の男に飛び掛かる。
互いに剣を振るい、光の剣と斑鉄の剣が激突する。
次の瞬間、閃光が奔った。
甲高い炸裂音と共に光刃は弾け飛び、溶鉄のように周囲へ飛び散る。
飛散した液体が頬に付着して肉を溶け、口が裂ける。
今は、痛みを感じなかった。
「光学兵器を……!!」
男は、目の前で起きたことに驚愕していた。
そんな彼の腹部に、拳を叩き込む。
彼の身体が浮き上がり、おおよそ人を殴ったとは思えない重厚な音が響く。
僅かな間を置いて、衝撃波が発生し、周囲の雪を巻き上げ、男は凄まじい勢いで吹き飛び、タイガの木々を何本もへし折りながら、暗闇の中へと消えて行った。
「オヤジっ!!」
レナートと呼ばれた青年は吹き飛ばされた父親を呼んでいた。
拳を振り払い、取り残された青年を指差す。
「次は、お前だ」
抑揚のない声で喋り、引き裂けた口を僅かに吊り上げた。




