22話「古の人」
裏ジレーザの中心部、そこに聳える巨大な筒状のビルの最上階の一室、電子機器とモニターに囲まれた薄暗い部屋で、一人の″ヒト″が暮らしていた。
ヒトは全身から無数に生える、針金のような触腕を巧みに動かし、無数の端末を操作していた。そしてそれに並行して手の数にものを言わせて積み上がった書類を閲覧していた。
「今の人間も面白い文学を描くね」
古代のヒトであるバベルは、自身の座るキャニスター付きの椅子にもたれ、床を蹴ってその場で回る。
くだらなくも惹きつけられるその本の内容を回想しては、触手で端末を操作する。テーブルに置かれた清涼飲料水入りの赤いアルミ缶を手に取り、触手状の口を開いてはぐっと飲み干す。
「マスター、お外の定時報告を持って来ましたよ」
バベルの私室に、青白い髪の少女が立ち入る。外の世界には無い、青いパーカーを羽織った彼女は、異形の外見をしたバベルに対して、今の人間と同じ外見をしていた。
バベルは、綿毛のように触手がびっしりと生えた頭部を少女のほうに向ける。
その瞬間、身体中に生えた触手が収縮しては、全身がスライムのように流動し、最終的には茶髪の好青年の姿へと変貌した。
「ありがとう、ミスティ」
バベルは爽やかな笑みを浮かべ、彼女の持っていた書類を受け取る。
そして、受け取った書類を放り投げ、宙に散らす。
ミスティと呼ばれた少女はそれに驚く様子はなく、ただ眺めていた。
バベルが両手から青白い魔力の光を発した瞬間、部屋に存在した全ての書類が一斉に燃え、灰すら残さずに消滅した。
そして彼の手の中には、棒状のメモリーカードが収まっていた。
「相変わらず、飛び抜けた量の魔力ですね」
それを聞いてバベルは鼻を鳴らす。
「今の人類が少ないだけだよ。この程度の情報を電子化する魔法なんて、2歳の子供でも出来るさ……尤も、今の子は2歳で言葉が話せれば賢いって言われる始末だけどね」
バベルは悩ましそうに話す、対してミスティは苦笑いを浮かべていた。
「仕方ないですよ。大戦の後、今の人類は大神によって、調整されたんですから。それに、そんな事言い出したら魔法があんまり使えない私だってポンコツですし……」
ミスティは全身の機械部品を服の裏から展開、発光させる。彼女もまた、この地下都市に存在するロボットの一つだった。
バベルは目を見開き、興奮気味に彼女の肩を掴む。
「ミスティリウム!!君は!僕の親友が造った至高のマシンだ!!地上に蔓延る出来損ない達とは断じて違う!!力、知性、美貌!何から何まで比較にすらならないさ!!それにだ!君が持つ圧倒的な魔力は、各種武装に最適な配置で割り振られているじゃないか!!!」
「……ありがとう、ございます」
ミスティリウムは少し引いた様子で後ずさりする。
「やはりマスターは、今の人類が嫌いなのですか?」
少し間を置き、寂しそうに尋ねる彼女を前に、バベルは少し頭を悩ませる。
「確かに今の人類は貧弱だ。地上に居るごく一部の人間だって、僕たちには遠く及ばない。けど、僕が危惧してるのは力じゃない。心だよ」
バベルは椅子にもたれ、近くにあるコーヒーメーカーを起動する。上質な珈琲の香りが部屋に立ち込める。
「心、ですか?私は彼らの思考パターンを好ましく思うのですが……」
「確かに良い人は居るよ。けどそれはひと握りだ。この戦争の発端は、神の言いなりになった人間が盲信して亜人を狩ったからだ。そして今も戦争が続くのは、亜人がソルクスを盲信しているからだ。」
ブザーが鳴り、コーヒーが機械に備え付けられたカップに注がれる。
「神に依存したり、下層階級が無ければ情緒が安定しない生物なんて、いずれは滅ぶし、なにより醜悪だ。そうやって足を引っ張り合っているせいで、僕達がたった100年で到達した文明を、1000年以上も掛けてやっと会得しているんだよ?」
バベルは珈琲を手に取ってひと口飲み、テーブルにカップを置く。
「かつて僕らは、数多の星々を開拓し、素晴らしい文明を築いてこれた。けど、今の彼らが宇宙を自在に旅できるまで何年掛かる?そして、それまでに彼らはどれだけの命を無駄に積み上げれば気が済むんだ?」
「マスター……」
ミスティリウムは少し寂しそうに彼を呼ぶ。
「彼らを殺すつもりはないよ。時が来れば、全員を仮想世界に送って、そこで暮らしてもらおうと思ってる」
バベルは残った珈琲を一気に飲み干し、苦い顔を浮かべた。
「さてと、辛気臭い話は終わりだ。ちょっと大統領に、ヴィリングから来る彼らの対応について指示するかな」
「その必要はない」
バベルの言葉に割って入ったその声は、本来ここに居てはならない筈の人物のものだった。
「ケルス・イヴィズアールン……!?」
長身の彼は、部屋のドアを潜るようにして入り、バベルを冷たく見下ろす。
ミスティリウムはバベルに目配せした後、口を噤み、体の内にある炉心に火を入れた。
「見えているぞ、ミスティリウム」
駆動音、魔力の起こりすら立たなかったにも関わらず、ケルスに動作を見抜かれた彼女は青褪める。
「僕たちについて知ってるみたいだね」
バベルが口を開いた瞬間、彼の足元から緑色の鎖が出現し、彼を縛った。
「っ!!マスター!!」
ミスティリウムは思わず身体を乗り出し、周囲に銃器の幻影を展開する。
しかし、ケルスの瞳を見て思い止まった。
「生命維持と発声能力を除いた全ての機能を切れ。俺には、全て見えている」
ケルスはそう言って鎖を引き、バベルの首元の鎖が絞まる。
ミスティリウムの脳回路は、愛する主人の首が落ちる未来を予測していた。
「従います!……切りました。お願い、マスターには危害を加えないで」
ミスティリウムは両手を上げ、全ての機能を切断した。
ケルスはそれを確認し、彼女への関心を無くした。
そして二歩、バベルの元に近付いた。
「言い訳を聞く気は無い。お前が手下を使って列車を襲ったのは、とうに把握している。その手段の仔細に至るまでな」
彼は懐からナイフを出し、テーブルの上に突き刺す。
「俺たちはこの星の成り行きに深く干渉する気はない」
彼の膂力によってテーブルは真っ二つに割れ、崩れた。そしてそれらを踏み潰し、ケルスは鎖を握り締め、すぐ側まで引き寄せる。
「だが、身内にツバを掛けられたなら別だ」
彼は鎖を砕いてバベルの首を掴み、持ち上げる。その眼差しは、どんな為政者でも萎縮させられるような凄みがあった。
「ヴィリングの長ではなく、いち個人としての俺。魔神の王子として表舞台に立ってやろう」
ケルスは手を離し、バベルは椅子の上に落とされる。衝撃で金具が軋み、椅子が悲鳴を上げた。
「……では王子よ。貴方は何を望まれる?僕の命か?」
バベルは息を深く吸い、呼吸を整えて尋ねる。
「今回は警告だ。だがもし、次があれば……」
ケルスは翻り、出口の自動扉に手をかざす。
「この国を均す」
彼は短く言って部屋を出た。
「マスター……」
ミスティリウムは両手を下ろし、右手で胸を押さえながらバベルの元に寄る。
「よく我慢してくれた、ありがとう。しかし……」
「厄介なことになりましたね」
「ああ……こうなると実行役のレナートが心配だ。ダメ元で連絡してみるけど、追加の回収班を回すのが賢明だろうね」
「はっ、直ちに」
彼女は焦燥感が抜け切っていない様子で、駆け足で部屋を出た。
〈__修繕〉
バベルは大きくため息を吐き、指先から光を放つ。
すると、時間を巻き戻すかのように砕かれた机が元の姿を取り戻した。
彼は修繕した机にもたれ、額をテーブルに擦り付けた。
コーヒーメーカーのスイッチを入れた後、怒りで身を震わせた。
「……星一つ食い潰す怪物を笑顔で迎え入れろなんて無茶もいいところだ」
顔を上げて淹れたコーヒーを一気に飲み干し、再びテーブルに額を落とす。
そしてもう一度、テーブルに頭を打ちつけた。
「神々はクソだ……お前たちは、本当に……最悪だ……」
バベルは、指導者にあるまじき情けない愚痴を一人こぼす。
そして次の瞬間、周囲から一斉に破裂音が連鎖的に起こる。爆薬ではなく、悪戯の花火のような音。
それと共に、部屋にあったモニターが一斉に真っ黒になった。
「……え、は?」
バベルは呆然とし、部屋の端末を操作する。
嫌な予感に駆られながら応答を待つと、モニターが一つ点灯した。
しかし、画面に映っていたのは、一匹の白い犬だった。
『全部壊れたよー!』
犬が元気に吠えると同時に、液晶が破裂した。直後に、焼け焦げた香りが彼の鼻腔をくすぐる。
「ハッキングされた……?僕のデータを、全部?」
彼は心底絶望した声で呟き、怒りで震えた。
「__!!」
そして、声にならない叫びを上げた。
◆
「……あ?」
クリフは汽車の客室のベッドで目が覚めた。
「お、起きた?」
窓際のテーブルでは、アキムが席について雪景色を眺めていた。
全て夢だった。そう言いたかったものの、額に残った銃創が、先ほどの出来事が現実だと教えてくれた。
「……何があった」
身体を起こし、毛布を除ける。
しかし、同じベッドで眠るシルヴィアが、それにしがみついて離さなかった。
「んえ……」
彼女は寝惚けた様子で、身体を起こす。
長い髪の毛が寝癖で爆発し、獅子の鬣のようになっていた。
「汽車が停車した時に、オネスタって人が二人を抱えてここに来たんだ」
「何だって?どんな見た目をしてた」
空目し、尋ねる。
「えーっと、とっても綺麗な青い髪のお姉さん……かな。絵画や写本に出るような……そんな人だったよ」
アキムは、貧相な語彙をなんとか絞り出す。
「……マジかよ、ちょっとくらい会ってくれても良かったのによ……」
大きなため息をつき、顔を覆う。
「オネスタさんと知り合いなの?」
目を覚ましたシルヴィアがこちらを覗く。
「義理の母親だよ。死んだ親父と結婚してて、亜人だから各地を転々としてるけどな」
「「えっ」」
二人は唖然とする。
「そうか、あんまり昔の話はしてないもんな。そういう事だよ」
手を叩いて話題を切り、アキムを見つめる。
「それで、チペワを操ったのはお前か?アキム」
そう尋ねると、アキムの右腕から赤い雫が滴った。
テーブルの上に落ちたそれは、手のひらサイズのチペワへと姿を変えた。
「栄養が無いとこれが限界だけど、役に立ったろ?」
そう言ってアキムは、手のひらサイズのチペワを両手で包み、皮膚から吸収した。
「うん、ありがとう。命拾いした」
と、シルヴィア。
「……お前もとうとう、俺たちと並んで化け物になった訳だ」
額の銃創を指先で擦りながら、薄く微笑む。
「え、頭撃たれてたの」
シルヴィアは顔を青くする。
「撃たせたのに即死しなかったのは奇跡だったな、再生したのも気絶した後だ」
それを聞いたシルヴィアの目が据わる。
「は……なんでそんな事したの?」
彼女は赤い、爬虫類のような瞳でこちらを凝視した。
場の空気が張り詰め、彼女が発する眼力に少し萎縮してしまった。
「悪かったよ」
思わず彼女から目を逸らす。
「で、ソフィヤって誰?」
彼女は腕を組み、不機嫌そうに尋ねる。
その話題に触れられ、心に棘が刺さる。
「楽しい話題じゃないぞ」
「いいよ、教えて。アキムは?」
「俺も知りたい」
意見が一致した事で、ついため息が出る。
かつての嫌な思い出を脳裏に浮かべ、言葉を練る。
「ああそうだな。じゃあ、戦争をしてた時の話になるが__」




