21話「古の人」
ジレーザ本国の地下120kmには、もう一つの地上が存在する。
人工の空によって昼夜サイクルと四季すらも完全に再現された、『裏ジレーザ』とも呼ばれるその場所には、現代では想像が付かないほどの文明が根差していた。
空を飛ぶ車輌に、ガラスに酷似した物体で構成された高層ビル群。
その街は、夜にも関わらず、建物や道路から発せられる光によって輝いていた。
そんな高層ビルの一つに敷設された警察署の詰所。
『地上技術保全課』で、ソフィヤはコーヒーを片手に思案していた。
「魔神からの提案……か」
椅子に深くもたれ、椅子の片脚を上げて、安楽椅子のように揺らす。
「いいや、アレは強制……私に拒否権は無いか」
コーヒーを一口飲むと、苦い味わいと共に、神父服の青年の顔が思い浮かび、顔を顰めて舌打ちをした。
「不機嫌そうだな、連勤続きで困っているのは認めるが」
背後に、赤髪の男が立っていた。
「……レナートさん。お疲れ様です」
「ああ、クレイグに無茶を言われてな。地上と地下のトップにに話を通さなきゃならなくなった」
「はは……大変ですね。例の来賓者の件ですか?とにかく今は、ゆっくりしてください」
「そうもいかなくてな、今度はハイジャッカーの対応だ。悪いがお前にも出動命令が出た」
彼は疲れきった様子で、テーブルに手を付く。
「……一応聞きますけど、来賓者絡みですか?」
「……その通りだ。偶然、マフィアに地上の軍隊に配備予定の四駆が流れたみたいでな、それが来賓者の乗る列車を襲った。」
「偶然……ですか。要人の写真の名前は押さえていますか?」
「ああ、今送る」
レナートのブラウンの瞳が淡く光り、ソフィヤの視界の端に映るメールボックスのHUDに通知が一つ入った。
「ありがとうございます」
送付されたメールに意識を向けると、メールアプリが起動し、送付されたメールを開封した。
シルヴィア=T・クレゾイル
クリフ=T・クレゾイル
アキム=クリューチ
「……っ」
それに送付された写真を見た瞬間、ソフィヤは別のアプリケーションを起動し、顔の筋肉を固定した。
「確認しました」
「ああ、俺とアンジェラ、それとお前のスリーマンセルだ。他の部隊は乗客の記憶処理がメインだ」
レナートは、右手に持った携帯端末を操作する。
「作戦開始は14:53分だ。作戦環境を鑑みて、装備の選定は済ませてある。武器庫で装備を受け取って来い」
「承知しました」
ソフィヤは抑揚のない返事をして部屋を出た。
そして扉を閉めた時、表情の固定をやめた。
心の内で、言葉にできないような激情が湧き上がり、それを表情に浮かべた。
「絶対に殺す……」
◆
クリフは列車内のハイジャッカーを既に四人ほど仕留めていた。剣に付いた血を払い、窓から次の車輌を覗く。
流石に異変に気が付いたハイジャッカー達は、警戒した様子で前方車輌へと接近して来ていた。
椅子の裏に隠れ、ハイジャッカーの足音に耳を澄ます。
「なぁ、お前ヒューマンだろ?どうして俺たちを」
近くにいた労働者の男は、やや怯えた様子で尋ねる。
「俺はヴィリングから来た、説明は後だ、隠れてろ」
そのひと言で、労働者の男はどこか納得し、鞄を盾にするようにして、座席の隅に縮こまった。
「おいっ!何がっ!?」
ハイジャッカーが仲間の死体に気付いた。
駆け足気味で最接近したのを見計らって、物陰から飛び出し、彼の下顎にボルトガンの銃口を押し当てた。
「あばよ」
引き金を引いた瞬間、放たれた矢が頭を貫通し、天井に矢が突き刺さる。
ハイジャッカーは眼を剥き、即死した。
「素行の悪いてめぇらに早めのプレゼントだ」
死体が倒れるよりも先に蹴り飛ばし、奥で同行していたハイジャッカーにボルトガンを斉射した。
弾丸を遥かに超える殺傷力を誇る矢が彼らの胴体部に直撃し、一撃で命を奪った。
「次だ」
ボルトガンの弾倉を交換し、次の車両へと歩を進める。
その瞬間だった。
銃声が扉の向こう側からけたたましく響いた。ひとつではなく、幾つも。
「乗客を粛清してるんじゃないだろうな!?」
歯軋りをし、勢いよく走り出す。
扉の前で僅かに躊躇った後、ボルトガンを構えながら勢い良く開いた。
「は?」
その先では、想定していない光景が広がっていた。
車輌内のハイジャッカーは既に全員殺されており、通路の中心部には、黒色の仮面を被った赤髪の人物がこちらに拳銃を向けていた。
「冗談キツいな……」
相手は躊躇いなく発砲して来た。
勢い良く扉を閉めて後ろに転倒し、瞬時に床へ仰向けに倒れた。
複数の弾丸が鉄扉を貫通し、頭上を通過する。
「はぁ……クソ、クソっ」
腰に下げていた最後の爆薬付きの矢を取り、ボルトガンの先端に装填する。
そして、寝そべったまま銃を歯で咥え、両手を床に付ける。
「てめぇらのせいで富豪気分が台無しだ!!」
腕力だけで扉に向かって跳躍し、両足で鉄扉を蹴破る。
身体を僅かに回転させ、両足で床を踏み締めたと同時に、通路に立つ人物に銃口を合わせ、引き金を引いた。
金属製の矢が射出される。
しかし、仮面の人物は右手を前に出し、回避行動を取らなかった。
掌に矢が接触した瞬間、矢の狙いが逸れ、その周囲を高速で周回した後、真横にある窓に向かって射出された。
列車の少し外で矢が爆裂し、衝撃で砕けたガラスが車輌内で舞い散る。
「そんなのアリかよ」
冷や汗を浮かべ、目の前の人物を観察する。
太腿部にまで伸びた、白く膨らんだコートを羽織り、その下に奇妙な衣服を纏っていた。
それは肌に密着したような形状で、手足や腰部には、竜の甲殻のような装甲が散りばめられていた。
体のラインがはっきりと出ており、腰のくびれや胸の膨らみから、女性であると伺えた。
__魔法か?いいや、それにしては違和感がある。そうかコイツは、二年前の……
「おい!随分な挨拶だな!!お前ジレーザの正規軍だろ!」
最低限の会話が出来ないか試みる。
駄目元で喋って、何か情報を漏らせば儲け物だ。
ボルトガンを投げ捨て、剣を握り締める。
「ああ、やっぱりだ」
彼女は声を震わせながら呟く。
そして、仮面に手を掛けて外し、その場に落とす。
「久しぶりクリフ。あの日宣言した通り、殺しに来たよ」
「……ソフィヤ」
二年前の記憶がフラッシュバックし、顔が歪む。
脳裏には、無惨な仕打ちを受け、瀕死の重体になった彼女の姿が鮮明に写っていた。
「俺にはもう、生きる理由が幾つか出来た……贖罪するが、死ぬ気はない」
床に剣を突き刺し、彼女を見つめる。
「殺したいなら、頭でも心臓でも撃てよ」
ソフィヤは拳銃をゆっくりと構え、その額に照準を合わせた。
「一発は受けてやる。けど、もし俺が生きてたらその時は__」
言葉を銃声が遮り、額に強い衝撃がやって来た。
例の力は発動しなかった。
だが意識は鮮明で、衝撃で真後ろに倒れ、後頭部を強く打ち、痛みを感じた。
「対話なんて要らない。もしもなんて下らない仮定も要らない。死んで」
額から流れた血が、側頭部を通って床に流れ、後頭部が濡れる。
「あなたが死ねば、やっと前に進めるから」
ソフィヤは拳銃をコートの裏にあるホルスターに入れ、自分を跨いで行った。
意識があまりにも鮮明な事に違和感を覚え、両手をついて勢い良く立ち上がる。
__ああ、普通に死んでないな。
思わず、悪い笑みがこぼれた。
音に反応し、ソフィヤが振り返る。
「え」
彼女は呆気に取られていた。
先程喋りかけていた言葉を思い返しながら、突き刺した剣を抜き、彼女へと振り下ろした。
「もし生きてたら、その時は本気だ」
彼女は右拳を繰り出し、それを迎撃する。
激突する寸前、拳から電撃が奔り、拳と剣の間に障壁のようなものを形成し、互いに弾き合った。
「なんで、生きてるのよっ!!?」
「死にたくねえからに決まってるだろ!!」
互いに一歩半下がった瞬間、ソフィヤはコートの裏に仕舞っていた筒状の武器を引き抜き、先端部から光刃を展開する。
「やっぱり、お前は偽善者だ!!」
ソフィヤは大きく踏み出し、こちらにに向かって剣を振り下ろす。
しかし、あえて懐に踏み込んだ。
「聖人になったつもりは無ぇよ!!」
腹部にタックルし、ソフィヤの間合いを潰した。そして密着状態で腹部に刃を押し当て、切り裂いた。
しかし、手応えは重く、肉を裂いていない事はすぐに分かった。
「硬いな……」
右脚を振り上げ、膝でソフィヤの顎を蹴り抜く。そして、胸部を蹴り飛ばして距離を取った。
「お前、本当に変わったな。二年前にぶっ殺した奴にそっくりだ」
眉を顰める。
腹部は大きく裂け、並の人間なら失神してもおかしくない衝撃を脳に与えた。
しかし血は止まり、意識はハッキリとしているように思えた。
「誰の……誰のせいでこうなったと思ってる!!」
彼女は絶叫した。
両足の装甲が開き、内側から多量の炎を噴射しながら飛翔し、後方へと一気に飛び退いた。
到底終えるような速度では無く、ほんの一瞬で一つ後ろの車輌の最後部まで移動してしまった。
「ぶっっっ、殺してやる!!」
ソフィヤはその場で着地し、筒状の武器を素早くコートの下に戻し、背中に背負った長銃を引き抜いた。
「お前だってドロドロに溶かせば死ぬでしょ!!」
こちらに向けられた銃口に光が収束し、車輌内の温度が上昇する。
「不味いっ!!」
重心から発せられる熱量と彼女の感情の機微から、収束が終わった瞬間、何が起こるのか予想できてしまった。
__何が来るかは分からん。が、ソフィヤは、あの馬鹿は乗客ごと巻き込むつもりだ!
「馬鹿野郎!!」
座席の間を駆け抜け、ソフィヤの居る車輌に辿り着く。
しかし、既に収束は終えており、車輌の端と端までの距離が空いていた。
どう足掻いても、止められない。
「クリフ!!!」
彼女は高揚しきった表情で引き金に力を込める。
「ごめんっ!!」
次の瞬間、ソフィヤの後頭部に、飛んで来たシルヴィアの両足が直撃した。
彼女は軽々と吹き飛び、座席の角に頭を勢い良くぶつけ、一回転して地面に叩きつけられた。
ソフィヤはすっと立ち上がるが、頭から多量の血を流しており、身体こそ正常に動いているものの、頭に強い衝撃を与えられたせいか、再び倒れた。
「あっ……大丈夫?もう、やめようよ」
シルヴィアはソフィヤに歩み寄る。
彼女は子鹿のように膝を震わせながら、再びゆっくりと立ち上がる。
「なんでだよ!私は誰も助けてくれなかったのに!!お前だけっ!どうしてお前だけ助けて貰えるんだよ!!!」
ソフィヤは錯乱した様子で左腕を変形させ、そこから銃が飛び出した。
それを、シルヴィアに構える。
「え……嫌っ!」
彼女は思わず飛び退く。
「ソフィヤ!!」
ソフィヤの元に辿り着き、剣を振り上げるも、攻撃そのものを止める事は絶望的だった。
「大事なんだ」
彼女は嗜虐心に満ちた表情を浮かべ、腕の機関砲が作動した。
「やめ__」
声をかき消す形で銃声が響き、閃光が周囲を照らす。
しかしその寸前、ソフィヤとシルヴィアの間に、巨大な人影が割って入っていた。
「アキム……?」
それは、村で戦ったチペワの姿と全く同じ姿をしていた。
「……誰!?」
ソフィヤは機関砲をチペワの頭部に向けて発砲する。
頭骨と肉が砕け、鮮血が飛び散るが、それらを全く意に介さず、チペワはソフィヤの腹に拳を叩き込む。
丸太のような拳が彼女の腹部にめり込み、彼女は窓ガラスを突き破って、車外に放り出される。
チペワもまた、彼女を追って窓ガラスから飛び出した。
「アキムっ!!」
シルヴィアを抱き抱え、二人を追う形で窓に乗り出す。
「両手を丸めとけ!飛び降りるぞ!!」
「うん!!」
◆
クリフは走行中の列車の窓から飛び降り、雪の上に転がりながら着地する。
「クソ、どこ行った」
彼は身体を起こし、周囲を見渡す。
「あそこ!」
抱えられていたシルヴィアが指を差す。
チペワはソフィヤに組み掛かり、巨大な拳で彼女を何度も殴打していた。
「……アキム、一旦逃げ__」
クリフがアキムを静止すべく駆け出した瞬間、二人に一筋の光線が通過した。
そして次の瞬間、円状の爆炎が二人を飲み込んだ。
「は……っ、どうなってんだよ!!」
そして突然、クリフの背後に、ソフィヤと似た装備で身を包んだ赤髪の男が降り立つ。
「てめぇが……!」
剣を引き抜くも、それよりも早く男は拳銃を弾いた。
クリフの胸部に、注射針のようなものが突き刺さり、彼は一瞬にして意識を失った。
赤髪の青年、レナートは側頭部に指をあて、無線機を起動させる。
「こちらA1、列車内の脅威の排除に成功しました。変異を遂げたVIP3は死亡、1と2は麻酔銃により無力化を確認。また、こちらはA3がVIPの3と交戦した事により戦死したと思われます」
『素晴らしい。彼女の死は想定外だが、計画通り全ての乗客とVIP1、2に記憶処理を。本件は魔物の襲撃として処理する』
「了解、事に当たります」
レナートは無線を切り、爆散したソフィヤとチペワを睨む。
「何故あんな真似をした、ソフィヤ……!」
歯軋りをしながら、倒れたクリフを起こし、フラッシュライトに酷似した道具を取り出す。そして、クリフの瞼を開き、瞳に光を当てようとした時だった。
「おい」
振り向くと、ドレスを着た一人の女性が立っていた。
彼女の肌は真っ白で湿り気を帯びており、両手の袖からは、蛸の触腕が無数に生えていた。
それはどの文献にも居ない、未知の魔物だった。
すぐ側で、シルヴィアを気絶させていた隊員は、泡を吹いてその場で立ち尽くしていた。
蛸に酷似した瞳で彼女はレナートを見つめる。
「誰だ!」
レナートは得体の知れない恐怖を感じ、銃剣の付いた拳銃を引き抜いて、全身のリミッターを外す。
「……不快だな」
彼女がそう呟いた瞬間、突如としてレナートの下半身は千切れ飛び、胸に巨大な孔が空いた。様々な体の部品が崩れ落ち、雪を赤い血で染めた。
彼女は、両手の触腕でシルヴィアとクリフを掴むと、そのまますぐ側の森へと消えて行った。




