19話「本国へ」
「ああ、こんなとこに居たんだ」
アキムは洞窟の地下で、顔が潰れた死体を見つける。
「みんな探してたんだよ、父さん」
アキムは彼を抱き抱え、安堵した表情を浮かべた。
「父さんだけ、逃げ延びてたんだ……はは、あんたらしいや」
彼は、感情の失せた瞳で父親の亡骸の首を掴む。
「でも、これからはずっと一緒だ」
アキムの顎が直角に開き、父親の頭に噛み付いた。
◆
「……美味い」
食器の音だけが響く、静まり返った酒場で、クリフは血の滴るステーキを切り分け、口に放り込んだそれを、咀嚼していた。
天井を見上げ、その味わいに感嘆した。
「エンプーサ、不味かったもんね」
しみじみとした様子でシルヴィアは呟く。
「ああ、アキムが調理してからは多少マシになったがな」
「それでも不味かったよ。特に量がキツい」
と、アキムは焼いた芋をフォークで崩しながら答える。
「アイツの干し肉なら幾らでもあるぞ?」
不敵な笑みを浮かべ、再び肉を口を放り込む。
「……肉はしばらく要らないかな。できるなら野菜が良いや」
アキムは苦笑し、芋を口に放り込んだ。
「で、どうする?この状況」
そう言って切り出すと、シルヴィアは目を逸らした。
「えっと……私のせい、だよね……」
「ああ、多分な……こんな静かな酒場は見た事ない」
周囲を見渡すと、この街で働く男達はみな、口を噤んでこちらの様子を伺っていた。
「竜人、亜人救済の象徴にして、ストリクト教における神の御使……影響力はあると踏んでいたが、ここまで効くなんてな」
もし今の状況をアウレア式で例えるならば、酒場に翼の生えた天使が来たようなものである。
「……うぅ、恥ずかしい」
シルヴィアは鶏肉の丸焼きを頼んでいたが、手がまるで進んでいなかった。
「確かに街に入った時、凄かったな……」
フォークを使う事を諦めたアキムは、素手で芋をかじる。
「全員がお前に平伏した時は俺も頭を抱えたぞ」
「シルヴィア。俺も様付けで呼んだ方が良いかな?手遅れ?」
「……絶対にやめて。クリフもだよ?」
「以後気を付けるよ、シルヴィア様」
シルヴィアに軽く頭を叩かれる。
すると、酒場が騒ついた。
「あっ、違うんだよ?仲が悪い訳じゃなくて、むしろ私の家族とか、恩人っていうか、少しふざけただけで……」
彼女は立ち上がり、慌てた様子で店内の人々に弁明する。
「よせ、逆効果だ」
彼女の袖を引っ張り、席に座らせた。
「次からは隠すか」
「うん……なんか自分がやった訳でもないのに、複雑な気分」
「そうだな。そうだ、それについてはお前も自重しろよ」
と、アキムに向かって話し掛ける。
「俺?」
「ああ、人前でチペワの力を見せるな。分かってると思うけどな。俺も人前じゃ並以上の動きはしないつもりだ」
「分かった」
柔らかな焼きたてのパンを口に放り込む。混ぜ物のない小麦パンを食べていると、まるで貴族や上流階級にでもなった気分になれた。
「それでだ。今後の移動手段なんだが……汽車って奴を使おうと思う」
「キシャ?」
シルヴィアとアキムは目を細め、訝しむ。
「ああ、雪の上を走る巨大な鉄の馬車……なんと本国まで四日で辿り着くそうだ」
「それって凄いのか?」
「お前が距離の算数を知ってる訳無いか。そうだな、汽車を使わないと本国まで二ヶ月は掛かる」
「すっごい早いって事?」
「そうだ、シルフの全速力と同じだ」
シルヴィアは顔を青くする。
「また森を越えた時みたいなことしなきゃ駄目なんだ……」
「ああ、あれは最悪だったな。まあ汽車は大丈夫らしい、なんと寝室付きで、ここと変わらないくらい快適らしい」
「お金は大丈夫なのか?」
アキムは不安げにこちらを見つめる。
「ああ、それならケルスが払ってくれてた」
「へ?ケルスさん来てたの?」
「ケルスってあのケルス?」
「そのケルスだよ。この店に来る前に教会の神父に呼び止められてな、ケルスから汽車の予約をしてたと……アキム、お前の席もあった」
神父から貰った乗車券を取り出し、苦笑する。
「やっぱ神様って、何でも見てるんだな」
アキムは信心深そうに、祈る仕草を見せた。
「凄いね、ケルスさん」
「全くだよ。まあ、見てるならチペワもシバいて欲しかったけどな」
口に入れた肉をエールで流し込み、二人も料理を食べ終わったのを見て、席を立つ。
「ほら行くぞ、酒場で気を使わせるのも悪いからな」
「うん」
三人は席を立ち、クリフはカウンターの前に立つ。
「幾らだ?」
「お代は受け取れません」
__そんな気がしたよ。
店主と思わしき人物は、緊張しきった様子だった。そして、それを見て彼の意図はそことなく汲み取れた。
「あんたの名前は?」
「ヴァレリーです」
「そうか、ヴァレリー。ありがとう、この恩は俺からケルス陛下に伝えておくよ」
「ありがとうございます……」
刺青が入り、筋骨隆々の荒くれ者の外見をした店主は、緊張と慣れない敬語によって、外見とは対照的に、あまりにもしおらしくなっていた。
「良い料理だったよ。あんたに神の加護があらんことを」
クリフは片手を上げ、店を後にする。
「ヴァレリーさん、美味しかったです!」
シルヴィアが去り際にそう言うと、彼は深く頭を下げた。
「クリフ、なんだかかっこ良かったね」
「ん、まあな。隊長やケルスの真似だ、適当言わせるなら俺に任せとけ」
周りに聞こえない声量で呟き、店のドアを開く。外に出ると、店の前は無数の市民でごった返していた。
思わずシルヴィアを見つめたが、彼女も不安そうにこちらを見つめていた。
「どうしよう」
「これじゃ汽車に乗るまで、宿屋から出れそうにないな」
肩をすくめ、これからさせられるであろう事を考え、眉を落とした。
◆
白髪の鬼、クレイグは屋根の上からクリフ達を見下ろしていた。
「経過観察か……つまらねぇな」
「仕方ないだろ、ヴィリングから来た賓客だぞ、連絡が無いから監視するしか無い」
クレイグの背後の景色が歪み、そこから突然赤髪の青年が現れる。
全身を黒い合金製の装甲で纏ったその姿は、現在の技術体系とは掛け離れた防具と表現する他なかった。
「あのアキムとかいうガキが問題なんだよ」
クレイグは苛立った様子で片手に持った酒瓶を直で飲む。
「ウェンディゴを甘く見過ぎだ。幼体ならやりようもあるが、もしアレが成体になってみろ。この星の地表全てを戦術爆弾で焼き払う必要が出てくる。というより、それで死ぬかすら怪しい……改めてボスに進言するぜ、殺せと」
赤髪の男はため息を吐く。
「汽車の予約には、彼の名前があった」
「……最悪だな」
「悔しいが、この国はヴィリングに勝てない。もし彼が望んでケルス閣下の庇護を受けていたならば、手の出しようが無い」
「だろうな。この星を丸焼きにできる爆弾やマシンを持ってようが、炒り豆みたいに星を潰す魔神が相手じゃな……」
クレイグは隣に置いたカタナを手に取り、腰に差して立ち上がる。
「しばらくは様子見してやる。だが手を打たん訳には行かねぇ、不備の事故を装ってでも良い。アキムって奴の化けの皮を剥がすぞ」
「ああ、それとボスからヴィリングへ連絡を入れるよう催促しておこう」
「上出来だ。追って連絡をくれ、俺は少しアイツらを観察する」
「了解、伝えるよ。それと、今だけは拘束具の無いお前が頼もしいよ」
赤髪の男は、再び景色と全く同じ色へと変わり、透明になる。
「そうかよ。だがもし、戦闘になったら誤射は気にしないからよ、そん時は全力でケツ捲って逃げりゃいい」
そう言って酒瓶をあおるも、返事が無かった為、クレイグは再び街を見下ろした。
「クリフ・クレゾイル……偽物かと思ってたが、あの武器は間違いなく奴の得物だ」
彼は薄く微笑む。
「あのアードラクトの跡継ぎに会えるなんてな……あぁ、死合いてぇ……」
クリフに熱い視線を送った後、クレイグは全身を赤い霧に変え、その場から消え去った。




