2話「この世界は」
クリフは獣肉に豆と野草、それを塩で味付けした簡素なスープの具をスプーンで転がしていた。
肉の質は悪く、味も塩辛く野草のえぐみが鼻の奥を刺す。ただ栄養を摂るためだけの不味い夕食だ。
「……はぁ」
料理センスは壊滅的だった。繊細な料理より、砂糖を舐める方が好きな味音痴なのだ。
しかし、向かいの席で少女は目を輝かせ、椀をひっくり返すような勢いで飲んでいた。
「……美味いのか?」
作った側が聞くべきことでは無い。
「うん!」
彼女は屈託のない笑みを浮かべて喜んでおり、それに裏表は無いように思えた。
「……そうか」
思わず苦い顔をする。
呆れた訳ではない、不味い飯しか用意できない不甲斐なさから来たものだ。
竜人の味覚は人と違うのか、あるいは余程不味いものを食べて生きてきたのかもしれない。
「どれだけ逃げ回ったんだ?」
「二日間……かな」
「……美味い筈だよ」
乾いた笑いを上げ、歯ごたえの悪い獣肉ごとスープをかき込み、飲み込んだ。きつい塩辛さでえずきそうになるも、コップに入った水で胃に流し込んだ。
「なんで助けてくれたの」
少女は恐る恐る尋ねる。
「助けた訳じゃない。ただ、宗教とやり方が気に入らないだけだ」
「宗教?」
その意志は無意識のうちに、彼女に寄り始めていた。でなければ、会話などしない。
「亜人は例外なく殺せ、だとさ。この国にいる奴ら全員の常識だよ」
「……そう、なんだ」
彼女はショックを受けた様子で、服の裾をぎゅっと握りしめた。
「クソだろ?まあ、それを決めたカミ様もクソみたいに殺されて墓の下だ。良いザマだよ」
もし、この場に他の人間が居たなら、殴られても不思議ではない。
たった今、それだけのことを言った。
「あなたは、違うの?」
「まあな……戦争で大勢殺した。でも奴らは決まって、仲間を庇ったり、怒ったり、泣いたり、怯えたりして死ぬ。指輪やペンダントに、家族からの言葉なんて書いてあった日には、嫌な気持ちになったもんだ」
「ごめん」
少女は申し訳なさそうに謝った。
「喋ったのは俺だ。謝るな」
スプーンと食器をその場に置き、テーブルのランタンを見つめて思案した。
__さあどうする。
__逃すか、一緒に逃げるべきか。
スプーンを手の上で回しながら苦慮する。
__それとも殺すかだ。
暗い選択を思い浮かべるも、思わず苦笑する。
__殺せるならとっくにそうしてるか。
少女を家に招き入れて数刻。時間は過ぎるばかりで何も決められないまま、夜を迎えていた。一刻も早く決断しなければ、状況はより一層悪くなるのは明白だった。
「それで、どうするの……?」
少女はスープを平らげ、バツが悪そうに尋ねる。
「……決まってない」
彼女はより一層表情を沈め、俯く。床に垂れた尻尾が、彼女の心情を表していた。
ストレスから込み上げてくる胃の気持ち悪さを煩わしく思いながら、再び思案を巡らせる。
だが、どう考えようと答えが出ないのは分かっていた。結局のところ、気持ちの問題なのだ。自分がどうしたいかである。
考えているうちに、松明の燃える音と無数の足音を耳が捉えた。少女が昼間にこじ開けた穴のおかげで、話し声すらも聞こえた。
その内容は、耳を立てるまでもなく予想が出来た。
荒いノックでドアが揺れる。
「おぉい!クリフ、居るんだろ!!」
デニスだ。案の定、我慢出来ずに仲間を連れてやって来たようだ。
「寝室に居ろ」
「うんっ」
彼女は急ぎ足で部屋の奥へ消えた。
それに合わせて立ち上がり、扉の前に立つ。
__いきなり襲わないよな?
こればかりは、これまでの人間関係を信じる他なかった。右手で剣の柄を握りながら、左手でドアを開いた。
「よう、こんな夜分にどうした」
玄関には、松明と鋤を持った農夫が六人ほど集まっていた。
たかが農具と侮ってはいけない、鋤と呼ばれるシャベルやフォークに似たこの農具は、人に向ければ一転して優秀な凶器となる。
__ああ、やる気は充分みたいだ。
彼らは目をぎらつかせて殺気立っており、もし言葉を間違えれば手にした鋤でこちらを串刺しにするだろう。
「クリフ、悪い事は言わねぇ。そこの娘を寄越せ」
先頭に立ったデニスは、大柄な体格を活かして恫喝して来た。
「おい待てよ、昼間言っただろう」
「……お前を殺したくねぇ、下がれ!!」
「……クソ」
彼らはやはり、こちらを殺してでも少女を殺すつもりだ。いくら亜人への憎しみがあるとはいえ、あまりに異常だった。
だが、そのお陰で覚悟は決まった。
「奥に居るから好きにしろ。俺は酒を飲んで忘れるよ」
彼女を見捨てる覚悟をだ。
「悪いなクリフ、銭ならあとでくれてやる」
デニスは、憐れむような眼差しを向けた。
安っぽい善意が見透かされたようで、とても不快だった。
「いらねえよ……それと、殺すなら外で殺してくれ。血を掃除するのが面倒だ」
「もちろんだ、お前さんの手間は掛けさせねぇ」
近くの棚から酒瓶とコップを取り出し、コップに蒸留酒を注ぐ。
寝室から少女の悲鳴が聞こえる。農夫の一人が怒鳴ると、少女はくぐもった声でうめいた後、大人しくなった。
__殴ったな。
額に手を当てて毒づく。自分の手が震え、床に水溜りが出来るほど酒をこぼしていたことに気付く。
心が罪悪感で今にも折れそうだった。
__こうなると分かってたろ。
__俺の手で苦痛なく殺せば、痛い思いをせずに済んだ筈だ。
優柔不断を恨めしく思いながら、瓶をテーブルに乗せ、水浸しのコップを手に取る。
しかし、一向に口元へと運ぶ気が起きなかった。
「そんなに命が惜しいんだな……俺は」
顔を手を当て、絞り出すように呟いた。
後ろから農夫の足音がする。少女は最後尾で引き摺られているのだろう。
「全く、手間ぁ掛けさせやがって」
__振り向くな。
理性が警告する。少女の顔を見ればきっと、心に傷が出来るからだ。
ただ出来る事は、手に持った酒を一気に飲んで全てを忘れる事だ。
「嫌っ!!」
だが突然、少女は持ち前の力で農夫の手を振り払い、昼間に開けた穴に向かって走り出した。
その騒ぎに反応し、思わず振り向く。
だがその時には、農夫の一人が少女の右ふくらはぎを三叉の鋤で貫いていた。
彼女は勢いよくその場に倒れ、痛みのあまり絶叫した。別の農夫が木の持ち手部分で少女の顔を殴り、腹を突いた。
痛々しい嗚咽が聞こえ、パニックになり喚く。
それに耐え切れず席を立ち、少女の顔を凝視してしまった。
少女は泣いていた。
頬が痛々しく鬱血し、額と鼻から血が流れている。
__よせ。
__そんな目で俺を見るな。
__喋らないでくれ。
__頼む。
脳裏には、昔の自分自身の姿が焼きついていた。
彼女は、涙でうるんだ赤い瞳でこちらを見つめ、心の奥から叫んだ。
「助けて!」
瞬間、心にしておいた蓋が壊れた。
ため息をついてその場に俯き、剣の柄頭に手を乗せ、少女に向けてゆっくりと歩いた。
三叉の鋤で少女の足を抑えている農夫がこちらを睨む。
その眼差しには、恐怖が混じっていた。
「汚すなって、言ったよな」
「クリフ、お前何を……」
喉から吹き出した鮮血が彼の言葉を遮る、少女を殴っていた農夫が、状況に気付く事なく喉を抑えて倒れる。
気が付くと既に、剣を抜いていた。
その光景に少女と、三叉の鋤を抑えている農夫が唖然としていた。
「クリフっ!何してるお前ぇっ!!」
三叉鋤の農夫が我に返り、その台詞を言い切ると同時に、彼の首が床に落ちた。
一瞬にして斬り殺された二人の血が噴水のように吹き出し、壁を赤く染めた。
それを見た農夫たちは動揺し、農具を構える。
「これでいい……これで良かったんだ!!」
心境は、霧が晴れたように晴れやかだった。
「亜人の肩を持つのかぁっ!!このクソ野郎がぁ!!」
二人の農夫が鋤を槍のように構え、二方向から襲いかかった。
__少しは考えたか。
片方を避けても片方に殺される。無意識の行動とはいえ、良い判断と言える。
「てめぇらよりはマシだからな!」
後ろに大きく後ずさり、先程もたれていたテーブルを、農夫に向けて軽々と片手で投げつけた。
投擲されたテーブルは鋤を弾き飛ばし、重々しい音と共に二人の農夫に直撃する。
一気に踏み出し、テーブルごと二人の身体を剣で切り裂き、両断した。
斬られた二人は間の抜けた声を発し、半分に割れたテーブルと、彼らの半身が音を立てて床に落ちた。
鮮血が床を染め、不気味な静寂が部屋を包んだ。
「クリフぅ!!お前っ!お前ええっっ!!」
デニスが叫ぶ。
残された二人の顔は歪み、壮絶な仲間の最期を見て、恐怖の色を見せていた。
だが、命のやり取りの場に立った以上、慈悲をくれてやるつもりはない。
床を蹴り、デニスの元へと一気に距離を詰める。
彼は悲鳴と共に農具を前に構える。剣の攻撃を防ごうとしたのだろう。だが恐怖で目を瞑り、攻撃が来る前に構えたのでは意味が無い。隙を晒す自殺行為だ。
「悪いな」
剣を振り下ろし、農具ごと彼を真っ二つにした。返り血を気にする事なく踏み出し、最後の一人へと歩を進める。
最後に残った農夫が、こちらの恐ろしい姿を見て、絶叫しながらドアへ向かう。
デニスが持っていた四つ又の鋤を拾い上げ、逆手に持って投擲した。
「そう、チャーリー。思い出したよ」
鋤は放たれた矢のように、一切ぶれる事なく直進し、最後の農夫__チャーリーの頭を貫いた。
巨大な農具が頭に刺さった彼は、糸が切れたように倒れ、ドアのすぐ側で倒れた。
「お前には妻子が居た」
息絶えたチャーリーを冷たく見下ろしながら剣に付いた血を払う。
「娘が居ただろ、よくもこんな真似が出来たな」
木目状の模様を持つ鮮やかな刀身が、ランタンの光に照らされ、鈍い輝きを放っていた。
__やっちまった。
周囲の状況を再確認し、内心頭を悩ませた。
しかし、後悔はなかった。
剣を納刀して深く息を吐き、気持ちを整える。
「もう大丈夫だ」
口調をなるべく落ち着かせた上で、少女の目の前へと歩く。
しかし少女は、この一瞬に起きた出来事に唖然とし、言葉を失っていた。
「我慢しろよ」
彼女の足に刺さった三又鋤に手を掛け、一気に引き抜く。苦しそうに少女は呻くも、思ったほど痛みを感じていないようだった。
恐らく痛みが麻痺している。
彼女の前でしゃがみ、頬に触れながら顔色を確認する。
「斬られて腹からモツを出した奴よりマシな顔してるよ。大丈夫だ」
冗談めかして笑い、励ます。
仲間の死を戦争で嫌というほど看取ったせいで、死にそうな人間とそうでない人間のおおよその区別が付いた。
「待ってろ、強い酒と包帯を取ってくる」
もう農夫たちを殺した以上、ここに居ても待っているのは処刑台だ。
だが後悔はなかった。
少女を連れ、世界の果てまで逃げるしか道は残されていない。
「殺したの……?生きてたのに」
立ちあがろうとした時、少女が発した言葉は、非難だった。
その言葉が癇に障り、彼女の胸ぐらを掴む。
「ふざけるんじゃねえ!言葉で解決できなくなったからこうなったんだろうが!!いいか、この世界はお前が思う程平和でもなければ……クソっ、悪かった。忘れてくれ」
怒りがピークに達する前に、冷静になる。
手を離された少女は、呆然としていた。
「俺がさっさとお前と逃げていれば、こうならなかった。悪いのは俺だ、気にするな」
「……でも、ありがとう」
彼女は震える声で答えた。
「ああ」
理想論に厭戦主義は嫌いではない。しかしそれを貫くには、この世界はあまりにも残酷過ぎた。
__そう、間違ってるのは俺だ。
そう言い聞かせて棚を漁り、蒸留酒と縫合針、それと包帯を持って来る。
しゃがみこみ、彼女の足を確かめた時だった。
「マジかよ」
傷口は塞がりかかっていた。
「あー……一応、な」
その傷口に酒を注ぎ、包帯をすこしきつく巻く。
「どうして、助けてくれたの?」
包帯を巻いていると、彼女が掠れるような声で聞いて来た。
少し間を置き、溜息を吐いた。
「……そうだな、お前に死んで欲しくなかった。なんの罪もない小さなガキが、酷い死にざまを迎えるのが耐えられなかった……お前を守ってやるよ。絶対にだ」
「会ったばっかりだよ……?」
彼女はチュニックの裾を握り締めた。
「昔、似たような目にあった亜人を見たんだよ。それ以上は聞くな、包帯を剥がされたくなければな」
救えて安堵はしている。だが探られたのは少し、少しだけ不快だった。
「……うん」
少女は納得が行かなさそうだったが、素直に黙った。
包帯を結び終えたクリフは立ち上がり、彼女に手を差し出す。
「立てるか?」
「ありがとう」
彼女は手を取る。
手が触れた瞬間黒い光が弾け、破裂音が室内に響き渡った。
「魔法っ……!?」
静電気にしては大き過ぎる音だった。反射的にその場から飛び退き、少女を凝視する。
「痛ぁ……あっ、えっ、私何もしてないよ!?」
彼女も想定外だったようで、慌てて弁明していた。
「もう一度、確かめるぞ」
ゆっくりと近付き、片膝をついて彼女の手を取る。
今度は何も起こらず、年相応の柔らかな手の感触が帰ってきた。
「何だったんだ」
「分からない……」
少女の手を取って一緒に立ち上がる。
そして、転がった死体をまたいで外に出た。
「逃げるぞ。この国から」
「……分かった」
井戸水を汲み、血を洗い流す。
そして家に戻って狩りの道具に保存食、野営用の道具を袋に詰めた。
部屋の隅のドアを開けると、拡張した馬小屋と繋がっていた。
中では、芦毛の雌馬が先程の騒ぎなど知らないと言わんばかりに眠っていた。
名をシルフ。義父が現役時代から使い込んでいる老馬だ。
並の馬と比べても持久力がずば抜けて良く、遠出の際には使っている。
「起きろ、シルフ」
呼びかけると彼女は気怠げな鳴き声をあげ、身体を起こした。
「よしよし」
馬の鼻下に手を伸ばし、匂いを嗅がせてから声を掛け、ゆっくりと撫でる。
壁に掛けてある鞍を被せ、先程用意した鞍袋をそこに取り付けた。
「わぁ……!」
少女はシルフに歩み寄り、頭を撫でていた。
__塞ぎ込まないのは助かる。コイツなりの強がりだとしてもな。
彼女は賢い。少女が多少撫でたくらいでは噛む事は無いだろう。
荷物を全て載せ終わった事を確認して、二人を外に出した。そして村人が持っていた松明を再度点火させ、家のベッドに放り投げる。
それらは瞬く間に大きな炎となり、音を立てて燃え上がった。
あと数分もすれば火は家全体に広がるだろう。そして少し歩き、家の裏庭にある小さな墓の前で屈む。
「悪いなオヤジ。最高の家だったよ、先に地獄で待っててくれ」
家を譲ってくれた義父への謝罪と感謝を呟く。
「……伝わってくれると良いんだが」
そして一本のナイフを取り出し、墓石の裏に文字を刻んで、二人の元に向かった。
シルフに乗りあがり、少女に手を差し伸べようとするが、彼女は軽やかな身のこなしで飛び乗り、目の前に座った。
「そうだな、お前は竜人だった」
苦笑しつつ、シルフに合図を送って走らせた。ふと空を見上げると、満天の星空が輝いていた。
「こんな時に限って綺麗だ、憎たらしいな」
「それでも、綺麗な空だよ」
「そうか……ああ、そうだな。月明かりのお陰で周りもよく見える」
暫くの沈黙が続いた後、はっとする。
彼女には記憶がない。当然、呼ぶべき名前すらも無かった。
ゆっくりとシルフを走らせながら、空を眺めて名前を考える。
エイダ、セシリア、コリーン、シンシア……思いつく限りの女性の名前を思い浮かべる。
その中で、語感が好ましいものを取捨選択し、ようやくふたつに絞れた。
「おい、ずっと呼び名が無いのも不便だと思わないか?」
「うん」
「思い付いたのは二つだ。テレシアとシルヴィア、どっちが良い?」
少女は考えるそぶりをして、悩む。
センスが無く、何の変哲も無い名だが、自分にはこれが手一杯だった。
「えっと、シルヴィアが良い!」
「そうか、じゃあよろしくな、シルヴィア」
「うん……!」
少女改めシルヴィアは、自分の名前が決まったのが嬉しかったのか、出会ってから一番の笑みを浮かべた。
そんな姿を見て、つられて柔らかな笑みがこぼれた。