18話「遺品」
クリフの腰にかけたランタンが淡い光を発する。
アウレアの一件で魔力の勘を掴み、素人レベルではあるものの、魔力を操作できるようになっていた。余人から見れば微弱なそれを練り上げ、身体に纏わせる。
簡易的な鎧代わりだ。
「獣臭は血の臭いでマスキングされてるな。意図したものか、偶然か……」
鼻をつまみたくなる衝動を抑え、耳を澄ます。
今は少しでも情報を取り込みたかった。
だが耳にするのは自身の足音だけで、手掛かりは一向に見当たらなかった。
「……あ?」
首筋がくすぐられるような感覚を憶え、後ろに軽く飛び去る。それは、経験によって培われた″勘″だった。
先ほど居た場所の真上を見上げると、天井には3mもの大男が張り付いていた。その生き物は黒く滑った身体をしており、臓物のような毒々しい肉質と光沢を放っていた。
そしてなによりも目を引くのは、ヤツメウナギのような頭部で、物欲しそうに口元を動かしていた。
「エンプーサ、吸血鬼の仲間か」
エンプーサは、凄まじい勢いで天井を這い回り、更に奥へと消えて行った。
「良い獲物だ……って」
それを見て思わず頰を緩ませた。しかし、すぐに顔を引き締める。
「クソ、悪い癖だ。もうカネを集める必要も無いのに」
金ではなく、命と安全が最優先だと自分に言い聞かせる。
「今はあいつが居る。待ってくれる奴が、居るんだよ」
矢の入った弾倉を外し、ボルトガンの弾頭を付け替える。
「一発しか無いが……コイツ程効く相手もそう居ないだろ」
先端にカラフルな巻紙が付けられたそれは、ヴィリングの雑貨屋で買い付け、矢として使えるように改造したものだ。
「光と音は好きだろ?祝砲だ、受け取れ!!」
矢に取り付けられた導火線に火を付け、発射する。洞窟の暗闇へ矢が消えた瞬間、洞窟の中は色とりどりの閃光に包まれた。
同時に複数の炸裂音が洞窟内に響く。
放ったのは、花火だ。
打ち上げ用の花火をこれでもかと矢に詰め込んだそれは、洞窟の奥で息を潜めていたエンプーサを炙り出した。
目を覆い、凄まじい叫び声を上げて、天井から転げ落ちる。
「おお、凄いな……アキムがバックパックを投げなければな……クソ」
ボルトガンの弾倉を再び装填し、連射した。亜音速で放たれた矢は、エンプーサの巨躯に次々と突き刺さり、肉を裂いた。
のべ三十発の矢が打ち切られた後、ボルトガンの連射機構が空転し、金属音を鳴らす。
弾が切れたそれを手放し、床に落とした。
__死なないか。
エンプーサは全身から凄まじい量の血を噴き出しながら、こちらを凝視していた。
輪状の歯を鳴らしながら、怒りの形相を浮かべ、一気に距離を詰めて来た。
剣を引き抜いて構える。
「来い、ディナーにしてやる」
化け物を相手に、能動的に仕掛けるのはやや怖い。カウンターを念頭に、相手の機微を捉える。
エンプーサは拳を固めて殴り掛かる。それに対し、あえて前進しながら回避し、相手の懐に入り込む。
密着されたエンプーサは、その巨大な口を開き、噛み付く。
しかしそれよりも速く剣を突き上げ、下顎から頭頂部を貫いた。
そのまま剣でかき乱すようにして、剣を横に振り切る。エンプーサは震えていたが、まだ動こうとしていた。
__脳を外した。
すかさず、左手でエンプーサの頭に触れた。
〈__黒減〉
その瞬間、掌から黒い波動が微かに放出される。エンプーサは眠たげにふらつき、脱力した。
その僅かな隙を逃さず、身体を捩りながら剣を大きく振り、遠心力に任せてエンプーサの首を切り飛ばした。
大きく息を吐いて、剣についた血を払う。
仕留めたエンプーサを後にし、洞窟の奥へと進む。
「つがいは無さそうだ……ああ、クソ」
巣の入り口を見つけると、すぐ側で死体が転がっていた。
__こいつを引き摺ってた訳か。
その死体は、アキムとよく似た格好をしていた。
恐らく男に見えたが、殴打によって顔が潰れており、識別は難しかった。
「アキムには……黙っとくか」
まだ温かった彼を無視して奥へと進む。
すると、ミイラ化した三つの死体を見つけた。
この寒冷地では、死体が腐ることが無いのだろう、一部の死体は相当昔のものであるように思えた。
そのうち二つは身体の大部分が欠損していたが、顔の識別は出来た。しかし、3人目と若い死体に至っては、頭が根本から無くなっていた。
「確か……生きたまま脳を啜るんだったか……誇張かと思ったがこれは……酷いな」
毒づいた後に死体を漁り、彼らの懐にある硬貨を回収する。
「悪いな、駄賃に貰ってくぞ」
謎の建物がかたどられたそれは、造形の精度が高く、ジレーザの技術力を感じさせた。
そして、死体が付けていた指輪や靴を回収する。
「だがこいつは、遺族に届けてやらないとな」
三つの死体からひとしきり回収したのち、一番古いものと思われる三つ目の死体に近付く、首のない死体には、ロケットペンダントが掛けられていた。
それを手に取り、蓋を開ける。
__|Я люблю тебя и всегда буду.《愛してる、これからもずっと》
ペンダントには、愛の言葉が彫られていた。
複雑な表情を浮かべてペンダントを眺めたのち、片膝を付いて軽く祈った。
「お前の生きた痕跡は、俺が届けるよ。だからお前は、お前が信じる神の元に行ってこい」
亜人たちの信仰は分からない。しかし、祈ることだけは出来た。
◆
洞窟の入り口に戻ったクリフは、エンプーサの死体を引き摺りながら二人の元へと戻る。
「お前ら、夕食が見つかったぞ」
「……えっ、なにそれ」
「この洞窟の先住民だ、多分食えると信じたい」
「ヒトをやったのか……?」
「こんなキモい人間が居てたまるか」
そう言ってクリフはエンプーサをその場に転がす。
「触ってみて良い?」
「ああ」
シルヴィアはエンプーサの前でしゃがみ、白く毒々しい見た目の皮膚に触れる。
「うわっ、ブヨブヨしてる」
クリフは人差し指を立て、アキムに静寂を促す。そして、隠し持っていたエンプーサの生首を、シルヴィアの耳元に押し当てた。
「へ?ひえぁぁぁぁっっっ!!?」
シルヴィアは咄嗟に拳を振り上げ、彼の顎を打ち抜く。
クリフは膝から崩れ落ち、首を手放す。
「わっ、えっ……あああああ!!!」
目の前で落下した生首を受け止めてしまった彼女は、洞窟の出口に向かってそれを全力で投擲した。
「シルヴィア待っ……!」
しかし、その軸線上に立っていたアキムの顔面に、生首が直撃した。
彼は大きく仰け反り、大の字になって倒れた。
「ああっ……ごめんっ!違うの!当てようとした訳じゃ……」
シルヴィアは慌てて彼の元に駆け寄る。
クリフは痛む顎に手を当てながら立ち上がり、笑みをこぼした。
「昔を思い出すな……」
アキムが起き上がった後、クリフは雪を溶かして作った水とエンプーサの肉を使って、簡易的なスープを作っていた。
「さて、味はどうだろうな」
ライターの上に乗った鍋にナイフを入れ、小さな肉片を刺して取る。
「色はマシだが……どれ」
やや黒い色合いの肉を口に入れ、咀嚼する。
「うん……まあ、そうなるよな」
クリフは眉を落とす。
「私も」
クリフがシルヴィアに肉片を与えると、彼女もまた、眉を落とした。
「固いね」
「ああ、生の干し肉だってもっとマシだ」
「もうちょっと煮る?」
「いや、いくら煮ても一緒だ。そんな気がする」
クリフは灰汁を取って鍋に塩を放り込む。
そして恐ろしく硬いパンを細かくちぎり、それも鍋に入れた。
「……俺特製シチューだ」
謎にとろみのあるシチューを木皿によそい、床に並べる。
「ほら食えよ」
木皿をアキムに差し出す。
「……ありがとう」
彼はスプーンでそれを口に運んだその時、目を見開き、むせた。
「辛っ……!?」
クリフとシルヴィアは空目し、二人はシチューを口に運ぶ。
「そんなに辛いか?こうでもしないと臭くて食えないだろ」
「ちょっと辛いかも……?」
シルヴィアは首を傾げる。
「普通じゃない……!こんなに塩摂ったら……病気になるって」
アキムは咳き込みながら抗議する。
「不味いとは思うが……そんなにか」
クリフは氷を追加で投入し、肉も入れた。
「それと、肉と塩で味付けしたのはシチューって言わない……」
彼は目尻に涙が浮かぶほど咳き込んでいた。
「ウチじゃそう言うんだよ」
クリフは不服そうに、レードルで鍋をかき混ぜながら、シチューを飲み干す。
「……ったく。悪かったな、俺のお袋と親父が飯マズでよ」
「私は好きだよ?」
「ありがとな」
クリフは苦笑し、塩分を薄めたシチューのようなものをアキムに渡した。
「よし、次から俺に作らせてくれ」
アキムはシチューを勢い良く飲み干し、ひきつった笑みを浮かべた。
「ところでアキム」
クリフは椀を床に置く。
「チペワに寄生されて、大丈夫なのか?」
それを指摘され、アキムははっとする。
そして、傷が完治した右腕を揉んで確かめていた。
「多分……大丈夫?だと思う」
「そうか、通りがかった村にもチペワの事を伝えないとな」
アキムは手を挙げる。
「その必要はないかも」
彼は口元に手を当て、少し思案する。
「チペワの居る場所が何となく分かるんだ……ここじゃなくて、もっと南側、森っぽい場所に居る……」
「セジェスか?」
「……多分」
その返事に、クリフとシルヴィアは肩の力が抜ける。
「もっと早く言ってくれ……」
◆
美しい白のドレスに身を包んだ金髪の女性が、庭園に立っていた。かつては多種多様な草花が咲いていたそれらは、今は黒ずみ、枯れていた。
「兄さま!私はこんな事認められません!どうして!!」
庭園の中心では、金髪の大男が、折れた樹に腰を下ろしていた。
「……全てに飽きた。エル、それで納得するか?」
彼は冷たい眼差しでエルと呼ばれた女性を見下ろした。
__またこの夢か。
以前と違い、クリフはこれが夢であると認識出来た。
__エルと呼ばれる女、そして兄さま。コイツらは何だ?
思案する内にも、彼らは夢の出来事を紡ぎ始める。
「それと私の子を壊す理由が結び付かない!」
エルは眼前に一振りの剣を召喚する。
独特な形状のグリップをしていたが、それ以外に取り立てるべき特徴のない、普通の剣だった。そして全身を光で包み、ドレスから純白の鎧へと装いを変える。
知らないデザイン、しかし高度な技術によって構成されたそれは、今より数百、数千年先に作れる代物に思えた。
しかし、兄さまと呼ばれた男はそれを見てため息ついた。
「そう、それが今お前が紡げる限界だ。貧相で、多様性と可能性に欠ける……神としても、創作者としても落第だ」
彼は腰を上げ、倦んだ表情で彼女を見下す。
「俺たちの創造物に自主性を持たす意味が何処にある?初めは愚かで、進歩が見られたと思えば変化に乏しくなる。退屈で、想定の域を出ない愚鈍なものを、何故そこまで擁護する?理解できんな」
エルは激昂し、剣を構え、突撃する。
そして彼女の振り下ろした一撃を、彼は右腕で軽々と受け止めた。
「奴らの生きた証を、その艱難辛苦を煮詰めて俺たちを高めよう。ヒトに、価値など無い」
「嫌だ!私はあの子達の生活を守りたい、笑顔を!未来を護りたいんだ!!」
彼女が叫び、刀身に魔力を流し込んだ瞬間、黄金の光に包まれ、景色の全てが塗り潰された。
すると、洞窟の中で目が覚める。
火の番の最中、つい眠ってしまったようだ。
アキムとシルヴィアは毛布に包まって眠りについていた。
「アレは……神々の喧嘩か?まあ、チペワに頭をカチ割られても死ななかったんだ。過去の歴史を知れても不思議じゃないか」
夢の中で、エルが言った言葉を思い返す。
そしてその中の言葉を思い、蔑んだ笑みをこぼした。
「神サマ、笑顔と未来は守れたか?」
火に薪を足す。
しかし、燃料が尽きそうになっていた。
雪が吹き荒ぶ入り口を見ると、アキムが寝ていない事に気が付いた。
「アキム、来いよ」
隣の床を叩き、座るよう促す。
寝袋から立ち上がった彼の目尻には、涙の跡があった。
ものを言わずに隣に座った彼に、ポットで沸かしていたお湯をコップに注ぎ、蜂蜜と香辛料を入れ、鉄製のスプーンでかき混ぜる。
「ほら飲めよ、シルヴィアには内緒だ」
「……うん」
アキムは元気が無い様子で、コップを受け取る。
「俺も昔、家族と村をオーガに焼かれた」
「……え」
彼は呆気に取られていた。
「だから分かるよ。何もしてない時、気持ちが空いた時にさ、後悔と悲しみが来るんだ」
素手で燃える薪の端をつつく。
「俺はしばらく一人だったから、あまり泣く余裕が無かった。そうしてるとさ、家族が死んだ事で涙が出なくなってた」
「……そう、なんだ」
彼は俯く。
「ああ。それに気付いた時、悲しかったよ。だから、今のうちに泣けるだけ泣いとけ。今だけは誰も、お前を笑わせない」
そう言うと、アキムは大粒の涙を溢し始めた。
「さて、俺は薪でも切って来る」
泣いたアキムをよそに席を立ち、コンパスとロープを握り締め、洞窟の出口に立つ。
そして懐から、拾ったロケットを取り出す。
「酷過ぎる、この世界は」
うんざりした声色で、呟いた。
ひとくち魔物図鑑.6
「エンプーサ」
種目:悪魔属、吸血鬼系
体長:3m
生殖方法:無性生殖
性別:性別無し
食性:肉食
創造者:魔神第1席イステア・フェルカルバス
吸血鬼達が暮らす領域にて息づいている存在。
基本的に、吸血鬼が廃棄した血液を下水道で啜っており、かなりの悪食である。
向こうではネズミ程度の存在であり、吸血鬼達の家畜を襲う為、害獣扱いされている。
魔界では襲った獲物を骨すら残さない程の生き物だったが、こちらに住み着いた際に、食糧に困らなくなった事で、偏食家となった。
基本的に脳髄を生きたまま啜る事が多く、満たされない場合には他の臓器を抜き取って腹を満たしている。
また、目が退化しており、聴覚を頼りに、口から発せられる超音波でコミニュケーションと獲物の探知を行っている。
余談だが、肉質は砂肝に似ており、セジェスでは珍味としての需要がある。




