15話「チペワチペワ」
「ここか……?」
クリフは、遠眼鏡を使ってアキムの村を眺める。
住民達は普通の日々を過ごし、長い体毛を持った牛が、巨大な木樽を引いて村の中を歩いていた。
積もった雪が日差しによって反射し、村全体を照らす事で、どこか暖かな印象すら覚えさせられた。
単なる観光であれば、煙突を無くしたピザ窯のような形状をした、粘土製の家屋にぜひ訪れてみたい程だった。
「化け物がやって来たにしては、随分と長閑だな」
苦笑し、アキムを見つめる。
「そんな筈は……確かにみんな殺されて……」
戸惑う彼に遠眼鏡を貸す。
「ああ、だから怪しい。水を背負ったまま歩き回るだけの牛」
村を指差す。
「防寒着を何度も付け直す大人たち……か?」
アキムの背中を叩く。
「正解だ。アイツらは同じ事を繰り返している。魔法で洗脳されたと考えたいが……妙だな、嫌な予感がする」
アキムはじっくり村を眺めていると、何かを見つけたようで、身を乗り出す。
「母さん!!!」
彼は叫び、我を忘れて走り出す。
「おい!クソッ!!」
アキムが勢いで投げ捨てた遠眼鏡を受け止め、近くに置いたバックパックへ雑に詰める。
「シルヴィア!そこで待ってろ!」
「うん!!」
全力で走り、アキムを追う。
しかし、彼との距離は一向に縮まらなかった。
__どうなってる!?コイツはただのドワーフだろ!?
ドワーフは、外見こそ人間と同一であるものの、魔力が一切扱えず、ハイヒューマンといった上位種も存在しない。
つまり、劣った種族である。
「アキム!止まれっ!!」
静止は虚しく、彼はまるで何かに操られたように走り続け、振り向くことすらしなかった。
彼は村の入り口を通り抜け、通り掛かる村民を無視して母親の元に辿り着く。
「母さん!!」
アキムが母を抱き締める。
「良かった、無事で……」
「アキム」
彼の母は微笑を浮かべ、振り向く。
その笑みは、あまりに異質だった。
情緒がなく、まるで、まるで死体の顔を捻って動かしたような……
「アキムッッッッ!!!そいつから離れろッ!!!」
底冷えするものを感じ、絶叫する。
「え?」
ようやくアキムが振り返った瞬間、彼の母親の顔はピンク色に染まり、一瞬で人の姿を崩し、触手の化け物へと姿を変える。
「アキム、アキム、アキム、アキム、アキム、アキム」
触手がアキムを包もうとした瞬間。
彼の母だった化け物に目掛けて飛び掛かり、両足で顔を蹴り飛ばした。
化け物は勢いよく吹き飛び、壁に叩き付けられる。
「っ!悪趣味だろうが!」
懐からボルトガンを引き抜き、爆弾付きの矢を発射した。化け物の肉に矢が突き刺さり、時間を置いて爆裂する。
怪物は細かい肉片となって砕け散って燃え上がり、それら一つ一つが甲高い悲鳴を上げ、程なくして沈黙した。
「あ……あぁ……!!」
消し炭となった母だったものを見て、アキムは顔を歪める。
「クリフ!母さんはまだっ!!」
彼はこちらに向き直り、睨む。
その態度を見て、躊躇いなく彼の顔を殴った。強い衝撃で彼はバランスを崩し、雪の上に倒れる。
「馬鹿野郎!!お前は命を託されたんだろ!!なんでこんな事をしてる!?ちっせえ頭回して、生きろよ!!!」
返事を待たず、憔悴しきった彼を担いで村を駆け抜ける。
村に居た住民も全て、触手の化け物に姿を変えており、建物すらもピンク色に変色しては、こちらに触手を伸ばしてきていた。
「クソッッ!どうなってる!!」
幾つもの怪物を前にして来た。
しかし、いくら何でもこの光景は怖かった。
村の出口にたどり着いたその時、目の前に、シカの頭骨を被った大男が降ってきた。
頭骨以外の全身が赤い触手で形作られており、その眼窩の中からは無数の瞳がこちらを覗いていた。
そんな相手の風貌を見て、即座に決断した。
剣を握り、アキムに囁く。
「俺が隙を作る、その間に逃げろ」
「でも……」
「行け!俺が言った事を忘れたのか!」
怒鳴りながら、ボルトガンを引き抜く。
「やった、なかま、つれてきた、なかま、ふえるね」
ボルトガンを怪物に斉射する。
音速で放たれた矢は怪物に直撃し、鮮血を吹き出しながら、強烈な衝撃が肉を揺らす。
しかし、身体を形成している触手がたわみ、蠢いては衝撃を無効化し、身体に刺さった矢を侵食して、体内に飲み込んだ。
__知性がある。しかも銃の直撃を無効化した。なら……
爆薬付きの矢を装填し、根元に火を付ける。そして銃口を怪物ではなく、その足元に向け、発射した。
矢が地面に刺さると同時に爆裂し、怪物の足場を崩し、転倒させた。
雪と土の混合物が舞い上がる。
その中で辛うじて見えた怪物は、爆発のダメージを殆ど受けていなかった。
そう感じさせる程、驚異的な速度で身体を再生させていた。
「行け!!」
アキムに逃げるよう指示する。
彼が走ると同時に走り出し、怪物へと剣を振り下ろす。土煙の中、怪物は右腕を巨大な剣へと形を変え、攻撃を受け止める。
__形まで自由かよ!
圧倒的な膂力によって剣が弾かれる。
僅かな間合いが開いたその時、ヒト型の怪物は素早く立ち上がり、巨大な肉剣を力任せに振り払う。
受け切る事は不可能だ。
剣の側面で受け止め、微かに剣を傾ける。
その攻撃の軌道を逸らし、距離を詰めた。
「戦いはシロウトだな」
怪物を三度切り裂く。
そのまま彼を蹴り飛ばし、宙返りをしながら後ろに飛び下がる。
着地と同時に、背後から寄って来ていた触手の化け物を切り刻む。が、死なない。
切り落とされた触手は、元気にのたうち回った後、単体で動き始めたのだ。
「急所が無いっ……!?」
困惑し、頭を悩ませる。
普通、一度寸断された体の部位は機能を停止する。しかし、切り落とされた触手は、まるで知性があるかのように、ひとりでに動いていた。
「やめて、チペワを、いじめないで」
ヒト型の化物は名乗り、抗議する。
「は?」
呆気に取られたその時、チペワの分体達はお構いなしに襲って来た。
「空気読めよ!!」
素早く剣を納刀し、両腕に魔力を込める。
__実戦で使うのは初めてだ、上手く行けよ!!
腕から漆黒の光子が放出される。
それは一年前、アウレアの闘技場で発動した魔法と、全く同じものだった。
拳を振り抜き、分体達の中心部を貫く。
腕が侵食されることはなかった。
拳から絶えず放たれる漆黒の光子が、彼らの活動を阻害していたからだ。
〈__黑減〉
そして、手の内から漆黒の波動が一気に溢れ出した。チペワの分体は、黒ずんだ赤色へと変色し、ぐったりして動かなくなった。
拳を引き抜き、腕についた血を払う。
「これならお前に効きそうだな」
勝機が見え、笑みをこぼす。
遠くを眺めると、アキムは無事に村から脱出しており、シルヴィアの元へと走っていた。
「チペワが、しんだ、ひどい、チペワが、かわいそう」
そんなチペワの反応に顔を顰める。
「チペワチペワと。なんだ?お前、殺しに来たのはお前の方だろ」
ヒト型の魔物は、首を傾げる。
「チペワは殺さないよ。チペワは増えてるだけだよ」
「あ?思いっきり殺してるだろうが」
「……?チペワになっただけだよ?」
彼は心底分からない様子で言い切った。
「……そうかよ」
__こいつらは全て同一人物だ。何の悪意もなく、無差別に寄生しては、ただひたすらに繁殖する。それが宿主にとっても最善であると信じて疑わない……最低最悪の寄生生物だ。
この瞬間から、目的は切り替わった。
__黑減は燃費が悪い。この場にいる全員をぶっ殺すのは無理だ。最善は逃げる事……だな。
この一年、仕事の無い時にコツコツと魔力の操作と魔法を練習したが、この場の生物全員を倒せる自信が無かった。
「来いよ、お前に死ぬ怖さを教えてやる」
再び剣を引き抜き、戦闘態勢を取った。
◆
シルヴィアは遠眼鏡を使って、クリフの様子を見ていた。
「どうしよう……」
シルヴィアは困り果てた様子で頭を抱える。
そんな時、アキムが鬼気迫った様子でこちらに走って来た。
「シルヴィア!クリフが!!」
「分かってる!けどっ!!」
シルヴィアの意図は、アキムへ十分に伝わった。
二人とも、弱い。恐らくクリフの元に駆け付けても、足を引っ張るだけだろう。
「っ……何か、何か無いのかよ!!?」
アキムはバックパックから何か使えそうなものはないか探す、様々な道具をひっくり返しながら、漁る。
それを見て、シルヴィアも一緒に漁り始めた。几帳面に詰め込まれた道具や食糧、野営道具を近くに投げ捨て、役に立ちそうなものを必死に探す。
そうしていく内に、最低限使えそうなものを手に取り、服に引っ掛けて立ち上がる。
アキムはシルヴィアを担いで、走り始める。
「アキム!!?どうしてそんなに?」
彼はシルヴィアを遥かに上回る速度で走り出していた。
「分からない……けど、もしかしたら俺はもう……!!」
アキムは焦燥した様子で、苦しそうな顔を浮かべていた。
シルヴィアは、何処か危うい決意と焦燥感に駆られる彼に対して、かける言葉が見つからなかった。
「……不味いな、ウェンディゴか」
二人が先程まで居た丘の上から、青白いドレスを着たオネスタが見下ろす。
「クリフにはまだ荷が重いな。それに、ジレーザに干渉されると面倒だ……」
オネスタは魔力を放出し、大気を歪ませる。そして、手の平から多量の水を放出した。
〈__痳毒〉
飛び出た水は蠢き、隆起して、馬のような形状へと形を整える。
そして水は紺色の魔力に包まれ、強い光を発する。
「あの子が怪しんで逃げないと良いのだけれど」
光が収まると同時に、水は一頭の白馬へと姿を変える。
「シルフ、次はもっと上手くな」
既に馬具も取り付けられており、シルフはやる気を示すかのように鼻を鳴らす。
「じゃあ行ってこい!」
彼女はシルフの臀部を平手打ちした。
そうしてシルフは勢いよく走り出し、クリフ達の居る場所へと向かった。
ひとくち魔物図鑑.5
「ウェンディゴ」
種目:粘体属
体長:3mm〜∞
生殖方法:単為生殖
性別:性別無し
食性:雑食
創造者:魔神第10席アナキテスマット・レムラハマリアヌート
・魔界に存在する寄生生物。分裂して間もない頃は、生物の死骸や生物を乗っ取り、増殖しながら活動する。成体になると、決まった生物の形を取り、生殖能力を獲得する。
これによって、凄まじい速度で有機物、無機物に寄生、侵食して、増えようとする。
独自のネットワークを構築しているようで、分裂した個体とどれだけ離れていようと意思疎通が可能である。
再生能力に限界は無く、魔法を使って栄養補給をする為、食事を取らずとも半永久的に生き続ける事が可能。
従って物理攻撃に対してはほぼ無敵である為、討伐の際は爆薬や燃焼武器が必要となる。
余談だが、誕生して間もないウェンディゴは骨や死体を操って行動する為、永らく死霊属として誤分類されていた。




