147話「いざ暁国へ」
暁国とハースを繋ぐ大橋。
渡り切るのに丸1日を要するその橋は、途方も無いほどの大きさを持った材木を組んで、海の上に建っていた。
「なあテルツナ、少し詮索して良いか?」
クリフとテルツナが並走し、その後ろをシルヴィア達が歩いていた。
「ああ、構わぬよ」
彼は明るい声音で答えた。
「お前、碧雲の嫡男だろ?次男だと思ったが……御留流を覚えて、家紋も隠してない。勘当されてないなら、何があった?」
クリフは歯切れが悪そうに尋ね、その質問に照綱は眉を落とした。
「……笑わないでくれぬだろうか?」
「ああ」
「アイゾーン様に一目惚れしたのだ」
そんな回答にクリフは微笑む。
ようやく、彼という人間の輪郭がハッキリしたように思えたからだ。
照綱の背中を叩いた。
「気に入ったよ。俺に噛み付いたのは惚れた女への意地だった訳だ」
クリフは、瀕死のテルツナに背中を刺された事を思い出した。
「……不意打ちだった。あれは、恥ずべき行為だ」
「勝てばそれで良いんだよ」
クリフは、苦々しく答えるテルツナの肩を叩いた。
「負けたではないか」
テルツナは笑みをこぼした。
「ヒトなら勝ってたさ。卑怯か否かで話すなら、不死の俺は論外だ」
クリフは自嘲する。事実、不死だとわかってからは命の使い方が荒くなっているように感じていた。
「ううむ……」
テルツナは少し納得行っていないようだった。
「で、そんなので碧雲に帰れるのか?色恋で家督を投げ捨てた嫡男を迎えてくれるか怪しいが」
テルツナは溜め息を吐いた。
「アイゾーン様の用命と言伝れば問題ない。が、少し気が引けるのも事実だな」
クリフはそんな彼の肩を叩くと、親指でシルヴィアを指した。
「まあいざとなればアイツが居る、俺とシルヴィアで話を押し切ってやるさ」
しかし、テルツナは首を振った。
「父上と腹を割って話したいのだ」
その返答に、クリフは目を丸くしていた。
「……それが一番だ」
彼は微笑を浮かべる。
だが心の奥底で、姉の姿が浮かんでいた。
彼女の本心が聞きたい。
クリフが今願うことはそれだけだった。
◆
渡津海家の本丸御殿に、多くの武将が集まっていた。
金箔を内装に用いていないその場所は、暁国の三割を支配する大将軍の住処としては、やや不相応だった。
「お館様、若君が来られたようです」
強面の武将達の中、先頭に居た男が義辰を呼ぶ。
「そうか」
部屋の最奥で、義辰は床に伏していた。
獅子の鬣のような毛髪を持ち、かつて誇った鋼のような筋肉はすっかりと萎んでいた。
仁王像のように深い皺の入ったその顔には、確かな疲労の色が浮かんでいた。
渡津海 義辰178歳。
暁国無双の男が老衰を迎えようとしていた。
「儂の危篤に来るとはな。あ奴も愛い奴よ……」
義辰は含み笑いを浮かべながら、飾ってある愛刀に手を伸ばした。
彼はあわよくば、最期の死合いを考えていた。
彼の所作に、武将達はひりつく。
それは主人の乱心による恐怖ではない。
老いて死を迎えようとする老人が放つ闘気、あるいは殺傷力に戦慄していた。
「よう、親父殿」
そんな場に水を打つかのように、入り口にクレイグが立っていた。
武将達は息を呑む。瞬きをすれば、次の瞬間にはこの御殿が吹き飛んでいても不思議ではなかった。
「……正面から来るのは久しいな、儂の後を継ぎに来たか?」
義辰は軽々と立ち上がった。
萎み、骨と皮だけの身体で不思議にも。
「馬鹿言うなオヤジ。俺は強ぇ奴と戦いてえんだ。死んでもやるかよ」
クレイグもまた、腰に差した刀へ手を乗せた。
「要件を言え」
義辰の語気が強まり、周囲が燃えるような熱気を放ち始めた。
老人の所作が、周囲の者にそう錯覚させていた。
「北国に住む、千の時を生きる魔法使いから、若い身体を貰ってきた」
義辰は片目を見開く。
「シワだらけの身体なんざ捨てて……国取りいくさをしようぜ」
クレイグは両手を広げ、満面の笑みを浮かべた。
「……お前は」
義辰は、片手で顔を覆った。
「とんだ孝行者だろ?」
クレイグが呟いた直後、転移門が開いた。
そして彼の隣から、円筒状の機械が飛び出した。
液体で満たされたガラス容器の中には、筋骨隆々の鬼が眠っていた。
「……ふはははは!全くもってその通りだ!!」
それを見た義辰は、涙を流しながら笑った。
咳き込み、血を吐こうと、満面の笑みで笑い続けていた。
「事に移ろうか」
そう呟くと、クレイグは刀を抜く。
「やれい!」
そして躊躇いなく義辰の首を刎ねた。
重い音と共に頭が落ち、場が凍りついた。
「お館様!!」
鮮血が飛び散り、武将達が一斉に立ち上がる。彼らは獲物に手を掛け、クレイグを睨んだ。
「お早う、親父殿」
クレイグが呟くと、機械の中で眠る鬼が目覚めた。
次の瞬間、ガラス容器が爆発した。
液体とガラス片が周囲に飛び散る中、機械から出た鬼は高らかに笑っていた。
「天晴れだ!!今再び、望月の如き血肉を得られるとは!!」
男の毛髪が鬣のように伸び、顔に深い皺が刻まれた。
彼は機械から降りると、両手を広げ、勢いよく合掌した。
大砲と錯覚する程の破裂音が響き渡る。
衝撃で障子の和紙が弾け、建物が揺れる。
「何をしておるうつけ共め!儂を裸で立たせる気か!!」
鬼は__生まれ変わった義辰は怒声を上げると、武将達は頭を伏せた。
そして、一切の無駄を捨てた所作で、最も若い武将が衣服を求めて外へ走り出した。
「気分はどうだ、親父殿」
クレイグが微笑み、尋ねると義辰の右手が振れた。
次の瞬間、極大の飛ぶ斬撃がクレイグの横を通り抜け、御殿を引き裂いた。
「至上よ!幾つもの城を落とせそうだ!!」
彼は裸のまま歩き、老いた自身の頭を踏み潰した。
そして振り向くとカタナを抜き、切先を天に向けた。
「皆の衆!手始めに暁を慣らす!!踏み潰した領地は首を落とした順にくれてやろう!!」
彼は興奮冷めやらぬ様子でそう宣言すると、刀を引き抜いた。
「大巌と碧雲を潰せば、次は隣のでえだらぼっち共を斬る!!」
以前とは比べ物にならない程の闘気が滲み出し、鉛のような重圧が場を支配する。
そんな時、重圧に耐えかね、武将の一人が失神した。
「介錯致す!!」
隣に居た武将が叫ぶと刀を引き抜き、気絶した武将の首を刎ねた。
だが残った武将達はその光景に目もくれず、義辰の宣言に目を輝かせ、刀の柄を叩き鳴らしていた。
「屍山血河の大戦を始めるぞ!!」
義辰が高らかに宣言すると、武将達は一斉に立ち上がり、外からも多数の武士達が集まって来る。
「「「待ちかねましたぞ!!」」」
彼らは館が揺れる程の声量で応え、皆一様に狂気的な笑みを浮かべていた。
「戦よ!!」
「渡津人の誉れを、ご覧に入れよう!!」
「やっと……戦場に立てるか……!!」
老若を問わず全ての者が、まるで祭りや宴の前日のように、興奮しきっていた。
「ああ、楽しくなるな……」
その光景を見ていたクレイグもまた、満足げに笑っていた。
「戦支度をせい!島森鼠の城落としを見せてやろう!」
「島森鼠」渡津海弾正義辰。
神代アウレアの英雄を幾度となく屠り、大英雄アードラクトとも引き分けた、伝説の男であった。




