プロローグ
「今日も変わりなかった?」
ヴィリング様式の一軒家。
燃え盛る暖炉が照らすリビングで、ルナブラムとアルテスは、二人食卓に並んでいた。
「特別はね。最近は風景画に凝ってみてるよ」
そう言ってアルテスはビーフシチューを口に運んだ。
「権能を使わずに?」
ルナブラムは目を丸くした。
「もちろん。つまらないだろ?」
「そうね……人が成せることに対して、与えられた時間は短い。対して、神が成せることに対して、与えられた時間は途方もないもの」
アルテスは天井を見上げ、騒動の元凶となった神に思いを馳せる。
「ケテウスは急ぎ過ぎたんだ。すべてを成した所で、与えられた時間は多過ぎるっていうのに」
ルナブラムは微笑した。
「そうね……あたしも、こんな何気ない日々が好きよ」
そう答えると、彼女もシチューを口に運んでいた。
微笑ましい姉弟の昼食。
今を生きる二人が望んでやまない光景。
それを今、クリフは傍観者として見せられていた。
「姉さん……」
クリフは呟く。
しかし、アルテスもルナブラムもそれに反応することは無かった。
「何かを為せなくたって良いのよ。何度も行った公園で、何度も食べた事のあるものを口にする」
彼女は、スプーンを食器に置いた。
「そんなありふれた凡庸を積み重ねる。それって、とても素敵じゃない?」
アルテスは頷いた。
「みんな、何か成し遂げようと必死過ぎるんだよ。大切な人と一緒に居らればそれで良い筈なのに」
ルナブラムは口元を押さえて笑った。
「それ、エルウェクトが聞いたら卒倒するわよ」
屈託のない笑みをこぼしたルナブラムの横に、クリフが立つ。
「なんでそんなに優しいんだよ」
彼はルナブラムの肩に触れ、弱々しく呟く。
だがこれは過去の再現であり、クリフに介入する余地はなかった。
「俺はクリフだよ、彼女じゃない。アルテスとして、今の幸せを噛み締めたいんだ」
「あたしも」
太陽のような笑みを浮かべた彼女を見て、クリフは限界を迎えた。
「姉さんっ!!」
クリフはルナブラムに掴みかかるも、霧のように通り抜けてしまった。
彼はそのまま横転すると、現実に引き戻された。
敷布団から転がり出る形で、目を見開く。
クリフは今、宿屋に泊まっていた。
暁国の意匠が込められた和風造りの部屋に居たのは、マレーナだけだった。
「何でだよ……なんで、俺だけ……俺だって、俺も……愛してよ……」
クリフの心に、幼少の思い出が突き刺さる。
幼い頃感じたぬくもりが、まだ心の奥底で眠っていた。
そんな彼の元に、マレーナが寄り添った。
「ルナブラムは敵だ。殺さなきゃいけない……」
クリフはマレーナを強く抱きしめた。
「姉さんは、もう居ない。あの日死んだんだ」
手の震えが止まらなかった。
「……もしあいつが姉さんだなんて考えたくない。本物だったら、俺は何かして嫌われてるってことだろ?」
クリフは俯いた。
「もしそうなら、殺すよりも。殺されるより辛いよ」
歯軋りをし、抱き締めたネクロドールの骨格が軋む。
「ああ……俺はまだ、姉さんが好きなんだ」




