146話「次の旅路は」
古い記憶。
100年よりも前の、とても古い思い出。
「父上!碧雲の密偵を狩って参りました!!」
幼いクレイグは、渡津海家の庭園で、首を片手に笑っていた。
縁側に座っていた父親の義辰は、そんなクレイグを見て破顔した。
「よくやった狩狗!流石儂の子よ。初の首級だったか」
義辰はクレイグの頬に付いた血を指先で拭った。
「剣術師範殿を手柄としたかったのですが……」
クレイグは眉を落とした。
だが、義辰はそんな彼を強く抱き締めた。
「構わん、重畳であろう!今夜は宴を始めるぞ!!」
義辰は上機嫌に話すと、クレイグの手を引きながら屋敷に上がった。
「……首級を上げたのね」
屋敷の中に、着物を身にまとったアウレア人の女性が座っていた。
「うむ、儂らの子がな」
「かかさま……」
クレイグは思わず笑みをこぼす。
しかし彼の母は、うつろな瞳で彼を見つめていた。
「ねぇ、狩狗。早く……」
彼女は言葉を躊躇っていた。
しかし、意を決した様子で、微笑んだ
「早く私を殺してね」
彼女は、一筋の涙を流していた。
「はい!かかさま!!」
クレイグは、満面の笑みで答えた。
「クレイグ?」
桜の舞う庭園で、クレイグはカーミラに呼び掛けられた。
「……少し、昔を思い出していた」
クレイグは、墓前の前に立っていた。
墓石には、オフィーリア=渡津海と刻まれていた。
「かかさまから貰った名は、クレイグ。親父殿より貰った名は、狩狗だ」
クレイグは墓石に触れた。
「死んでしまったのね」
カーミラはまじまじと墓石を眺めた。
「ああ、俺が殺した」
クレイグは刀を手にすると、踵を返した。
「あらあらあら?憎かったのかしら?」
「いいや、介錯だ。望まぬ子を産んだ彼女へのな」
彼の語気は明るかった。
「ああ、アウレアの捕虜だったのね。辛くなかったのかしら?」
「戦士として、かかさまを葬った。互いに悔いはねぇよ」
クレイグは庭園を後にし、裏口から城へ向かった。
「さあ、危篤の親父殿に会いに行こうか」
クレイグは刀を腰に差すと、手を払った。
◆
クリフ達は宿屋で旅程を決めていた。
「さて、暁国に行くか」
メイシュガルが手を上げた。
「母さんはどうすれば良いと思う?」
「手詰まりだ」
クリフは眉を落とした。
「けどな。待てばアイツは来る。少なくとも、俺への嫌がらせでソフィヤの墓を掘ったならな」
「後手後手じゃない?」
シルヴィアが手を挙げ、ヴィオラが頷いた。
「ああ。正直、クレイグの馬鹿が居なきゃジレーザに行きたい」
クリフは目頭を揉んだ。
「だがあの馬鹿は、世界の果てまで俺を追うと公言しやがった」
彼はオムニアントを握り締め、歯軋りした。
「後回しにするくらいなら、こっちから殺しに行ってやる」
「ミラナも気になるしね」
シルヴィアが呟く。
「そうだな。アイツと合流しても良いかも知れない」
テルツナが手を挙げる。
彼は律儀に床で正座していた。
「彼女が刀工であるならば、大巌の領地に向かったかもしれないな」
クリフは思い返す。
クレイグが彼を碧雲の嫡男と呼んでいた事に。
「お前の故郷だったな」
照綱は頷いた。
「渡津海狩狗を止めるのであらば、拙者にも協力させて欲しい」
クリフは乾いた笑いをこぼした。
「冗談言うなよ、お前は最初から強制参加だ。というより、ハナからそのつもりでアイゾーンはお前を派遣したんだろう」
「かたじけない。この恩は忘れませぬ」
彼は深々と頭を下げた。
だがクリフは目を細め、苦々しい顔をしていた。
「育ちが良いのはわかるんだが……もうちょっとどうにかならないか?」
顔を上げたテルツナは目を丸くしていた。
「うむむ……」
彼は頭を悩ませていた。
そんな折、ヴィオラが彼の横に立った。
「テルツナは崩してるですよ」
「おぉ、そう言ってくれるか!」
彼は嬉しげに彼女に振り向く。
「ヴィオラが言うなら間違いないな、分かった。よろしく頼むよ、テルツナ」
「ああ、よろしく頼む!」
テルツナは快活に答える。
しかし、彼は何かを思い出したようだった。
「時にクリフ殿。此度の一件、どのように治めたのか?アイゾーン様が喜んでおられた」
首を傾げる彼に対し、クリフは微笑した。
「何もしてないさ。用命通り……アイツとの決着を付けただけだ」
クリフは空を見上げて、続けた。
「ああ、俺は裁いたよ」
不可解な彼の言葉に、テルツナ達は首を傾げた。
◆
ノーラは外套を深く被り、首都の外れにある馬屋に来ていた。
「ここでよろしいのですか?」
彼女に従う従者が尋ねる。
「ええ。よく、付き合ってくれましたね。後は私一人で大丈夫です」
二人は声音を抑え、
彼女は微笑み、軽く礼をした。
「しかし……昇靖様は、もう……」
従者は目を伏せる。
天地を揺るがす程の一撃を受けた泰遼が、無事である筈が無かった。
「だから、私一人で待つのです」
ノーラは手を震わせながら、微笑んだ。
「あの人の帰還を、信じていますから」
彼女はそう呟くと、遠方から風切り音が鳴る。
飛来した矢は従者の喉を貫いた。
「……逃げ……て」
従者は膝から崩れ落ちた。
ノーラは悲鳴を押し殺し、踵を返して逃げようとする。
「おっと、行き止まりだ」
六人のオーガ達が、既に彼女を取り囲んでいた。
その内の一人が、ノーラの華奢な手を掴み、軽々と彼女を持ち上げた。
「泰遼の妃ってのもそうだが、先代豪王の娘って肩書きが、俺達の雇い主が困るみたいでな」
彼は上機嫌に話しながら、彼女の外套を破り捨てた。
そして男は、ノーラの顔を見て笑みを溢した。
「やっぱいいツラしてるよな?」
彼は満足げに笑うと、隣の馬屋に目を向けた。
「首だけ届けりゃ良かったよな?」
男が仲間に確認を取ると、ノーラは舌に前歯を乗せた。
__今、貴方の元に向かいます。
彼女が固く決意したその時だった。
「おい、なんか言ったらどうだよ」
返事をしない仲間に、男は眉を顰める。
しかし次の瞬間、彼を除いた全員の上半身が、地面に滑り落ちた。
「……随分好きにしてくれたようだな」
男の背後に、外套を被った人物が立っていた。
彼は男の頭に触れると、左手に魔力を滲ませた。
〈__無形〉
「豪おっ__!!」
彼が叫ぶよりも先に、その頭が消失した。
頭を失った男はノーラを手放し、その場から倒れた。
「……待たせたな」
軽やかに着地したノーラに、外套の男は優しく微笑んだ。
ノーラは大粒の涙を流し、力強く彼に抱き付いた。
「……昇靖様」
男は外套を脱ぐ。
胸にはバツ字の傷が刻まれた隻腕の男は、片手で彼女を抱き締めた。
「泰遼で良い。俺はもう王ではないからな」
彼は彼女の頭に、額を押し当てた。
「若き竜王より慈悲を貰った」
彼はそう言って、握りしめた黄金の鱗を彼女に見せた。
「霊岱に向かうぞ。明景という僧を頼れと」
「向こうで……何をしましょうか」
ノーラは涙を拭い尋ねる。
対する彼は、柔らかく微笑んだ。
「茶屋でも開こうか」
___4章「武豪の国」-完-




