143話「絶死の黄金」
金色の太陽。
「帰ってきた!!滅びが!我らの死が!!!」
空に浮かぶそれに気付いた時、屈強なオーガの一人が叫んだ。
無数の古傷に無精髭を蓄えた歴戦の勇士であった彼が、恐怖していた。
そんな彼が頭を抑え、両耳を塞いで観客席から走って逃げた。
「……何が」
若いオーガが困惑してそれを見送っていたその時、他のオーガが叫んだ。
「逃げろ!!皆っ!!みんな死んでしまうぞ!!」
またも老練の兵士が叫び、観客席を駆け抜けて行った。
それを皮切りに次々と悲鳴が連鎖し始める。
「黄金の死が、アウレアの亡霊が我々を殺しに来るぞ!!」
逃げる者は皆20年前の戦役に参加していた兵士であり、今では人々の尊敬を集める優れた武人達だった。
そんな人物が、なりふり構わず逃げていた。
「黄金の……?おい!逃げるぞ!!」
若いオーガでさえ、女子供を抱き抱えて走り始めた。
恐怖は瞬く間に伝播し、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
「あーあ。こうなっちゃうのね」
アイゾーンは貴賓席から、一連の顛末を眺めて微笑んでいた。
「何が起きたの!?」
シルヴィアは貴賓席から乗り上げ、周囲を見渡した。
「20年前、アウレアは滅亡する筈だったのよ」
「えっ……?」
彼女は目を瞬かせた。
「そうね……どこから話そうかしら」
そう言って彼女は手を叩いた。
次の瞬間、シルヴィアとアイゾーン以外のものが全て消失した。
「語彙を尽くす必要は無いわ、私は神だもの」
彼女はそう呟くと、指先から色を発した。
鮮血、劫火、砂塵の舞う戦場の景色を彩り、再現した。
◆
「ご報告します」
白銀の鎧に身を包んだ騎士が、跪いた。
アウレア北部と南部の境目に存在するポルタ要塞。
その屋上では、年老いたアウレアの皇帝が戦地を見渡していた。
彼は騎士に目線を向け、耳を傾けた。
「10代目勇者の戦死を確認。レッドライン要塞より帰還した兵士は、1万にも至らず……」
皇帝は手で遮ると騎士は頭を下げ、皇帝を囲む騎士達の列に戻った。
「生き残りは一割にも満たないか」
皇帝は物憂げに呟いた。
「しかし、10代目の尽力が無ければ、帰還してはいなかったでしょう」
近衛騎士の甲冑に身を包んだイネスが、フォールティアを手にしながら前へと出た。
「何用かな?」
「はっ、これより戦地に赴き、フォールティアを解放します」
周囲がざわめいた。
その場に居た誰もが、イネスが魔法を取り戻していない事を知っていたからだ。
彼女が聖剣を解放すればハースの軍隊は壊滅させられるかもしれない。
「命を捨てる気か?」
皇帝は尋ねる。
フォールティアの魔力は人を殺す。
全盛の力を失った彼女に命の保証はなく、確実な死が待っていた。
「はい。充分な暇は貰いました。今再び、祖国への恩を返そうかと」
イネスは覚悟の決まった眼差しで、皇帝を見上げた。
「……その必要はありません」
金色の転移門が、皇帝の隣に出現した。
「フラーテル様!!」
純白の衣に包まれた彼女が姿を現す。
「時が来たのです。仮にケテウスに誅されようと……ここで私が出張らなければ」
「面目が立たないと?」
一人の年老いた男が、イネスの横に立っていた。その場に居た全員が、男の接近に気付けなかった。
「師匠……」
イネスが呟いた。
彼はアードラクトだった。
実に80年ぶりの再会に、彼女は態度が和らぎそうになる。
しかし彼から放たれる気配、雰囲気が明らかに違っていた。
「……あなたは、本当にアードラクトなの?」
アードラクトは、突然身体が光に包まれた。
フルフェイスの甲冑に身を包み、剣を抜いた。
「私は……運命を見つけたのです」
不審な台詞に、周囲の騎士たちは戦慄する。
神代最強の大英雄がもし、気を違えていたら。
刺すような空気が屋上を支配した。
「運命……何のことを指してるのかしら?」
フラーテルが尋ねると、アードラクトは僅かに力んだ。
「詮索するようなら貴方を殺します」
天使に対する殺害宣告。その台詞は、一人の若い騎士を苛立たせた。
「貴様っ__」
彼がそう呟いた時、アードラクトの右腕が僅かに振れた。
若い騎士の胸甲に何かが激突し、鎧を打ち砕いた。
彼は膝から崩れ落ち、気を失った。
「動くなッ!!!」
剣を抜きそうになる騎士たちを、イネスが諌めた。
そんな彼女の判断を見て、アードラクトは僅かに力を抜いた。
「……動けば、全員死ぬ」
イネスは重々しく呟いた。
「賢明だな、イネス」
アードラクトはフラーテルに向き直った。
「現れた目的は?まさか、私達を殺しに来た訳ではないのでしょう?」
アードラクトの全身から魔力が滲み出した。
「全軍に撤退命令を……此度だけ、俺が出よう」
爆発的に生じた青い魔力は次第に金色へと変色し始めた。
立ち昇る魔力は雲を貫き、曇天の空を僅かに輝かせた。
「全軍に撤退命令を!!全ての責は私が負おう!!!」
皇帝は怒鳴るように伝達した。
それと同時に、騎士達は砦の屋上から飛び降りた。
軍馬すら越す勢いで走る彼らを眺めながら、皇帝は尋ねた。
「猶予は?」
「無い」
彼はそう呟くと、剣で自身の胸を貫いた。
「超域魔法開孔……」
雲が燃えた。
黄金に輝く火に焼かれ、燃えた紙のように消え去ってしまった。
燃え滓を払うように、空に金色の太陽が浮かんだ。
〈__皇金白々明〉
アードラクトの鎧が燃焼し、鎧に刻まれた刻印が金色に輝いた。
「これが……師匠の」
イネスは圧倒的な存在感を前に、息を呑んでいた。
「ではな」
アードラクトは僅かに屈むと、その場から跳躍した。
砦全体に亀裂が入り、土埃が巻き上がった。
「……この一件が過ぎれば、私は退位させて貰います。優秀な後継も出来ました」
金色の閃光となって、雲の上を突き抜けた彼を、皇帝は見上げていた。
「ええ……苦労を掛けたわね」
フラーテルもまた、アードラクトの姿を見上げていた。
「貴方ほどではありませんよ」
皇帝は微笑した。
◆
オーガ達は依然としてアウレアを蹂躙していた。進路に存在する全ての村を焼き払い、丁寧に掃き貯めるように、人間を殺していた。
「……空が」
進軍中のオーガ達は、空の変化に戸惑っていた。
進軍を止まりそうになる彼らを、巨大な足音が背中を押した。
「構わん。俺が倒す」
25mは越える巨人が、大地を震わせる程の声量で呟いた。
豪王ライオネル。20年前のハースを治めていた彼は、歴代でも群を抜いて巨大な体躯と怪力を得ていた。
「進軍しろ!俺が付いている!!」
彼の怒号と共に、オーガ達の士気は跳ね上がり、進軍速度が増した。
そんな時だった。
黄金の太陽が突然消えた。
突然に訪れた暗闇に進軍は完全に止まり、混乱が訪れた。
「何だ……!」
ライオネルは空を見上げる。
消えた太陽の代わりに、強烈な光が瞬いていた。
星光にも似たそれが、ひときわ強く瞬いたその時、豪王に極大の熱線が降り注いだ。
彼は巨剣を振り上げるも、熱線は容易く彼を呑み込み、蒸発させた。
天から注いだ金の光は、地面に触れた直後に弾けた。
砕けた溶炉のように大地が火を噴き、金色の火砕流は人々を呑み込んでゆく。
大地に刻まれた巨大な亀裂は、逃げ惑うオーガ達を貪欲に呑み込んだ。
それは、まるで創世の地獄の様だった。
「何が起こってる!!」
再び、空に太陽が昇る。
色彩すらも曖昧となる日差しの中、オーガの指揮官は一人の騎士を見た。
黒い甲冑の騎士を。
「何者__」
指揮官の首が千切れ飛んだ。
アードラクトの姿は既に無く、敗軍の間を黒い残影が飛び交っていた。
多くの者は彼を認識する事なく、首を、手足を、心臓を穿たれ命を落とした。
1分にも満たない短時間で、ハースの連合軍は壊滅してしまった。
「母さん……っ!」
屈強な兵士達が悲鳴を上げる。が、次の瞬間には胴体が削り取られていた。
兵士たちは理解不能な現象に恐怖し、敗走を始めてしまう。統率の壊れた人の濁流が、逃げ遅れた者達を踏み潰す。
しかし、撤退する人々をかき分けるように、一人のオーガが濁流を遡っていた。
「泰遼様!お下がり下さい!!」
彼は従者の制止を無視して、殿へと辿り着く。
そして一振りの剣を引き抜き、黒い残影へと切り掛かった。
甲高い金属音が響いたのも束の間、泰遼の胸に黄金の軌跡が通過し、深い刀疵を刻んだ。
豪王すらも下したその一撃を受け、彼は微笑んだ。
「見事……!!」
泰遼は相手が天災ではなく人だと理解していた。
彼は目を瞑り、次の一撃を待った。
しかし、それは訪れることは無く、後を追った家臣達が彼を引き摺るようにして敗走した。
「何をする!!」
「貴方は泰家の嫡男です!御父上に何と申せば良いのですか!!」
彼が怒鳴られ、そのまま連れられた時、空が瞬いた。
鋭利な形状に歪んだ火球が、まるで流星雨のように降り注ぐ。
それらが泰遼達に激突し、家臣が彼を庇った。
金色の炎が大地を覆ったその瞬間。
シルヴィアは貴賓席に引き戻された。
「満足したかしら?」
アイゾーンは微笑み、彼女の頭を撫でた。
「アレが……クリフのお義父さん?」
シルヴィアは息を呑み、先程の光景を見て少し緊張していた。
「ええ。帝国の大英雄。或いは殺戮者よ」
アイゾーンはにこやかに答え、手を叩いた。
「さて、メイシュガルが迷子になっているようだわ。少し、探してくれないかしら?」
含みのある言い方に、シルヴィアは眉を顰めた。
「何処に?」
「闘技場の……外かしら?急いだ方が良いわ」
わざとらしく答えるアイゾーンに、彼女は何か深い意図があると察した。
「分かった」
彼女は魔法を起こし、白い残光を残してその場から走り去った。




