142話「剣闘」
首都ガイリアには、巨大な闘技場が存在している。
巨人同士が戦う事を想定して造られたその場所は、果てしないほど広大で、円状に観客席が敷設され、日夜血を求めた観客でごった返していた。
そんな中、シルヴィア達はヴィリング用に用意された貴賓席で、これから行われる試合を待っていた。
「ごめん。トイレ行ってくる」
メイシュガルは席を立ち、その場を後にした。
「うん」
シルヴィアは相槌を打つと、悩ましげに闘技場を眺めた。
「どうなるんだろ……」
「彼の者に非は無かろうと……崇め奉る神を弑したのであれば、答えは明白であるな」
テルツナは陽気に答えた。
だが、その場に居たヴィオラ以外の全員が、眉を顰めた。
「まったく。そういうところよ、照綱」
誰も気付けなかった。
まるで最初から居たかのように、アイゾーンがテルツナの隣席に座っていた。
「……アイゾーン様!」
彼は席を立ち、その場で片膝をついた。
彼女は微笑むと、テルツナの座っていた席を軽く叩いた。
「座りなさい」
「はっ……」
テルツナはすぐさに座った。
「お母さんは何を考えてるの?」
アイゾーンはため息を吐いた。
「クリフを竜神にする。その為の当て馬を用意してるのでしょうけど……これじゃケテウスと大差ないわね」
シルヴィアは首を振った。
「そこじゃないよ。なんでお母さんは、わざわざクリフに嫌われようとしてるかって事。ねぇ、知ってるんじゃないの?」
彼女は物怖じせずにアイゾーンを凝視した。
「まさか、知らないわよ」
シルヴィアは目を細め、無言で非難した。
彼女もその意図を汲み取って、再び口を開いた。
「ただそうね。クリフが産まれた直後から、彼女は豹変したわ。まるで別人のように」
アイゾーンは胸の谷間から扇子を取り出すと、音を立てて開いた。
「さ、試合が始まるわよ」
彼女は闘技場に立つクリフを見て、感慨深げに呟いた。
「クリフ、あなたは何を決断するのかしら」
◆
普段ならば歓声と怒号に包まれる筈の観客席は、沈黙に包まれていた。
円状の砂地の上では、クリフと泰遼が向かい合っていた。
「……ここには多くの者の夢が眠っている」
泰遼が足元の砂をすくい上げると、大小様々な鉄と骨が砂と共に落ちた。
「よもや俺がここで眠る事になろうとはな」
泰遼は感慨深そうに呟き、手に残った砂を払った。
「……ああ、裁かないと言った矢先にこれだ。軽蔑してくれ」
泰遼は腰に差した剣に手を乗せた。
「なら先達からのアドバイスだ。少年」
彼は自身の額を小突いた。
「王となるなら決断を、裁決を下せ。それは王としての責務だ」
彼の額から光が溢れ出した。
「俺は選択したぞ。超域魔法開放」
〈__無形行歩〉
彼の体が透き通り始め、徐々に色を失い始めた。
まるでガラスのように体が透き通り、この世界に存在していないかのようだった。
「……羊飼いのガキに無茶言いやがって」
俺はそう呟き、親指で喉元を撫でた。
「超域魔法開廷」
喉元から光が溢れ出し、俺の足元から無数の砂鉄が湧き上がる。
これは二代目豪王、アルキルの魔法だった。
〈__鉄轍払塵〉
続けてオムニアントが姿を変え、一つの大楯と剣のように長い穂先を持つ槍となった。
「二代目の武具を……!?」
泰遼は目を見開き、観客席もざわめいていた。
「細かい話は抜きだ。アルキルの奴は、俺の権能に収まってる」
俺は槍を眺め、アルキルの言葉を思い出した。
潰れた家。生きたまま焼かれた幼馴染。
幼い俺に、こっそり飴をくれたおじさんの、恐ろしい悲鳴。
そして、斬り殺された両親。
「泰遼。俺はやっぱりお前が憎い」
俺はまるで懺悔のように告解した。
「そうか。だが俺はお前を殺してでも生きたくなったんだ」
泰遼の目は据わっていた。
それは、覚悟を決めた男の顔だった。
「……ああ、抗ってみろよ」
俺は「星繋」を封じていた。
神ではなく、ただのクリフとして復讐を果たす為に
「当然だ」
泰遼は手にした直剣を下に向け、魔力を流し込んだ。
〈__影無〉
彼が呟いた瞬間、刀身が黒に染まった。
光すら通さないその色は、まるで世界を切り抜いたかのようだった。
「いきなりか……!」
俺は周囲から砂鉄を練り集める。
奴が必殺技を持つように、アルキルが生前編み出した必殺技がこちらにもある。
〈__圧塊〉
闘技場の内外から寄せ集めた砂鉄が、指先で摘める程の鋼球となった。
一瞬、泰遼がこれを相殺できない事を考えてしまった。
『遠慮なくやって良いよ。アイゾーンが来てるから』
ルナブラムの声が響く。苛立った俺は、思い切り力を込めた。
「ブッ殺す……」
高密度に圧縮された鉄球が放たれ、その余波だけで闘技場の砂が巻き上がり、空へと突き抜けた。
「遠慮させて貰おう」
泰遼は鉄球を回避しなかった。
鉄球はその泰遼を突き抜け、後方の観客席に向かう。
が、その寸前で鉄球は見えない障壁に阻まれ、爆散した。
鉄球を受けた筈の泰遼は無傷だった。
「すり抜けた……?」
俺は瞬時に彼の魔法特性を判断し、戦術を考え直す。
だがそんな逡巡すらも許さずに、黒化した泰遼の剣が振り下ろされた。
次の瞬間、盾が震えた。
「……自信があるんだな?」
俺は盾を構え、真正面から構えた。
雫を払うように飛び出した斬撃波が迫る。
「頼んだぞ、相棒」
斬撃波に触れた砂は音も立てずにその場から消滅していた。
盾と激突し、黒色の光が盾と拮抗する。
恐らく透過よりも更に上、消失に近い現象を引き起こしていた。
弾いた光が角を掠め、消失する。
だが、オムニアントは問題なく耐え切った。
鋭角に削れ、消失した跡を踏み越え、槍を振り上げた。
「試してやる」
砂鉄がオムニアントに巻き付く。
それらは次々と硬質化し、鈍く輝く鉄となる。
最終的に塔のように巨大化した槍を、思い切り叩き付けた。
「無駄だ」
泰遼は霧のように透過し、規格外の質量攻撃を無効化する。砂塵が巻き起こる中、彼の色が微かに濃くなった。
俺の懐に潜り込む形で、剣を振り上げた。
「いいや、折り込み済みだ」
俺は笑い、武器を手放した。
そして、ニールの真似をするように指を鳴らした。
次の瞬間、巨槍を構成していた砂鉄が崩れ、無数の棘として再構成された。
全方位から棘が泰遼に迫る。
数か、接触時間か。ともかく、透過できる限度を確かめたかった。
「追い詰めたつもりか!!」
泰遼は一度の動作で複数の棘を切り裂き、瞬く間に無力化してみせた。
魔法を使うまでも無い。ということだろう。
破壊された棘は鉄粉に戻り、周囲に拡散した。
「まさか!これからに決まってんだろうが!!」
槍と盾を駆使し、泰遼と切り結ぶ。
彼は、俺の剣技に追従していた。
この領域に80年以上掛かった身としては、悔しい限りだった。
「コイツらは厳密には鉄粉じゃないんだ」
俺は斬り合いの刹那、盾と槍を変形させ、普段の剣に戻した。
そして空いた左手に、魔力を纏わせた。
「借りるぞマレーナ」
掌から、焔の花が咲いた。
〈__火吼〉
爆炎を前に、泰遼は自身を透過させた。
俺は確信した。この場で使った以上、彼の透過は完全な無敵となっている。
制限はなく、ただ燃費が悪いだけ。
狙い目は、攻撃の一瞬を突くか、魔力切れの二つしかなかった。
「何秒消えれるか試してやるよ!!」
周囲に充満する砂鉄が、爆炎に反応した。
次の瞬間、青色の火花が闘技場全域を覆い尽くした。
アイゾーンの張った結界が無ければ、観客たちは、ひいてはこのコロッセオそのものが瓦解しかねない程の爆発がこの狭い障壁の中で起こり続けていた。
「よく燃えるだろ!!俺の幼馴染を焼いた時よりもよぉ!!!」
俺は爆炎に焼かれながら、憎悪を吐き出すように叫んだ。
「超ォ域魔法!開廷!!」
鉄轍払塵を解除した。
怒りと高揚感に任せ、右脚を地面に叩きつけ、へし折った。
次の瞬間、両脚から深い紺色の光が滲み出した。
〈__流風極地〉
オムニアントが形を変え、鉄底の足甲が両足に付いた。
ふくらはぎから翼状の魔力が溢れ出し、まるで体重が無くなったかのように身体が軽かった。
「振りちぎってやる」
僅かな残像を残し、爆炎の中を走り抜ける。
爆心地には、徐々に透過が解けつつある泰遼が立っていた。
爆炎が晴れる。
それと同時に泰遼の透過が解けた。
既に、目と鼻の先に立っていた。
「さあ、やろうか」
俺は片脚を上げ、構える。
「受けて立とう」
泰遼は背後に剣を振り抜いた。
次の瞬間、俺の脚と剣が激突した。
「鋭いな」
彼は神速の蹴りに反応していた。
だが、彼の前に立った俺は残像で、本体は背後に回っていた。
「けどな、速度は俺が上だ」
無数の残像が泰遼を取り囲み、それらが一斉に彼を蹴った。
当然、蹴りがすり抜けるも、絶え間なく浴びせられる百の蹴りは、彼に実体化の隙を与えなかった。
「魔力切れを狙う気か」
小数点を超えた僅かな刹那、俺の蹴りに隙間が空いた。
その一瞬で泰遼は実体に戻り、剣を振った。
その一撃は高速移動中の俺を、正確無比に捉えた。脚甲と剣が再び激突する。
「……やってくれるな」
俺は、彼の技量に少し嫉妬していた。
「ハ……手を抜いた者の余裕か?」
泰遼が呟いた時、俺は足を踏み外した。
「……っ!?」
剣に触れた右脚が透明になり、地面をすり抜けていた。
彼の魔法は、他者にも付与可能のようだった。
「まずは一手だ」
泰遼の切先が、俺の喉を切り裂いた。
俺が不死でなかったなら、ここで決着がついたことだろう。
「良い加減、本気を出したらどうだ」
彼は剣に付いた血を払い落とした。
「上等だ……」
俺は喉元を押さえ、傷を治す。
流風極地を解き、オムニアントで自身の胸を貫いた。
「超域魔法開廷」
噴き上がった魔力が空を覆う。
金色の魔力が太陽に覆い被さると、太陽は金色に輝き始めた。
〈__皇金白々明〉
黒色の鎧に身を包み、燃え盛る剣を構えた。
それを見た泰遼は、目に見えて動揺していた。
「……何故それを」
「あ?親父の魔法を使って何が悪い」
俺は切先を彼に向けた。
だが泰遼は、乾いた笑いをこぼしていた。
「そうか、全ては必然だった訳か……あの日我らが壊滅し……貴公が再びここに現れた事も」
泰遼は上衣を破り捨てる。
赤褐色の肌に、巌のように鍛え抜かれた彼の肉体には、大きな傷が刻まれていた。
「その傷は……」
袈裟に刻まれた切り傷と火傷が複合したそれは、間違いなく義父がつけたものに他ならなかった。
「ああ。まさか貴公があの男に拾われていたとは」
泰遼は、剣を構え直した。
「黄金の火を継ぐものよ。改めて勝負願いたい」




