140話「逃れられない裁決」
ハース本国に辿り着いたクリフ達は、着いてすぐに露店が目に入った。
「……えっと」
シルヴィアは少し引いていた。
周囲にあったほとんどの露店が店を畳んでおり、最後に残った店も、店主が鬼の形相で肉を焼き続けていたからだ。
「見事な食べぶりだな」
と、テルツナは呟いた。
「ああ……凄いな」
席に座るのは一人の女性だった。
既に山のように食器が積み上げられており、休むことなくステーキを食べ続けていた。
雪のような白髪に、2本の耳が頭に生えたその姿は、どこか見覚えがあった。
「……む、シルヴィアちゃんとクリフ君じゃん」
彼女は食器の手を止め、俺達に振り向いた。
こちらにゆっくりと歩み寄ると、手を差し出して来た。
「私はティハ、ティハ=イヴィズアールンだよ。お兄ちゃんは元気してる?」
彼女は屈託のない笑みを浮かべるも、俺の心境は複雑だった。
彼女はケルスの妹だった。
「……ああ」
素っ気なく返事をした。
が、彼女は突然俺を抱き締め、子供のように持ち上げた。
隣に居たマレーナは物申したそうに前脚を上げて振り回し、ティハに抗議していた。
「何処かで会おうと思ってたんだ〜……小さい叔父さんと叔母さんにさ」
彼女は再び席に戻り、ひと口で厚切りのステーキを口に押し込み、袋に詰めるかのように次々と口に運んでしまった。
「ご馳走様!よしっ、ご飯食べに行こう!!」
「いや……俺たちは」
ケルスと険悪な別れ方をした手前、あまりハティと喋りたくはなかった。
「うん、行きたいな!」
シルヴィアが割り込む形で宣言し、ヴィオラは唾を飲んでいた。
「……食いしん坊はウチにも居るよ。行こう父さん」
メイシュガルは苦笑しながら、俺の手を引いた。
「分かったよ……」
「よし、決まりだね!お勧めの店は幾らでもあるんだ!何食べたい?」
「肉!」
「おにくがいいです」
ヴィオラとシルヴィアが率先して答えた。
◆
鳥の丸焼き、山積みのステーキ、無数の串焼き。
胸焼けがする程に用意された数々の肉料理を前に、俺はサラダを食べていた。
「あはは、兄さんったら怒られたんだ」
ティハは朗らかに笑った。
しかし、目は笑っていなかった。
「……いい加減、国長なんて辞めればいいのにね」
寂しそうに呟く彼女を見て、胸が少し痛んだ。あの時ケルスに、もう少しマシな言葉を掛ければよかったと。
「……俺は分からないな。思い返せば、あいつに家族として接した事は無かった」
そう呟いてコップに注がれた水を手にした。
「ルナブラムとは別に行動してるのか?」
「実際、居なかったでしょ?パパやママとは転移門で何度か会ってるけど、ヴィリングには何年も行ってないや」
彼女は串焼きを手に取り、ひと息で食べ切った。
ヴィオラも負けじとステーキを口に押し込んでいた。
「あっ、あたしのお姉ちゃん達はどうしてる?」
「領域で元気にしてるよ。去年の年末にはテレビショーに出演して、ケーキを焼いてたよ」
「「テレビ?」」
ヴィオラとシルヴィア、テルツナは首を傾げた。
「伝わる訳ないだろ?」
俺は水を飲み、ティハを指差した。
「ああごめん。色んな人が見れる演劇みたいなもの……かな?」
二人は思案し、眉間に皺を寄せていた。実際、アレは見ないと分からないだろう。
俺は隣に座るヴィオラの肩を叩いた。
「まあ、そのうち見れるさ」
俺は微笑んだ後、ティハに向き直った。
「それで、どうしてこんな場所に?」
「今回は美食かな」
彼女はステーキを丸呑みし、頬を緩ませていた。
「今回は?」
引っかかる言葉だった。
事実、彼女は失言だと気付き、瞑目していた。
「ヴィリングの奇食餌食って本読んだ事ある?」
覚えのある題名だった。
「ああ、あのグロいやつか?人間の味や調理法、猛毒の生物をそのまま食べたり__」
「岩や木の食べ方とかね……」
ティハは観念した様子で言葉を繋いだ。
「アレの執筆者は私。それで最近は星の外に出掛けてたの」
「人を喰ったのか」
俺は僅かに身構えた。
「野盗とかをね。あと、生理的嫌悪だけで捕食対象を神聖化するのは許さないよ」
彼女は真剣な眼差しで、鉄串をテーブルに打った。
生命を戴く捕食者として、彼女なりの流儀があるようだった。
「ああ、遡及はしないさ」
「じゃあ私も質問。クリフはここまで何をしに来たの?」
「……ああ。非公式には会ったが、正式に豪王と会う予定だ。この後城に__」
◆
果てしない高さの大扉が地面を揺らしながら開いた。
門番である二人の巨人は片膝を着き、深く頭を垂れた。
「豪王がお待ちです」
そう告げられ、俺は玉座の間にひとり立ち入った。
巨大なアーチと柱列によって構成されたその場所は、俺の想像するそれとは遥かにちがっていた。
天井へ大きくドーム状に切り抜かれた窓によって部屋は暗く、差し込んだ光が玉座への道に続く絨毯を照らしていた。
そして部屋の最奥にある、巨人用の玉座は無惨に打ち砕かれており、その中心に赤と金で作られた北方式の小さな椅子が設えられていた。
「よくぞ来られた」
玉座には、泰遼が座していた。
以前会った時とは、明らかに違う存在感を放っていた。
有り余る程の広大な玉座を、まるで一つの影が支配しているかのようだった。
「拝謁を賜り光栄だ、豪王よ。我が主ケルスから書簡を預かっている。納めては貰えないだろうか」
俺がそう答えると、彼は手合図を示した。
すると、光の当たらない影から、従者の一人が俺の前に跪いた。
俺は従者に書簡を手渡す。
「確かに」
それは、竜人と豪王、そのどちらの面子も潰さない対談だった。
その筈だった。
『あたしは許さないよ』
俺の影が蠢いた。
それと同時に、背中に憑いていた何かが抜けたような感覚に襲われた。
「……ルナブラム!!」
実体化した。
そう確信した俺は、躊躇いなく権能を起こした。
「お姉ちゃん悲しいな」
ルナブラムは思ってもいない口ぶりで、右手を俺に突き出した。
〈__黒滅〉
指先から漆黒の光が漏れると、そこから弾き出された光が俺の胸を貫いた。
「……は、ぁ?」
直径1センチにも満たない孔を空けられ、俺は膝から崩れ落ちた。
心臓に穴が開いた。加えて、何故か治癒しなかった。
淡い痛みと共に、血の気が引いていくような感覚。不死の肉体に慣れていた俺にとって、久しい死の記憶だった。
「クリフなら死なないけど、しばらく治らないよ」
彼女は俺の顔を覗き込み、微笑んだ。
アキム、エルトラが死んだ根幹に、この邪神が噛んでいる事実が、憎悪が俺を突き動かした。
「ルナぁっ!!」
心臓から血を噴きながら立ち上がる。
オムニアントを彼女の胸に突き立て、切先に最大限の魔力を込めた。
〈__昇旭〉
〈__黒減〉
しかし、彼女を中心に漆黒の光が溢れると、俺の魔法を打ち消した。
「くそ……」
俺はそのまま倒れた。
だが彼女は俺を抱き止め、子供をあやすように胸元で抱き締めた。
「ああ、可哀想なクリフ。食いものにされる奴らの惨めな道徳観念に従わされてるんだ」
彼女は少し熱のこもった口調で喋り始めた。
「大丈夫、お姉ちゃんが仇を取ってあげるから……」
__違う、お前が仕組んだ事だろ。
と、叫びたかった。
だが穴の空いた心臓は、俺の必要最低限の生命維持活動を保つので精一杯だった。
「泰遼」
彼女は艶やかな声音で彼を呼んだ。
「……は」
彼は既に玉座から降り、片膝をついて頭を下げていた。
「かつてあたしとエルウェクトは肉体を失い、アウレアの胎児にそれぞれ転生した」
彼女は俺の頭を優しく撫でた。
その度に腑が煮え、殺意と怒りが胸を貫いた。
「エルは記憶を失って、あたしの弟として無事に、すくすく育ってくれたよ」
彼女を起点に王城の床が黒く染まり始めた。
「でも22年前。あたし達の両親を手にかけ、クリフを死の淵に追いやった下手人が居る」
ルナブラムは、泰遼を指差した。
日陰に隠れ、平伏していた家臣達が、その光景を見てざわめいた。
「は……あの日貴方様を斬ったのは私であれば。如何なる処断もお受けする所存にあります」
「泰遼……あなたは剣に覚えがあったよね?」
彼は顔を上げる。
「凡才なれど、研鑽は怠っておりません」
「重畳ね。良いわ、陰竜ルナブラムの名において、貴方に裁決を下しましょう」
ルナブラムは瞑目し、俺を強く抱き締めた。
彼女はの怒りは、収まりそうになかった。
「……は」
泰遼は視線を再び伏せた。
「明日。我が弟アルテスと決闘なさい。あなたの死は免れないでしょうけど……その抗いようによっては、この国を滅ぼさずにいてあげる」
その決定に家臣達は震えた。日が昇り、泰遼の影が消える。
代わりに浮かんだルナブラムの影が、広間を支配した。
「御意に……」
泰遼は、静かに答えた。




