14話「旅立ち」
イヴィズアールン大森林の東端部は、竜神が起こした天変地異の境目であり、北の寒い気候と、竜神によって作り替えられた温暖な気候が不自然に切り替わる。
クリフは事前に買っておいた分厚い防寒具に着替え、今度は巨大な鳥の背に乗っていた。
「そろそろだよー」
シルヴィアの着替えを手伝っていた折、ペルギニルが呟く。
思わず振り返ると、遠方には″壁″が存在していた。
「噂には聞いてたが、凄いな……これが神の御業か」
それは、雲の壁だった。地上に根を下ろし、大量の空気を巻き上げ、うねり、見上げてもその果てが見えない高さまで続いていた。
巨大樹の姿が無くなっていた事もあり、より一層果てしないものに思えた。
壁は、森の全てを覆っているとされ、城壁のように、地平線の彼方まで続いていた。
「わっ……!ねぇクリフ!あたし、雲を食べてみたかったの!!きっと美味しいよね!」
彼女は興奮した様子で身を乗り出す。
鳥の背から落ちないよう、片手で彼女の腹を片手で押さえた。
「アレは氷と水の塊だ」
雲の作りを知っていた為、ぶっきらぼうに返し、額に吹き出した汗を拭う。蒸し暑い気候と防寒着が相まって、汗が止まらなかった。
「うそ……」
シルヴィアはこちらを向き、悲痛な表情を浮かべていたが、無視した。
雲の壁は、目の前まで来ていた。
鳥はその場で暫し滞空する。
「あれ?行かないの?」
彼女が疑問を投げた瞬間、嫌な予感に駆られる。また、突拍子もないことをする予兆に思えたのだ。
「もう行くよ」
「良かっ__ぐえっ!」
シルヴィアの背中に手を回し、伏せて鳥の背にしがみつく。
そして次の瞬間、大鳥はその巨大な翼で空気を掴み、自身を前へと押し出した。
弾丸のような速度で大鳥は前進し、雲の壁に突撃する。
急加速によって、後ろに引っ張られる。背羽根をしっかりと握り締め、それに耐える。
しかし今は、眼前に映る雲の壁が一番の脅威に思えた。
「クソ……」
激突する瞬間、目を瞑り、うつ伏せになる。
次の瞬間、水に落ちたような音が響くと同時に、多量の雪を含んだ、冷たい向かい風が襲い掛かる。
一瞬にして温度を奪われ、防寒着の表面が凍り付き、汗ばんでいた服の下が凍りつき始める。
__不味い……凍え死ぬ。
左腕で押さえていたシルヴィアを手放さないよう、必死で指に力を込めた。
微かに目を開ける。
視界に映ったのは、嵐のように雨雪が吹き荒ぶ暗闇の中、一匹の犬が鼻を揺らしながら、こちらの様子を伺っていた。
「大丈夫ー?」
彼は向かい風の影響を一切受ける事なく、いつも通り元気に尻尾を振っていた。
その直後、暗闇が弾け、暖かな日差しが溢れ出した。
大鳥が一度も羽ばたく事なく雲の壁を突き抜け、全身に張り付いた氷を、翼を広げて弾き飛ばし、空を再び舞い始めた。
「死ぬかと思ったぞ……」
口元やまつ毛、衣服が凍り付いており、震えが止まらなかった。
気温は冷たく、雪に覆われたタイガ林が広がっていたが、先程の寒波に比べれば、暖かさすら感じられた。
「ペルちゃんん……寒いぃ……」
シルヴィアは歯を鳴らしながらペルギニルに近付き、彼に抱き付いた。
ふわふわの毛並みに頭を埋め、幸せそうに息を吐いた。
「あったかい……」
「えへへー、撫でて良いよー、撫でてー!」
そう言ってペルギニルは頭を押しつけ、甘えるように鳴いた。
内心羨ましかったが、なまじあった大人のプライドが邪魔をし、暖まっているシルヴィアを羨ましげに見る事しかできなかった。
大きく息を吐いて下を見下ろす。
休憩を挟みながらも、かれこれこの森に一週間近く滞在していた。
今は凶暴な魔物の姿は無く、命の眠った雪景色、閑散とした森の有り様を見て、ようやく一つの節目を越えたと感じられた。
「シルヴィア」
「うん?」
「何度も聞くようで悪いが、本当に良かったのか?怖い事も多いぞ?」
「あたしが居ないと、クリフ旅出来ないでしょ」
彼女は目を細め、呆れた口調で返される。
「俺はもう29だ。生後1年のお前と一緒にするな」
僅かに気に障り、少し声を荒げる。
「そっちじゃない、人間が亜人の領土にどうやって入るの?あたしが居ないと、アウレアでの私みたいになるよ」
「ケルスから書状を貰ってる。お前が心配するような事は起きない」
「言葉よりも先に銃弾が飛んできても同じ事が言えるの?」
シルヴィアはこちらに冷ややかな眼差しを向けた。
「……悪かった、俺の負けだ。ありがとな」
彼女に目を合わせることなく、外の景色を眺めながら、礼を言う。微かな沈黙が続き、気まずくなって彼女へ振り向いた。
「どういたしまして!」
彼女それを待っていたようで、白い歯を見せ、満面の笑みを向けた。
それに思わず、苦笑した。
「仲良しなんだねー」
と、ペルギニルは口をやや大きく開け、笑っているそぶりを見せた。
「まあな、一緒に暮らして一年だ」
シルヴィアは身を乗り出し、にやけ笑いを浮かべてこちらを見ていた。
少し気に食わなかったので、人差し指で彼女の額を突いた。
「あたっ……」
彼女は軽くよろけ、額を抑える。
「あ、もう着くよー」
ペルギニルが下を見下ろしながら呟いた後、一度吠えた。
「ペルギニル、急な動きする時は一言言ってくれ」
「分かった、降りるよー」
「は?」
その直後、突然大鳥は凄まじい速度で降下し、真下のタイガ林へと一気に加速した。
当然、身体が浮き上がり、振り落とされそうになる。
「そうじゃないだろうが!!」
シルヴィアを抱え、再び背羽根を掴む。しかしその瞬間、ぷちっと羽が抜けた。
手を覆う程の巨大な羽根だけが手のひらに残り、高空に放り出された。
「あっ」
「……最悪だ」
青ざめ、空から滑り落ちる。
シルヴィアを抱き抱え、彼女を上側に向ける。地面に激突する際に、彼女だけ助かる位置へと動かした。
その瞬間、ペルギニルの背中から、毛皮に覆われた触手が凄まじい速度で射出され、こちらに巻きつき、二人を絡め取った。
「大丈夫ー!?」
ペルギニルは触手を凄まじい速度で引き戻す。身体ががくんと揺れ、身体の血液が偏る不快感を感じた。
鳥の背に引き寄せられた時、シルヴィアは衝撃でぐったりとしていた。
「ペルギニル、お前……何なんだ?」
問われたペルギニルは首を傾げる。
「ペルはペルだよ?へんなのー!」
彼は質問の意味を理解していないようで、冗談を言われたと思い、笑っていた。
大鳥は地面に着地し、翼をスロープのように地面に下ろす。
「着いたぞ、起きろ」
伸びたシルヴィアの頬を軽く叩く。
「わっ、何っ!ペルちゃん!!あたしっ、えっ!!?」
混乱するシルヴィアを担ぎ、翼を伝って大鳥から降りる。
「今までありがと!またねペルちゃん!!」
彼女を地面に下ろすと、肩を動かしながら元気に手を振った。
「ありがとな、森の主さま」
手を振って森を離れる。
「うん!またねー!!」
ペルギニルは大鳥の上から器用に前足を振って別れの挨拶をする。
歩みを進め、彼の姿が地平線に消えそうになった時、大鳥だけを残して、ペルギニルの姿が前触れもなく消失した。
「おっかないな……」
「何が?」
「いいや、知らない方が良い。特にお前は」
彼がした一連の動きを思うと、ペルギニルの可愛らしい外見を素直に愛せないと確信した。
二人でタイガ林の中を進む。
木々の葉は既に落ち、草は雪の下で眠っており、通行の妨げになるものは何もなかった。
光が差してくるものの、その色は冷たく、命の気配を感じ取れなかった。
まるで死んだ森だ。
「こうしてると、シルフは凄かったんだな。俺やシルヴィアより足早くて、どれだけ荷物乗っけてもバテなくて……寒さにも強かった。あと、滅茶苦茶高齢なのに元気だったな」
静けさに堪えかねて呟く。
もしかすると、シルフは馬では無かったのかもしれない。
だが、今は亡き彼女を偲ぶしかできないと思うと、少しやるせなかった。
「ごめんね、私のせいで」
シルヴィアが俯き、顔を暗くする。
「悪い、そんなつもりじゃ無かったんだ。アイツに無理をさせたのは俺だ、お前は悪くない」
励ます為にシルヴィアの頭をフード越しに撫でる。
「……うん」
陰鬱な空気が暫し流れた後、耳が異音を捉える。
片手でシルヴィアの前を塞ぎ、静止させる。僅かな目配せの合間に、こちらの意図を察したシルヴィアは自身の背後に下がった。
「足音だ、小さいな」
その歩調は独特で、弱っているようにも思えた。
「二足歩行だ。気候的にある程度目処は付いた、逃げの心構えを済ませとけ」
頭の中で様々な生き物を思い浮かべ、剣に手を掛ける。
人影が木にもたれ掛かりながら、ゆっくりと姿を現す。
しかし、その中で最も候補から外していたものが出てきた。ドワーフと思わしき黒髪の青年だ。彼は息を切らしており、脇腹から血を滲ませていた。
「助けてくれ……」
青年は大きく息を吸い、弱々しく言葉を吐き出す。
それを聞いて、警戒が高まった。
相手の善意につけ込んで、袋小路に追い込む。野盗にはそういうやり方があると義父に聞いた事があり、そう言った事件を耳にした事もあった。
「何があった」
青年から一定の間合いを取り、冷淡に問い正す。
「その、分からないんだよ。起きたら村がピンク色の化け物に襲われてて、村長や母さんまで、アイツらに……!!」
青年は激しく混乱した様子で、やや過呼吸気味だった。
「落ち着け、生存者は居そうか?」
「多分……居ない」
青年は感情を押し殺そうとするも、耐えきれず嗚咽する。
それを見て僅かに思案した後、演技ではないと納得する。
「そもそも、こんな森で待ち伏せする野盗なんか居ないか……」
小さな声で呟く。
「よし、近くの村まで一緒に行こう。だがな、可能な限りお前の村は避けたい。お前の村を襲ったのが魔物だとしても、おそらく俺が知る奴よりも遥かに強力だ。多分、太刀打ち出来ない」
「……分かった」
青年は悔しそうな顔を浮かべながらも、頷いた。
「シルヴィア」
「なに?」
シルヴィアに荷物を渡す。
身長の五倍はあるそれを受け取った彼女は、軽くよろける
「こいつを運べ」
彼女は顔を顰める。
「私、子供だよ!?」
「こいつもまだガキだ、お前が背負うか?」
クリフは青年を指差す。
「分かった……」
彼女は80kgは軽く越える重量の荷物を渋々背負うも、平気な様子だった
「ほら、やれるじゃないか」
「一人で大丈夫、この子に無理は……」
「いいから乗れ、こっちの方が速い」
クリフは遠慮する青年を背負い、早歩きで進み始める。
「お前、名前は?」
「アキム……アキム・クリューチ。どこにでもいる、普通の村人だよ……」
アキムは背中の上で啜り泣いていた。
平穏な日常を奪われる痛みは良く知っている。だからこそ、少しだけ考えてしまった。
__仇を取るか?
しかし、すぐにその考えを振り払い、歩くことに集中する。
__シルヴィアの時もそうだ。こんな事をしてたら命が幾らあっても足りない、変な情を移すな……クソ
そう考えていた矢先、シルヴィアが不躾な質問を投げる。
「どうやって逃げれたの?」
__おい。
思わず、彼女に鋭い目線を向けた。彼女もそれが失言だと気付いたようで、目を逸らした。
アキムはそれを聞いて、涙を拭う。
「母さんが、化け物に食われながら、逃がしてくれたんだ。「逃げなさい」って」
それを聞いて少し動揺し、歯軋りをする。
アキムが、幼少の自分と重なったからだ。
「アキム」
「何?」
「お前の村に立ち寄ってやる。そこで魔物の様子を見て、俺でも狩れそうなら狩ってやる。それでどうだ?」
「……っ!ありがとう!!」
アキムは感極まった様子で喜んでいた。
こうして、またも安い情で命を賭けようとしていた。
ひとくち魔物図鑑.4
「フレースヴェルグ」
種目:魔獣属鳥類
体長:20m
生殖方法:有性生殖、卵生
性別:性別有り
食性:不要
創造者:魔神第11席ヴァストゥリル・イヴィズアールン
・イヴィズアールン大森林の門番。
森にある雲の壁近辺で巣を作っており、森に近づく者が侵入者か避難者かを判断、対応を行っている。
大きな翼を持っているが、飽くまで予備推力であり、生まれつき会得した風の魔法で飛翔している。
その為、翼を閉じたままでも問題なく飛行する事が出来、雲の壁を問題なく通過する事が出来る。
突風に対応する為、2時間もの間無呼吸で活動出来る肺活量と、頑丈な瞬膜を持つため、水中でも活動出来る。
発情期がとても長く、短くとも1世紀程の間隔が空いている。
そのため一度卵が産まれると、メスは使命をオスに任せ、付きっきりで卵と雛を護る。
産まれて間もない雛は、魔力を使った栄養補給が出来ないため、親から与えられた餌を受け取る必要がある。
大人になるにつれ、次第に消化器官を含めたほとんどの内臓が退化、萎縮し、高速飛行に適した構造へと変化する。
実は言語を習得し、会話を行う事も可能で、適切な教育を施せば、人間よりも賢くなる。




