139話「逃れられない裁決」
革命後のエレネアの手腕は見事だった。
ルシアンの首を手に各都市を降伏。
自身の権限でカミーユを元帥へと昇進させ、軍隊を再統合し、徴兵制度を廃止。
抜けた穴を反乱軍の兵士で再統合し、少数精兵での管理を行なった。
恩賞と富の再分配を行い、ひと月にも満たない速度でセジェスという国そのものの蘇生活動を行っていた。
更には各地にネクロドールと開拓官が送られ、驚異的な速度で村々の経済、設備状況の改善が始まっていた。
だがひとつ問題があった。
それは民意による報復であった。
「……女王陛下、よくぞお越しになられました」
ベルナールは大聖堂でにこやかに微笑んだ。
彼の目線の先には、複数人の近衛兵を連れ、真っ赤なドレスに身を包んだエレネアが立っていた。
黒色に染まった聖堂に立つ彼女は、まるで絵画の一幕を切り抜いたような神々しさを放っていた。
「結構よ。あなたにはその価値があるもの」
エレネアは慈愛に満ちた表情で微笑んだ。
ベルナールは口にしないものの、彼女の容姿に混乱していた。
14前後の少女が18にはなろう大人に急成長を遂げていたからだ。
「要件は……修道院に保護した被災者の相談でしたか?」
「ええ。教皇猊下にも話は通してあるわ。引き渡しては貰えないかしら」
ベルナールは彼女の意図を察した。
エレネアの粛清した評議員、その家族の多くは処刑され、街道に吊し上げられた。
その掃き漏らしを、先の被災者としてベルナールは匿っていた。
「お断りします」
彼は躊躇いなく答えた。
「彼らの再雇用先や住むべき家を決めてあるのだけれど……何が不服なのかしら?」
ベルナールは内心で舌打ちする。
彼は今、交渉の場で詰まされていた。
彼女が引き渡した評議員の家族を根絶やしにするのは、目に見えていた。
だがその証拠はなく、匿っている事実がそもそも不都合極まりなかった。
「ではお尋ねします。彼らの向かう先は絞首台ですか?」
場が凍りついた。
「言葉を慎んでもらおうか」
近衛兵の一人が反応した。
しかし、エレネアは彼に冷ややかな視線を送った。
「申し訳ありません」
近衛兵の一人が顔を青くして引き下がった。
「まさか、そのような非道な事はしないわ。あなたが庇護する被災者が、悪逆の徒である筈が無いでしょう?」
エレネアは武力を行使するつもりはなかった。
「ええ、もちろんです。彼らはみな幼く、斯様な罪など重ねておりませんから」
ベルナールは、一切濁さずに答えた。
「では心配ないわね。被災者達を引き取らせて貰うわよ」
エレネアは目を細めて答えた。
それはまるで彼を揶揄い、試しているかのようだった。
「……彼らと同伴しても宜しいでしょうか」
彼女は微笑んだ。
「あなたが良ければ構わないわよ」
聖堂全体が暗闇に包まれたかのような重圧が生じた。
陽が突然沈み、差し込んだ月光が、女神像ではなく彼女を照らした。
「……っ」
身長で優っていた筈のベルナールは、いつしか見下ろされているような錯覚を覚えた。
まるで彼女は、卓上に並んだ料理を眺めているかのようだった。
心が恐怖に震えていた。
心因的なものではなく、根源的な何かに手足が凍りついた。
しかし、彼の脳裏で在りし日の光景が思い浮かんだ。
__行きなさい。貴方の旅路に、安息と救いがあらんことを。
それは、自身が信じ愛した女神の言葉だった。
ベルナールは心の中で火が灯る感覚を覚えた。勇気を胸に凍りついた唇を震わせ、言葉を発した。
「ええ、是非とも」
ベルナールは微笑んでみせた。
そして、彼の腰に差さっていた剣が意思を持つかのように魔法を起こした。
〈__黒減〉
漆黒の波動が彼を中心に生じ、霧が晴れるように夜が明けた。
恐怖心は解け、明るい陽光が女神像を照らしていた。それを見て、彼女が自分の背を押してくれたのだと、思わず笑みが綻んだ。
「ほら言ったでしょう。魔法は万能ではないと」
エレネアは誰かに向かって、嬉しげに呟いていた。
彼女はベルナールに右手を差し出し、握手を求めた。
「ベルナール=ニジャトス。黒の守護者よ……あなたをセジェスの教皇に任じます」
それは、突然の申し出だった。
しかし同時に納得が行った。末端の粛清など、女王が直接出向く仕事ではないからだ。
「……は」
「あなたが真に人々を思いやれる人物かを試していたの。非礼を詫びるわ、ごめんなさいね」
ベルナールは目を白黒させた。
「何故ですか……何故私を」
彼は本気で分からなかった。
そこまでの価値を、自身に見出していなかったからだ。
「あなたがセジェスの村々を回った偉業。耳にしているわ。町民と村民にはまだ根深い軋轢がある。あなたには、その架け橋となって欲しいの」
エレネアは、一転して少女の面影を残した笑みを浮かべた。
恐ろしい人だ。と、ベルナールは感じた。
しかし彼は彼女の手を取った。
「慎んで、お受けしましょう」
◆
グレイヴフォージ家の領地に辿り着いたクリフ達は、鍛冶屋街を見て回っていた。
蒸気の噴き出すジレーザのそれと違い、金槌が鉄を打つ音と、行き交う戦士や冒険者の姿は、時代錯誤ながらも好ましい光景だった。
「分厚くて、頑丈なのが良いです」
ヴィオラは展示された剣を見て、突然口ずさんだ。
「ああ、そうだな……その通りだ」
それは、俺がアキムに教えた事だった。
ショーケースを眺めながら、ふとミラナのことを思い出していた。
そんな折、通りの中で掛け声が響いた。
「やれい!!」
咄嗟に振り向く。
山のように大きな工房には、巨人が所狭しと鉄を打っており、掛け声だけで近くの扉が揺れていた。
槌を打つたび地面が軽く揺れる。
工房前には既に、何人もの人集りが集まっていた。
「巨人の鍛治師か」
俺は顎に手をあてながら近付く。
城のように巨大な炉の熱気で周辺は汗ばむ程に暑かった。
「鍛治仕事が見世物になるなんて……」
メイシュガルは呟く。
確かに、ジレーザ育ちの彼にとって、この光景は珍しいものだったのだろう。
「はいっ!師匠!!」
鍛冶場から聞き慣れた声が返って来た。
「ミラナ?」
人混みを避けて目を凝らすと、髪を黒く染めた彼女が、背丈の倍はある金槌を元気よく振り回していた。
◆
仕事を終えたミラナと俺たちは、近くの酒場で昼食を摂っていた。
「で、なんでお前がここに居るんだ」
コップに並々注がれたエールを片手に尋ねた。
「バベルさんに手続きして、技術交流をしてた……かな?」
全員の視線がメイシュガルへ向いた。
「……俺も関わってたよ。ここに来てるなんて知らなかったけど」
その発言で、俺は我に返った。
「バベルの手先じゃないよな」
微かに嫌な考えがよぎる。
メイシュガルの一例といい、バベルは他人の意思を無視して操る事が出来る。
「心配ないよ。ミラナはティロソレア様の要望で蘇生されたんだ。それこそ、バベルよりも上の決定権を持ってると思うよ」
ミラナは目を丸くし、ひきつった笑みを浮かべていた。
「えっ、ティロソレア様?」
メイシュガルは俺に振り向いた。
「(ギーリャがそうだって知らないんだよ)」
口だけを動かして答えた。
どう誤魔化すかと思案したその時、突然シルヴィアがダマスカス製の曲剣をテーブルに置いた。
ひどく刃こぼれており、もはや剣として使える状態ではなかった。
「ごめん。壊れちゃったの」
ミラナは顔を青くした。
「えっ……何と戦ったの……?」
「神の武器と打ち合った。鎧は、あたしの権能で消滅しちゃった」
彼女は瞑目し、大きく息を吐いた。
明らかに、傷ついていた。
「俺のは命を守ってくれたよ。確かに、その後の激戦で消滅したけどな」
ミラナは目を開き、真剣な眼差しで俺とシルヴィアを見ていた。
「ごめん。絶対に追いついてみせるから」
彼女は歯軋りをし、ひび割れた剣を手に取った。
「……もう間に合ってるかもしれないけどさ」
ミラナは全員が所持している武器を見て、儚げに笑った。
彼女を傷付けてしまった。
「ヴィオラは欲しいです」
しかし、彼女が片手を上げた。
優しいフォローだった。
「……任せてよ!!」
ミラナもまた気丈に答えてみせた。
俺はシルヴィアに目配せし、彼女も頷いた。
上手く話題を逸らせたと。
「そういえば、どうして髪を染めたんだ?ポリシーに反するんじゃないのか?」
追い打ちで話題を逸らす。
事実、彼女は金髪をやめ、ドワーフの姿を偽っていた。
「あー……食材にされかけてさ。流石に折れたよ」
彼女は苦笑し、自身の毛先をいじっていた。
「とにかく!もう少しでここの技術も学べ終えそうだし、そうしたら暁国に行こうかな」
彼女は嬉しげに呟いた。
「隣国にも滅多に流れてこない秘伝の「カタナ」。その技術だけは、絶対に学びたいんだ」
「……もうすぐあそこで戦争が起きる。しかも頭のいかれた奴らが国土全体を焼き払うレベルでな」
ミラナは固まった。
僅かに考える素振りを見せ、頷いた。
「なら尚更行かなきゃ!失伝したら大変だもん」
相変わらず、彼女はブレなかった。
一年ぶりに会う彼女に変わりがないようで、俺は安堵した。




