137話「革命」
エレネアの元に、一人の男が訪れていた。
名を、カミーユ・デュロワ。
セジェス正規軍の内4割を統べている男だった。
「セジェスの農奴階級の起源はご存知かな?」
エレネアはモデュード邸の客間で、ソファ越しに彼と話していた。
カミーユは軍服を着ておらず、素性を知らない者には、やや裕福な一般人と誤解されても不思議ではなかった。
「100年前、セジェスがその領土を急拡大する際、各地に入植した者たちですね」
エレネアはわずかな思慮を置かずに答えた。
「その通り、各地に開拓拠点が建てられ、支援金を貰った市民達は各々が理想とする村を建てに向かった」
カミーユは憂うように呟いた。
「村落が完成してから、金銭の流れは開拓拠点へと向かい、都市へと成長しました」
エレネアは彼の言葉を繋げた。
「そうとも、だがそこで金を堰き止めた愚か者が居た。際限なしに増長した都市はひとつの化け物と化し、かつての王権政治を悪化させたような取締が始まった」
エレネアは目つきを鋭くした。
「村落は鉱脈ではありません。ましてや、衛兵達の懐を暖める存在でない」
「そうとも、村は国の財産だ。奴らの財布ではない。だが皮肉だとは思わないか、100年前は同じ立場だったはずの都市民が、農奴たちを搾取し、蔑んでいる」
うんざりした様子のカミーユに対し、エレネアは微笑んだ。
「民衆の心は簡単に踊ります。農奴たちに主権を奪われかねない今でさえ、ありもしない自身の血統を誇り蔑んでいる」
エレネアの言葉に、カミーユは暫し思案した。
「時に君は、血統に何を思うかな」
「信仰でしょうか」
だがエレネアは見越していたかのように即答した。
「……何故かな?」
「ナパルクとセザールの家名が失墜しなかった理由にあります」
カミーユは顎に手をあて、考えるふりをした。
「既得権益の保持に成功しただけではないかな?」
「いえ、両家共に衰退し切った時期は確かに存在していました」
エレネアはゆっくりと立ち上がった。
「民衆は、絶対的な指導者を望むのです。仮に存在し得ないとしても、その立場に立つ者には伝説が必要なのです」
「それが血統だと?」
「ええ、何事にもドラマは必要ではありませんか?」
エレネアは、キャブジョットが用いた旗槍。模倣品ではないオリジナルを手に取った。
この短期間で、小柄だった彼女の体格は、槍が似合う程に大きくなっていた。
「確かに、帝政を打倒した英雄キャブジョットの子孫が、再び国を揺るがせば多くの人が動くだろう」
「ええ、新たな融和を求めましょう」
槍を手に微笑む彼女に対し、カミーユは苦笑した。
「私のポストは残しておいてくれますかな。女王陛下」
カミーユは既に、エレネアの最終目標に気付いていた。
「……何のことでしょう」
エレネアは優しく微笑みかけた。
「……恐ろしいお方だ。ときに、事が過ぎた後も、戦争は続きますかな?」
「50年は致しませんわ。国内を立て直さなくてはなりませんから」
カミーユは腰を上げ、精悍な目つきで彼女を見つめた。
「では、不詳ながら老兵として、策を巡らせて貰いましょう」
「ええ、期待していますね。元帥様」
エレネアは意趣返しと言わんばかりに、カミーユが未来手にするであろう階級で呼んだ。
「いやはや、責任重大だ」
彼がわざとらしく呟いたその時、音も無く部屋の扉が開いた。
空気が一変し、氷のように冷たい外気が彼の胸を貫いた。
「……っ」
数多の戦場に立ったカミーユの勘が、それが殺気であると警鐘を鳴らしていた。
「談笑は済んだようだな」
部屋に入って来たのは、ニールだった。
歴戦の将校である彼ですら、ニールが絶え間なく放つ殺気と存在感に気押されていた。
「ニール様、お待ちしていましたよ」
脂汗を流すカミーユに対し、エレネアは至って平静に、明るい声音で返事をしていた。
カミーユは改めて確信する。彼女は傑物だと。
「革命後に首都を取り返しに来る前線軍なら、俺一人で充分だ」
彼は出会い頭にそう答えた。
「君ひとりで8万の軍勢を斃せると?」
カミーユは少し困惑していた。
だが、彼の存在感を前に少し納得していた。
「正規軍2万を殺害し、徴兵された奴らを戦闘不能にした上でな」
氷のように冷淡な口調で、彼は言い切った。
「ええ、ではそのように」
エレネアもまた、ニールにたじろぐ事なく、無機質に答えた。
◆
グレイヴソーンの高級宿屋内を進んでいた。その足取りは重く、一歩踏み出す度にあの日の惨劇が蘇った。
「……」
繰り返すフラッシュバックを前に、嫌な考えが頭をよぎる。
どうしてこんな思いをしなきゃならない。どうして俺だけが。
俺は、あいつを殺せば良かったんじゃないか。
と、やり場のない殺意が心の中で巡っていた。
「どうしたです?」
部屋に入る直前、カゴ一杯の串焼きを抱えたヴィオラと鉢合わせた。
「……俺の両親を殺したのは、泰遼だった」
「殺したですか?」
明るい声音で尋ねる俺は絶句した。
彼女の言葉が、あまりに俺の価値観と噛み合わなかったからだ。
「……殺さなかったさ」
ヴィオラは首を傾げた。
「どうして殺さなかったです?クリフ、辛そうです」
彼女の言葉が胸に刺さる。
「……俺の信条に合わなかった。それに、神みたいに裁くのはうんざりだ」
その言葉に対し、ヴィオラは俺の瞳を覗いて来た。
「それはクリフの気持ちですか?」
ヒトとは思えない程に大きく開いた瞳孔が、俺の反応を待っていた。
「……どうしてそう思う」
「クリフが笑ってないからです。どうして、神みたいに殺すのは駄目ですか?」
ヴィオラは、核心的な事を尋ねた。
「どうしてって……人を殺す事の可否から始めさせる気か?」
彼女は頷いた。
「アリを遊んで殺す子供は死ぬべきです?」
続けて、彼女は持っていた串焼きを手に取り、木串ごと齧った。
「肉を育てて、殺す酪農家は地獄に落ちるです?」
俺は思わず顔を顰める。
「そういう話じゃないだろう」
「そういう話です」
ヴィオラは鋭く遮った。
「神にとっての人間は、人間にとってのアリです」
彼女は人差し指を立てた。
「神が人を殺すのは、そういうことです」
一瞬、ヴィオラの姿とチペワが重なった。
「ヴィオラが神になれたら、沢山の肉を食べるです。嫌いな人も、沢山殺すですよ」
「お前がされて嫌なことをするんじゃねえ。それだけは許さないぞ」
保護者としての意見だった。
「人だからですか?クリフは神です」
ヴィオラは顔を顰め、目に見えて不機嫌になっていた。
「違う」
「ヴィオラはヴィオラです。シルヴィアは竜人です」
「ああそうかよ。ならエルよりもずっとマシな神として生きてやるさ」
俺もまた、彼女の物言いに苛立っていた。
そこに教育者、保護者としての面影は、多分無かった。
ヴィオラは串焼きをその場に落とし、俺の胸を指先で触れた。
「クリフは、奴隷になりたいです?」
ヴィオラは俺のことを案じていた。
「……」
「クリフは好きです。でも、やりたくないことをするのはやめるです」
表情の起伏が少ない彼女が珍しく微笑んだ。
「最悪な神でも、クリフが苦しむよりは良いです」




