135話「俺がやった」
「テルツナを旅に同行させてちょうだい?」
俺が即答で断った筈の頼みは、これだった。
不夜城に少し滞在し、逃げようとした俺達だったが、ヴィオラが餌付けされてしまった。
アイゾーンとあの子が手を繋いで歩き始めてから、俺は折れてしまった。
紆余曲折あって数週間、テルツナは皆と馴染んでいた。
__俺を除いて。
「テルツナ、肩車です」
ヴィオラは両手を広げて待っていた。
「ああ、頼まれた」
彼は快くヴィオラを抱えると、そのまま肩車を始めた。
「肩車なら俺でも……」
軽い嫉妬からそう名乗り出ようとした時、シルヴィアが顔を赤くしながら両手を広げており、メイシュガルは子供の姿に変態していた。
「……分かったよ」
二人が2歳児と4歳児だった事を失念していた。
俺はシルヴィアを肩車し、メイシュガルを胸に抱えた。
二人が降ろした荷物を、マレーナが拾って背中に乗せていた。
「シガルみたいに縮めないのか?」
「無理」
小柄だった頃のシルヴィアを思い返す。
あの頃も可愛かった。
そんな思い出を馳せるも、彼女に頭を叩かれた事で思い出すのをやめた。
「便利だろ、教わったらどうだ?」
シルヴィアに尋ねながら、俺は腕の鱗と尻尾を消してみせた。
「俺もシガルに教わってな。少し練習してみた。上手いだろ?」
シルヴィアに自慢する。
「……うん」
彼女は元気が無さそうに答えた。
「シルヴィも出来るよ。肉体を魂の器みたいに考えて、魂を入れる器を粘土みたいに捏ねてみるんだ」
メイシュガルは気さくに声を掛けると、シルヴィアは後転し、俺の肩から降りた。
「どうした?」
彼女らしくない反応だった。
「メイに譲ってあげる」
「そんなのじゃないだろ?言ってみろよ」
俺は語気を和らげ、彼女に尋ねた。
「いいから」
シルヴィアは少し嫌そうに答えた。
俺はそれ以上追求出来ずに、メイシュガルを肩に乗せた。
「おお、グレイヴソーンが見えて来たな」
と、テルツナは呟いた。
「観光するです?」
「ああ。この忌々しい角を……こうか?」
俺は身体のイメージを組み替える。
枝分かれした角を、狼の耳へと作り変えた。
これで俺も名実共にヴィリング市民だ。
「上手だよ父さん」
「そうか……」
思わず頰が緩んだ。
どう付き合えば良いのかは分からなかった。
歪な親子関係だとも思う。
しかし、実の息子から貰った何気ない賞賛は、ただただ嬉しかった。
◆
不夜城を出る前、俺は睡眠中に自分の魂の中に居た。
メイシュガルに教わった形態変化を試しながら、ひとりでただ練習していた。
隣には、彼女が居た。
「母さんが居なくなって、オヤジはここに来なくなった。多分、ルナブラムにキレてるんだろうな」
ヴィリングで住んでいた自宅のリビングで、自身の鱗を変形させる為に試行錯誤していた。
「俺だって、もう一度あいつが出て来たら切り掛かるかもしれない」
俺は、彼女に話し続けていた。
__お前の姉だろ?
「バカ言うなよ、仮に姉さんだったとしても、許せないよ。あいつは、エルトラとアキムが死ぬ結果を仕組んだんだ。どんな理由でも容赦しない」
__そうだけどさ
彼女は俺の肩を叩き、寂しそうに呟いた。
「……オヤジにお前とエルトラを見せたかったよ。きっと、誰よりも喜んでくれた筈だ」
__私のせいだ。自分とあの子を守れなかったから
俺は魔法の操作をやめ、彼女に両手を向けて制した。
「待ってくれ、アレは俺の責任だ。もっと早く、助けに来れた筈だった……あと、数秒足りなかった」
その時、彼女が爆散し、死んだ時の記憶を思い返す。
今でも鮮明に覚えている、あの別れの言葉。
ありがとう。
奇しくもアキムと同じ言葉だったそれは、俺の脳裏に強く焼き付いていた。
そんな時、ひとつ嫌な考えがよぎった。
「なあマレーナ。本当は居ないんだろ?」
それは既視感だった。
ジレーザでシルヴィアの首が落ちた時と、同じ予感がした。
今の彼女は、現実に耐えられなかった俺の妄想ではないかと……そんな最悪の考えが、頭から離れなかった。
「……そうなんだろ?」
彼女は黙ったままだった。
俺は言葉にできない怒りを感じた。
子供たちが居るのにも関わらず、こんなにも情けない妄想をしてしまった事実に。
「……」
しかし突然、マレーナは俺にもたれかかり、俺の手に指を絡ませた。
彼女の手は、温かった。
「……ここに居るよ」
目頭が熱くなった。
思わず顔を伏せた時、彼女は俺を抱きしめた。
「まったく、寂しがりやだよな」
ため息混じりに呟く彼女の声音は、言葉とは裏腹に嬉しげだった。
◆
検問を抜け、グレイヴソーン家の領地に着いた。
北方とはまるで違う文化様式が根付いたそこには、緑色の肌をしたオーガ達が街を行き交っていた。
殆どの者が何かしらの武器を携帯して歩いており、北方から得た交易品が、さまざまな出店に陳列されていた。
「……治安はどうなんだ?」
事務的な口調で、テルツナに尋ねた。
「大通りならば。路地裏はお勧め出来ないな。盗られたなら自己解決が基本だ」
彼は自身の荷物とカタナをきつく握り締めていた。
「分かりやすいな……結構だ」
俺はメイシュガルと手を繋いだまま、街を眺めた。
石と漆喰で構成されたその街は、これまで見た国々で最も文明水準が低かった。
しかし、街の活気は他を寄せ付けない程に強く、ヴィリングやカウムディーとは対極的な街の雰囲気を放っていた。
目を離すと、ヴィオラが露店に向かって歩いていた。
「肉が沢山です」
彼女が軽い足取りで向かったその時、地面が揺れた。
「何だ?」
俺は咄嗟にヴィオラの手を取り、彼女を引き留めた。
遠方には、緑の肌をした巨人が、こちらに向かって歩いて来ていた。
「グレイヴソーンの当主、ダライアス殿だな」
テルツナは呟いた。
ゆっくりと迫って来る巨人に、シルヴィアは首を傾げた。
「……こっちに用があるのかな?」
「おうとも、てめぇらにも声を掛けとこうと思ってな」
突然、背後から声を掛けられた。
聞き覚えのある声だった。
「……クレイグ」
間違いなく、ケテウスの次に会いたくない相手だった。
「なんでてめえが来てやがる」
俺は咄嗟に剣を手に掛けた。
だが次の瞬間、俺の右手首が滑り落ちた。
それは、認知さえ出来なかった。
かつてない程の身の危険を感じ、即座に権能を呼び起こした。
〈__繋星〉
「試しただけだ、落ち着けよ」
クレイグは、そばに居たヴィオラを指差していた。それは、いつでも彼女を殺せると暗喩していた。
「何がしたい……!」
『仮想性弾核』を起動し、いつでもクレイグを吹き飛ばせる状態にしていた。
しかし、俺の手首を切り落とした仕掛けが分からなかった。
「俺と本気で戦うんだ。いきなりこれで死なれたら忍びねぇだろ?」
彼が楽しげに笑っていると、巨人がこちらの側にまで来ていた。
「ほう、この男が……」
ダライアスは、俺を値踏みするように凝視していた。
「おっと、コイツとやりてぇなら先に俺が相手するぜ?」
そう遮るクレイグに、ダライアスは豪快に笑った。
「残った方とやらせてもらおうか!!」
俺を差し置いて始まった談議に、思わず顔を顰める。
「……で、何の用だ」
切り落とされた右拳を拾い、押し付けて接合した。
「おお、そうだった」
クレイグは俺に向き直り、手を叩いた。
「俺は故郷の渡津海に帰る。そして、親父殿と徒党を組み、この星全てを焼き払うつもりだ」
今後の展望を楽しげに語るクレイグに、ケテウスを幻視した。
それと同時に、あの時エレネアが焦っていた理由もハッキリした。恐らく、俺と姉のせいでコイツの予定はかなり前倒しになっている。
「お前もかよ__」
クレイグに苦言を呈そうとした時、テルツナが俺の前に立った。
そして彼は、腰に差した刀を握り締めた。
「おお、碧雲のお坊じゃねえか」
「渡津海狩狗とお見受け致す……碧雲の嫡男として、そのような凶行は見逃せないな」
恐らく、勝てる相手ではないとテルツナも分かっていた。
しかし、彼は恐れる事なくカタナを抜こうとした。
「ほぉ……?」
クレイグは顎に手を当て、思案していた。
その時、彼の目線から殺気が漏れた気がした。
恐らく、俺にしか見えていないそれは、糸のようにテルツナへと伸びている。
そう錯覚した。
「そうかよ!!」
俺は勢い良く剣を振り抜き、テルツナの前方を遮る形で振り払った。
次の瞬間、甲高い金属の音が響く。
手元には、刀と打ち合った時の感触だけが残った。
「二度あれば見切れるか!!」
クレイグは嬉しくて堪らないようだった。
「馬鹿野郎、ただの勘だよ」
事実として、俺の手首には大きな切れ目が入っていた。
「……次は対処してやる」
そう呟いて、手首の傷を癒した。
続けざまに、テルツナの顎を柄で殴った。
「出しゃばるな、死にたいのか」
彼は膝から崩れ落ち、俺は片手で彼を受け止めた。
「安心しろよ。お前以外を狙う気なんざねぇよ……じゃあ、暁国でやろうぜ」
クレイグはそう言って踵を返した。
彼の側に居たダライアスは、シルヴィアを指差した。
「じゃあ俺はお前だな」
「……あ?」
シルヴィアは静かに怒っていた。目だけで殺してしまいそうなほどに、瞳が血走っていた。
「そっか、楽しみにしとく」
そんな彼女の反応に満足した彼もまた、クレイグに続いて踵を返した。
「待て」
そんな時、人だかりの中から漢服のオーガが彼を呼び止めた。
泰遼だった。
「なんだよ、堅苦しいのは抜きじゃねえか?」
へらへらと笑うダライアスを、泰遼は冷淡に見つめていた。
「後継者を指名してから失せろ。貴様に、豪国の土地を踏む価値はない」
ダライアスは面倒そうに顔を顰めた。
「……ったく、お前も戦争に来いよ!楽しいぞ!!」
「論外だ」
即答だった。
ダライアスは気怠そうに、頭に被っていた王冠を投げ捨てた。
建物ほどの大きさがあるそれは、石畳に勢い良く突き刺さり、僅かに破片と土煙を巻き起こした。
「ああそうかよ」
彼がそう呟くと、巨大な転移門が生じた。
クレイグ達は転移門を抜け、ダライアスも遅れて潜った。
「面倒ごとを……」
転移門が消えた後、泰遼は呟いた。
そして彼は地面に突き刺さった王冠を軽々と持ち上げると、俺に向き直った。
「申し遅れた。我が名は泰遼。ハースの豪王である」




