134話「浄化」
「どういう事だ」
霊岱を越え、泰家が治める北辰に訪れたクリフ達は、黒ずくめの漢服に身を包んだ男達に囲まれていた。
「アイゾーン様が謁見を求めておられます。ご同行を」
俺は思わず眉を顰めた。
「……てめえから来いって伝えろよ」
そう答えた瞬間、周囲の景色が一変した。
絶えず人通りが増え、様々な料理が放つ香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
そして夜間にも関わらず、絶えず焚き続けられた蝋燭は、街全体を明るく照らし続けていた。
道ゆく人々は、まるで俺たちの特徴を気にしていないかのような態度を取り、絶えず談笑や客引きの声が行き交っていた。
「ようこそ無別街。我が不夜城へ」
すぐ背後で、透き通った女性の声がした。
「……あんたがアイゾーンか?」
振り返ると、美しい竜人の女性が立っていた。流れるような緑の髪に、鮮やかな光を放つ鱗。
「綺麗……」
シルヴィアは思わず呟いた。
頭頂部から伸びた枝状の角は、悠久の時を過ごした巨木を圧縮したような荘厳さを放っていた。
「確かにな……」
俺は不思議と彼女に吸い寄せられるように歩き始めた。
豪国風のドレスは、肩から胸にかけて大きくはだけており、美しく引き締まった肢体を余す事なく誇示していた。
「……どうしたです?」
ヴィオラが不思議そうに尋ねた。
しかし、俺はそれどころではなかった。
どの女神像、絵画よりも美しい彼女の顔を__
触れる直前にオムニアントを抜いた。
刀剣と彼女の振り上げた右手が激突し、鱗から火花が上がった。
「妻帯者を魅了してんじゃねえよ……」
マレーナへ不義理を働きそうになった事実を恥じると共に、ヴィオラの疑問が無ければ危なかった事実に冷や汗を流した。
「あら、貴方の決意が知れて良かったじゃない。ねえ?」
アイゾーンは剣を軽く払うと、俺の背後に居たマレーナに尋ねた。
俺も咄嗟に振り向くと、彼女は千切れんばかりに尻尾を振っていた。
しかし、徐々に勢いが止まり、恥ずかしそうに俯いてしまった。
「……」
俺は言葉に詰まった。
湧き上がっていた怒りも何処かに消し飛び、オムニアント収めた。
「で、どうしてあたし達を呼んだの?」
シルヴィアが、俺の代わりに話題を切り出してくれた。
「うーん。そうね」
アイゾーンは、胸の谷間から扇子を取り出し、それを開くとまたも景色が変貌した。
黒を基調に金装飾で彩られた、絢爛豪華な屋敷に辿り着いていた。
「どうかしら?素敵でしょう?」
先程、俺たちを取り囲んでいた漢服の男達が傅いて二列に道を作っていた。
そしてその先で、アイゾーンが天蓋付きのソファで横になっていた。
「シルヴィア、これは……」
彼女に耳打ちする。
神に誘拐され、神々の戦闘を目にしていた。
「うん。現実を好き勝手歪められてる。多分、勝てないよ」
彼女は冷静に、淡々と呟いた。
「早速だけど、私の従者と一騎討ちをしてくれるかしら?技は良いけど魔法は厳禁よ……良いわねテルツナ」
彼女が扇子を畳んで鳴らすと、ソファの側で侍っていた白い髪の男が立ち上がる。
雪のような肌と角を持った彼は、クレイグと同じ種族に思えた。
「仰せのままに」
彼は長大なカタナを腰に差し、流れるように構えた。
その構えに、俺は違和感を覚えた。
__空千代の流派か?
「……他にルールは無いのか?」
俺は、オムニアントをカタナに変形させると、照綱は目を見開き、驚いていた。
「ええ、無いわよ。名乗りでもするかしら?」
アイゾーンが上品に笑う。
照綱は綺麗な所作で刀を抜き、刃を上に向け、突くような構えを取った。
「碧雲御留流……碧雲照綱。いざ尋常に」
対する俺は構えを取らずに、柄頭に左手を乗せた。
「供奉丹流、クリフ=クレゾイルだ。やろうか」
俺はそう言って一歩踏み出した。
「本当にやるの?」
シルヴィアが尋ねる。
「拒否権なんてないだろ」
そう呟くと、アイゾーンは深く微笑んだ。
「さ……始めてちょうだい」
彼女が扇子を勢い良く閉じる。
それが合図だった。
照綱は、勢い良く刀を突き出した。
洗練され、無駄のない動きだった。
下手に剣で受ければ、蛇のように滑り込んだ刃が、俺の喉に滑り込むだろう。
だが、それは想定されていなければの話だ。
照綱の突きを、俺は突きで返した。
切先がすれ違い、互いの刀身が擦れる。
「まずは一本だ」
すれ違った刀身は、別々の結果を辿った。
照綱は外へ、俺は内側へ。
懐に潜り込んだ状態で、俺は思い切り剣を振り上げた。
照綱は軽やかに飛び退き、軽やかに着地した。
しかし、それと同時に彼は膝を付いた。
内股からは血が滲んでいた。
「健と動脈を削いだ。もう歩けねえだろ」
俺は鞘を手に取り、軽やかに納刀した。
しかし、照綱の瞳から戦意は失せていなかった。
「まだ死してはいませぬ。続けましょうぞ」
彼は片足だけで跳躍すると、剣を振り上げた。
__こいつは、神のために死ねる。神のために殺せる男だ。
そう思った瞬間、彼への敬意や思いやりは消え失せた。
「そうか、じゃあ死んでくれ」
オムニアントをショットガンに変形させ、照綱に向けて発砲した。
乾いた銃声と共に、無数の散弾が照綱の身体に突き刺さった。
飛び掛かっていた照綱の身体が吹き飛び、その場に倒れた。
「容赦ないのね」
アイゾーンの問いを、散弾銃の手動排莢の音が無機質に遮った。
しかし照綱は、全身から多量の血を流し、片目が潰れていても立ち上がろうとしていた。
俺は、そんな彼にもう一度発砲した。
「黙れ。壊されたくねえなら殺し合わせるんじゃねえよ」
オムニアントを剣へと戻し、照綱を跨いで彼女の前に立った。
「てめえみたいな神は大嫌いだ。チペワの方がまだ愛嬌がある」
張り詰めた空気が流れ、一触即発の状況だった。
「命知らずなのね?」
「殺せるなら結構。拷問なら平気なクチでな……竜神になったら、てめえを最初に殺してやるさ」
アイゾーンは尚も微笑んでいた。
次の瞬間、俺の胸から一本の刀が飛び出した。
「……マジかよ」
背後を振り向くと、照綱が怒りの形相を浮かべ、俺の背を刺していた。
「愚弄したな……」
照綱はひどく沈み、煮えたぎった怒気を放っていた。その瞬間、理解した。この男は俺の同類だと。
「手を抜くべきじゃなかったな」
オムニアントの柄を、彼の頬に押し当てた。
「貫け」
そう呟くと、オムニアントは一本の旗槍に変形した。
延長して穂先を形成した柄頭は、照綱の頬と頭蓋を貫いた。
ズタズタになった彼は、勢い良く天井に突き刺さり、骸を晒した。
「天晴れだよ、クソ野郎」
俺がそう呟いた瞬間、周囲の状況が差し代わった。
俺はシルヴィアの側に戻っており、殺した筈の照綱は無傷でアイゾーンの側に侍っていた。
現実を、世界を作り変えた。
そうとしか考えられない現象だった。
「貴方の意志に免じて……愛しているわよ」
アイゾーンは照綱の手を取り、彼の顔を愛おしげに眺めた。
「感謝を……」
照綱は深く頭を下げた。
「あなたの行く末に興味はないけれど……少し頼みがあるわ」
「断る」
俺は即答した。
それに対し、アイゾーンの目つきが突然変わり、怒りの形相を浮かべていた。
「なんだよ、そんなに__」
俺はアイゾーンを挑発しようとしたその時、背後に気配を感じた。
「順調に育っているようだな?」
俺の背後に、かつて殺した筈のソルクスが立っていた。
「えっ……?」
最初に声を出したのは、シルヴィアだった。
しかし次の瞬間、俺とアイゾーン、ソルクスを除いた全員がその場から消失した。
「避難させたわ……貴方以外ね」
アイゾーンはソファから立ち上がっており、臨戦体制を取っていた。
「何をしに来たのかしら……″ケテウス″」
ケテウス。
その名を思い出す。
大神達の主神。シルヴィア達を製作し、ソルクスを狂わせた元凶。
ルナを死に追いやり、今も尚戦争の萌芽を植える男。
そして、エルウェクトの兄。
ソルクスの身体が剥がれ落ち、筋骨隆々の男が内側から現れる。
眩い金髪と顎髭にドレープを纏ったその姿は、聖書に映る御姿と完全に合致していた。
「ルナの奴がやる気を無くして死んだ時は頭を抱えた……だが!」
ケテウスは重厚な声で、上機嫌に喋り続けた。
「エル……まさかお前が生まれ変わってるとはなぁ……」
彼は、情熱的な眼差しで俺を見た。
「……摘み取らせはしないわよ」
アイゾーンは殺気立っていた。
しかし、ケテウスはそんな彼女を嘲笑した。
「バァカめ……誰が摘み取るものか。俺の生涯最高の愉しみを台無しにするとでも?」
彼は自身を誇示するかのように、両腕を広げた。
「全ての快楽を網羅した!あらゆる者と友情を育んだ!産まれ落ちて以来、勝負に勝ち続けてきた……!だが、そのうち、俺は飢えてしまった」
ケテウスは俺を指差した。
「考えた事はあるか?全てを究めた者の末路を、神の行き着く果てを……」
彼の瞳の奥底では、怒りと憎悪が渦巻いていた。
「労せず手に入る信頼に価値は?自分の手がけるものよりも遥かに質の低い娯楽は好きか?手加減をしても負けられない勝負に心が躍るか?」
ケテウスを中心に、室内に亀裂が入った。
「だからこそだ……エル、いいやアルテス。お前は、俺の飢えを満たしてくれるやもしれない」
ケテウスは俺の両脇を抱えて、赤子のように持ち上げた。
何故か、身体が凍ったように動かなかった。
「離しやがれ……!」
「……星々の果てでお前を待っているぞ」
ほんの一瞬、ケテウスの表情が和らいだ。
慈しむようなその眼差しは、まるで別人のようだった。
俺は、それをどこかで見た気がした。
しかし、彼はすぐに狂熱的な笑みを浮かべ直すと、俺をその場に降ろした。
次の瞬間、落雷が不夜城を貫き、ケテウスを包み込んだ。
眩い光が周囲を包むと、不夜城に開いた穴は完全に修復され、その場にいた人々も戻って来ていた。
「全く……屈辱だわ」
アイゾーンは歯軋りをし、恨めしげに呟いた。




