133話「浄化」
セジェス首都。モデュード邸を仮住まいとしていたエレネアは、連日連夜責務に追われていた。
「……あと何があったかしら?」
彼女の目元には深い隈が溜まっていた。
「指示派閥への顔合わせ、ナパルク家の家督相続も大変ですね。何せ家が消し飛びましたから」
彼女の側でエリノアは苦笑していた。
「あと……判子を押し続ける作業よ……もう」
エレネアは目を細め、顔に皺を寄せていた。
一枚の書類をエリノアに差し出すと、彼女はそれに目を通した。
それは、支持派閥の議員が送った嘆願書だった。
__議場に神殿を併設し、開場前に1分ほど祈りの時間を設けたい。
「……どうしましょうか?」
エリノアは顔を引きつらせていた。
「彼……この前は議会と宗教の癒着をこじつけて批判していた気がするのですが」
続けて彼女は愚痴をこぼす。
「ええ、お陰で支持率も落ちましたわ。おおよそ、街が難民に攻められた時に、自分は聖職者だと言い張りたいのでしょうね」
エレネアはため息を吐き、嘆願書を破いた。
「セザール様の協力を得たのは僥倖でした……次の議会の前に、彼の方の派閥に引き込んで貰いましょう」
彼女は暗に粛清すると言っていた。
「まあ、妥当でしょうね……」
次の瞬間、執務室の入り口で転移門が開いた。
それを見た瞬間、エレネアの表情が引き締まり、凛とした姿勢へと変わっていた。
「お待ちしておりました。″勇者様″」
彼女は幼さを僅かに残した、屈託のない笑みを浮かべて彼を待った。
転移門から出て来たのは、ニールだった。
「オーギュストの件だろう?何を求めてる」
ニールは腕を組み、やや不機嫌そうに尋ねた。
「貴方の比類なき力をお借りしたいのです」
ニールは指を弾いた。
「革命を遂行した後、前線に居る軍拡派の連中と戦うつもりか」
彼は、エレネアの計画をすでに見抜いていた。
「リゼットさんを保護しています」
しかしエレネアもまた、彼が断る事を見抜いていた。
「……脅してくれるじゃないか」
彼はエレネアの机にあったペンを磁力で押し潰し、机に突き刺した。
そんな彼との間に、エリノアが立って入った。
「売国奴め……お前もアウレア人だろう」
「逃亡兵が説教を?冗談じゃない……先輩は敬うものよ、12代目」
二人は僅かに殺気立ち、互いの間合いを測っていた。
ニールはその言葉の意味を察した。
「……お前、9代目か。祖国への愛情は失せたのか?」
二人の勇者は今にも剣を抜きそうだった。
「私は、私だけのやり方で祖国を救う。停戦を迎え、セジェスの使者として故郷の土を踏むつもりよ」
エリノアの言葉に、ニールの敵意は微かに薄れた。
ダメ押しと言わんばかりに、転移門から二人の女性が出てきた。
「あらあら、間に合ったようね」
メアリーが呟く、彼女はリゼットを連れていた。
「ジュピテールさん……?」
リゼットは戸惑っていた。
ニールは瞬時に魔法を解き、殺気を収めた。
まるで普通の人間を装うように。
「ご協力、願えますか?」
エレネアが優しく尋ねた。
「……ああ、謹んでお受けしましょう」
ニールは片膝を付いた。しかしその形相は、怒りに満ちていた。
「しかし、何故そこまで事を急ぐのです?」
ニールは尋ねる。
するとエレネアは人差し指を立てた。
「じき間もなく、クレイグ様が事を起こしますから」
◆
「……先生。クレイグってそんなに凄かったのか?」
裏ジレーザ。ウェールに与えられた私室で、彼女はバベルから授業を受けていた。
合成繊維のカジュアルな服に、ダウンジャケットを着崩したその姿は、かつてセジェスにいたとは思えない程に染まっていた。
「良い質問だね。彼に触れるついでに、君にも触れておこうか」
彼は電子ペンを片手に、部屋に置かれた巨大なモニターをタップした。
ウェールは両手を膝に置いて行儀良く話を聞き入り、目を輝かせていた。
「僕が個人的にスカウトしたのは、君とクレイグだけだ。尤も、動機はそれぞれ違うが、理由は一緒だ」
画面には古代人と現代を生きる四種のヒトの解剖図が表示された。
「まず、君たちヒューマン、エルフ、ドワーフ、オーガの四種のヒトは、間違いなく僕達の劣化コピー品と称して良い」
古代人の身体能力を雑に表示したグラフが出現する。
そして、四種のヒトが切り替わり、ハイヒューマン、ジャイアントなどの上位種が表示された。
しかし、それら上位種の身体能力ですら、最も優れた身体項目が古代人と横並びになる程度だった。
「だが、何事にも例外はあるものだ。特に、渡津海狩狗は、古代最強の騎士と称されたガウェスが生前見せた戦闘データを、遥かに上回っていた」
ウェールは自身を指差し、戸惑っていた。
「じゃあ、私は?」
「知能だよ。君はこの一ヵ月で、新生児が15年かけて覚えた学科を全てクリアしている」
ウェールは目を白黒させていた。
「じゅ……15年?」
「そうとも、15年だ。様々な分野の職人が集まって漸く完成するネクロドールを、君は一人で、原料から作成しているんだ……異質だとは思わなかったのかい?」
ウェールは目を逸らす。
それは、非難や罵声を浴びせられ、マレーナに守ってもらっていた頃の記憶だ。
そんなマレーナも、もう居ない。
「でも、職人たちは大した事ないって……」
バベルはため息を吐いた。
「醜い皮肉だ。悪魔の外殻や、神がこさえた金属を加工できる人間がセジェスに居るとでも?」
「居ないのか?」
ウェールは、酷く戸惑っていた。
「……常識の授業を考えておくよ。僕じゃなく、ミスティがね」
バベルが手を叩くと、モニターの画面が落ちた。
「そういう訳で、君はこの星で最も賢い存在へと一歩を踏み出している訳だ。一方で、あの渡津海狩狗はこの星で最も強い存在として君臨している。ああ、神を除いてね」
ウェールは首を傾げる。
「半神はどうなんだ?」
バベルは鼻で笑った。
「彼の相手になる筈がないだろう?」
◆
ハースのグレイヴソーン家が所有する居城に、クレイグは訪れていた。
異様な程に巨大なその城は通常の7倍近いスケールで建造されていた。
そして玉座には、天井に頭が付きそうな程の巨人が座していた。
「よう、久しぶりだな、ダライアス」
クレイグは両手を広げ、彼の名を呼んだ。
ダライアスは、巨大な王冠を正し、玉座に立て掛けてあった巨剣を手に、立ち上がった。
それだけの所作で城が揺れた。
「クレイグか……!!」
ダライアスは嬉しげに彼の名を呼ぶと、巨剣をクレイグに向けて振り下ろした。
対するクレイグは血で刀を形成し、その一撃を受け止めた。
ダライアスは巨剣に体重を乗せる。
クレイグは、瞬時に自身と足元を魔力で補強してみせた。
彼の周囲が円状に窪むも、それ以上は拮抗して動かなかった。
「随分と出力が上がったじゃねえか」
クレイグは満足げに微笑んだ。
しかし、ダライアスは対照的に落ち込んでいた。
「刀すら抜かせれんか」
クレイグは、血の刀を握力で握り潰した。
「抜いたら殺し合いだぜ、ダリー」
二人は満面の笑みを浮かべ、互いの獲物に手を掛けた。
「そこまで、集う前に仲間で殺し合ってどうする」
トロヌスが二人を呼び止めた。
そして彼女の背後には、三人の冒険者が集っていた。
「おお、全員揃ってんのか!!」
ダライアスは巨剣を床に突き刺し、目線を合わす為にしゃがみ込んだ。
「アナタと会うのは嫌だったけれどね。領主になって多少の品性は付いたと思ったのだけれど」
大きなとんがり帽子を被ったエルフは、不満げに答える。
「ダチと会うのに礼儀作法が要るってのか!?冗談が上手くなったじゃねえか!!」
彼女は帽子を深く被り、ため息を吐いた。
「だから嫌いなのよ……」
クレイグは手を叩く。
「嫌いで結構。冒険者なんざ利己の利益の為に殺しが出来るクソ共だ。天罰とやらが下るその日まで……楽しく殺そうぜ」
ダライアスはその場で胡座をかいた。
地面が揺れ、彼は満足げに笑った。
「まだ見ぬ戦士を求めて」
ダライアスは呟いた。
「魔導の知恵を求めて」
エルフの女性は持っていた杖を鳴らし、応えた。
「ヒトの軌跡を求めて」
トロヌスが、背中から白色に燃える六枚の羽根を展開した。
「狩りの獲物を求めて」
手足の生えた卵形の肉体に、ギリースーツを纏った生物は静かに答えた。
「未知の生物を求めて」
薄汚れたコートを着た中年のアウレア人は、気怠げに答えた。
「運命の出会いを求めて」
そしてクレイグは無邪気に笑って答えた。
「よぉし、ウロボロス再結成だ。楽しくやろうぜ」
「今度はいつまで続けるつもりだ」
中年のアウレア人が尋ね、クレイグは懐から一枚の扇子を引き抜き、開いた。
「無論、死ぬ迄だ……」




