130話「啓示」
山の頂上が蛇のようにうねり、二つがヴィオラに向かって迫る。
彼女は、持っていた槍を山の一つに投げた。
次の瞬間、槍の後部が花弁のように花開き、内蔵された血肉が破裂するように吹き出した。
「ウシュムも頑張るですよ」
噴流に押された槍は、数百倍の質量はあった山を打ち砕き、その余力で隣接する山も吹き飛ばした。
砕け散った岩塊が再び形を変え、本来持っていた質量を無視して槍のように伸び、二人を取り囲むように迫った。
「物理法則は通じないようだな」
ウシュムガルの胸部が膨張した瞬間、彼の口腔から高熱の炎が吐き出された。
灼熱の奔流が魔力を剥がし取り、岩塊ごと敵の魔法を焼き払った。
「出番だ、メイ」
ウシュムガルが呟くと、ヴィオラの真横を純金の矢が通過した。
噴き上がった炎を突き破り、一筋の軌跡を描きながら斉天大聖へと矢は迫った。
鏃は風を切り裂き、音の壁を容易に超えた。
しかしその程度の速度では、斉天大聖を穿てない。
「ぬるいわ!!」
彼は硬質化した雲の上に立ち、メイシュガルの矢を鉄棒で弾き落とした。
澄んだ金属音が響き、矢が遥か地上へと落ちて行く。
その光景を見届けた筈の彼は、胸に痛みを感じた。
「……む?」
彼の胸に、叩き落とした筈の矢が深々と突き刺さっていた。
「何だと!!」
彼は胸に刺さった矢に触れる。
しかし、魔法の効力が及ばなかった。
表面を覆っていた溶けた黄金が、斉天大聖の体内に侵入した。
「魔法が効かん、神器かぁっ!?」
「そうとも、神器さ。俺の叔母に当たるのかな?それの初作だそうだ」
メイシュガルは遥か遠方で、再び矢を番えた。
「間接的にでも接触すれば、矢は必ず当たる。だから俺の魔法とよく馴染むんだ」
メイシュガルは再び矢を射ると、斉天大聖の腹部に刺さった。
「おのれ……」
斉天大聖は、魔法を自身に適用した。
背中の皮膚が裂け、彼の骸骨が勢いよく飛び出した。
「やってくれおる!」
取り残された皮膚と内臓は、内側から溶けた黄金が荒れ狂い、ズタズタに破壊していた。
「やるですよ」
骸骨だけで宙に浮く斉天大聖に、ヴィオラとウシュムガルが迫っていた。
ヴィオラの手には、巨大な槌が握られていた。しかし、打突部分には、巨大な歯茎が生えており、グロテスクな見た目をしていた。
「あの武器は……!」
斉天大聖は、身体を再生しながら雲を盾にしようとするも、槌で勢い良く殴られた。
次の瞬間、槌の歯茎が開き、雲ごと斉天大聖を丸呑みにしてしまった。
「よく食べるですよ」
口を閉じたまま、謎の咀嚼音を立てるその槌は、『午前13時の盆栽』と命名された、魔神マリアヌートの宝具だった。
「一件落着か?」
ウシュムガルが呟く。
「たわけ、ワシがこの程度で死ぬものか」
斉天大聖は、ヴィオラが砕いた筈の山頂に立っていた。
「複製したの?」
ヴィオラは動揺した様子で尋ねる。普段の口調すらも崩れる程に。
「貴様の不出来な複製と同義に測るな。″全て″が一つのワシよ。肉が死ねば器を変えれば良い」
彼がそう呟くと、山岳に生える木陰、硬質化した雲の上から、無数の斉天大聖が姿を現した。
「……冗談だろ」
それは、メイシュガルも例外ではなかった。
彼の周囲にも、20を越える斉天大聖が浮遊していた。
「「「「ワシの魔法の本懐を見せてやろう」」」」
斉天大聖が天へと拳を振り上げた。
すると雲が砕け散り、歪んでいた山岳すらも粉々となって空に巻き上がった。
それらが次々と膨張、分裂を繰り返し、陽の光を遮る程の物量の礫となった。
「身体を縮めても良いか?」
ウシュムガルは苦々しく呟いた。
蝗害のように不規則で空を舞う礫が、針や剣のような形状に変質する。
「……頑張るですよ」
ヴィオラが呟いた時、礫が触手のように伸びて射出され、一斉に三人へと襲い掛かった。
◆
玄和と兵隊を連れて霊岱に辿り着いたクリフ達は、異様な気象と魔力の気配に気付いていた。
「クリフ……」
シルヴィアが俺に囁いた。
どうやら、彼女も気付いていたようだ。
「ああ、超域魔法を使った奴が居る。多分、斉天大聖って奴だろう」
「あたしが行ってくる。クリフは演説が済んだら来て」
彼女が乗っていたネクロドールの脚部が発光し、飛行態勢に移っていた。
「シルヴィア」
「止めないでよ?あたしだってオーヴェロンを……」
彼女は不服そうに答えた。
「息子たちを頼んだ」
言葉を遮り、その目を見て言った。
彼女は、それを比喩として受け取ったようで、深く頷いた。
「任せて」
彼女はそう答えるとネクロドールと共に空高くへ飛翔して行った。
「何があったのですか?」
明景が尋ねた次の瞬間、空の向こうで漆黒の波動が弾けて拡散し、曇天の空を散らした。
「斉天大聖が俺の家族を襲ってる。行こう、話が済んだら俺も抜ける」
明景、玄和は顔を青くし、玄和が後ろへ振り向いた。
「総員、加急行軍せよ!」
彼の指示が入ると太鼓が三度鳴り、兵士達は駆け足で走り始めた。
渓谷を瞬く間に抜け、霊岱市街の関門へと辿り着く。
俺はマレーナの背に乗って行軍の先頭を走り、角と尾を見えやすいように露呈させた。
「通るぞ!!次代の主神、アルテス様より話がある!!」
検問所に居た人々は、俺の姿を見ると一斉に道を開け、その場にひれ伏した。
その間を抜け、兵隊達が続いた。
そして民衆達は、その兵隊の後を走って追い続けた。
市街の中心地に到着しようとしたその時、俺は明景の肩を叩いた。
「少し隠れる。最初はお前だけでやってくれ」
「何故でしょうか?」
明景は首を傾げた。
「パフォーマンスだ」
俺はそう答えると、マレーナから飛び降り、彼女を抱き抱えてその場から跳躍して、屋根の上に飛び乗った。
そして彼らを追うように屋根を抜けると、人目を避けながら市街の中心地に向かった。
明景と兵隊達は、街の中心、霊寂院へと続く大階段の前で立ち止まった。
俺は、マレーナと共にその光景を見届けていた。
「何事だ!!」
高僧達が僧兵を引き連れ、慌てた様子で大階段から降りて来た。
「如何に超昌の長とて、ここが何処かと分かっての狼藉か!!?」
先頭に立つ高僧は、顔を赤くして怒鳴った。
対する先頭に立つ明景の面持ちは、湖面のように静かで落ち着いていた。
「この地が腐敗の温床にございますれば、妥当かと」
明景は鋭く切り出した。
既に民衆は広場を埋め尽くすほど集まっており、兵隊が集まっていた事もあって、静まり返っていた。
「貴様……」
震える高僧に対し、明景は深く頭を下げた。
「皆様に、霊寂院の全てを話しに参りました」
「でたらめだ!!此奴を……」
「やめて頂こうか」
高僧が僧兵に指示を飛ばそうとした時、玄和が遮った。
それと同時に、彼の後ろに控えていた兵隊達が一斉に槍の石突を地面に突き、鳴らした。
「……っ」
それは、圧倒的な戦力差による言論の制御だった。
「かの寺院には、使い切れぬほどの金が眠っております。その殆どが、およそ公平な手段で得たものではありません」
彼は静かに話す。
「更には、それらは求道や奉仕の為ではなく、快楽の為に用いられております。」
彼の喋りに熱量が籠り始めた。
「寺院には、酒や馳走が揃っております。そして時には娼婦でさえも。おかしいとは思いませぬか」
明景の額に青筋が浮かび、噛んだ唇からは血が滴っていた。
彼から滲み出た怒りと熱意に、その場にいた数百を超える人々が、気圧されていた。
「僧が武器を取って金を奪い。子供が作った札と神具を売り捌き、偽りの希望を説いている。おかしいとは思いませぬか」
明景は、鬼の形相で高僧を睨んでいた。
「飢えた子を攫い引き連れては、銭を稼ぐ為の道具として用いるその悪辣さ……私は……何年間もこの目に焼き付けて来たぞ!!!」
喉が裂けんばかりの怒声だった。
静寂は尚も続いた。
彼は息を整えて膝を折り、その場で額を付けた。
「どうか皆様、目をお覚ましになって下さい」
明景は顔を上げ、懐から一本の短刀を取り出した。
「明景の名を捨て、ただ一人の求道者として、この命を以て告発を、懺悔を終えましょう」
高僧は慌てた様子で踏み出した。
それと同時に、大階段や様々な場所から僧兵が集い、趙昌の兵隊に比肩する程の数となっていた。
「このような虚言を信じてはならぬ!これは、権力による教えへの干渉だ!!」
高僧の声が虚しく響き、明景は自身の喉に短刀を運んでいた。
俺が出るべきは、今しか無かった。
〈__繋星〉
エルウェクトの権能を起こす。
セジェスを焼き、アキムを殺したあの力を。
荘厳な鐘の音が何処からともなく響き、柔らかな光が明景の頭上に差し込む。
その場に居た人々はどよめいた。
〈__皇金白々明〉
〈__晴天神立〉
〈__流風極地〉
三つの超域魔法を同時に起こす。
身体に黄金の炎を纏いながら、その場から跳躍し、一瞬で雲の上を抜けた。
そして俺は、雷を引き連れて明景の目の前に降り立った。
乾いた音と衝撃によって、高僧はその場で尻もちを付き、明景は手を止めた。
「アルテス様……」
明景は短刀をその場に置き、地面に額をつけた。一方で俺は、考えていた演説内容を思考の隅に掃き捨てた。
「聞きたい。彼の者が話した事は、偽りか?」
だから俺は、神として振る舞う他なかった。
高僧の目を、凝視し続けていた。
「それは……」
「口が利けないのか?」
高僧は俯いてしまった。
「……信仰の在り方に文句を付ける気はない」
クリフは静かに答えた、落雷の余韻が街に響く中、誰もが息をのむ。
「だがそれは、他者を害さない限りだ」
指を弾く。
雲が一瞬で荒れ、降り注いだ雷が僧兵たちの武器を貫いた。
「彼の者が言ったものを、俺は見たぞ」
厳密にはヴィオラが、だが。
「贅を尽くした堂にこもり、金と快楽に溺れ、祈る者を脅し、搾り取り、死すら弄ぶ。それが神の僕を名乗る者の姿か?」
怒号が巻き起こり、僧兵達は萎縮し始めた。
このままでは暴動が起こる、良くない兆候だ。
「鎮まれ」
俺はそれを制する為に、地面へ再び雷を落とし、民衆を黙らせた。
彼は民衆を見渡し、一人ひとりの目を見つめる。
「力を振るうのは俺の役目ではない。お前たち自身が、この地を、信仰を、どう在るべきか決めるんだ」
一瞬の沈黙の後、民衆がざわめき始める。
誰かが拳を握り、誰かが涙を流し、誰かが静かに頷いた。
「心と導きに従え。しかし、良き心を忘れるな」
最後の言葉で締め括ると、高僧と僧兵達は頭を地に付けた。
民衆もまた、それに倣った。
「明景」
「……はっ」
彼は顔を上げ、俺の瞳を凝視していた。
「神を信じるな。教えを信じろ」
彼以外に聞き取れない声量で、囁いた。
「神に弄ばれない為に」
「……承知しました」
俺は再び跳躍し、シルヴィア達の元へと向かった。
すぐ下では、明景を先頭に、その場に居た全員が霊寂院へと登り始めていた。
松明の火が列を成しゆっくりと、しかし力強く山を昇っていた。
今、改革の萌芽が実ろうとしていた。




