129話「啓示」
クリフは、明景を連れて趙昌家の居城に訪れていた。
シルヴィアも同伴しており、互いに外套を脱いで角と尻尾を露わにしていた。
衆目の集まりはピークを迎えており、幾人かは俺達の後をつけていた。
「妙ですね」
明景は呟く。
「どうした?」
明景は近くの露天に目を向けた。
店主は少し驚き、深々と頭を下げていた。
「物価が急騰しています。それに、兵器を積んだ馬車が何台か通りました」
「戦争が近いってこと?」
シルヴィアは首を傾げた。
「……粛清だろ。戦争ならもっと派手に準備するさ」
居城へと続く階段を駆け足で登る。
「嫌な予感がします」
「ああ、血の匂いだ」
正門に辿り着くと、槍を持った二人の門番が、戸惑っていた。
「景和様……それに」
「兄上に話がある」
門番の言葉を遮り、景和は歩き出した。
正門を抜けると、広場には無数の兵が控えていた。
「やはりだ……しかし何故今になって」
兵たちの間を抜け、宮殿の前に辿り着くと、豪奢な漢服に身を包んだオーガが立っていた。
恐らく、彼が玄和だ。
「……間に合いませんでしたか」
玄和は俺を見て眉を落とした。
「見せたくなかったようだな」
「ええ、経済的な価値を重んじて放逐していたのは小人の責です。どうかお赦しを……必要とあらば直ちに誅してみせましょう」
玄和は宮殿の階段を降り、広間に降りると、両膝を着き、額を床に付けた。
「……謝罪はいい。だが殺しは気に入らないな。霊岱に兵隊を出すだけで良い……お前の弟が僧侶と民衆に説法を効かせてくれる筈だ」
顔を上げた玄和は、以前として暗い顔のままだった。
「お言葉ですが、説法だけで腐敗した民衆を動かすのは難しいかと」
右手に魔力を纏わせ、魔法を起こした。
〈__神立〉
一瞬で空が曇り、落雷が玄和の眼前に差し込んだ。
鼓膜を破りかねない程の乾いた音と共に地面が弾け、瓦礫が飛散した。
周囲に居た兵士たちがどよめき、礫が額を掠めるも玄和はぼう然としていた。
「その為に俺が居る」
自身を親指で差し、犬歯を見せつけた。
◆
一方でメイシュガルとヴィオラは、霊岱の宿で待機していた。
ヴィオラは、近くの露店で買って来た山盛りの肉まんを、次々と頬張っていた。
「……大丈夫?」
メイシュガルは優しく尋ねた。
彼女は手を止め、頬張った肉まんを噛まずに飲み込んだ。
「ヴィオラの分も生きるです」
彼女はそう答えると、再び肉まんを頬張り始めた。
「……そうだな。俺も母さんの分まで生きないと」
メイシュガルは、何をすれば良いのか分からなかった。
人生の目標が欠け、張り合いがなかった。
多分恐らく、あの日失ったのは希望なのだろう。
「……俺もちょっと買い出しに行こうかな」
メイシュガルは立ち上がったその時、風切り音が鳴り響き、天井が軋んだ。
〈__黄金境〉
判断は一瞬だった。
右腕から溶けた黄金を滴らせ、巨大な盾を形成した。
ヴィオラもまた、その意図を察し、その場から飛び出し、盾の裏に飛び込んだ。
次の瞬間、巨大な鉄塊が天井を突き破り、宿全体を押し潰しながら盾と激突した。
「何だよ……!!」
鉄塊を押し返そうと踏ん張った瞬間、床が抜けた。
「あっ」
「手はあるです」
ヴィオラは全身から触腕を出し、両腕を広げた。
「さて……この程度で死ぬ訳はあるまいよ」
斉天大聖は、霊岱の上空で腕を組み、棒状の巨大な鉄塊に乗った。
〈__如意〉
つま先で触れた鉄塊が瞬く間に縮み、彼の愛用する鉄棒にまで縮んだ。
空を浮遊したまま鉄棒を足指で掴み、潰れた宿を見下ろす。
跡地に土埃が流れ込む直前、斉天大聖は小さな穴が跡地に開いていた事を見逃さなかった。
「潜ったか」
斉天大聖は鉄棒を足指で弾き、手に取った。
そして鉄棒を、ビリヤードキューのように構え、跡地を狙い澄ました。
〈__如意〉
鉄棒は、細さを維持したまま急速に伸び、遥か下の地面を穿った。
「万物は自在よ、我が手中においてはな」
鉄棒が自在に蠢くと、格子状の鉄板が飛び出し、地中全体を裁断してみせた。
「肉を断てん……まさか」
斉天大聖の頭上から、メイシュガルが落ちて来た。
「転移門か!!」
「小手先の技術は得意でね!!」
メイシュガルは一対の剣を黄金で作り、溶湯の触手を背後から形成した。
斉天大聖は鉄棒を瞬時に収縮させると、正面に突き出した。
「あの小娘の方が価値が高そうだ」
彼が何気なく呟いた言葉が、メイシュガルの心を抉った。
「故に、死ね」
鉄棒の先が変形し、巨大な檻のような形状へと変化し、メイシュガルを取り囲んだ。
それは一瞬のうちに収縮し、メイシュガルを押し潰し、細切れに裁断した。
肉片と血液が斉天大聖へと滴り、彼がそれを振り払おうとしたその瞬間、肉片の一つが光に包まれ、メイシュガルが再出現した。
「半神だったか!!」
互いの距離が肉薄した瞬間、斉天大聖は鉄棒を巨大な円盾に変形させた。
盾の表面から無数の剣が飛び出し、メイシュガルに迫る。
メイシュガルは、同じように黄金で盾を形成し、相手の盾に押し付けた。
「母さん、力を貸して」
そして、懐から一振りの筒を取り出した。
筒から光刃が飛び出し、彼が十字に振り払うと、重なった二枚の盾をバターのように裁断してみせた。
「何だそれは……!!」
斉天大聖は古代人の技術を見て、目を白黒させていた。
「当ててみろよ!一生分からないだろうからな!!」
メイシュガルは、そのまま光刃を斉天大聖へと突き立てた。
対する彼は、光刃を素手で白刃取ろうとしていた。
実体の無い灼熱のビームを、素手で掴める筈が無かった。
野蛮人の愚かな抵抗。
メイシュガルはそう誤解してしまった。
「ちょっとは考えたら__」
斉天大聖が光刃に触れた時、その形状が大きく乱れた。
釣り針のように屈曲した刃先は、一転してメイシュガルの腹に突き刺さった。
「耳は遠い方か?我が手中において、万物は自在よ」
光刃は枝のように分かれ、メイシュガルの身体を串刺しにした。
「……半神ともなれば、貴様の価値を見直した方が良いかもな」
割れた鉄棒を変形させ、檻を作ろうとしたその瞬間、鱗に覆われた巨大な拳が斉天大聖に激突した。
衝撃波を生じさせ、斉天大聖は遥か先へと吹き飛ばされてしまった。
「全く、先達として示しておかねばな」
巨大な竜の姿を取り戻したウシュムガルが、空を浮遊していた。
「ウシュムもパパにやられてたですよ?」
ウシュムガルの頭上でヴィオラは囁いた。
彼は不機嫌そうに唸った。
「クリフに会って来なかったのか!?」
メイシュガルはヴィオラに向かって苦言を呈した。
「ヴィオラが死ぬのは嫌です。でも、メイが死ぬのも嫌です」
ヴィオラの全身から多量の血が溢れ出し、チペワのように頑強で大柄な肉体に変異し始めた。
「クリフはその内帰って来るです。ヴィオラは、それまで死ななければ良いだけです」
彼女の頭部がシカの頭骨に覆われ、細身で、硬質な外殻に覆われた姿へと変身した。
そのシルエットは独特で、鎧騎士、あるいは甲虫のような身体をしていた。
「前に出るです。メイは遠くで撃つですよ」
彼女は血と肉で出来た槍を形成し、ウシュムガルは彼女と共に、斉天大聖が吹き飛んだ方向へと飛翔した。
「……請け負ったよ」
メイシュガルは瞑目すると、彼の手に光と共に一つの弓が出現した。
遠方に聳える山肌に吹き飛ばされた斉天大聖は、土塊を押し除けて立ち上がる。
「……やってくれたな」
彼は自身の額を掴み、力任せに握りつぶした。
傷口から眩い光が溢れ出し、光は頭冠のように頭を一周した。
「超域魔法、開門」
斉天大聖は両腕を広げた。
〈__万事如意〉
次の瞬間、山の輪郭が崩れ、雲海が鉄のように硬化した。周囲に浮かぶ霧は鎧のように彼の周囲へと纏わり付いた。
天地そのものが、彼の幻想によって歪み始めていた。
「児戯は終わりだ、蹴散らしてやろう」
斉天大聖は牙を剥き出し、迫り来る三人を迎え撃った。




