128話「黙ってられるか」
遅延して申し訳ありません。
祖父の葬儀で色々と立て込んで遅れました。
在庫自体はあるので、来週からは通常通り投稿できると思います。
黒色の法衣を纏ったオーガの僧侶は、霊岱の離れにある、寂れた集落に訪れていた。
「明景様!!」
飢えた子供達が、彼の到来に気付いて一斉に走り始めた。
「良い子にしていましたか?」
明景と呼ばれた僧侶は袖に指を滑り込ませ、幾つかの干し杏を取り出した。
五人で集まった子供達は、受け取った杏を分配すると、満足げに頬張った。
「「「ありがとう、明景さま!」」」
屈託のない笑みを浮かべた子供に対し、明景の顔は暗かった。
「ええ、また来ますよ」
彼は手を振って子供達を後にする。
しばらく路地を歩き続けた後、周囲を見渡した。彼は追跡が無いと判断すると、路地裏へと入って行った。
「関心じゃないか、明景法師」
入った路地裏の先で、外套を被った男と鉢合わせた。
「アルテス様……ご拝謁に預かり光栄です」
明景は僅かな逡巡を置かず、その場で両膝を付くと、ぬかるんだ地面を厭わず額をつけた。
「……やめてくれ、自分の立場が嫌になる」
外套の男__クリフは外套を脱ぎ捨てた。
ため息を吐くクリフに対し、明景は目を丸くしていた。
「……畏まりました」
彼は土を払いながら立ち上がると、クリフの頭に生えた枯れ枝のような角を見つめた。
「それでだ……あの坊主共をどうにかする気はあるのか?」
そう尋ねた瞬間、明景の面持ちが引き締まった。
「ええ、あります。私は神に仕える僧として。いえ、人として彼らを看過出来ないのです」
明景の眼差しは強く、揺るぎなかった。
「手立てはあるのか?」
「はい」
彼は路地裏横の扉を指差すと、ノックした。
「寂に伏し、輪に潜み、竜の影、千年を眠る。名を刻め、声を潜めよ。光あるもの、いずれ影に還らん。巡りは留まり、留まりてまた巡る。穢れし魂、響きを失わんことを」
彼は長いお経を唱えると、扉の鍵が外れ、開いた。
「お経を合言葉にしてるのか?他の坊主が来たらどうする?」
そんなクリフの問いに、明景は得意げに笑った。
「霊寂院に正しい経を唄えるものなど居ませんよ」
クリフは苦笑した。
「随分じゃないか」
内側から薄汚れた平服を着た男が顔を出した。
「明景様と……あなたは」
平服を着た男は、クリフを見て怪訝そうな顔をした。
「俺は……」
クリフは言葉に詰まった。竜人の加速した思考能力が結論を導いたからこその詰まりだった。
ルナブラムの弟、アルテスという人物はあまりにも胡散臭過ぎるのだ。
しかも、極め付けに尻尾や角すらも他の竜神と似た特徴が無い。
「魚の魔物……?」
クリフは笑いを堪え、咳き込んでしまった。
明景は、それを聞いて顔を青くしていた。
「このお方は竜神の座に就かれるお方です!」
クリフは焦った明景を手で制し、五体投地に入ろうとしていた平民に、手を差し出した。
「アルテスだ、よろしくな」
恐る恐る手を取る平民に、クリフは笑みを向けた。
渡された力も恩恵ばかりではない。
神として果たすべき責任を、後悔のない選択をする。
背中を押してくれたエルウェクトへの義理くらいは、果たしたかった。
◆
「このように狭い場所で申し訳ありません」
家屋の地下に着くと、幾人かの平民が肩を寄せていた。みな一様に俺の姿を観察し、明景の顔を伺っていた。
「ルナブラム様の弟君、アルテス様だ」
俺を魔物と間違えた平民が、やや興奮した様子で話した。
「おお……」
「ついに……!」
「あの僧侶の横暴を見かねて……!!」
集まっていた人々は、希望に満ちた表情を浮かべた。
それと同時に、察した。
彼らは俺が全てを解決する事を期待していると。
「アルテス様が直接罰する事はありませんよ」
俺が苦言を呈そうとした時、明景が遮った。
「竜神は、全てを見守っておられる。人の行いは、人が変える……それこそが教えではありませんか」
全員が、戸惑いを隠し切れていなかった。
「では何故、顔をお見せになられたのですか?」
ヴィオラを殺した奴を殺しに来た。力を貸せ……などと口が裂けても言えなかった。
宗教改革に乗じて、黒幕を仕留めたい。
というのが本音だ。
「俺がやるのは後押しだ。過度に干渉するのは、あいつらの規則に反する」
彼らから態度には出ない僅かな落胆を感じた。しかし、希望を感じて微かに微笑む者も居た。
「こうして集まってるんだ、何か考えはあるんだろう?」
そう尋ねると、明景が一歩踏み出した。
「私の生まれ持った名は、趙昌景和。この地を治める趙昌の次男として産まれました」
「……道理で行儀が良い訳だ」
「恐れ入ります。長らく、兄である玄和に霊寂院を誅するよう促していましたが、聖地である霊山を焼く訳にも行かず……未だ派兵しかねている状態になります」
明景は悔いるように説明していた。
「……じゃあ城に行くか」
その場に居た全員が目を見開いていた。
まさか、何もしないと勘違いされたのだろうか?
俺はただ、力で問題を解決したくなかっただけなのだが。
「よろしいのですか?」
「後押しするって言っただろ?口利きと演説くらいはしてやるさ」
明景は深く頭を下げ、集まっていた人々もそれに倣った。
「感謝を」
「よせよ__」
柄じゃない。そう言おうとした時、地下室の入り口が蹴破られた。
乾いた音と共に、僧兵の集団がこの部屋に押し入って来た。
「斯様な場所に集まり何をしている!明景、貴様には……っ!?」
先頭を歩く僧兵が威圧するように話していたその時、彼は俺の姿を見て口ごもった。
彼は深呼吸をし、何かを決意したようだった。
「……竜神を騙る者め、化けの皮を剥いでやろう」
僧兵は俺に槍の穂先を向けた。
逆賊を捕らえに来た筈の彼は、一転して後には引けなくなっていた。
「……来いよ。あやしてやる」
オムニアントも、魔法も起こさないまま彼に近付く。
僧兵大粒の汗を流し、穂先を震わせていた。
そして今、彼が雄叫びを上げようとしたその瞬間、一度に三つの打撃を叩き込んだ。
コマを差し替えたかのように、一瞬で穂先が砕け、喉仏が陥没し、胸当てがひび割れた。
義父から学んだ理を無視する剣技。
それは拳だろうと問題なく行えた。
「次だ。お前らには、権能を使う価値すらない」
膝から崩れ落ちる僧兵をよそに、残る四人の僧兵に声を掛けた。
彼らは凍りついていた。
俺が一歩踏み出した時、最後尾に居た僧兵が武器を落とし、悲鳴を上げて逃げ始めた。
滑るように足を運び、僧兵達の間を抜け、逃げる僧兵の前に立った。
「逃げるなよ、捕まえに来たんだろ?」
俺の膝蹴りが、彼の鳩尾を貫いた。
顔を真っ赤にして崩れ落ち、彼は嘔吐した。
「あと三人」
俺が呟くと、僧兵達の一人が武器を手放し、地面に額を擦り付けた。
「お許し下さい……」
残された二人も、遅れて武器を捨て、頭を擦り付けた。
「……縛っておいてくれ。転がってる奴らも含めてな、殺してはいない」
俺はため息を吐きながら、明景以外の市民に頼んだ。
「さて……さっさと進めるか。懸念はあるか?」
明景は瞑目し、息を吐いた。
「一つだけ。霊寂院が引けぬ程に腐敗した元凶が居ます」
「僧正じゃないのか」
明景は首を振った。
「はるか昔より、霊寂院には強大な魔物が棲んでいるのです」
「……そいつか、ヴィオラを殺したのは」
小さく呟く。
思わず、怒気と殺気が滲み出た。
周囲の人々は慄き、明景は冷や汗を流していた。
「悪い、怒りが漏れた」
「……いえ、動機があって安心しました」
「失望したか?俺は聖人君子じゃない」
乾いた笑いをこぼした。
「まさか、私もですよ」
明景は薄く微笑んだ。
「で……そいつの名前は?」
◆
「斉天大聖様、夕餉にございます」
霊寂院の本堂。神像が納められている筈のその場所では、一人の大猿が寝そべっていた。
僧正を始めとした高位の聖職者が彼の元に侍り、豪勢な食事を差し出していた。
「ワシの食糧庫にネズミが紛れていた。恐らく、バレたろうな」
斉天大聖は腰を上げ、差し出された料理に手を伸ばした。
一見してただの角煮を盛り付けた更に見えたそれには、毛髪を剃り落とされ、同様に煮込まれたヒトの頭が添えられていた。
つまりこれは、オーガの人肉だ。
「不味いかもしれんのぉ」
彼はヒトの頭を手に取ると、そのまま骨ごと齧った。
「そも……アルテスなるお方は本物にてあられましょうか。彼の方について、聖典には何の記述もありませぬゆえ……」
僧正は恐る恐る尋ねた。
「さてな、だが魂は本物だ。視た限り、あ奴は神の魂を載せている」
斉天大聖は羽織を正し、顎の毛を扱いた。
「ワシでも勝てぬかもな」
僧たちはどよめいた。
その中で、僧正は深く頭を下げた。
「ご協力致します」
彼は、神ではなく大猿に仕えていた。
「……あの竜人をどうにかするのは無理筋だ」
斉天大聖は鉄棒を袖から取り出した。
「だが……連れ合いを人質としようか」
鉄棒を床に立て、白い歯を見せた。




