126話「王たるには」
六人横並びで数千㎞の旅。
ネクロドールを操るマレーナとテレシアに荷物を持って貰い、後は各々が持つ無尽蔵のスタミナでゴリ押した結果、悪路と名高い山々を驚異的な速度で通り抜け、修験者達の名所、ストリクト教の聖地、霊岱に訪れていた。
「おぉ……来たよ霊岱」
シルヴィアは感慨深そうに呟いた。
それに対し、ヴィオラは片手を目の上にかざした。
「山の上にあるのは何です?」
彼女は遥か遠くに建つ、粒のようなそれを指差した。
「んー……アレは寺院だろ。それにしちゃキラキラしてるけどな」
俺は訝しげに寺院を見つめると、遥か遠方にある、金装飾の飾りで彩られた寺院を見て、呟いた。
「行ってみたいです」
俺とシルヴィアは顔を顰めた。
仕事でもないのに、自分たちを信仰する寺院になど行きたくはなかった。
「……あたしは街の屋台に行きたいかな」
彼女は笑顔を引きつらせ、提案した。
かなり行きたくないようだった。
「じゃあ俺がついて行くよ。メイ、頼めるか?」
横を歩くメイシュガルの背中を軽く叩いた。
未だに、この青年が息子だという実感が湧かなかった。
「うん。分かった」
彼が頷いた瞬間、シルヴィアがメイシュガルの手を引っ張った。
「じゃあ行こっ!!」
無邪気に笑うシルヴィアは、彼を連れて走り出した。
「えっ……」
彼は戸惑いながらも、シルヴィアに連れて行かれ、凄まじい速度で街に走って行った。
テレシアもまた、彼女と接続が切れるのを避ける為か、青い噴炎を下半身から吐き出しながら二人を追った。
「宿は取っておく!!」
遠くに消えそうな二人に、声を張って伝えた。
「そういう事だ、ちょっと準備してから行くぞ」
「分かったです」
彼女は文句ひとつ言わずに、眩しい笑みを浮かべていた。
俺はヴィオラの手を引きながら、マレーナとゆっくり街を目指した。
◆
青々と切り立った山に囲われた修験道を登る。
肌を撫でる心地よい風、小鳥の囀りと森の香り。それらが心を穏やかに癒してくれた。
苔むした石段や朽ちた木を踏み締め、風化した石碑を目にしては、その場の雰囲気を噛み締めていた。
「ここで小休止なんだろうな」
石段を踏み越えると、少し開けた場所に出た。木屋根と椅子の付いたその場所は、休憩場だった。
渓谷に広がる街を一望できるそこで、白い髪の女性が、イーゼルとキャンバスボードを広げ、絵を描いていた。
「何を描いてるです?」
彼女は小走りで休憩所に向かうと、絵を描いている女性に尋ねた。
彼女は絵筆を止め、パレットを置いてこちらに向き直った。
白いワンピースに、麦わら帽子を被ったその姿は、画家のイメージからはあまりに乖離していた。
「ああ……″今″を記していたんだ」
彼女の言葉は、やや支離滅裂だった。
絵画に描かれたのは街の景色だった。
僧侶が飢えた子の横で裸の女を抱き、酒をあおっていた。
その他にも、民衆が僧侶達に貢ぎ、平伏している光景があった。
武器を持った僧兵が、貧しい人々を容赦なく痛め付けていた。
「今……か、随分と悲観的なんだな。それにセジェスの画風じゃないか」
俺は、少しだけ警戒心を引き上げていた。
この国の絵画は、墨を用いた筆画が主流だ。
にも関わらず、分厚いキャンパスに鮮やかな色彩を塗り重ねた油彩画は、セジェスやアウレアのものだった。
加えて、エルフやオーガの特徴がなく、限りなく人間に近い。
そこから導かれる答えはひとつ。
__彼女は、ヒトではない。
「霊岱の人々に、この絵は受け入れ難く、非難や破壊の対象になるだろう……故に、これを受け取るべきはセジェスだ」
彼女の口ぶりには、技法や拘りが感じ取れなかった。
「どうしてそこまでして描くです?」
ヴィオラが尋ねると、彼女は膝を負って目線を合わせ、柔和に微笑んだ。
「我らが忘れ去られたからだ。若きウェンディゴよ」
俺は無意識に剣の柄へ手を乗せた。
「未来の竜王よ、私は記録者だ。一切の脚色を加えず、ただ事実のみを後世へと伝えたいだけだ」
全てを見透かして答えた彼女に、警戒心が頂点を迎えた。
「なんで俺を知ってる」
目と鼻の先まで近づき、瞳を覗くように睨んだ。
「君の龍たる姿を描いた。あなたの父の勇気も、その想いを、余人が見た記録として、既に記してあるよ」
それは恐らく、俺がセジェスで犯した過ちの事を言っていた。
「お前は……何なんだ」
彼女は再びパレットを手に取った。
「古い時代の生き残り、今は記録者だ。縁があれば、私の記録とあなたの足跡が交わる事もあるだろう。」
彼女はそう答えると再びキャンパスを描き始めた。
「……二度と会わない事を願うよ」
そう答えてヴィオラの手を握ると、その場から離れた。
◆
中腹を越えた頃、巨大な木造りの門が道を塞いでいた。
大きな閂が掛けられたそれは、来訪者を拒んでいるかのようだった。
「まるで城だな」
そう呟くと、門に寄りかかっていた守衛がこちらに近付いた。
「ここは神聖なる霊寂院であるぞ、城と神域を同義に語るとは、なんたる不敬か」
鼻で笑いたくなった。姉がこんな山に関心を持つ筈が無い。ベルナールの剣の方が余程神聖さがあるだろう。
「申し訳ありません。祈りが足りておりませんでした」
手を合わせ、軽く頭を下げる。
道中で見かけた、豪国式の祈りを示してみせた。
「我らは見ておるぞ、誰が篤信で、誰が薄信かを。竜神様は貴様らの不敬をつねに見ておられるのだ」
つい、顔が引きつりそうになった。
姉は勿論のこと、あのペットとして飼われ、干し肉に貪欲な大トカゲが、そんな手間をかけるようには到底思えなかったからだ。
「申し訳ありません」
悲痛な声音で、心にもない事を言った。
それと同時に、先ほどの画家と泰遼の話を思い出す。
寺院の腐敗は本当かもしれないと。
「門は誰にも開かれぬ。不信者として立ち去るが良い……」
男は不安を煽り、脅すように話した。
「……ただし、飢える者の腹を十人。いや、二十人程満たせる″誠の寄進″があれば……神もまた心を開かれるだろうな」
それは恫喝であり、値踏みだった。
本当だったようだ。
竜神を騙る彼らに血圧が上がったその時、ヴィオラが一歩前に踏み出した。
「敬うのにお金が要るのですか?」
核心を突いた言葉だった。
僧兵は、持っていた錫杖を躊躇いなくヴィオラに__子供に向かって突き出した。
「おい……」
俺は軽く腕を振って錫杖を吹き飛ばすと、続けて外套を脱いだ。
僧兵は、露わになった角と尾を見て絶句していた。
「……まさか」
僧兵は、みるみる内に顔を青くしていた。
今すぐにでも、手足をへし折ってやりたい気分だった。
「これが″教え″か?」
「あ……っ、お許しを……」
怯える彼の胸ぐらを掴んで持ち上げた。
そのまま門に向かって歩き、力に任せて蹴ると、閂がへし折れ、門の片側が千切れ飛んだ。
「是非とも、説法願いたいな」
そう呟きながら僧兵を手放すと、彼は地面に転がった。
慌てて彼は起き上がり、懐に手を伸ばすと、無数の銀貨を掴んでは、その場にこぼし始めた。
「お金……かねっ……を……きし、寄進させてくださ……あ」
僧兵は体を震わせ、完全に憔悴しきっていた。
「金が欲しいのですか?」
ヴィオラは首を傾げた。
そんな筈が無かった。
「……僧正に伝えておけ。ヴィリングの使いが、ルナの弟がお前らの信仰を見たいと」
「はっ、あ……はいぃっ!!」
僧兵は叱られた子供のように走り出すと、険しい参道を駆け上がって行った。
「当たっても痛くなかったですよ?」
ヴィオラは首を傾げた。
俺はため息を吐き、頭を抱えた。
「そういうことじゃないんだよ……」
隣に居るマレーナが鼻を鳴らし、前脚で俺の太腿を叩いた。
彼女の情操教育には、骨が折れそうだった。




