125話「王たるには」
シルヴィアは、水面を凝視していた。
「……どうしたら良いんだろう」
この2ヶ月で、私の頭から離れなかった難題がある。それはクリフ、ひいてはアルテスの件だ。
私はヴァストゥリルと会った時に、自分が竜神の王になると答えた。
しかし、過ごせば過ごす程、共に歩けば歩くほど、それらの目標が遠のいていく実感だけが残った。
そもそも、具体的に何をすれば良いのか、何をすれば彼を追い抜けるのか。
何をすれば、彼を責務から解放出来るのか。
皆目見当が付かなかった。
「相談に乗ろうか?」
突然、水面から竜人が顔を出した。
「わっ!?」
心臓が止まりそうだった。
青い鱗をした彼女は私の反応を見て、満足げに笑っていた。
「びっくりしたかしら?私はレアマキュア、よろしくね」
彼女は2本の釣り竿を持って水面から這い上がる。体に付着していた水がまるで意志を持つかのように剥離し、海へと還り始めた。
彼女こそが水の竜神、レアマキュアだった。
「えっと、よろしく」
私は戸惑いながら返事をすると、彼女は持っていた釣り竿を一本、私に押し付けた。
「釣りでもしましょう。話はそれからでも良い筈よ」
「……うん」
先行して話題を広げたい衝動を堪え、頷いた。
そうして私達は釣り餌を沈めながら、釣果を待っていた。
「ねぇレアさん」
静かな波の音が耳を通り抜ける。
「うん?」
「クリフの代わりに竜神になりたいの」
「理由を聞いても良いかしら?」
レアは柔和に尋ねた。
「クリフは平穏を望んでるから。マレーナさんとゆっくりと暮らして、庭いじりをして余生を過ごしたがってる」
「あの子は譲らないよ」
彼女は優しげに、けれど残酷な事実を突きつけた。
だが、そんな事は分かっていた。
「だからそのすべを知りたいの。あたしは、強くなれば良いの?」
レアは首を振った。
「力じゃないわ、心よ」
あまりに抽象的なアドバイスに、私は首を傾げた。
「エルウェクトとソルクスの魂に差異は無いのよ」
彼女は胸に手を当てた。
「言ってしまえばあなたとクリフの土俵は、同じよ。残酷に言ってしまえば、努力の差…。かしら」
レアの言葉に唾を飲む。
納得が行かなかった。数多の超域魔法を抱え、人智を超えた絶技を放つ彼が、私と同じだと。
「そんな訳ないじゃん。クリフがそんな事をしてるのなんて見たことが無い。あたしの方がよっぽど__頑張ってるんだよ?」
それは私に残された最後の虚勢だった。
クリフは、母に愛されて、何もかも恵まれて__
そうでなければ、納得出来ない。耐えられなかった。
「彼は今の時点で、157年間、魂の中で過ごしているわ」
そんな私の思いを、レアの言葉が断ち切った。言葉が見つからなかった。
157年。多すぎて曖昧なその時間を、クリフは過ごしたと言っているのだ。
「……嘘でしょ?でも、100年生きてるのに変わってないじゃん」
顔を引きつらせて尋ねた。
認めたくなかった。私が彼に劣る理由は、ただひとえに、努力の差だという事実だったなどと。
「そう、変わっていないわ。だからヴァストゥリルは難しいって言ったのよ」
レアは物憂げに話した。
「クリフ君は壊れてるわ。ずっと、ずっと昔からね。あの子に根性比べで勝てる人物なんて、そう。ソルくらいかしら?」
懐かしい名を耳にし、思わず眉間に皺が寄った。
ソルクスの事は、今でも考えたくなかった。
「あいつが?」
「ええ、あの人がよ」
レアは正すように返した。
「あの人は、ケテウスに乗っ取られた後、徹底的に精神を苛まれたわ。人類が想像できないような責め苦を味わっても、彼は崩れなかった」
彼女はため息を吐いた。
「だからあなた達が産まれたのよ。無敵の精神力を持つ彼を壊す為に」
レアは苦笑し、物憂げに釣り竿を揺らした。
「だから思う時があるわ。ソルとクリフ君は似てるって。家族想いで、我慢強くて……そのくせすぐ泣いちゃうのよ」
彼女は釣り竿を手放し、私の元に歩み寄った。
「……クリフ君に勝つ必要なんて無いわ」
胸の中心に、彼女の指先が触れた。
「並び立てば良いのよ」
「……でも、それじゃあクリフを止めれないよ」
レアは口元を押さえて笑った。
「一緒に立ち向かうって言ったのは誰だったかしら?」
彼女の言葉にはっとする。
壁なら一緒に越えよう。彼に提案した筈のことを、他でもない私が忘れていた。
「あっ……」
つい、間の抜けた声をこぼしてしまった。
「血が繋がってなくても、やっぱり親子ね」
レアは私の頬に触れた。
「どちらかが犠牲になる必要なんて無いのよ。あなた達は、家族でしょ?」
彼女と目が合い、透き通った空色の瞳で凝視された。
「メイシュガル君を頼りなさい。あの子も、あなたも……助けを必要としてるでしょうから」
◆
クリフとマレーナは、森の中で二人きりで休んでいた。
「……クソ古代人め」
俺は朽ち木に腰掛け、ソフィヤに渡された端末を見て毒づいた。
《人造半神計画》
2180年11月4日、アルバトロス要塞にて採取された神性生命体から採取された生体サンプルを基に、強固な魂を保有する生物を人為的に製作する試みが始まった。
側で見ていたマレーナが悲しげに喉を鳴らした。
「ああ、この神性生命体って奴は……俺だ。続きに書いてある」
俺は端末をスワイプし、続けて情報を閲覧する。
《研究個体:003「メイシュガル」》
神性生命体の筋繊維から精原細胞を構成。
ソフィア=セイプから摘出した子宮と卵細胞を用い__
「メイシュガルを″作成″した……か」
端末の文字を読み上げ、歯軋りをした。
俺に信仰心は無い。が、道徳が無い訳ではない。古代人の行いは、命への冒涜に他ならなかった。
そして文末までスワイプすると、最後の情報が掲示された。
《補記:神性生命体の遺伝配列は、クリフ=クレゾイル氏の肉片と合致。被験体との血縁関係を利用し__》
持っていた端末を落とし、青空を見上げた。
「ソフィヤの妄想だったりしないか……?」
気だるげに呟き、ため息を吐いた。
マレーナは、俺を励ますように頭を擦り寄せた。
「エルトラとの気持ちが整理出来た訳じゃないってのに……」
マレーナは爪を出すと、手際良く腰掛けていた朽ち木に文字を掘り始めた。
__私は愛せるよ
彼女は鼻を鳴らすと、俺を見上げた。
「そうだな……俺も、そうしてみるよ」
そう答えると、雑草を払い除けながら、一匹の赤いトカゲがやって来た。
「ウシュムガル……だったよな?」
チペワに食われた筈のあの巨大トカゲが、こうして理知的に話しているのは、少し不思議な気持ちだった。
「ああ。貴様が小僧を受け入れてくれて、少し安堵しているよ」
そう答える彼の様子はどこか寂しげだった。
「……って事は事実で良いのか?」
「そうだ、我の中にもかつては貴様の細胞が息づいていた」
彼はそう呟くと、身体から赤色の魔力を滲ませた。
「尤も、後付けしたのもあって魂までは変質しなかったがな。戦闘能力を差し置いて、我が失敗作だったのはそういう事だ」
ウシュムガルは自嘲的に笑った。
「″人造″半神などと銘打っているが、結局完成したのはただの半神だ」
彼は俺の足元にまで踏み出す。
「クリフ。メイシュガルは、紛れもなくお前とソフィヤの子だ」
念を押すように、彼は告げた。




