122話「何を目指す?」
タオルを受け取った隊商は、渋々元の都市に帰って行くのを見た後、夜の砂漠を移動していた。
アンフィスバエナに近いそりの先頭では、大型の蟷螂が二匹を制御していた。
人間程ある大きさの彼は、会ってからひと言も発することはなく、ただ黙々と運転していた。
そりの先頭から金属製の車輪が伸び、そこに二匹が巻き付いたデザインはとても怪奇で、かつてガウェスに見せてもらった、バイクの後輪をそりに変えたような形をしていた。
シルヴィアたちは先頭に集まって景色を眺めていた。
そんな彼女達を微笑ましく見ていた時、アドリに肩を叩かれた。
「ちょっと良いッスか?」
彼はいつになく真剣な声音で、真っ直ぐ俺を見ていた。
「……ああ、どうした?」
皆に聞こえないように小声で返し、そりの後方へと歩いた。
そこから見える景色は、まるで海面のようで、船から見る景色とよく似ていた。
「……マレーナさんと、アキムが死んだのは俺のせいだ。もし、あそこであなたを引き留めなければ、彼女は死んでなかった……アキムだって、きっと……」
彼は普段の砕けた口調を直し、覚悟の決まった眼差しで俺を見つめていた。
「よせよ……俺だって、お前を裁く立場に無いんだ」
そう返した時、マレーナが俺の横を抜けてアドリを見つめた。
彼女は指先に収められた爪を出し、そりの手すりを引っ掻き始めた。
その動きは独特で、文字を記しているようだった。
『|I forgive you』
彼女はそう記し終えると、俺の側にくっ付いた。
瞑目して動かなくなった彼女は、エルトラのことを思い出しているように思えた。
「……まさか」
アドリは息を呑んだ。
「ああ、マレーナだ。エルウェクトの権能のお陰で生き残れた」
俺は、マレーナの毛皮を優しく撫でた。
「だから、この話はここで終わりだ。お前が気に病むことは無いさ」
アドリにエルトラの事は喋るつもりはなかった。きっと、彼に当たったところで虚しくなるだけだろうから。
◆
夜が明けると、アドリシュタの住む集落にたどり着いていた。
夜通し走行していた事を考えると、恐らく普通の商隊の数十倍は走ったのだろう。
凄まじい速度だった。
「何アレ?」
シルヴィアが指差して呟いた。
その先には、蟻塚のように激しい起伏が出来た小山が密集した場所が存在していた。
小山をくり抜いて住居にしたであろうその場所は、明らかに異質であり、未知の文明との遭遇を感じさせてくれた。
「カウムディー。この未踏の砂漠に存在するとされていた……伝説の巨大国家だ」
彼女にそう答える俺もまた、その光景に胸が躍っていた。
石造の建造物と小山が融合したその形は、眺めるだけで面白かった。
アンフィスバエナが徐々に減速し、都市の入り口で停止した。
小山の下部は、カップケーキのように砂岩の城壁に囲われており、城門の前では多数の人々が集まっていた。
種族はまばらで、御者のカマキリのような二足歩行の虫も居れば、蝶の羽を持った妖精や、下半身が蜘蛛になった女性など、虫と人間をミックスした人物も少しながら混じっていた。
アンフィスバエナが停車した時、集まっていた人々が一斉に膝を付いた。
そして、先頭に立っていた蟻の頭を持つ人間が顔を上げてアドリを呼んだ。
「ご無事で何よりです、皇子」
彼の発言を前に、アドリ以外の全員が彼を凝視した。
「ああ。心配を掛けたな、爺や」
アドリは普段の砕けた口調からは考えられない程、爽やかに答えた。
彼がそりの階段を降りようとした時、俺の方に振り返った。
「役得って奴ッス」
彼は白い歯を見せてそう言った。
そうして俺達は、都市内部に足を踏み入れた。
まるで雑木林のように乱立する石の塔は、厳しい陽の光を程よく遮っており、砂漠の中にいる事を忘れさせてくれた。
不規則に歪曲した路地は果てしなく続いており、点々と並ぶ露店は、激しい客引きをする事は無く、店から漂う香りや音楽によって、上品に通行人の気を引いていた。
「旅をして良かった。改めてそう思うよ」
そんな美しい街並みを、マレーナとアドリの三人で歩いていた。
「……良かったっスよ。街の皆を怖がったらどうしようかと」
安堵した様子で笑うアドリの側を人型のゴキブリが通過して行った。
俺は普通のゴキブリを食べた事もあったので問題なかったが、マレーナは耳をぺたんと閉じて固まっていた。
「……あー、しょうがないっスよ。はは」
アドリは乾いた笑いをこぼし、正面を指差した。
その先には、緑色の布看板が貼られた店があった。
「自分お気に入りのカフェっスよ。前、キールを食べようって話したじゃないっスか」
アドリと殺し合っていた時を思い返す。
確かに、お互いの脳髄を破砕しながら、そんな事を話したような気がした。
「ああ……そうだったな?」
そう言って三人で店内に入る。
木張りの落ち着いた内装をした店内は、がらりと空いており、若い金髪の女性がカウンターでマグカップを磨いていた。
「いらっしゃいませ」
彼女は落ち着いた口調ではにかむと、マグカップを棚に戻した。
「久しぶり、クリス。元気してた?」
俺とアドリはカウンター席に腰掛けると、彼女は調理器具を取り出し、手際よく何かを準備していた。
「ええ、お陰様で。最近は客足も増えてきたのよ?」
彼女は安堵したように答えると、俺と目が合った。
クリスを見た時、何故かミラナを思い出した。
「……アウレア人か?」
やや尖った質問に、彼女は少し驚いているようだった。
「クリフさんもアウレア人……で良かったっスよね?」
アドリはフォローするように尋ねた。
「今じゃ角と尻尾が生えたけどな」
そう言って鬣の付いた尻尾を不器用に振った。
「彼女は″掃除″の生き残りっスよ。ミラナさんと同じって言うと伝わります?」
__ジレーザで後を付けてたのか。
と、尋ねそうになるが、口を噤んだ。
「一人残らず、箒で掃き捨てるみたいにやってるんだったか」
「ええ、特にハースは輪にかけて苛烈だったみたいっス」
「まあ、目にしたから分かるよ」
俺は幼少期を思い出し、しげしげと呟いた。
クリスは、二杯の紅茶をカウンターに置いた。
「赤ん坊の私を、犬がそりを引いて逃げてたらしいの。それをニベル様に拾われた感じかしら」
「ニベル?」
俺は新しく出た名前に首を傾げる。
彼女の口ぶりからして、名の知れた人物に思えた。
「自分の父親っス。基本的に、ここの地下都市で皆の王様をやってるっスよ」
彼がそう言った瞬間、店の扉が勢い良く開いた。ベルの音が響く中、アドリとクリスは唖然としていた。
「友人を連れて来るならここだと思っていた」
ドアを開いて現れた白髪の男は、アドリと酷似した似姿をしていた。
「初めまして、竜の王よ。俺はニベルコル、魔神第二席、ベルウェレスの息子だ」
行商人に紛れていれば分からない程、地味な巻き衣装を身にした彼は、俺の隣の席に立った。
「クリフだ。と言っても、竜神になる実感なんて湧かないけどな」
ニベルコルは片膝を付き、足元に跪いた。
見上げる彼の眼差しは真剣そのものであり、背後に居たアドリが息を呑んでいた。
おそらくは、これが彼らの誠意だった。
「……息子の助命に感謝する。簡単なことでは無かった筈だ」
そんな彼の態度を前に、俺は微笑を浮かべた。
「なに、互いに生命を奪わない。そういう取り決めだっただけだ」
そう言ってアドリに振り向くと、彼は少し冷や汗をかいていた。
__守る気だったよな?
そう問いただしてやりたかった。
「初対面の相手に守ってくれるとは思わなかったよ」
彼は口調を少し硬くしていた。
恐らく、父の前だからだろう。
「……だから出会いがあったろ?」
そう答えて、出されていた紅茶を手に取り、口に含んだ。
その瞬間、強めの甘味が口の中に広がり、思わずむせ返りそうになった。
「……その通りだな。あなたが義理堅い人で良かったよ」
アドリは微笑んだ。
続けてニベルコルが俺の隣の席に座った。
追加で一杯の紅茶が出され、彼は一口飲んだ。
「竜神となる実感が無いと言っていたな?」
彼の発言と同時に、アルテスの姿が思い浮かんだ。我儘で、傍若無人だった俺の姿が。
「……元は羊飼いなんだ。それに、出来ればそんなものになりたくはない」
ニベルコルは紅茶を飲み干した。
「……母の話をしよう。魔神の中で数少ない、この世界に干渉しない謎多き彼女を」
魔神第二席。それは魔神たちの長女でありながら、一切の文献や情報のない、特異な存在だった。
「ベルウェレスには明確な自我が無いんだ」
ニベルは天井を見上げる。
「神なのにか?」
「ああ、蜂や蟻と同レベルの自意識しか持ち合わせていない。だから、自分の領域でただ繁殖と繁栄を続けている。まるで機械のようにな」
ニベルは食器をクリスに返すと、彼女は再び紅茶を用意していた。
「近親相姦はざらにあってな。俺だけで母と200人は子供を設けた」
ニベルは僅かに歯軋りをすると、恨めしそうに自分の手を眺めていた。
「反抗的な子や利用価値の無くなった者は、虫達の餌にされる。自分の子供をだぞ?俺だって、父上が助命を願わなければ__」
彼の口調は熱と怒りを帯び始めていた。
だが、彼ははっとした様子で息を整えた。
「だから、アドリは本当の息子だった。俺が初めて恋をし、惹かれあった人との間に出来た……大切な息子だった」
ある種の悲痛さを含んだその呟きは、俺に一種の安堵を与えた。
アドリを殺さなくて良かったと。
「クリフ。神はクソだ、生き物としてのステージが違うからこそ、俺達に理不尽を叩きつけて来る」
クリスが茶をカウンターに置くと、彼はそれで喉を潤した。
「神になる事を放棄するという事は、神に何をされても良いと宣言する事なんだ」
彼は、俺の目を見て言った。
「だからまずは、どんな神になりたいか考えるべきだ。自分のすべき事を、大切な人を見失わない為にも」
彼はティーカップを置いて、俺と目を合わせた。
「あなたは何を目指す?」




