120話「戦禍を疎んで」
あの後、ユーグは俺の正体を母親に伝えていなかった。
鹿肉のスープは、罪悪感で味がしなかった。
だが、よく眠れた。
「……おはよう、英雄」
早朝、村の外れにあった池で顔を洗っていた。
水面に映る自分の顔を見て、嘲った。
顔の水を払い、残った水気は電撃で蒸発させた。明瞭とした意識の中、次の旅程を考えていた。
その時、村の方から怒声にも似た騒ぎ声が聞こえた。
ニールは、長年の経験から察知した。
争いだ__そう、すぐに分かった。
◆
早朝、ベルナールは主に祈りを捧げていたその時に、悲鳴を耳にした。
「どうされましたか!?」
彼は声を張り上げながら家屋を飛び出すと、騎士型のネクロドールが村中を走り回っているのを目にした。
既に村人達は、何人か犠牲になっているようだった。
彼が凶行を止める為に走り出そうとしたその時、腰に重い何かを引っ掛けられた。
「……これは」
咄嗟に腰を見やると、いつの間にか黒色の剣が彼の元に戻って来ていた。
それは彼女が、罪を認め、罰を赦したことを告げるようだった。
彼は確信する。これは赦しと戒めの印だと。彼女は今、戦えと言っている。
「拝命しました」
彼は素早く剣を引き抜くと、その場から勢い良く走り出した。
村の中心に到達したと同時に、剣に込められた魔法を解き放った。
〈__黒減〉
黒色の波動が村全体を突き抜け、ネクロドールが次々と機能を停止した。
ベルナールは、続けざまに走り出し、中心部でネクロドールを操っていた術者、その先頭の一人に肉薄した。
「貴様、一体っ……!」
色鮮やかで軽量なコートを着込んだ彼らは、間違いなく正規軍だった。
防御行動すらも許さず、先頭の男の喉元に刃を突きつけた。
「我が名はベルナール!この村の人々は生きていた!!善良に、日々を必死に!!何故だ!!」
奥底で沸き立つ怒りを喉奥から吐き出し、男を問い正す。
「ベルナール様……剣を、手にされたのですか」
先頭に立っていた男は、怯えながら答える。
ベルナールもまた、彼が知り合いだったと気付いた。
滴った冷や汗が喉元の刃を流れる。
彼の後ろに立っていた兵士達がベルナールにボルトガンを構えるも、上官を盾にされる形となっており、撃てなかった。
「ジャン……なら何故こんな真似をした!!」
男は震えながら目を瞑り、両手を上げた。
「国は恐れていたのです。バロンの壁が崩れ、民衆が流れ込んで来る事を……」
ベルナールは思わず手に力が入る。
それは、あまりにも愚かなことだった。
毒虫を探す為に、畑全てを燃やすかのようなそれは、いたずらに脅威を増やし、ひいては自分の首を絞めるだけの結果になってしまうのだから。
「何故……っ」
怒りの言葉を吐き出そうとしたその時、風切り音が響き、ジャンの側頭部に矢が突き刺さった。
僅かな静寂の後、彼は力なく倒れた。
「困るよ、ジャン曹長……作戦内容をペラペラ話されるとさ」
ベルナールは咄嗟に飛び退くと、兵卒達の後ろから若いエルフの男が立っていた。
彼は持っていたボルトガンを兵卒に投げ返すと、倒れたジャンの死体を踏みつけた。
「デュラン将軍……」
ベルナールは短く呟く。
オーギュスト=デュラン。セジェス軍の大将に位置する彼は、この国で最も強いとされる個人であり、かつてレッドライン要塞で勇者ニールと刃を交えて生き残った存在だった。
「剣を取り戻したようだね、敬服に値するよ大司祭殿」
彼は揶揄うように手を叩く。
「……それで、我々の任務を続けさせて貰えるかな?」
デュランは冷え切った眼差しでベルナールを見つめた。
対する彼は、曇りなき眼差しですぐさに答えた。
「お断りします。二度と、主の意向に逆らえませんから」
その回答に、デュランは微笑んだ。
ベルナールはその笑みが上部だけの、中身が無いものだと知っていた。
爆発的な殺気を感じ取った彼は、咄嗟に剣を構えた。
間髪入れずにデュランは剣を抜き、乾いた金属音が響いた。
剣を打ち合った二人は互いに飛び退き、デュランは人差し指を奥歯で噛んだ。
ベルナールはその不可解な行動に戸惑った瞬間、デュランは指を噛みちぎった。
しかし血が溢れることはなく、その断面からは光が溢れ出していた。
「超域魔法解放」
彼は短く呟くと、指を天に掲げた。
◆
空は曇り、雨が降り注ぐ。
ニールは戦いの起きた広場を避け、ベレニスの家に駆け込んでいた。
「大丈夫か!?」
そう言って家に駆け込むと、狭い家屋に村人達が肩を寄せ合って震えていた。
「おじさん!無事だったんだ!!」
ユーグが慌てた様子で駆け寄って来た。
彼の無事に笑みが溢れるも、家屋の空気は最悪だった。
泣き声が絶えず聞こえ、怪我をした村人達を、老人や子供が医療器具のないまま必死に介抱していた。
怪我人の中には、ベレニスも混じっていた。
彼女の脇腹には、ボルトガンの矢が深々と突き刺さっており、村の男達が今まさに引き抜こうとしていた。
「よせ!!抜くんじゃない!!」
咄嗟に声を張り上げながら、ベレニスの元に駆け寄り、矢に手を掛けた男の手を掴んだ。
「何を……!!」
男が不満げに答えると、俺は睨んだ。
「血が無くなるぞ!!矢の両端を切り落として適当な布を巻け!殺したいのか!!」
「わ、分かった!布を取って来る!!」
鬼気迫る勢いで怒鳴ると男は萎縮し、慌てて布を取りに走った。
「ベルナール様を、助けて下さい……」
ベレニスは、苦しげに喘ぎながら答えた。
突風が家屋を叩き、雨戸を震わせた。
「それは……」
言葉に詰まる。この空模様は、超域魔法のものだ。
もし、俺がここに居る人々を助ける為に戦えば、英雄ニールの生存はバレてしまう。
あの混沌としていたバロンとは訳が違う。確実に、上へと伝わってしまうだろう。
相手は正規軍で、この国の中心とも言える存在だった。
「……おじさん」
ユーグが、俺の袖を引っ張っていた。
雷の音が響き、雨足が強まる。
「勇者なんだよね……?」
彼は、俺とベレニスにしか聞こえない声で呟いた。
「何言ってるの……ユーグ……この人は……」
ベレニスは苦しげに答えた。
俺の心情が激しく掻き乱された。
嘘はつける。だが、このままシラを切れば、一生後悔するように思えた。
「ああ……俺がニールだ」
だから、心に任せた。
ベレニスの表情は険しさを増し、目を見開いていた。
「……どうして」
彼女の第一声は、非難では無かった。
「俺は、手を取り合えなかった」
そう答えてその場から立ち上がる。
「おじさん……」
ユーグは、少し怯えた様子で俺を見上げた。
そんな彼の頭を撫でるように手を乗せた。
「何処へ行くのですか」
年老いた村長が俺を呼び止める。
「一宿一飯の恩を返そうと思ったのです。過去と折り合いを付ける為にも」
そう言って扉を開く。
おびただしい程の雨水を浴びながら扉を閉めると、目の前にベルナールが吹き飛んで来た。
彼は受け身を取り家の前の小樽に激突する。
そしてすぐに立ち上がると、俺の存在に気付いた。
「皆の避難を!!」
必死に叫ぶ彼に対し、俺はフェルストスを起動し、両手を硬質化させた。
「それはあんたの役目だろう?」
そう言って前に踏み出すと、俺とベルナールに向かって突風が吹き荒んだ。
鋭い風切り音を立てるそれは、人に害するものだと瞬時に気付いた。
「クイドテーレ」
ペンダントが発光し、そこから眩く光る金槌が飛び出した。
それを握り締め、風に向かって素早く振り抜いた。ガラスの割れる音と共に風が砕け散り、勢いを失って消滅した。
「超域魔法を手にしてご満悦のようだな、オーギュスト」
俺はこの魔法の持ち主を知っていた。
尤も、超域魔法に達したとは思えなかったが。
「何者かな?少なくとも初対面に思えるけど」
上空で、嵐を周囲に纏ったデュランがこちらを見下ろしていた。
「レッドラインでボコボコにしてやったじゃないか?今回はマレーナが居ないようだが、また逃げなくて良いのか?」
満面の笑みで言葉を返し、擬態した耳を本来の形に戻した。
次の瞬間、デュランの顔から余裕が消え去り、一転して怒りの形相を浮かべていた。
「貴様っ……!!死んだ筈じゃなかったのか!!!」
平静を崩した彼を鼻で笑った。
「見れば分かるだろう。ほら、また無様に命乞いをしたらどうだ?マレーナに助けを求めると良い」
そう言って指を弾くと指先から紫電の光が飛び出し、回避すら許さずデュランに直撃した。
彼を覆う風の障壁が、それを防ぎ切ってみせた。
「こんなものか、俺は超域__」
余裕の表情を見せようとしたデュランの眼前には、クイドテーレが飛来していた。
「触れれば死ぬぞ」
短く呟くと、風の防壁が容易く打ち砕かれ、彼の元に迫った。
彼は咄嗟に身を捻り、それを躱してみせた。
「舞踏は得意か?」
クイドテーレを指差し、魔法を起こした。
〈__磁雷鉄陣〉
空振ったクイドテーレは進路を変え、デュランに向かって直進した。
「馬鹿にする!!」
彼は周囲の大気を集め、風を操ってクイドテーレを球状に押し込めた。
風と魔法が砕ける音が絶え間なく響き渡り、デュランは雄叫びを上げていた。
俺はただ、彼が必死に抵抗するさまを眺めていた。
絶え間ない嵐の刃がクイドテーレに激突するも、それら全てを易々と打ち砕き続けていた。
あの程度で、クイドテーレは壊せない。
「威力を練らないと死ぬぞ」
あの男は、そのうちクイドテーレ一本だけで死んでしまうだろう。
障壁を打ち砕き、クイドテーレが彼に迫る。
彼はまたも体を捩ってそれを避け、旋回して来たクイドテーレをまたも風で押し込めていた。
「……飽きたな」
淡白に呟き、近くに転がるネクロドールの外殻を拾った。
金属製のそれは、電流を帯びると震え始めた。
「ダンスは下手だったようだ」
掴んでいた外殻を手放すと、一瞬のうちに加速し、空を舞うデュランに向かって打ち上げられた。
クイドテーレの回避に意識を割かれていた彼は、音速を超えるそれを肩で受け止めてしまった。
風の防壁を容易く貫き、彼の右肩を貫き破砕した。
空を飛んでいた彼は墜落し、地面に勢い良く激突した。
呼び戻したクイドテーレを掴み、ゆっくりとデュランの元に歩いた。
深々と出来たクレーターの中心部で、彼は千切れた右肩を押さえながらのたうち回っていた。
「似合ってるなオーギュスト」
彼は怯えた眼差しで俺を見つめると、左手で魔法を操り、血肉を断つ風を放った。
俺は硬質化した腕でそれを弾き、彼の頬を思い切り殴った。
錐揉み状に吹き飛んだ彼を見ても、何も思わなかった。
口では嘲笑しても、多分俺は笑っていない。
きっとそれが、彼にとって尚のこと恐ろしかったのだろう。
地面に転がると、彼は悲鳴を上げながら空を再び飛んだ。
おそらく、逃げる腹積りだろう。
「クリフには通用しなかったが、お前はどうかな」
胸のペンダントが太陽のように瞬くと、そこから一斉にクイドテーレが飛び出した。
蝗害を思わせる規模で弾き出されたそれらは、空を舞台に整然と並び、全ての切先を逃げるデュランに向けた。
「……ひっ」
彼もまた、逃げる最中にその光景を目にしてしまった。
「失せろ、三下」
空を覆い尽くす程の光の粒が、一斉に解き放たれる。
数万を超える剣が、自我を持って追従し、空を飛ぶデュランに向かって降り注いだ。
その様は、一匹の蝿が雀蜂の群れに追われる光景に似ていた。
彼に纏わり付くように迫るそれは、彼の障壁を次々と粉砕し、圧倒的な物量と速度を以て、彼の抵抗を全て打ち破ってみせた。
「嫌だぁぁぁぁっっ!!!」
無数の剣に貫かれ、彼が断末魔を上げると、上空を舞うクイドテーレが一斉に砕け散った。
曇天の空と共にデュランは跡形もなく砕け散り、晴れやかな空が顔を見せた。
砕け散ったクイドテーレの残滓が空を舞い、陽の光を反射して鮮やかな光を放っていた。
「……俺は、居るべきではないな」
空を見上げて呟く。
耳を再びエルフの形に擬態させ、魔法で荷袋を引き寄せた。
「おじさんっ!!」
ユーグの声が聞こえた。
振り返ると、ベルナールと共に彼がやって来ていた。
「……じゃあな」
微笑み、短く言葉を返した。
その時、傷口を抑えながらベレニスが家から出て来た。
俺は足を止め、彼女は神妙な面持ちでこちらを見つめていた。
僅かな沈黙が続いたのち、彼女は口を開いた。
「……許します」
彼女は気持ちを抑えるように声を震わせ、悲痛に、けれど優しく呟いた。
「感謝します」
俺もまた、短く言葉を返した。
ベレニスの家から遅れて飛び出した村人たちが、次々と俺を称賛する声を上げた。
そこで、俺は思い出した。
英雄を目指した理由を。
血と後悔に濡れても、護りたい人々が居たからだ。
俺は振り向かずに村を離れ、軽く肘で手を振った。
気分は良いとは言えない。
しかし、今日は少しマシに眠れそうだった。
「帰ろう、故郷に」




