プロローグ
クリフは高い身体能力と、アウレアでの見聞をケルスに買われ、ヴィリングで真っ当に働いていた。
住民からの生活の要望調査、税金周りを主とした数字の仕事、住民間のトラブル処理まで請け負った。
そのどれもが、信じられない程楽なものだった。
勤務時間が明確に決まっており、それに準じた報酬が確実に支払われる。
結果、以前の五割程の労力で、五倍近い給金を得られていた。
この業務が役所仕事で最も疲れる仕事だと聞き、にわかには信じ難い程だった。
結果として、定期的に動物を狩る必要は無くなり、シルヴィアに塩だらけの不味い飯を出す事は無くなった。
今では外食や、色のついた夕食が殆どだ。
そんな優雅な生活を過ごして1年、ヴィリングではそれなりに優秀な事務員として過ごしており、安定した職と立場に就いていた。
「これが飯代で……あいつの服代……洗剤とか香水も買ってやらないとな……ああ、それと来週から学校か……」
クリフは、ケルスから与えられた自宅で、硬貨をテーブルに並べて数えていた。
そこは虫一匹すら通さない程丁寧に作り込まれた木造住宅で、綺麗に磨かれて使い込まれた石の床、素朴な調度品。そして家の各所には、ヴィリングの政庁よりも複雑で見事な作りの木彫りの装飾が設えられていた。
「確かにな、生きてて良かったよ。姉ちゃん」
独り呟いて苦笑した後、机の上のコップに手を掛け、水をあおる。
窓から入る風を感じながら、窓枠から見える夕暮れを眺めていた。
そんな折、玄関が勢い良く開き、一人の少女がリビングへ勢い良く入って来た。
「ただいまクリフ!ご飯出来た!!?」
彼女は自身と同じく、ヴィリング固有の民族衣装を羽織っていた。
薄くて通気性の良い、菱形の図形を組み合わせた模様が編み込まれた、ローブに似た衣装だ。
「もうそんな時間か、待ってろ、すぐに準備する」
この一年で彼女は、以前よりも快活になり、ついでに口も悪くなっていた。
◆
夕食はジャガイモとソーセージ、タマネギとニンジン、それらにスパイスを加えて煮詰めたスープと、パンだ。
「クリフも飯作るの上手くなったよね。覚えてる?あたしと最初に会った時、塩たっぷりの肉片スープだったの」
シルヴィアはちぎったパンをスープに浸してから口に運ぶ。
「ああ、覚えてるよ。あの頃のお前はもっと綺麗な言葉遣いだったのもな」
彼女の言動に顔を顰め、スープを口に運ぶ。
「クリフだって言葉汚いじゃん。あたしに責任なしつけないでよ」
「……やめだ、別の話にしよう」
ぐうの音も出なかった。
シルヴィアは不服そうだったが、他に話したい事があるようで、そわそわしていた。
「それでね、来週から学校でしょ?」
「ああ。香水とか要るか?好きな子を惹きつけたり、告白されやすいかもしれないぞ」
それを言うと、彼女は目を見開き、むっとした。
「居ないよ、好きな子なんて」
年相応の反応を見せる彼女を見て、思わず頬を緩める。
「ふふ……俺もあったよそんな頃。あの時片想いしてた子、告白しとけば良かったと後悔してる」
「今はどうしてるの?」
「ガキの頃にオーガに焼き殺された、アレは酷かった。過ぎたから言えるが……まあ、凄かったぞ」
シルヴィアは口を半分開き、呆気に取られていた。信じられないものを見る目だ。
話題を間違えたと、心の内で顔を覆った。
「そっか、参考になるな」
恐ろしいまでに感情のこもっていない返事だった。
「ああ、悔いのないようにな」
少しの間を置いて、あることを思い出した。
「そうだシルヴィア、お前が学校に入った一週間後くらいか。ちょっと一年くらい家を空ける。国外に出てくれとケルスに頼まれてな」
そう言った瞬間、彼女は目を見開き、スプーンをスープの中に落とした。
「は?」
ひと目見て分かる程に、彼女は怒っていた。
「大丈夫だ、近所のケヴィン君の両親がお前を預かってくれるってよ」
シルヴィアは返事をする事なく、硬いパンを音を立てて完食し、残ったスープをスプーンごと一気に飲み干した。
音を立てて食器をテーブルに下ろし、立ち上がる。
「ごちそうさま」
不機嫌そうに背を向け、口に含んだ木製のスプーンを床に吐き捨てた。
「おい、どこ行く気だ。気に食わないならここで言え」
席を立ち、彼女に鋭い眼差しを向ける。
その素行の悪さを前に、いち保護者として見過ごす訳には行かなかった。
「ケルスさんのとこ」
「止める気か?後悔するぞ」
鋭い怒気を言葉に乗せる。
「ううん、あたしもついてくように抗議する」
想像の斜め下の返事を受け、呆気に取られた。
「はぁ?」




