119話「戦禍を疎んで」
セジェス首都から最寄りの大都市であるゴブレットに、一行は訪れていた。
首都で起こった大災害など知らないかのように、市場は人で賑わっていた。
「後は……保存食か……何にするかな」
クリフは呟く。
訪れた目的は買い出しだ。
復興が進む首都で旅の支度を済ませることは難しく、何より気が引けた。
「はいっ、あたしサラミが良い!」
シルヴィアが会話に入って来た。
控えめに言って、この直近の空気は重かった。
というよりは、またシルヴィアに無理をさせていた。殆ど喋らなくなったメイシュガル。常識のズレたヴィオラ。
そして多分俺にも、気を遣ってくれていた。
「リェットも要るだろ?」
快活にそう答えながら、近くにある肉屋に足を運ぶ。
良い体格をした店主が、元気に声を張って客寄せをしていた。
「どれだけ歩くです?」
「ヴィリング製の地図でざっくり8500kmくらいだ」
ヴィオラの質問に、一切詰まらず答えた。
「2ヶ月半です?」
彼女もまた、移動時間を瞬時に計算した。
「お前、休みなしで行く気だろう。4ヶ月だ、観光もしたい」
「あたし達列車に乗ったり転移したりで、マトモに旅してないもんね」
シルヴィアは苦笑し、これからの距離を考えて顏を引きつらせていた。
「ああ、長旅になるぞ」
クリフは肉と牛脂の詰まった瓶詰めを手に取り、微笑んだ。
「首都まで転移門を開けるけど?」
メイシュガルが提案すると、クリフの顔が暗くなった。
「ゆっくりで良いんだ。少し、考えたり笑ったりする時間が欲しい」
「そうだね……確かに、笑ったりする時間は大切だよ」
メイシュガルは、不自然なほど明るい口調でそう言った。
無理をしているのは、一目で分かった。
オムニアントの柄頭を握り、小さく呟いた。
「ああ。きっと、向こうでも沢山殺すだろうから」
そう呟いた瞬間、横を歩いていたマレーナが前脚を上げて立ち上がり__俺の頭に噛み付いた。
鉄製の牙が浅く頭皮に突き刺さり、痛みに顔を歪めた。
「痛っ__!!!?」
咄嗟に振り返り彼女を見つめると、不満そうに唸っていた。
「何だよいきなり!?」
頭を押さえながら抗議すると、シルヴィアがマレーナを庇うように抱きついていた。
「クリフがネガってどうするの!」
その時に、失言をしたと気付いた。
「……ごめん」
「良いよ!!」
彼女は勢いよく答えてくれた。
◆
セジェスの首都から離れる最中、ニールは近くの村に立ち寄ろうとしていた。
近傍で仕留めた鹿を肩に担ぎ、村の入り口まで来ていた。
金銭や労働力よりも、宿泊を目的とするならこちらの方が望ましいと考えたからだ。
村の近くに訪れると、彼らは農作業に従事していた。
大粒の汗水を垂らしながら、精力的に鍬を振るさまは、ある種異様とも言えた。
少なくとも、以前訪れた他の村とは明らかに違っていた。
「随分と前向きじゃないか」
僅かな期待を抱きつつ、近くの畑を耕していた黒い肌の農夫の元に近付いた。
「すまない。一晩過ごさせて貰えないだろうか。手土産なら持って来たんだが」
農夫は手を止めると、袖で汗を拭い、こちらに振り向いた。
「あなたは……」
農夫の正体は、ベルナールだった。
彼は言葉に詰まり、勇者の名を呼びかねていた。
「ジュピテールだ。久しぶりだな、ベルナール殿」
右手を差し出し、握手を求める。
「ええ、お久しぶりです」
彼はすぐに手を取り、屈託の無い笑みを浮かべると、遠くで様子を見ていた村人達へ振り向いた。
「皆さん、私の友人です!どなたか寝床を貸してはいただけないでしょうか!」
彼が声を上げると、村人達が続々と声を上げ、こちらに駆け寄って来た。
「……凄いな、あなたは」
セジェス村落の惨状を知っていたからこそ、村人達をここまで変化させた彼の人徳に、舌を巻くしかなかった。
◆
そうして俺は、ベレニスという女性の家に一晩泊まる事になった。
夕方を迎える前、村人達からかなりの質問責めに遭った。
セジェスの首都で何が起きたか。村の外の景色はどうなのか。
彼らの関心は、常に外へと向いていた。
決まった朝に起き、日が暮れるまで働き、泥のように眠る。
抑圧と節制の中で生きる彼らにとって、俺の話はどんな寓話よりも興味深いものだったのだろう。
そして今俺はベレニスの家で、彼女の息子の相手をしていた。
「……そうだ。あの鹿は魔法で仕留めてある、雷の力を真似してな」
指先で錫貨を弾く。宙を舞ったそれを、出力を絞った電流が正確に打ち抜いた。
「わぁ……凄いや」
話に聞き入っていたユーグという少年は、目を輝かせ、少し焦げた錫貨に手を伸ばした。
「おっと、痺れるぞ」
俺はユーグの手首を掴み、代わりに錫貨を拾った。
指先に電流が流れ、僅かに手が痺れた。
が、半神の肉体はそれを即座に治癒してみせた。
「ほら、好きに扱うと良い」
電気の抜けた錫貨をユーグの手へと優しく手渡し、微笑んだ。
「……ありがとう。おじさん」
屈託の無い笑みを浮かべた彼に、思わず心がほぐれた。
そして感じた。こうやって無作為に放浪して生きるのも悪くないと。
「お母さんっ!見て、貰った!!」
ユーグは家の中を駆け回ると、就寝の支度をしていた母親に錫貨を自慢しに行った。
「……ありがとうございます。まるで、あの人が帰って来たみたいで」
彼女は頬を綻ばせていた。
そこで彼女の意図を察する。
かなり古びたこの家には、二人しか暮らしていないにも関わらず、寝台は三人分あった。
恐らく、亭主は死んでいた。
「……苦労は絶えなかったでしょう」
慮るように、重々しく答えた。
「はい……今でもあの戦争を。そしてあの英雄を憎んでいます」
「英雄?」
彼女の言葉に引っかかった。
その質問と同時に、ユーグの顔が陰った。
「アウレアの英雄ニールに、夫は殺されました」
地獄のような回答だった。
今すぐにでもこの家から、村から出て行きたくなった。
俺が感情を殺して、無作為に切り刻んだ一兵卒の一人が、この家の家族だった。
「そう……でしたか」
辛うじて言葉を返す。
しかし、それ以上はなんと話して良いか分からなくなった。
頭が真っ白になり、言葉を探れなかった。
そんな時、部屋の扉がノックされた。
「はい、今出ます」
彼女が駆け足で扉を開くと、ベルナールが人当たりの良い笑みを浮かべながら、玄関口に立っていた。
「ベレニス殿、夜分に申し訳ありません」
彼の姿を見たベレニスは、浮き足立った様子で立ち上がると、嬉しげに微笑んだ。
「ベルナール様、どうかしましたか?」
「ジュピテール殿と久しぶりに話をしたかったのです。少し歩いた先の丘の上で、星でも眺めながらと」
ベレニスはこちらに目配せした。
彼の来訪は、その場に居辛かった俺にとって、願ってもない申し出だった。
「ええ、喜んで」
彼女を横切り、ベルナールと歩幅を合わせながら家を出た。
月の光を頼りに砂利道を踏み締め、話していた丘を目指した。
「申し訳ありません。あなたに苦しい思いをさせてしまいました」
彼は歩きながら呟く。
一瞬だけ肝が冷えるも、周囲に人が居なかった。少なくとも今は、ニールとして話しても良い筈だ。
「寝床を求めたのは俺だ。むしろ便宜を図ってくれて助かってるよ」
「今の私に出来る事をしたまでですよ」
彼は優しく微笑み、人差し指を立てた。
「例え貴方が何者であったとしても、人である限り、私は貴方の味方でありたいのです」
彼の清廉さはあまりに眩しかった。
人間の排斥に興じていた狂信者が、導きひとつで、こうも変わってしまうものなのかと。
暫く前に、街頭で説教を説いていた時に比べると、明らかに憑き物の取れた顔をしていた。
「昔の貴方を知る者は驚くだろうな」
ベルナールは表情を陰らせ、空を見上げた。
「……私の誤った教えの被害に遭った人々は数え切れません。被害者だけではなく、加害者にさせてしまった者も含めてです」
彼は曇りのない眼差しでこちらを見つめた。
「私は示さなくてはならないのです。新たな彼女の教えを、その在り方を……この身全てを捧げるつもりです」
「……流石だよ」
村から離れた丘の上で足を止め、その場に腰を下ろした。
「なあ、同じ英雄だったあんたに聞きたい」
「ええ、何なりと」
「俺は、どうすれば良かったんだ?誰も殺さないなんて……無理だ」
「ええ、その通りです。私も、多くを殺しましたから」
ベルナールは自身の両手を眺めながら答えた。
無常な答えに肩を落とした時、彼は言葉を続けた。
「例え英雄と持て囃されようと、人は長く戦場に留まるべきではないのです」
彼は憂いのこもった眼差しで俺を見た。
「教えが無力だと感じさせられました。言葉や感動で戦争は止まらないのです。純粋な暴力を前に、聖典はただの紙切れでしかありませんでした」
いつになく弱気な言葉を発する彼に戸惑うも、その眼差しは鋭く、確かな決意を感じ取れた。
「ですが、戦争を防ぐ事は出来ます。多くの人々に愛を説き、戦を疎む心を育むのです」
彼は、俺に希望を説いていた。
「慈悲を盾に、教えを剣とし、戦争という怪物と私は戦うのです」
ベルナールは立ち上がった。
「剣をペンに変え、勇気ではなく人徳を以て戦い抜くつもりです。これまで成してきた事に報いる為にも……私はより多くの生命を救ってみせます」
彼は力強く俺に宣言すると、手を差し伸べた。
「この村で最後の禊となるのです。例え剣が無くとも、憎しみを断ち切り、あなたが身分を偽らずに済む世にしてみせます」
彼の手を取り、立ち上がる。
そして腰に差していた短剣を、鞘ごと取り出した。
「持っておいてくれ」
そう呟き、彼に手渡した。
「……これは?」
紋章の刻まれたそれを手に取り、彼は目を凝らした。
「俺の家紋が刻まれてる。もし世界がマシになって、アウレアの皇帝に会ったら、それを見せると良い」
一瞬、アウレアに居る彼の姿が思い浮かんだ。そして彼らを見捨てて逃げた事に、これ以上ない負い目を感じていた。
「クラークは俺の幼馴染だ、知ってる奴も少ない。ニールが信じたと伝えてくれ……まあ、あいつと会えたら直接伝えて__」
言葉の途中で違和感に気付いた。
人の気配を感じたからだ。
「ベレニス……じゃない。ユーグか」
丘の麓に生えた木陰から、少年が顔を出した。
「……おじさんが、お父さんを殺したの?」
ユーグは声を震わせて尋ねる。
「……そうだ恨んでるか?」
「……分からない。でも、謝らないの?」
子供らしい、素直な質問だった。
だが、戦場での殺人を謝る事など出来なかった。
「ああ……全員平等だったんだよ。みんな殺そうとしたし、みんな殺された。だが……石なら投げてくれ」
ユーグは首を振った。そして涙ながらに尋ねた。
「お父さんは勇敢だった?」
彼の父を覚えている訳が無かった。
赴いた戦地の数は膨大で、殺した数はそれを遥かに上回った。
「ああ……全員が逃げる中、勇敢に立ち向かって来たよ」
俺は、生者に向けて嘘をついた。
恐らく、僅かな逡巡すらもなく死んだ彼らの死を彩る為に。
それと同時に、どうしようもない考えが頭をよぎった。
どうして英雄になったんだろう、と。




