エピローグ
裏ジレーザにて、仕事を終えたメイシュガルは、自宅の扉を開けた。
いつも通り、母が手料理を作って待っている。だが玄関にはいつもの香りが漂っておらず、リビングの明かりすらも消えていた。
「……母さん?」
不安に駆られ、急ぎ足でリビングに飛び出した。
「お帰りなさい……」
母は神妙な面持ちで、リビングの椅子に腰掛けていた。
彼女は真剣な眼差しでこちらを見つめた。
__何か、怒らせるようなことをしてしまっただろうか?
「……どうしたの?」
尋ねるも、彼女は目を瞑って深呼吸をし、瞼を震わせた。
「今から言う事を、すぐに実行出来る?」
彼女は瞼を開き、目が合う。
動機はわからない。しかし、本気であることは窺えた。
「……うん、やれるよ」
迷う事は無かった。
むしろ、拒んで母に失望されることの方が、よほど恐ろしかった。
「クリフの元に転移して」
突拍子の無い発言に動揺する。
しかし、心の準備は出来ていた。
目を見開くと同時に、母の脇腹を抱え、眼前に転移門を形成した。
僅か1秒にも満たない逡巡の中、僕たちはジレーザを抜け出した。
浮遊感と光に見舞われ、勢い良く転移門から飛び出す。
木のフローリングを軋ませながら、母を抱えて室内に着地する。
そこは、マレーナの家だった。
「……ソフィヤと……メイシュガル、か?」
室内には丁度クリフが居合わせており、彼は犬型のネクロドールと共に荷物をまとめていた。
「クリフ。あなたに頼みたいんだ」
母は焦った様子で、クリフに詰め寄った。
「……どうしたんだ」
突然の出来事にも関わらず、クリフは柔和に返事をした。
母は深呼吸をし、気持ちを落ち着かせていた。
「メイシュガルを、ヴィリングに亡命させて欲しい」
頭が真っ白になった。
バベルによって作られた僕にとって、母の言葉の意味は理解できた。
息子だけはバベルから助けて欲しいと。
「お前もだ、ソフィヤ。片道切符なんだろ」
クリフはソフィヤに手を差し伸べた。
その光景に希望を見出し、僕もまた、一歩踏み出した。
「そうだよ母さん!母さんが居ないと……」
言葉を言い切る前に、身体が硬直してしまった。
それは、以前バベルに操られた時と同じ症状だった。
足がひとりでに動き出し、考えようともしていない事が頭の中をよぎる。
自ら転移門を呼び出し、そこへ踏み出してしまった。
「メイ君!??」
それと同じタイミングで、玄関からシルヴィアが入って来た。
「シルヴィア!お願い止めて!!バベル様に操られてる!!!」
彼女は躊躇いなく走り出し、僕に向かって突進した。
飛び込むような形で抱きつかれ、家の壁に勢い良く激突する。
後頭部に鈍い痛みが響き、崩れた漆喰と瓦礫が頭に直撃した。
シルヴィアは馬乗りになって、僕の手首を掴んで固定した。
かつて殴られて頭を潰されたトラウマが蘇ったが、今はこれが最善だった。
「どうするの!??」
シルヴィアがクリフの方向に振り向き叫ぶも、彼は母と何かを話していた。
「何やって……」
母はクリフに何かの端末を手渡す。
それと同時に転移門が動き出し、僕とシルヴィアの足元に巨大な円を形作った。
「やば……」
二人の身体が沈み始めた。
「手を離して!巻き込まれる!!」
彼女に逃げるように促すも、決して手を離さなかった。
「クリフっっ!!何やってるの!!!?」
シルヴィアが怒りを爆発させ、彼に向かって怒鳴った。
それに応えるかのように、母がこちらに振り向いた。
「愛してる」
彼女が屈託のない笑みを浮かべると、素早く拳銃を引き抜いた。
僕は、彼女が何をしようとしているのかを理解した。
母は側頭部に拳銃を擦り付け、目を瞑った。
「駄目__」
その言葉を、銃声が打ち抜いた。
銃声の余韻を断つように、頭から鮮血が噴き出し、彼女は糸が切れたように倒れた。
その瞬間、バベルからの影響が消え、転移門を操れるようになった。
彼女を生かすという誓約が崩れ、自由の身になった。
転移門から体を押し出し、シルヴィアを押し除けて母の元に走り出した。
「わっ、わああああっ!!!」
血の気が引き、母の身体を揺するも、既に事切れていた。
どうすれば良いか分からなかった。
どうすれば、母はもう一度起きてくれるのだろう。
夢であって欲しかった。
そんな状況で、僕の背後をシルヴィアが通り抜けた。
「なんで止めなかったの!?」
顔を上げると、シルヴィアがクリフを問い詰めていた。
しかし、母から何かを聞いた彼は、心ここに在らずといった様子だった。
そして彼は僕を見つめて言った。
「嘘だろ?」




