118話「またいつか」
クリフは、エレネアが滞在するモデュード邸に訪れていた。
「1年間世話になった。次会う時は、俺個人として礼をさせてくれ」
庭園で、エリノアを伴った彼女と別れの挨拶を交わしていた。
アンセルムから当主の座を引き継ぐ為、彼女も忙しいようだった。
「礼には及びませんよ。こちらこそ、劇場でお祖父様を守って下さった恩がありますから」
アンセルムが話題に上がり、少し目を逸らす。
正直、エレネアが彼にどんな感情を抱いていたのか見当が付かなかった。
「……お悔やみを」
「感謝します。きっと祖父も喜んでいる筈です」
エレネアは、無垢な笑みを崩さなかった。
感情すら読み取れないその態度は不気味で、統領との面会の方がマシに思える程の息苦しさを感じた。
「ああ、じゃあまた何処かで」
「ええ、お見送りします」
エレネアがエリノアに目配せすると、彼女が先行し、邸の外へと出迎えてくれた。
屋敷の外へ出て、馬車の送迎を断った所だった。空間が軋み、目の前に転移門が現れた。
「ハースに向かえば良い。だろ?全く、どの面下げて来やがった」
転移門の向こうに居る相手は分かっていた。
遅れてケルスが転移門から現れる。
今回の一件を、黙って見過ごしていた男が。
「すまない」
肩をすくめ、目を逸らして謝罪するケルスを見て、俺の中で彼の順位を組み替えた。
少なくとも、こいつは敵じゃない。
だが、敵ではないだけだ。
「ルナブラムに振り回されてるのか?」
そう尋ねた時、ケルスは短く凍りついた。
わずかな沈黙の後、彼は言葉を絞り出した。
「いや……」
「そうじゃないなら、主神になった後にヴィリングごと滅ぼすぞ。下らねえ自己犠牲はやめろ」
尾を打ちつける音が地面に響いた。
無意識に、苛立ちが尾を通して漏れてしまった。
少なくともまだ、彼はルナブラムの手先でしかないのだから。
「……俺は、お前に厄介ごとしか伝えられない」
「良いんだ国長。まだ俺はお前の部下だろ?指示をくれよ。次はハースのどこを滅ぼす気だ?」
冷め切った声が、喉奥から漏れ出た。
彼との信頼は崩れ去り、諦めのため息を吐いた。
◆
マレーナの家でテーブルの前に座り、オムニアントを彫刻刀に変形させて石板を彫っていた。
本来ならノミとハンマーを使って行うべき作業を、柔い材木を削ぐように加工していた。
「こんなものか……」
切屑を息を吹いて散らし、掘り込まれた文字を確める。
「……クリフっ、何してるの?」
背後からシルヴィアが抱き付く形で尋ねて来た。
アルテスとして暴れたあの時、俺は彼女に発してはいけない言葉をほぼ全て吐き、アキムが居なければ殺していた。
そんな負い目を感じて、上手く話せないでいた。
すると彼女は、以前に増して話し掛けて来るようになり、スキンシップも過剰なくらいに増えていた。
俺には過分な程、優しい子だった。
「俺の子供の……墓石を彫ってるんだ」
この子が死んだ日。両親の名を刻んでいた。
「どれだけの月日が経ったとしても、愛してるよ。おはよう、おやすみ__」
墓石に綴られた文言を読み上げ、最後にこの子の名前を呼んだ。
「__エルトラ」
墓石の表面をそっと撫でた。
「……良い名前だね」
シルヴィアは手を離し、横に立って呟いた。
「ああ……ありがとう」
テーブルの上に置いてあった、麻布で包まれた卵状のものを手に取り、家の玄関を出た。
シルヴィアも後を追い、二人で裏庭へと向かう。
「あっ、掘ったです。これくらいで良いですか?」
裏庭では、ヴィオラが地面を掘っていた。
右腕を螺旋状のドリルに形を変え、山のように土を盛り上げていた。
彼女は右腕を収縮させ、元の形に戻すと、地面には細長い3m程の穴が形成されていた。
「何を隠すです?」
彼女は土埃を払いながら立ち上がると、首を傾げた。
「子供が居たんだ。埋葬するんだよ……ほら、お前の分だ」
そう言って小さな皮袋をヴィオラに手渡す。
その時に僅かに溢れ出た灰を見て、彼女は目を凝らす。
「お父さん?」
それは、アキムの遺灰だった。
「ああ、本物か分からないけどな。殆どは風に乗って消えたんだ」
ヴィオラは微かに微笑むと、遺灰の口をきつく結び直した。
「自分で埋葬するか?」
そう尋ねた瞬間、ヴィオラは顎の関節を外しながら、アキムの遺灰を丸呑みにした。
「えっ、えっ?何やってるの!」
その場の空気が凍り付き、シルヴィアは目に見えて慌て、彼女の肩を揺すって吐かせようと試みていた。
「ヴィオラ……」
それは、チペワらしい仕草だった。
「お父さんもヴィオラとひとつに……はならないです。でも、こうした方が良かったです」
彼女は皮袋を飲み込むと、寂しげに答えた。
「そうか……お前なりの弔い方なら、否定しないよ」
そう答え、麻布に包まれたエルトラを穴の底に下ろした。
彫刻刀になっていたオムニアントが、突然スコップの形状に変化した。
「ああ、助かるよ相棒」
ゆっくりと土を被せ、地面の底へと埋めていく。土をひとつ、またひとつとすくい上げる度に、涙が溢れて止まらなくなった。
「ごめん……ごめんな。俺がもっとしっかりしてたら……」
鼻をすすり、手を止めた。
袖で目元を拭ったその時、背後から独特な足音が聞こえた。
「えっ……」
シルヴィアはそれに困惑していた。
しかし、俺はその景色に少し安堵した。
「ああ、来てくれたんだな……」
家の奥から、ポチがゆっくりと歩いて来ていた。勿論、俺が操っている訳ではない。
ひとりでに動くそれには、間違いなく彼女が入っていた。
「魂の中で中々会えなかったから、不安だったんだけどな……良かったよ」
ポチの身体を操るマレーナは、俺の隣まで歩み寄り、墓穴の前で項垂れた。
「勝手にエルトラって名前にしたけどさ……許してくれよ?」
乾いた笑いをこぼし、再び土を被せる。
何か喋っていないと耐えられなかった。
「……さよなら」
土を被せ終え、呟く。
涙はもう、止まっていた。
石板を穴の真上に埋め込み、土を固めて整えた。それが全部終わった後に、思わず笑いが溢れてしまった。
「エルトラの魂は、もう消えて行ったんだよな?」
シルヴィアに目配せした。
以前、ナトから教わったと話していたのを憶えている。
「うん……多分、お母様の所に行ったと思う」
「……死んだ後が分かってると、弔う時に辛いな」
弱気に呟くと、ヴィオラが前に出て、右手を変形させて、赤い花を形作った。
それを墓石の前に供えると、彼女は首を傾げた。
「別れる為に、前に進む為にするんじゃないのです?」
純粋な質問だった。
しかし、それが答えでもあった。
「ああ、そうだ。俺たちの為にやってるんだ」
墓石の表面を撫でて微笑み、その場から立ち上がる。
「その居ない世界で、前を向いて強く生きる為に……別れをするんだ」
空を見上げる。
太陽は燦々と輝き、差し込んで来た光を手で遮った。
空は雲ひとつなく、澄んでいた。
「行って来ます」
___3章「魔導の国」-完-
エピローグを15:00時に出します。




