117話「またいつか」
「手応えは無しか……」
イネスは眉を顰め、剣を払った。
ハース国祖の家系であるピマイオフ家は、アルバの息が掛かっていた。
城内に居たオーガ達は全て昏倒させられており、アルバとの関わりが強い者は一人残らず首を落とされていた。
彼女は苛立った様子で足踏みをすると、フォールティアを鞘に収めた。
「フォールティア、次の候補地を探して。古代人の機動衛星にも変化は無い?」
『変化は無いよ。一旦、ニール君の所に戻ろう』
フォールティアは震えながら応答すると、イネスは顔を顰めた。
「ナトが今も苦しんでるんだよ?」
玉座に座っていたオーガの死体に触れる。
「とりあえず、この人の記憶を経由して虱潰しにやろう」
イネスの言葉に、フォールティアの鞘から赤い光が漏れ出た。
『私に身体があったら、あなたを殴ってるよ』
その言葉に、イネスは得意げに微笑んだ。
「大丈夫、ニール君は分かってくれるから」
◆
雨が降りしきるセジェスの市街で、ニールは立ち尽くしていた。
「俺は用済みか……」
曇天の空を見上げる。
一週間が経っても、彼女は帰らなかった。
恐らく、捨てられた。
英雄性を取り戻した彼女にとって、どうやら俺は不要だったようだ。
「やるせないな……」
悲しみと恨み。それと怒りが僅かに残った。
心には大きな穴が空いた気がする。
が、それだけだった。
奇妙な開放感さえあった。
ささくれた心情のまま傘を差さずに街を歩く。崩れ落ちたファビアンの工房で立ち止まり、彼の亡骸を見つけた。
「……すまない。俺は」
__優先すべきものを間違えたようだ。
そう呟こうとするも、口を噤んだ。多分それは、彼への冒涜だ。
乱雑に吐き出され、胃液によって損傷した彼の上半身を持ち上げた。
内臓が無くなり、軽くなっている筈の死体が、鉛のように重く感じられた。
恐らく、彼を見捨てた罪悪感からだろう。
「どう弔うべきだろうか」
血と魔物の胃液が滴り、服が汚れるも、今の俺に気にする余裕はなかった。
「……そこのお方。大丈夫ですか?」
擦り切れ、くたびれた衣服を身に付けた、黒い肌のエルフがこちらの様子を伺っていた。
そこでようやく、自分が死体を抱えたまま歩き回る不審者だと気付いた。
「……ああ、紛らわしかったな。この人の元で働いていたんだ。どう弔うべきか少し困っていてな」
「失礼、この人の名をご存知ですか?」
妙な事を尋ねられた。だが、答えない理由もなかった。
「ファビアンだ。知り合いか?」
「いえ、しかし彼の娘さんと避難所で会いました。リゼットさん……でしたか」
男は短く答えた。
だが、彼とリゼットが会ったのを見た事が無かった。
「まさか会った人全員の家族を覚えているのか?」
「ええ、私に出来ることを、出来る限りやるまでです」
男の瞳には、並外れた決意が宿っていた。
「すまない。彼を彼女の元に届け、弔って貰えないか?」
俺は着ていたコートをファビアンの死体に巻きつけ、溢れた臓腑を包んだ。
「……その前に、一度祈っては貰えませんか?彼がルナブラムの元へ鎮む前に」
彼は澄んだ眼差しで彼を仰向けに寝かせると、慣れた手つきで彼の胸を指先でなぞり、魔力の光で蛇の紋様を描いた。
「聖職者だったのか?感謝する」
そう尋ねると男は微笑み、頷いた。
「貴方の歩みは止まり、安息の停滞へ」
彼が淀みなく呟くと、こちらに目配せした。
俺は、彼の言葉を復唱する。
ドートス教徒が、異国の弔いに参加するのは、不思議な気分だった。
「されど世界は巡り、貴方の想いは続くでしょう」
復唱する度に、心の奥で棘が刺さった。
「良い眠りを」
「良い眠りを、ファビアン」
彼を言葉で送ると、頬に一筋の涙が流れる。
だがそれきりだった。
「彼女に会わなくて良いのですか?」
エルフの男は心配そうに尋ねた。
「俺は、二人を助けない選択をしたんだ。合わせる顔がない」
それはきっと、懺悔だった。
その言葉を彼は蔑まなかった。
「誰かのために立ち止まる勇気もまた、尊い祈りの形だと思いませんか?」
ただ真っ直ぐな眼差しで、こちらを見ていた。
「誰もが悔い改め、やり直せます。そう在るべきですから」
続けて彼は断言した。
一種の狂気すら感じさせるそれは、今の俺には眩し過ぎた。
「なら俺は臆病者だな。そんな勇気すら持ち合わせちゃいない」
そう、俺は勇者の称号に相応しくない。
ただ殺しが得意なだけの、元軍人だ。
「……そうですか」
彼は眉を落とす。その面持ちは、責めているのではなく、こちらを案じてくれているように思えた。
「俺はニール。あんたの名は?」
敢えて、偽名を使わなかった。
「ベルナールと申します。どうか、貴方の旅に幸多き事を」
彼は勇者の名に目くじらを立てる事なく、祈ってくれた。
「ありがとう、貴方の試練が成就する事を祈ってるよ」
ベルナール。それはクリフを襲い、教会より追放された司教の名だった。
「ああ、気付かれてしまいましたか」
彼の言葉を鼻で笑った。
「お互い様だな」
そう答えるとベルナールは目を丸くし、苦笑した。
「……さて、ファビアンさんの事はお任せ下さい。その為に、贖罪を中断してでも来たのですから」
彼はファビアンの亡骸を担ぎ上げた。
「ありがとうベルナール。次会えた時には必ず礼をするよ」
その言葉に彼は微笑んだ。
「ご寄進なら受け取りますよ。あまり金や物に執着が無いのです」
彼の言葉に思わず笑い声が出た。
「感服だよ、司祭様」
そう言って踵を返し、俺は街の外へと足を運んだ。
どこかへ居場所を探す為に。




